読書のあしあと

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書評164 B.シュリンク

『朗読者』

松永美穂訳(新潮文庫、2003年)

最近映画が公開されたので、これを機に原作を読んでみる。
普段はベストセラーは読まないのだが、最も信頼する読書家の一人、阿刀田高が書評108:『小説家の休日』で薦めていたのが気になっていた。

最近映画化もされたと言うし、ブログでお世話になっているソフィーさんやgenteelさん、ぼやっとさんの感想を読んで間違いなさそうだったので手に取った。(皆さんの記事はトラバ先参照)


【著者紹介】
Bernhard Schlink (1944年─) ドイツの作家。フンボルト大学法学部教授。
ドイツ西部のビーレフェルト近郊に生れる。ハイデルベルク大学、ベルリン自由大学で法律を学び、1982年以降ボン大学教授などを歴任後現職。ノルトライン・ヴェストファーレン州の憲法裁判所判事でもある。作家としては、87年にヴァルター・ポップとの共著『ゼルプの裁き』でデビュー。92年には『ゼルプの欺瞞』でドイツ・ミステリー大賞を受賞。


【本書のあらすじ】
15歳のぼくは、母親といってもおかしくないほど年上の女性と恋に落ちた。「なにか朗読してよ、坊や!」―─ハンナは、なぜかいつも本を朗読して聞かせて欲しいと求める。人知れず逢瀬を重ねる二人。だが、ハンナは突然失踪してしまう。彼女の隠していた秘密とは何か。二人の愛に、終わったはずの戦争が影を落していた。現代ドイツ文学の旗手による、世界中を感動させた大ベストセラー。(新潮文庫カバーより)


お薦め度:★★★★☆

【本書の感想】

<全体の感想>
よかった。質の高い文学だった。
序盤のハンナの魅力的な描写、中盤で明かされる過去に対する主人公の反応、物語の終わり方に至るまで、読者を最後まで飽きさせない構成になっている。

扱われているテーマ自体は重いし、決してハッピーエンドではないのだが、淡い感傷としみじみとした読後感が心地よい作品だ。


ベストセラーであり、先週公開された映画版のストーリーもCMで流れたりしているが、あらすじはやはり伏せておいた方が良いだろう。
以下では例の如くネタバレ前提で感想を述べているので、未読の方は御遠慮ください。


<戦後ドイツが背負うもの>
本書のひとつの特徴は、著者が法学者かつ現役の判事であり、戦後ドイツが未だに抱える傷を背景に据えていることである。

本書の半ばで明らかにされるハンナの過去。認めるべき罪と、否認すべき罪とを追及され、法廷に立つハンナは裁判官に問う。

わたしは…わたしが言いたいのは…あなただったら何をしましたか?(129項)

日本ではこんな形の問いはまずありえないが、戦後のドイツ人はずっと問い続けてきたはずである。
この古典的な問いに加えて、もう一つ本作品が提出する主題的な問いは、「愛する人が戦争犯罪者だったらあなたはどうしますか?」というものだった。


主人公は長じて法制史の研究者となるが、その歴史認識はドイツ市民のそれを代表するものだろう。

ぼくは長い間、法律の歴史には進歩があるのだと信じていた。恐ろしい反動や退行はあっても、一方にはより美しく、真実で、合理的で、人間的なものへの発展があるはずだ、と。そんな確信が幻想に過ぎないことに気づいて以来、ぼくは法律の歴史について別のイメージを抱いている。法律はある目的に向かって発展してはいくが、多種多様な揺さぶりや混乱、幻惑などを経てたどり着く先は、結局またもとの振り出し地点なのだ。(206─207項)

歴史は繰り返す。20世紀の人類史は19世紀的進歩史観の浅はかさを証明した。
法実証主義と法理念主義の古典的な対立だけではなく、人間の歴史そのものに根本的な進歩があったのか、主人公は問うている。

それは法学者でもある著者が、文学というやり方で提起した問題でもあった。


<静謐な絵画>
とはいえ、本書を小難しい戦争小説として読む必要はない。
本書の魅力は何と言っても主人公とハンナの生き方と、それを淡々と跡付ける著者の文章にあろう。

文盲を隠し続けて屈辱に耐え、40歳を超えてから刑務所で読み書きを練習したハンナ。その字を初めて読む主人公の胸中の描写は感動的だ。

ぱっと見ると、まるで子どもが書いた字のようだった。しかし、子どもの場合にはぎこちないという表現が当てはまるのだろうが、彼女の場合は力ずくといってよかった。線を文字に、文字を単語にするために、ハンナが克服しなければならなかった抵抗のあとを見ることができた。……ぼくはハンナの手紙を読んだ。そして歓喜に満たされた。
「彼女は書ける、書けるようになったんだ!」
……ぼくはハンナの筆跡を見、書くことが彼女にとってどれほどの力と戦いを必要とすることだったを理解した。彼女を誇らしく思った。と同時に、その努力が遅すぎたことや、彼女の人生が失われてしまったことを思って悲しくもあった。(212─213項)

この場面は、本書の持つエッセンスを一番よく表しているように思える。
強く儚い存在だったハンナと、彼女を理解しようと努力し続ける主人公。それは真摯に生きようとする深刻さにもかかわらず、静謐で爽やかな絵画を見ているような美しさを感じさせる。


<おわりに>
ところが彼らの30年間の関係は、突然幕を降ろす。読者としては、本書の終わり方にもどかしい思いを持つに違いない。少なくとも私はそうだった。しかし自殺の動機を勘ぐるのは止そう。


いずれにせよ、ベストセラーも納得の良作。
書評103:『ソーネチカ』にしろ書評:144『巡礼者たち』にしろ、新潮クレスト・ブックにはこういう良作が多いから好きだ。

映画版は…観ようかどうか迷い中です。
 

閉じる コメント(12)

自殺で幕を引くのは、驚きました。そうですよね、映画版については迷うところですね。でも、多分、いずれ観ちゃうと思います。TBありがとう。

2009/6/21(日) 午後 9:39 genteel 返信する

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さすがのレビューで大変参考になりました。(^^ゞ
なるほど、著者は法学者だったんですね。そうするとこの題材も納得ですね。
私は読解力が劣るのでどうもハンナの心情でわかりにくいところがあり、今一つ大きな感動を得るところまで行かなかったのですが、映画は脚本及びキャストの素晴らしさからからその辺もよくわかり感動がありました。
しかし大三元さんが抜粋されている箇所など、こうしてあらためて読むとおっしゃるとおり美しくまた深い文章ですね。
映画はお好みかどうかはわかりませんが、私はお奨め作だと思います。
稚拙な感想で恐縮ですがこちらからもTBさせていただきますね。

2009/6/21(日) 午後 9:55 choro 返信する

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TBありがとうございました。書評、楽しみにしていました。
あの「幕引き」ですが、衝撃を受けながらも、心の何処かでやっぱりそうか…と思っていました。潔くて、でも脆くて、不器用な生き方しかできないハンナという女性がいじらしく、切なかったです。

2009/6/21(日) 午後 10:31 ぼやっと 返信する

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>genteelさん:トラバありがとうございました。
映画版、やっぱり迷いますよね。これを上手く映画化したらどうなっちゃうのか、全く想像がつきません。逆に言えばそういう興味はあるのですが…。

2009/6/22(月) 午前 6:54 大三元 返信する

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>choroさん:ハンナの心情は、おっしゃる通り非常にわかりにくく描写されていると思います。しかし物語は一貫して「ぼく」の一人称ですから、「ぼく」にとってハンナは最期まで理解しにくい影を持った女性であったことの裏返しでもあるのでしょう。そこが逆にリアルで、この作品の品位を高めている部分でもあると思います。
映画版、choroさんの太鼓判とあっては観ないわけにはいきませんね。公開中に観るチャンスを探しておきます。

2009/6/22(月) 午前 6:58 大三元 返信する

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>ぼやっとさん:私に合いそうだ、というぼやっとさんの推察通り、ストライクゾーンの作品でした。
この作品には考えさせられるポイントがたくさんあるのですが、ハンナの最期もその一つですね。人は30年間の努力を続けても結局理解し合えないのか、それともその方が幸せだったのか。
決してハッピーエンドではない切ない終わり方ですが、ほのかな光も余韻として感じられる物語だったように思えます。

2009/6/22(月) 午前 7:01 大三元 返信する

トラバありがとうございました。
やはり最後のところですが、読んだ当初はあれこれ理由を考えてみたりしたのですが、結局これだと断定できるものではなくて、考えるのを止めていました。この度、大三元さんのコメントを読みながら、もしかしたらハンナはあの距離感のままでいたかったのかも知れないとも思えたりしました。でも確かに、自殺の動機を勘ぐるのは止めたほうがよいですね。/この度は映画は見に行くチャンスを逃してしまいました。でも、よかったという評判を耳にするので、先々でDVDを買って見てみようかと思っています。

2009/6/23(火) 午前 6:51 [ ソフィー ] 返信する

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>ソフィーさん:ハンナの自殺の動機は、私も色々考えてみたのですが結局わからなかったんです。ハンナはその不器用さのせいで、主人公にさえ心の内を素直に明かすことなく逝ってしまいますが、それをそのまま活写することで逆に「ぼく」の視点がリアルになっていると思います。
この映画版は悪い噂を聞かないので、私も時間を見つけてそのうち観ようと思っています。

2009/6/23(火) 午後 10:53 大三元 返信する

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最近、翻訳小説を読むようになりました。
これもベストセラーでずっと気になっていたのですが、読んだのはついこの前。
そのあと映画も観ましたが、やはり小説の静謐な美しい文章は素晴らしかった。
ミヒャエルの回想のかたちで物語はすすむので、ハンナはすべて彼のなかの面影だというところが良かったです。
なので、ハンナのほんとうの心のうちは想像するしかありませんね。
私も恥ずかしながら、TBさせてもらいました。

2011/11/20(日) 午後 1:57 [ わかめ ] 返信する

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>わかめさん:トラバありがとうございました。
私は本→映画の順で読みましたが、本を読んで腑に落ちなかった部分が映画を観たら納得いきました。本を読んでいなければ映画であれほど感動できなかったろうし、映画を観なければ自殺の動機もマイケルがハンナと再開後拒否してしまった理由も、何となくでさえ理解できなかったでしょう。
これは是非セットで楽しんでもらいたい名作でしたね。

2011/11/20(日) 午後 11:20 大三元 返信する

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これは映画を先に観て、その後、英語の翻訳で原作を読みました。
女主人公が文盲であったということが、この話のみそでしょうね。
ところでご結婚おめでとうございます。
ぼくはてっきり大三元さんは同年輩の方かと思っていました。(なお、ぼくは上海で12年独身です。)

2012/2/26(日) 午後 0:37 蓮 返信する

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>蓮さん:これはいい作品でしたね。今でも、映画の一シーンが目に浮かぶようです。小説と映画がどちらも良いという、珍しい作品でもありました。
お祝の言葉、ありがとうございます。ブログではよく実年齢より2周りくらい上だと思われてますので、お気になさらず(笑)

2012/3/3(土) 午後 11:45 大三元 返信する

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