書評174 司馬遼太郎『翔ぶが如く』その2全10冊(文春文庫、1980年)前回は征韓論論争から西郷の下野までを扱った。今回はその西郷の人物像に触れ、今や彼の政敵となった大久保による台湾出兵までの感想を述べる。 【著者紹介】 しば・りょうたろう (1923─1996年) 作家。 大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960年『梟の城』で直木賞を受賞し、以後歴史小説を一新する話題作を続々と発表。“司馬史観”とよばれる自在で明晰な歴史の見方が絶大な信頼をあつめる。『国盗り物語』『竜馬がゆく』で菊池寛賞、『世に棲む日日』で吉川英治文学賞など受賞多数。 本ブログで取り上げた作品に書評106:『燃えよ剣』、『竜馬がゆく』(その1/その2/その3/その4/その5)がある。 【本書のあらすじ】 征台の気運が高まる明治七年、大久保利通は政府内の反対を押し切り清国へ渡る。実権を握る李鴻章を故意に無視して北京へ入った大久保は、五十日に及ぶ滞在の末、ついに平和的解決の糸口をつかむ。一方西郷従道率いる三千人の征台部隊は清との戦闘開始を待ち望んでいた。大久保の処置は兵士達の失望と不満を生む。(文庫版第5巻カバーより) 【本書の感想】 <吉之助と一蔵> 今や袂を別った維新の両雄、西郷隆盛と大久保利通は、前回述べたように無二の親友でもあった。面白いのは、この二人が表面的にはおよそ対照的な人物であったことである。 ここでは、司馬の西郷評をいくつか抜書きしておきたい。 西郷という人は、その思想といい人格といい、彼に格別の魅力を感じて接する者以外には空漠としてすこしも理解できないというふしぎな存在であった。(第3巻、133項) その魅力の源泉は、一つにはその高潔なまでの誠実さによるものではないかと思われる。 かれは本気で正義が通るものだと思っていたし、本気で人間の誠実というものは人間もしくは世の中を動かしうるものだと信じていた。むろん西郷の眼光は人間というものは自他ともに汚濁なものだということも知っており、さらには世の中は多分権力欲も含めた欲望で動くものだということも知っている。しかし西郷は知りつつもほとんど人工的としか言いようのない超越の仕方で、正義と誠実を信じようとし、現にかれは幕末にあっては自分のその部分を電光のようにきらめかせることによって人間をも集団をもまた世の中をも動かした。 西郷の別の側面について、西郷とその恩師であった島津斉彬の差異についての、司馬の分析が面白い。 斉彬を数ある名君から一際輝かせているのは、その産業主義にあるという(第4巻、117項)。紡績、火薬、ガラス、鉱山開発など、斉彬が創始した産業の中には後の明治国家の基幹となるものもあり、斉彬時代の薩摩藩は一大ミニチュア産業国家の観があった。 ところが、斉彬のよき弟子であった西郷は資本主義を嫌悪してやまなかった。「西郷には、斉彬があるいは目指していたであろう資本主義が、ついに理解できなかったのであろう」(第4巻、118項)と司馬は述べている。ここに盟友大久保との決定的な差異の一つが見え隠れしている。 一方で、西郷を廟堂から追いやった大久保利通とはどんな人物だったのか。 かれは仕事をするためにのみ世の中に生まれてきたかのようであり、他に無用の情熱や情念を持たず、さらにはそういう自分の人生に毛ほどの疑いも持っていなかった。(第1巻、75─76項) かれは日本国の政綱を執るにあたって、一見無数のように見える可能性の中からほんのわずかな可能性のみを摘出し、それに向かって組織と財力を集中する政治家であったが、同時に不可能な事柄については、たとえそれが魅力的な課題であり、大衆がそれを欲していても、冷酷といえるほどの態度と不退転の意志をもってそれを拒否した。(第2巻、291─292項) 「大久保は全身これ政治家である。凡そ政治家に必要である冷血の多きこと私は未だに公の如き人を視なかったのである」(第3巻、236項、福地桜痴の大久保評を孫引き) 現実主義者、無感情、鉄面皮、冷酷、官僚専制主義…と、およそ人間らしくない形容詞ばかりが似合いそうな男だ。人間らしい魅力に溢れた西郷とは明らかに対照的である。西郷と大久保は一人ずつではありえず、二人が揃ってこそ維新は可能だったのだろうと思わされる。 <台湾出兵という奇策> 誰の目にも奇妙なことだが、征韓論を死にもの狂いで抑えつけた大久保利通と西郷従道が、その翌年に台湾出兵を考えた。大久保や従道とともに征韓論に反対した長州の木戸孝允などは、「征韓に反対しておいて今度は征台だなど、聞いて呆れる」と言って断固抗議し、ついには参議を辞めてしまった。 それもそうであろう。大久保らは財政逼迫と西洋列強の反対を理由に征韓論を攻撃したが、それが征台になったからといって許される理由はどこにもない。 大久保や従道ほどの現実主義者を台湾出兵に向かわせた背景には、やはり西郷隆盛を征韓論へ向かわせた不平士族のエネルギーがあったのだと司馬は述べる。 「外征でエネルギーを衰えさせるのがいい」という考え方は、西郷においてはそれをアジア政略に結び付けてエネルギーを昂揚させようという方向をとったが、大久保は単に衰えさせるという方向をとった。……むろん、従道は台湾を日本領にするなどは考えてもいなかった。要するに、汽船いっぱいに壮士を乗せて台湾の高砂族を殴りつけにゆくだけのことを、従道は考えたのである。……かれが並外れて常識人で、調整能力に富んだ男だったことは確かであった。その常識家に、こういう滑稽で粗暴な案を思いつかせたのは、かれ自身の問題よりもかれが直面していた問題──西郷と薩摩士族の問題──がいかに異常であったかということをよく表している。(第4巻、236─237項) しかし当時の日本の財力と軍事力の現状で戦争に挑むほど大久保の目は曇っていたわけではない。大久保は、九割九分まで戦争をせずに済むだろうとの観測を持っていた(第5巻、29項以下)。 まず、清国の方も戦争ができる状態にはないことを知っていた。清の李鴻章軍は国内の治安維持で手一杯であり、とても対外戦争に打って出る余裕はない。 そういう状況で開戦となれば清との貿易に利益がある英国が清を援助するであろうが、大久保は米仏独の三ヶ国に働きかけて英国を牽制する腹であった。これら列強は英国の対清貿易の独占権益に強い不満を持っており、英国を牽制して清国利権のバランスを保とうとするだろう。 こういう状況で台湾出兵を敢行すれば、「政府は臆病だ」との鹿児島の非難も防げるし、不平士族のガス抜きはできるし、かつ大きな戦争にはならない。現実主義者大久保はそう踏んだのである。 結果的に、大久保の目論見は成功した。最終的には大久保が北京に乗り込んで決着を図るのだが、彼は外政家としても卓越した手腕を見せた。日清交渉を見かねて調停に乗り出す駐清イギリス公使ウェードをいなす様(第5巻、102項)は、かつて幕末に老中板倉勝静を煙に巻いた様子を髣髴とさせて痛快でさえある(書評142:『竜馬がゆく』その5参照)。 結局、ウェードはじめ各国公使の「日本の論理には無理がある」との観測の中、大久保は賠償金まで得て帰朝するのであった。 <西郷の下山> ところが、全国にくすぶる不平士族の反乱気分に対しては台湾出兵も焼け石に水だった。 台湾出兵の直前の佐賀の乱(前参議・江藤新平の蜂起)に続き、明治九年には熊本で神風連の乱、それに呼応した長州・萩の乱が起こった。もはや士族の不満が全国に充満し溢れる水の如く噴き出しているのは明らかだったが、これらの乱は計画性のないボヤに似た性格の暴発だっただけに、政府としては対応がし易く、いずれも蜂起早々に鎮圧された。 江藤の場合は単に壮士に担がれただけであり、萩の前原一誠にしても戦略などまるでなかった。不平士族の期待を一身に集める西郷の薩摩が起てば状況は違ったかもしれなかったが、薩摩は西郷が起たない限り起たず、その西郷は山で狩猟ばかりしている。熊本の神風連などは「薩は信用できない」として連携しようともしなかった。この反乱士族のまとまりのなさが、結果的に不満爆発を小出しにさせ、西南戦争の衝撃を緩和したかもしれないことを思うと興味深い。 この明治九年の薩摩の状況の表現として、西郷の幼馴染であり鋭い知性を備えていた村田新八の言葉が最も的確だそうだ。 「もう、どうにもならぬ」ということである。西郷が私学校生徒たちの爆発を抑えている、自分も、篠原国幹も桐野利秋らも抑えている、しかしもう抑えきれない、といった。……村田新八は心から爆発に反対であり、しかしながらもし爆発し、西郷がその身を若者に委ねれば自分もともに委ねようと思っていた。(第7巻、120―121項) 果たして、村田の心配は的中してしまった。 日本の治安維持に血道を上げる大警視・川路利良の放った密偵が「西郷に対する刺客である」という噂が立った。これに桐野・篠原らが激昂したのである。 本当に刺客だったのか、あるいは私学校生徒の暴発の口実だったのか。 刺客問題というのは、わかりにくい。ただ政府と薩摩の空気が、発火寸前にまで緊張しているこの状況下で東京の川路大警視が刺客を送ったという噂が流れた場合、鹿児島私学校ではこれを決して唐突とせず、さもあろうと信じるという気分上の事情が、最も重要かもしれない。(第7巻、211項) いずれにせよこれによって、沈黙を守り、狩猟を続けていた西郷も、遂に下山せざるをえなくなった。
かくなる上は、士族らに身を任せて起つのみとなったのである。 |
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これを全て読み終わったら「坂の上の雲」ですか(笑)
あっNHKでドラマ化されるのが放送される頃かな。
2009/9/9(水) 午前 1:26
>CAVEさん:長期計画として、司馬の長篇群を毎年夏に一作ずつ読んでいくことにしています。昨年は『竜馬がゆく』、今年は『翔ぶが如く』、そして来年は『坂之上の雲』ですね。大河ドラマも楽しみです。
2009/9/9(水) 午後 11:41
司馬遼太郎の「西郷という人は、その思想といい人格といい、彼に格別の魅力を感じて接する者以外には空漠としてすこしも理解できないというふしぎな存在であった。」というセリフに納得してしまいました。
ごめんなさい。私は西郷さんを理解できないクチです。
勝海舟も坂本龍馬も西郷さんを褒めているけれど、あまり魅力を感じないのです。
私もこの作品を読めば西郷さんの良さを理解できるのかしら。
2009/9/10(木) 午後 8:49
>すてさん:西郷の魅力は、やはり会って話してみないとわからなかったのではないか、と思います。こういう類のカリスマ性って、身体から匂ってくるものだと思うんです。でも、西郷をどう評価するにせよ、時代を動かすには必要な人材だったのかな、という感じはします。
2009/9/12(土) 午後 7:57
>内緒さん:実は、この前の記事では3つ食べています(笑)
2009/9/17(木) 午後 11:21
TB、ありがとうございました♪う〜ん、面白いですねえ。不平分子のエネルギーは、やはり発散の方向を与えてあげないと、暴発しますからね。西郷も仕方なかったんでしょうね。
それと、大三元さんの書評を読むと、西郷という人間に改めて興味が湧きますね。人間は汚濁なものだと知りつつ、人工的ともいえる超越の仕方で正義と誠実を標榜できるってとこは、やはり並みの人間ではないと感じます。並みの人間は、大抵どっちかのような気がして(笑)。西郷が幕末に行った相当な裏工作も、維新後の「理想」を描くためだったとすれば、なんだか気の毒な感じもします。
私もTBさせてくださいね。
2009/9/27(日) 午前 0:29
>mepoさん:維新後に描くはずだった西郷の「理想」は、芽生えたての近代資本主義と革命直後特有の汚職によって裏切られたのでしたね。あるいは司馬の述べるように、西郷は世の中を「作る」より「壊す」方が向いていたのかもしれません。西郷の人柄から考えれば皮肉ですね。
2009/9/27(日) 午前 9:32
TBありがとうございます^^現在ようやく6巻までたどり着いたのでこれから先どうなるのかどきどきしながら読んでいます。征台の際の大久保さんの脳のしびれるような交渉はすごかったですね。大三元さんの記事を読んで思い出しました。泥をかぶることも厭わず、泥をかぶっても毅然としている大久保さんの生き方は格好いいな、と思わずにはいられませんでした。こちらからもぜひTBさせて下さいね^^
2011/6/27(月) 午前 0:31
>あんごさん:おお、6巻ですか。6〜7あたりは、読むのが一番辛かった記憶が^^;
頑張って下さい!
大久保利通の、そういった側面はあまり大衆受けしませんが、非常に大切な政治家の資質だと思います。大久保は、個人的には日本史の中でも5本の指に入る政治家だと思っているのですが、やはり世間的には西郷の方が人気がありますよね。
2011/6/27(月) 午前 4:40