読書のあしあと

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書評127 司馬遼太郎

『竜馬がゆく』その3

(文春文庫[新装版]、1998年)全8巻

書評122:『竜馬がゆく』その1書評124:その2に続き、『竜馬』書評も第三弾とあいなりました。
今回は天下に激震が走る第5〜6巻を扱います。


【著者紹介】
しば・りょうたろう (1923─1996年) 作家。
大阪生れ、大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960年『梟の城』で直木賞を受賞し、以後歴史小説を一新する話題作を続々と発表。“司馬史観”とよばれる自在で明晰な歴史の見方が絶大な信頼をあつめる。1991年文化功労者、1993年文化勲章を受章。
他に『国盗り物語』『竜馬がゆく』で菊池寛賞、『殉死』で毎日芸術賞、『世に棲む日日』で吉川英治文学賞、『ひとびとの跫音』で読売文学賞小説賞、1986年『ロシアについて』で読売文学賞随筆紀行賞を受賞。
本ブログで取り上げた作品に書評106:『燃えよ剣』がある。


【本書の内容】
幕府を倒すには薩摩と長州が力を合せれば可能であろう。しかし互いに憎悪しあっているこの両藩が手を組むとは誰も考えなかった。奇蹟を、一人の浪人が現出した。竜馬の決死の奔走によって、慶応二年一月、幕府の厳重な監視下にある京で、密かに薩長の軍事同盟は成った。維新への道はこの時、大きく未来に開かれたのである。(文春文庫版第6巻カバーより)


【本書の感想】

<屍の上に……>
第5〜6巻は、幕末の風雲吹き荒れ、攘夷を掲げる志士たちが次々と斃れていく時期に当たる。

竜馬の同志もたくさんの命を落とした池田屋の変は、その最大の事件の一つであった。
司馬は、池田屋の変を書評106:『燃えよ剣』で新撰組の側から描いているが、本書ではそれを逆から見ている構図になる。『燃えよ剣』を読んでいた時は近藤や土方を応援していたものの、本書では逃げる側の長州の志士たちを応援したくなるから、小説の読者など勝手なものである。

いずれにせよ、幕末に命を顧みず死んでいった志士たちの数、またその狂信的な攘夷熱は凄まじいものがある。
竜馬は普段無邪気なところもあるが、本音のところでは飄々として感情を表に出さない。しかし、池田屋の変の報を聞いた時だけは一人で延々とむせび泣いたという。

吉村らの天誅党はほろび、国もとの武市党はほろび、京の北添らもほろんだが、世に坂本竜馬ある限り、徳川幕府は無事ではない。(第5巻、128項)

そう誓ったのは、時勢を解さず命を落とした武市半兵太は、竜馬とは袂を別ったものの文字通り兄弟のような仲であったからである。それまでの竜馬の倒幕論は私心のない国家論からくるものであったが、池田屋の変をはじめとする志士団の暴発・壊滅は、そこに「武市らに無駄死にはさせん」という悲壮な動機づけも加えたに違いない。


<勝海舟という人>
竜馬の人生が、勝海舟との出会いによって決定的に変わったことは前回の書評で書いた。勝という人は、つくづく奇特な人だ。幕臣でありながら、竜馬に船を与え、国際情勢を説き、明治維新への道を開く志士に育て上げた。この人は、幕府ではもはや日本を支えきれないこと、しかし自分の立場では倒幕など不可能であることを悟っていたのだろう。だからこそ、日本を窮状から救うには倒幕しか道はないことを、何度も竜馬に示唆している。

「頼むよ。竜さん。……何をじゃねぇ、この国のことをさ。俺は幕吏だ、お前さんのような自由の境涯じゃない。書斎で吼えているだけのことだ。俺をありがてぇと思うなら、俺がつけてやったその背中の翼で力いっぱい天空を飛翔しな」(第5巻、132─133項)

そして、竜馬の神戸海軍塾が閉鎖になれば、西郷の薩摩藩を紹介してやり、竜馬が飛翔する舞台を用意してやるのである。
面白いことに、司馬は勝を“妖精”と表現している。

とにかく、勝には、妖精の匂いがする。そのいたずらっぽさ、底知れぬ知恵、幕臣という立場を超越しているその発想力、しかも時流のわきにいながら、神だけが知っているはずの時流の転機がどこにあるかを知っている。さらに竜馬と西郷という転轍手を発見し、さりげなく会わせようとするあたり、この男の存在は、神が日本の幕末の混乱をあわれんで派遣したいっぴきの妖精としか思えない。(第5巻、219項)

勝は身長160cmもない小男だったという。本書に描かれた勝は、まさに妖精のごとく天下を預言し、ひょいひょいと身軽に日本中を飛び回った。自分の境遇をも知り抜いていたその妖精は、自らの夢を竜馬に託すことになる。


<薩長連合成る>
竜馬の神戸海軍塾は、長崎に居を移して「亀山社中」と改称した。平時は貿易、戦時は海軍となる私設船団である。パトロンには勝の紹介で西郷の薩摩藩がついた。この亀山社中を使って、竜馬は犬猿の仲である薩長による連合を作って倒幕にもっていこうと思いつく。
幕末史の動乱の中で常にいじめぬかれてきた長州と、手練手管の外交術で常に時勢の側にあった薩摩。蛤御門の変で薩摩が幕府側について長州を叩いてからというもの、長州の反薩摩感情は手に負えなくなっていた。下関海峡を薩摩船が通ろうものなら、長州の砲台によって蜂の巣にされるようなあり様だった。
頭に血が昇った長州には、思想による説得は効果が無い。現に薩摩は長州を裏切って幕府に加担したではないか。

ところでこの薩長連合という発想は、竜馬だけの独創ではない。竜馬の同志でもあった土佐脱藩・中岡慎太郎なども同時期にこの着想に至り、長州の側から薩摩に働きかけようとしていた。それもそのはず、当時この二藩は天下に号令できる実力を持つ二強勢力であり、手を握れば倒幕が可能なことは誰の目にも明らかであった。しかも二藩とも強い尊王思想を持っている。多くの志士がここに着目し、二藩を思想的に連合させようとしていたし、中岡慎太郎もその一人であった。しかし同じ薩長連合でも、竜馬の発想は別のところからきた。

竜馬は、利害問題から入ってゆく。薩長の実情をよく見、犬と猿にしてもどこかで利害の一致するところはないか。……そこからまず糸を結ばせた、というのは、中岡などが経てきた志士的論理からはおよそ思いもよらぬ着想だった。(第6巻、118項)

観念ではなく、まず経済から手を結ばせようという発想は、人一倍現実的な竜馬の性格から出ている。
竜馬の手法は功を奏した。長州の怨念の象徴的存在とも言える過激派の中心・桂小五郎でさえその感情が静まり始めたのである。若い頃竜馬と剣術試合で渡り合ったこともある桂は、カミソリのように鋭敏な頭脳を持っていたが、同時に驚くほど粘着質な性格だったという。その桂が、竜馬にこんなことを言った。

「坂本君、君は奇妙な男だな」
と、桂はため息をつくような口調で言った。
「手品を使われているようだ。米だとか軍艦、銃器だとかいう手品の小道具が目の前で飛び交っているうちに、薩への感情がやわらぎ始めた」
「まあしばらくおれに手品を使わせておけ。誠心誠意の大奇術を演じてみせる」(第6巻、158─159項)

ところがやはり、薩長は根っからソリが合わない。長州は直情的だが、薩摩は深謀遠慮の策謀家である。桂は心底から薩摩を信じることはできず、ことあるごとに薩摩と手を握ることを躊躇した。
はたせるかな、土壇場まできてネチネチと薩摩への恨み言ばかり並べる桂に対して、ついに竜馬の我慢にも限界がきた。

「まだその藩なるものの迷妄が醒めぬか。薩州がどうした、長州がなんじゃ。要は日本ではないか。小五郎」
と、竜馬はよびすてにした。
「われわれ土州人は血風惨雨。──」
とまで言って、竜馬は絶句した。死んだ同志たちのことを思って、涙が声を吹き消したのである。
「のなかをくぐって東西に奔走し、身命をかえりみなかった。それは土佐藩のためであったか、違うぞ。……おれもそうだ。薩長の連合に身を挺しておるのは、たかが薩摩藩や長州藩のためではないぞ。君にせよ、西郷にせよ、所詮は日本人にあらず、長州人・薩摩人なのか」(第6巻、236─237項)

この時期の日本において、完全に藩から抜け出て「日本」という意識を明確に持ちえたのは、ただ竜馬と勝海舟のみであった。西郷や桂といえど、彼らは薩長の藩を背負う重役であり、どうしても藩の利害を考えてしまうのも無理はない。
しかし、竜馬自身が「生涯でこれほど怒ったことはない」と言ったこの怒号によって、桂もついに薩長同盟を結ぶ決心をする。幕末史最大の事件が成った瞬間であった。


坂本竜馬の面目躍如たるこの事件を経て、時勢は急転直下、明治維新への道をたどることになる。

閉じる コメント(21)

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わくわく、感動の嵐の巻ですね。
そうなんですよねえ。かつせんせいは、妖精なんですよね。
初めて読んだとき、司馬遼太郎に絶句しましたから。
それほど大好きなんだ、かつせんせいのこと、と。
薩長同盟に踏み切ったくだりもいいですね。

2008/7/20(日) 午後 11:44 miffy_toe

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>おじゃさん:ありがとうございます〜。この巻はまさに風雲急です。たまに読み返すと、やっぱり熱いものがこみ上げてきますね。

2008/7/21(月) 午前 1:32 大三元

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>すてさん:勝海舟の政治人生は、実に不運というか、不遇でしたね。そのへんも含めて「妖精」なのかもしれませんが…。
薩長同盟のあたりはこの作品のハイライトだと思うので、少し長めに触れました。竜馬が桂小五郎に怒鳴る場面などは、鳥肌が立ちました。

2008/7/21(月) 午前 2:00 大三元

「『燃えよ剣』を読んでいた時は近藤や土方を応援していたものの、本書では逃げる側の長州の志士たちを応援したくなるから、小説の読者など勝手なものである」、はい、よくあります。知らず知らずに感情移入してしまう、というかさせられてしまいます。それが作家の筆力なのでしょうねぇ。

2008/7/21(月) 午前 8:50 Mine

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勝海舟…いいですよねぇ^^すてさんも仰っていますが、本当に「妖精」めいていて♪

2008/7/22(火) 午後 11:36 ang*1jp

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>Mineさん:おっしゃるとおりですね。歴史小説は研究書ではなくフィクションであるだけに、なおのことその「筆力」が必要とされるのだと思います。

2008/7/24(木) 午前 0:03 大三元

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>あんごさん:勝海舟はあまりに有名すぎるので、今まであまり調べてこなかったんですが、やっぱり歴史に名を残すだけあって魅力的な人物だったんですね。『氷川清談』なんかも読んでみようかなぁ。

2008/7/24(木) 午前 0:21 大三元

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私は「燃えよ剣」を読了したところですが、政治を扱った「竜馬がいく」と政治を拒否した土方歳三の「燃えよ剣」、この二つが同時期に連載されていたところに興味を覚えます。おそらく司馬遼太郎の内部でも二つが同時に存在したからこそ名作に仕上がったのだと思います。

2008/7/25(金) 午前 2:16 [ kohrya ]

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>こーりゃさん:『燃えよ剣』を読まれたのですか、『竜馬』とセットで読むと面白さもまた倍増ですよね。どこかで「『竜馬』と『燃えよ剣』では二つの典型的な男の人生を書いてみようと思った」と司馬自身が語っていたのを読みました。確かに竜馬と歳三は、共通点も多いですが(そこがまさに司馬の思う「男らしさ」だったのでしょう)、それ以上に相違点の多い人生を送ったのだと思います。

2008/7/26(土) 午前 1:50 大三元

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>内緒さん:いやいや、その誤変換もそのうち現実のものとなるかもしれません(笑)。

2008/7/27(日) 午前 6:06 大三元

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五、六巻、読了しました。四巻までの比較的のんびりした展開からうって変わって、一気に薩長連合のところまで来ましたね。すでに全巻読み終わっていますが(後半四巻は一記事にまとめ切れなかった…)、第六巻にいちばん胸が熱くなりました。司馬氏からみた竜馬は、大志と外交技術を両方持ち合わせた稀有な人だったんですね。竜馬を通じて、明治から続く外交史にも非常に興味を覚えます。TBさせていただきますね♪

2008/11/5(水) 午前 0:20 mepo

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>mepoさん:薩長連合を前にした竜馬の奔走は、この長編の最大のハイライトですよね。記事にも書きましたが、この時代に何故竜馬のような“日本”という観念を持つ人間が生まれたのか、私は非常に不思議です。西郷にしろ大久保にしろ木戸にしろ、藩のことを第一に考える役人出身であるのに対し、竜馬は一介の郷士であるという要因はあるにせよ、逆になぜそんな竜馬が“日本”という確固としたナショナリズムを持ちえたのか。『竜馬がゆく』を読み終わっても、結局わかったようでわかりませんでした。

2008/11/5(水) 午後 10:21 大三元

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突然の御連絡、失礼いたします。
(株)ブログウォッチャー編集部佐藤と申します。

急な御案内で恐縮ですが、
「竜馬がゆく」の書評ブログ記事を株式会社リクルートエージェントの公式コミュニティサイト「BizRavel」に掲載させて頂きたく、御連絡差し上げています。
弊社は株式会社リクルートのグループ会社でして、ブロガー様とのご連絡を代行させて頂いております。また、ブログなどの口コミを活用したwebサイト制作を行っています。

ブログ更新、投稿義務などブロガー様への御負担は一切ございません。
この掲載が貴方殿のブログへの集客口として貢献できれば幸いだと考えております。

詳細について、ご連絡させていただきたいので、ぜひ下記までご連絡頂ければと存じます。
何卒、ご検討の程宜しくお願い致します。

株式会社 ブログウォッチャー
編集部 佐藤 bizravel@blogwatcher.co.jp

2010/6/26(土) 午後 7:38 [ mmm**802*802 ]

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>ブログウォッチャー佐藤さん:申し訳ございません、個人的なメールの遣り取りは控えさせてください。書評の掲載については、リンクしていただいて結構ですので、どうぞよろしくお願いします。

2010/6/26(土) 午後 8:55 大三元

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勝は、近藤勇の命ごい、せめて武士としての切腹をさせてやってはくれぬかと頭を下げてきた、土方の願を聞きませんでした。

言うまでもなく近藤は、直参旗本サンゼンキ、御家人が顔をあげられぬほどに、幕府のために殺し、命を捧げて関東まで戦いつづけます。

カツハ、近藤ひとりの切腹くらい簡単に差配できました。

自分ひとり、おおだてものよろしく明治の元勲にまで生き延びた訳です。百姓町人上がりの、捨て石の上に講釈を並び立てはしましたが、維新後、これといった功績は無いはずです。

時代を越えて、二君につかえて、国家社会の役に立ったというのならまだしも、トクガワ幕府トップでありながらの、無残な人間の我欲でしょう。

鳥羽伏見の戦いでマケルト、一気に大阪から船で将軍を江戸まで逃げ帰させたのは、彼、勝でした。

会津の、そして東北へ転戦し北海道まで、幕府、トクガワ大事と戦いつづけた土方歳三への、冷ややかな答えでした。

2013/11/22(金) 午前 0:34 [ ]

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あ、言うまでも有りませんが、漫画、小説読物の評価や、おもしろさをひていしたり、違うというものではありませんから、皆さんの感動好意的な人物像にとっては、ある種不愉快なものの言い方になっていますが、歴史というか、事実を押し曲げてマンガチックに面白おかしく、英雄を作り上げるばかりか、日本と日本人の歴史までいいだされると、どうもいけません。

公家のくらいで言うと最下位、家で博打場を開くような手合いの口上手、岩倉の変節も厚顔無知ぶりも、先の龍馬の闊達、自由さというべきか、その場その場の、詐欺師のような口車の軽さと、おなじものがあります。

イギリスとフランスの亜細亜、トウヨウセンリャクの間であったとはいえども、日本人だけ、サッチョウドヒノイチブノキミョウナな人物像にすりかえて、あるいは、シバシカン等というものを持ち上げて、ウットリとしている日本的風土、何故、阿片戦争が起き、その後中国がどうなったか、その先に日本が有り、維新後、ニッシンニチロの戦争へと突き進むベクトルを読み取るべきでは無いでしょうか。


あまりも皆さんが、そうだそうだの大合唱ですので敢えて、サカロを漕ぎました。

2013/11/22(金) 午前 0:54 [ ]

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>ぜさん:言うまでもなく、本作は歴史小説であり研究書ではありません。史実を下敷きに書かれたものではありますが、脚注をつける義務もなく、本作に書かれたことがそのまま歴史的事実であるというより、ある一つの=司馬の「歴史の見方」だというのが正しいでしょう。
歴史を専門とする者としては、はじめ史実に忠実とはいえないこういう類の小説を避けていたのですが、最近は上記の前提を頭に置いて読めるようになりました。
そもそも、厳密な意味での歴史研究でさえ、かつてE.H.カーが指摘したように「完璧」ではありえず、その意味で上記の問題を免れない。結局は、そういう歴史のあいまいさは歴史小説であれ歴史研究であれ程度問題なんだと思います。

2013/11/28(木) 午後 2:58 大三元

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>ぜさん:ということで、司馬史観について補足すると、司馬史観が良い悪いというより、なぜ司馬史観がこれほど日本人に受け入れられたか、その背景に何があったのか、そこで見落とされたものは何か、今改めて司馬を読む意味/無意味は何か、といったことを議論した方が面白いと思います。そういう意味では、年初に書評した三谷博『明治維新から考える』の司馬評は面白かったです。

2013/11/28(木) 午後 3:01 大三元

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いやいや、どうもいけません。

ロウジンニナルト我慢というものが有りません。
小説であることも、おっしゃるとおりの、歴史は解釈であるとの、古い読書の経験もありながらくの、興奮でした。

しかし、それでも敢えて言わせていただくと、龍馬にしても明治維新にしても、司馬遼太郎が事実に近い歴史になり、彼に特有の時代感覚が日本人だと言い出しかねない空気を、ワタシは感じているのです。

ですから、江戸をムケツカイジョウしたバクシン勝が、幕府の戦争相手であった維新政府の参与にまでなり、シンキゾクとしてながながと命を長らえて行くなど、どうも承知ができ無いのです。

百歩を譲り榎本のように最終段階まで戦い抜いたあげく、ソノミヲテンジテ、新しい時代の推進力として余人をもって変えがたいというのではなく、チマタのフラフラ時間を全うされたのでは、ウエノノヤマもビャッコタイもすくわれません。

昨今、イシンのコウロウシャのなれの果ての孫や、終戦のナニヤカヤがまるで、自分こそが大日本帝国の、正当性そのものであるかのごとき、傲慢ぶりがワタシの幼稚な反発の遠い原因です。

2013/11/29(金) 午前 0:48 [ ]

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>ぜさん:いわゆる「司馬史観」については、これだけ読まれているにもかかわらずそれを歴史学側から論じた評論がほとんどなく、上述の三谷のものが珍しいくらいです。従って、おっしゃるような「司馬の歴史感覚が日本人だ」という印象があったとしても、その当否の検証、バランスの見つけ方はこれからになるでしょう。
私自身歴史研究崩れとして、司馬の感情的なまでの「昭和忌避」、その裏返しとしての「明治礼賛」には少々違和感を覚えます。例えば『坂の上の雲』では、明治期は昭和期のような軍部の暴走はなかったと書かれていますが、書評269で書いたように明治期にも一歩間違えば同様のことが起きた可能性は大いにありました。
そのようなことも、司馬は小説を書くにあたってあえて単純化している部分があること、司馬も感情を持った一人の人間であること、を踏まえて読めばいいのではないか、また多くの日本人もそういう読み方ができるようになってきているのではないか、と思います。

2013/12/2(月) 午後 2:41 大三元

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