読書のあしあと

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書評1 松本健一

『開国・維新 1863-1871』その2

<日本の近代1>(中央公論社、1998年)



5日ぶりの帰宅・・・(笑)。今日は前回に続き内容の後半をまとめ、感想を述べようと思う。


【本書の内容・後半】

<パトリオティズムの土壌>
維新期におけるパトリオティズムは、はじめ「攘夷」の形で表れ、揺れ動きながら次第に「尊王」に収斂していく。「攘夷」派をリードしていたのは徳川斉昭をシンボルとする水戸藩で、『大日本史』編纂にその起源を見る水戸藩の国学は、後に尊王攘夷運動のバイブルとなる会沢正志斎の『新論』を生み、それは吉田松陰の天皇を中心とした国体論に結実する。一方で、西郷隆盛をはじめ革命派志士たちが「攘夷」を口にし続けたのは「開国」路線をとらざるをえなかった幕府を倒す口実であった。このように「攘夷」のために「尊王」という国体を必要とした国学と、「尊王」のために「攘夷」を利用した志士たちの二つのパトリオティズムは相補関係にあり、やがて「攘夷」はかなわないことが過激派にも理解される過程で、そのパトリオティズムは「尊王」の方に収斂していったのである。


<民衆レベルの尊王論>
しかしながら、そういった尊王論も民衆レベルまで浸透していたかというと一概にそうも言えない。例えば有名な「ええじゃないか」運動というのは、幕末の価値変動からくる精神的不安を基盤に、国際貿易の影響による物価の高騰が引き金となって発生した。その際の民衆の証言はこうである。

「前からあった将軍さんの世になるんやら、改めてお天子さんの世になるんやら、どっちがどっちやらわからなんだけん、皆があないに(ええじゃないかと)暴れたんじゃと思う」(斎藤次平翁)

これを読むと、当時の革命の志士たちのイデオロギーとなっていた尊王論がほとんど根を下ろしていなかったことがわかる。ただ、一方で十津川郷士の京都凱旋や隠岐島民の決起のような例もあり、このような運動が目に見える形でイデオロギーを浸透させていったと思われる。


お薦め度:★★★☆☆

【本書の感想】
全体に記述は平易で、散りばめられたエピソードも面白く、すらすらとページをめくれた。特に面白かったと感じたのは川路聖謨や浜口梧陵などの小さなパトリオットたちが奮闘していくところだった。この時代がいかに激動だったかを考えると、彼らの意思の強さ、能力、機敏さというのは目を見張るものがあるのではないだろうか。はじめに本書の軸の一つとして「国民の形成」というテーマがあると述べたが、彼らは未だ「国民」とは呼べなくてもその前身であり、彼らがいたからこそ維新も成功し、その後の「国民の形成」も近代国民国家の中では異例の速さで成功したのだろう。

ただ、全体として吉田茂賞を受賞するほど名著かというと、どうも私にはそこまで感じなかった。個人的に今は維新期の建国者たちに興味を持っているので、彼らの記述が物足りなかったのもあるが、本シリーズにも本書よりよく書けている巻はある気がする・・・。
という文句はつけつつも、通史としてそこそこ面白く読めるのは確かである。


次は第二巻『明治国家の建設』を取り上げる予定。これがまた面白い。坂本多加雄はやはり惜しまれるべき学者だったと痛感させられた。こっちは絶対お薦めです。

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