書評109 加藤祐三『黒船異変──ペリーの挑戦』(岩波新書、1988年)久しぶりに手に取った近代日本政治史ものである。幕末を描いた司馬遼太郎作品を読む補助線として、本棚に眠っていた新書を引っ張り出してきた。古本で何年も前に買った本で、まだカバーの後が赤地になっている頃の岩波新書。 ちなみに加藤祐三は本書の続編としてちくま新書から『幕末外交と開国』も刊行している。 【著者紹介】 かとう・ゆうぞう (1936年─) 国際日本文化研究センター客員教授・横浜市立大学名誉教授。専門は日本近代史・近代アジア史。 1966年東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。横浜市立大学文理学部教授、同国際文化学部学部長などを経て、1998年横浜市立大学学長。2005年より現職。また「横浜学」の提唱者としても知られる。 主著に『黒船前後の世界』(岩波書店、1985年)、『近代日本と東アジア──国際交流再考』(筑摩書房、1995年)、『幕末外交と開国』(ちくま新書、2004年)などがある。 【目次】 1章 黒船来たる 2章 日米の情報比較 3章 ペリー派遣と黒船 4章 幕府の対応 5章 新たな情報収集 6章 黒船見物と市中取締 7章 条約交渉の展開 8章 日米和親条約なる 9章 黒船異変とは何か 【本書の内容】 1853年7月、巨大な黒船四隻が浦賀沖に現れた。噂は日本国中をかけめぐり、幕藩体制は大きな動揺をきたす。ペリー来航は日本社会にどのような衝撃を与えたのか、戦争に至らずに条約が結ばれた背景は何なのか。日本近代の開始を「異変」という概念でとらえ、開国へ向けての日米の情報の流れを解明し、幕末社会が変容する姿を描く。(岩波新書カバーより) お薦め度:★★★☆☆ 【本書の感想】 <全体の感想> 本書は、ペリーの挑戦は日本にどのような異変をもたらしたのか、その相互作用を描いたドキュメントである。黒船をめぐる政治史がコンパクトにまとまっていて読み易いが、史料を読み込むポイントをはずさない叙述が印象的だった。 ペリー来航という事件を、本書は二つの視点で描いている。それは本書のタイトル「黒船異変」と副題「ペリーの挑戦」に表れている。 「黒船異変」は幕府側の視点であり、黒船来航がいかに当時の幕府・民衆にとって衝撃であったかを、“異変”として捉えようというもの。対して「ペリーの挑戦」はアメリカ側の視点であり、特にペリーを中心とする米海軍が日本という未知の国に国交を迫ることは、彼にとって壮大な“挑戦”を意味したという。 個人的には新鮮な始点であり、面白い部分も多かった。 <黒船異変──脅威から文明のシンボルへ> 黒船来航は一つの“異変”であった。それははじめ脅威として認識されるが、やがて興味の対象へと変わり、積極的に摂取すべき文明の象徴へと変貌を遂げる。 はじめは幕府にとっても、当然ながらそれは脅威であった。超大国イギリスをも凌ぐ汽走軍艦を持つペリー艦隊は、日本に圧倒的な躁焦感を植えつける。 それを誰よりも意識していたのは、他ならぬペリーであった。 巨大な汽走軍艦が日本に与える影響を、ペリーははっきりと意識し、計算に入れていた。実践上の軍事力としてより、ある種の文明の威力という点においてである。(51─52項) そしてそれはペリーの思惑通りになった。蒸気船と巨砲を前にした幕府は、それまでのように「長崎でしか交渉しない」という態度を取れずに、徐々に開国へと傾いていく。そして10年後には咸臨丸を購入し、技術を導入して汽走軍艦の国産化に取りかかるのである。ここではもはや、黒船は文明の代名詞であった。 “異変”に直面し、やがてそれを摂取すべき文明として捉えたのは幕府だけではなく、一般民衆も同様であった。 それは日米和親条約が締結されるまで、何度となく見物人取締りの御触れが出されたことに表れている。「危険は黒船なのか、それとも見物人なのか」がわからないほどに、黒船の見物人は街に溢れかえっていたのである(96項)。 実際ペリーも、「上流階級が示した知的関心と同様に、庶民たちも、アメリカ人が上陸するたびに衣服などに熱心な興味を示した」ことを観察している(167項)。 かつて「文明」が中国にあり、それが福沢諭吉らによってアメリカをはじめとする欧米に転換されたことは坂本多加雄の指摘するところ(書評36:「『万国公法』と『文明世界』」)。黒船異変は、その鮮烈な契機だったのである。 <「最も若き国」からの挑戦者> 幕府は黒船の軍事的圧力に圧されて腰砕けになり、ついに不平等条約を結ぶに至った、というのが通念的な日本史理解であろう。しかし本書は、実は幕府がオランダを通じてアメリカの情報はそれなりに得ており、さらにジョン万次郎をはじめとする帰還漂流民がそれを補完したことを実証している。全く国交のない日米が交渉を始めるにあたって、それらはかなりのアドバンテージを日本に与えることになったのである(第2章、第5章)。 対して、アメリカ側には日本の情報が極端に少なかった。もともとアメリカ政府がペリー派遣に踏み切った理由は、第一に蝦夷地への漂流米漁民の保護、第二にメキシコ戦争で建艦した汽走軍艦を有効に利用するためであった。 しかしそれ以上に、ペリーには個人的な動機があった。その鍵はペリーの日本理解にある。 ペリーは、「シーボルト事件」で追放処分となったオランダ人医師・シーボルトの大著『ニッポン』を愛読していた。シーボルトは出島や江戸に長く滞在し、日本史をはじめ日本事情を熟知した知日家であり、『ニッポン』も当時最良の日本紹介の書だった。ただし『ニッポン』は『日本書紀』の叙述に全面的に依拠しており、神武天皇以来の神話をも歴史的事実として記している。それが事実であれば、日本は世界で最古の国だということになる。 ペリーはシーボルトの著書をもちろん信用した。日本が世界最古の国であるという誤解は、ペリーの人生を動かすに至る。ペリー自身の言葉を引用すれば、 この特異な民族が自らにめぐらせている障壁を打ち砕いて、我々が望んでいるような商業国の仲間に入れる第一歩の友好・通商条約、これを結ばせる任務は、最も若き国の民たる我々に残されていた。(『ペリー提督日本遠征記』、本書35─36項に引用) 新興工業国アメリカで「蒸気海軍の父」という異名をとったペリーが、58歳という老齢で日本遠征に発った背景には、「最も古い国」の扉を「最も若き国」の自分が開けるのだ、という信念があった。それは一人の海軍軍人に内面化された、素朴で雄大なマニフェスト・デスティニーであったはずだ。 このあたり、小さな誤解から大きなうねりが生まれる歴史のダイナミズムが感じられて面白い。 <おわりに> 本書の軸は上に述べたような“異変”と“挑戦”にあるが、細かいところでも意外な発見が多かった。 例えば、ペリーはが当時地図上「空白」であった太平洋を通らず、大西洋からインド洋経由で日本にやってきたことなど。 続編『幕末外交と開国』も読んでみたくなった。
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書評 近代日本
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ペリーには、「『最も古い国』の扉を『最も若き国』の自分が開けるのだ、という信念があった」ことを、こちらの記事で知りました。ありがとうございました。知らないことの多いことを今更ながら痛感しております。
2008/2/17(日) 午後 3:47
>Mineさん:このペリーの信念は、本書の最大の読みどころだと思います。私もこのあたりの歴史については知らないことがまだまだたくさんあるので、もっと読んでいきたいですね。
2008/2/20(水) 午後 11:09
このあたりのこと,とても興味があるんですが,加藤祐三さんの本は今にいたるまでまったく読んできませんでした。「横浜学」なんていうのも,横浜で仕事をしていながら知りませんでしたし,勉強になりました。この本と『幕末外交と開国』,メモっておきます。ありがとうございました。
2008/2/21(木) 午後 9:01
>NONAJUNさん:加藤祐三の本は非常に読みやすくて、門外漢にも読みやすいと思います。しかも史料をちゃんと読み込んでいるのも信頼できますね。『幕末外交と開国」も面白そうですが、本書も日米の情報格差やペリーの信念が誤解から始まったことなどを知ることができ、面白かったです。
2008/2/24(日) 午後 1:01