読書のあしあと

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書評177 司馬遼太郎

『草原の記』

(新潮文庫、1995年)

例によってまだネットは開通してないのですが、生存確認の意味でも書評を一つアップしておきます。

以前モンゴル旅行の予習に選んだ本書。結局旅行は断念せざるを得なかったが、予想外の大収穫となった。


【著者紹介】
しば・りょうたろう (1923─1996年) 作家。
大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960年『梟の城』で直木賞を受賞し、以後歴史小説を一新する話題作を続々と発表。“司馬史観”とよばれる自在で明晰な歴史の見方が絶大な信頼をあつめる。『国盗り物語』『竜馬がゆく』で菊池寛賞、『世に棲む日日』で吉川英治文学賞など受賞多数。
本ブログで取り上げた作品に書評106:『燃えよ剣』、『竜馬がゆく』(その1その2その3その4その5)がある。


【本書の内容】
史上空前の大帝国を作り出したモンゴル人は、いまも高燥な大草原に変わらぬ営みを続けている。少年の日、蒙古への不可思議な情熱にとらわれた著者が、五十年の星霜を経て出合った一人のモンゴル女性。ロシア、中国、日本…、激動の20世紀の火焔を全身に浴びてなお、その人は凛々しく、清々しく草原に立っていた――。草原に拡がる無量の歴史と我らが生きる20世紀末を言葉の粋を以て語り尽す感動の叙事詩。(新潮文庫カバーより)


お薦め度:★★★★★

【本書の感想】

<全体の感想>
モンゴル人とその歴史をめぐる随想であり、紀行文であり、評伝でもある本書は、司馬の数多い著書の中でも出色と言ってよいと思う。司馬にとって心の故郷であるモンゴルへの愛情が、行間にたっぷり込められているのも味わい深い。


<草原を疾走する民>
モンゴル人が世界史において決定的に重要な役割を果たしたことは、最近でこそ強調されるようになったものの、これまでは中国史における「夷狄」程度にしか叙述されなかった。しかし視点を変えてみると、逆の場合もあったのではないか。

漢民族帝国では、外側である北方について数多く書かれてきた。当然ながらその立場(農耕という立場)に拠って書かれ、北方は常に醜悪であり、侵略者として印象づけられてきた。以下の想像は、歴世の中国人には申し訳ないが、むしろしばしば農民の方が侵略者だったのではないか。かれらは人口増加のあげく、常に処女地を求め、匈奴の地である草原によろぼい出て、鍬を打ち込む。……ひとたび表土が吹き飛ばされれば、二度と草原はもどらないのである。(18―19項)

遊牧民族と農耕民族では抱く天が違う。これが今でも内モンゴル自治区をはじめ中国が抱える民族問題の底流にあることは容易に想像できる。

モンゴル人はやがて世界中を征服し、十三世紀中国にあっては元王朝を建てるに至った。しかし彼らが都市に安住することを嫌ったのも、それと無関係ではあるまい。

(都市は)国家的体面として必要なだけである、というあっけらかんとした気分がかれらにあり、だから霧が去ったように都市が消え、もとの草原になったところで、なんの不都合も起こらない。……ウランバートルは、二千年の大民族の首都でありながら、かれらが栄えた十三世紀の世界帝国のころの遺物や遺跡や博物館もない。(65項、84項)

やがて元が滅んだ時も、草原が萌える春に遊牧民が移動する伝統の如く、彼らは馬に乗って“北帰”していった。後世に跡を遺そうとしないあっけなさは、端的にモンゴル人の寡欲によるのではないか、と司馬は書いている。


<モンゴル民族の肖像>
モンゴル人の「寡欲」ということを示すのに、司馬は第二代皇帝オゴタイ・ハーンを例に挙げている。

オゴタイ・ハーンほど、モンゴル的な人物は少なかった。かれの寡欲にいたっては、平均的モンゴル人の肖像を見るようである。……かれは、一種ののんき者であった。せっかくカラコルムという都市をつくりながら、ほとんどは野外にいて、天幕で暮らした。今のウランバートル市民が、草原の夏を好むようにである。(79―80項)

史上初めてユーラシアを結ぶ大帝国を築いた英雄だが、彼は古今の征服者に例のないほど寡欲で、物にも金にも無頓着であった。遥か遠方からの使者が来たというだけで莫大な財貨を与え、部下にこう言ったという。

「財宝がなんであろう。金銭がなんであるか。この世にあるものはすべて過ぎゆく」(78項)

オゴタイはその望み通り、銅像として後世に残るのではなく、モンゴル人の記憶に深く長く刻まれることになった。


オゴタイ・ハーンと対照的に取り上げられているのは、司馬がモンゴルで出会った一人の女性、ツェベクマさんである。

彼女の人生は、普通の日本人からみれば絶望的なほど哀しい。ロシアに生まれ、満州で育ち、中国では共産党の弾圧を受け、夫を奪われてモンゴルへ帰ってきた。政治に翻弄され続けた人生を語るツェベクマさんの言葉は端正で簡潔だ。想像を絶する苦しみもその語り口に包まれる。そのあっけからんとした知性と明るさには、オゴタイのような歴史への諦念が潜んでいるのかもしれない。

司馬の「ツェベクマさんの人生は、大きいですね」という感嘆に、彼女はこう答えたという。

「私のは、希望だけの人生です」(221項)


<おわりに>
なぜモンゴル人は、こうも潔いのか。
物欲にこだわらず、颯爽と歴史を生きて消えてゆくところなど個人的にとても共感できる点が多いだけに、ますますモンゴルに行きたくなってきた。

いつかと言わず、来年は絶対に行こう。
 

閉じる コメント(13)

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>内緒さん:これ、お読みになりましたか?やはり私の好みはわかり易いのでしょうか…(苦笑)。

2009/10/22(木) 午後 9:34 大三元

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典型的農耕民族の血で固まっている私はだからこそ「旅行者」としてモンゴルの地を踏みしめてみたいですね。「360度地平線のモンゴル高原に寝て人工の光が一つもない状態で星空を眺めてみたい」が私の一生の夢です。

2009/10/22(木) 午後 11:27 [ kohrya ]

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>こーりゃさん:「360度海」とか「360度砂漠」っていうのはありますが、360度草原」っていうのはあまりない気がします。司馬はそれを「モンゴル平原が天に近い」と表現していますが、さもありなんと思わされますね。

2009/10/26(月) 午後 2:34 大三元

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私はこの本をまだ読んだことはないのですが、
記事を読みながら、モンゴルの風が吹きぬけるかのような爽快な
気分を味わいました!
いつか読んでみたいと思います(^^)

2009/10/26(月) 午後 8:23 mie**tro*e

司馬遼太郎は大好きで小説は全て読みましたが、エッセイや評論はあまり読んでませんでした。
大三元さんにここまで絶賛されるとさすがに読んでみたくなります。
モンゴルはボクにとってはいろんな意味で未知の国ではあります。

2009/10/28(水) 午前 8:06 オブ兵部

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大三元さんの絶賛に心惹かれます。あー読みたいー!!

2009/10/29(木) 午後 10:27 ang*1jp

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>mielさん:司馬の作品の中ではあまり知られていない紀行文ですが、これが抜群に面白いです。
書評で「モンゴルの風が吹きぬけるかのような爽快な気分」を感じていただけたのはとても嬉しいですね。是非作品の方も手にとってみて下さい!

2009/10/31(土) 午後 2:26 大三元

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)オブ兵部さん:私も今までモンゴルにはそれほど興味がなかったのですが、本書との出会いは決定的でした。来年は必ずモンゴルへ行こうと思います。

2009/10/31(土) 午後 2:30 大三元

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>あんごさん:司馬には重複が多く長ったらしい作品が多いですが、これは短いエッセイなのですっきりとまとまっています。それがまたモンゴル人の颯爽とした潔さを際立たせているような気がします。機会があれば是非読んでみてください。

2009/10/31(土) 午後 2:32 大三元

以前も書きましたが、司馬遼太郎さん苦手です。
でも、この本、入門編として良さそうですね。
羊も草原も好きなので(^^♪

ただ、10年位前まで、日本は中国全体をこういう視点で見ていました。
そして中国が経済大国になろうとしている現在、日本人の視線は冷ややかです。
私は、どの国であっても(固有の文化を残しつつも)「文明国になる」ことを願わない国は無いと思っています。
つまり「寡欲」な国民なんていないという意味です。
問題だらけだった朝青龍さんにも、そういう葛藤を感じました。

2010/4/24(土) 午後 2:20 AKIKO

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>AKIKOさん:『草原の記』は、唯一の司馬の悪癖とも言うべき冗長さもなく、モンゴル高原の風が前編にわたって感じられる、実に爽やかで味わい深い一冊です。
本書を読むと、当時でもウランバートル市民は夏を草原で過ごすそうで、夏と冬では人口が違うのだとか。現在はどうなっているのか、現地で見てみたいと思っています。

2010/4/24(土) 午後 4:56 大三元

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大三元さん、こんばんは。いつもわたしの幼稚な備忘録にコメントをくださり、本当にありがとうございます。いつも、大三元さんのように本から多くを掴み取ることができ、しかもそれを表現できることが自分にもできたらと思っています。
ここのところ、読書することがめっきり少なくなってしまいましたが、いろいろな分野の本を積極的に読んでいこうとあらためて思いました。

2013/6/8(土) 午後 11:16 ペコスマイル

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>ペコスマイルさん:こちらこそ、トラバありがとうございました。
私もペコスマイルさんの後を追いかけて『ローマ人の物語』を完読する予定でしたが、何年計画倒れになっていることやら…反省ですね。

2013/6/9(日) 午後 6:28 大三元

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