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書評185 F.A.ハイエク

『市場・知識・自由――自由主義の経済思想』

田中真晴・田中秀夫編訳(ミネルヴァ書房、1986年)

新年一本目の書評で扱うフリードリヒ・ハイエクは、今ではすっかり評判が悪くなった「新自由主義」の源流の一人であり、リバタリアニズムの元祖ともされる経済学者である。
最近「資本主義の終焉」を叫ぶ日本的経済オンチが多くて困ってしまうが、こういう世情だからこそ市場と競争の意義を問い直すべきであろう。


【著者紹介】
Friedrich August von Hayek (1899―1992年) 経済学者、哲学者。ノーベル経済学賞受賞。
オーストリア学派の代表的学者の一人であり、経済学、政治哲学、法哲学、さらに心理学にまで渡る多岐な業績を残した。20世紀を代表するリバタリアニズム思想家。その思想は、後の英国のサッチャーや米国のレーガンによる新保守主義・新自由主義の精神的支柱となった。
著書に『隷従への道』『科学による反革命』など多数。


【目次】
第1章 真の個人主義と偽の個人主義
第2章 社会における知識の利用
第3章 競争の意味
第4章 医学博士バーナード・マンデヴィル
第5章 デイヴィッド・ヒュームの法哲学と政治哲学
第6章 経済思想史におけるメンガー『原理』の地位
第7章 回想のケインズと「ケインズ革命」
第8章 自由主義


【本書の内容】
市場経済の意味を考え抜いた思想家ハイエク。その思想の真髄を端的に表現する論文選。(「BOOK」データベースより)


お薦め度:★★★★☆

【本書の感想】

<全体の感想>
比較的短く、ハイエクの思想がよく表れている論文を8本集めた論文集である。
ハイエクを読みかじってはいたもののしっかり読んだことがなかった身としては、非常に刺激的で面白く読めた。

ハイエクの思想の第一の特徴は、何と言ってもその攻撃的姿勢にある。高名な思想家であっても批判すべきは鋭く批判し、論敵の盲点を鋭く抉り出す。あるべき理想を現実に適用することにも妥協はしない原理主義者でもある。

私自身ハイエクの思想に全面的に賛成するわけではないけれども、その議論は知的刺激に満ちていて読み応えがある。特に「自由な社会」をめぐる独特の論法は新鮮だった。


<合理主義の限界と真の個人主義>
本書の中でも、第1章「真の個人主義と偽の個人主義」にハイエクの思想が率直に表れていて面白い。
ハイエクによれば、一般に「個人主義」と呼ばれるものには二つの伝統がある。

第一は真の個人主義であり、古代ギリシャにその萌芽を持ち18世紀スコットランド啓蒙主義者たちによって定式化されたこの伝統は、以来イギリスに深く根付いている。人間の理性の限界を認識し、人間にできること以上のものは慣習や伝統に任せる保守的な一面もある。

第二は偽の個人主義であり、デカルトによる近代合理主義の出発以来、フランスの哲学者らに継承され、独仏などヨーロッパ大陸の思想の主流となった。全てが合理的に理解可能な世界で、人間理性によって社会を設計・運営することを理想とする。

これを粗っぽく図式化すれば以下のようになる。
■真の個人主義=イギリス的自由主義
     代表的思想家:ヒューム、アダム・スミス、E.バーク、カント、トクヴィル、アクトン卿
        政治思想:反合理主義、保守主義
   理性に対する態度:理性懐疑主義

■偽の個人主義=大陸的自由主義
     代表的思想家:デカルト、ヴォルテール、ルソー、スピノザ、(ベンサム、J.S.ミル)
        政治思想:合理主義、社会設計主義
   理性に対する態度:理性万能主義                     出展:第8章「自由主義」などより作成

真の個人主義の出発点は「一人の人間は社会全体のちっぽけな部分以上のことを知りえないという事実」(15項)を認めることにある。

人間は高度に合理的で聡明な存在ではなく、きわめて非合理的で誤りに陥りやすい存在であり、その個々の過誤は社会的過程のうちにおいてだけ訂正されると考え、極めて不完全な素材を最も有効に活用することを目指す反合理主義的アプローチは、おそらくイギリスの個人主義の最も著しい特徴である。(「真の個人主義と偽の個人主義」10項)

この文章は、いわゆる新自由主義が超合理主義のようなイメージで語られているのとは正反対である。ハイエクによれば、人間ができることには限りがあるからこそ、非合理的な社会慣習が必要となる。

真の個人主義は、家族の価値と小さい共同体や集団のあらゆる共同の努力を肯定すること……はこれ以上さらに強調する必要はない。……個人主義的社会が機能的に働くために、これらの比較的小さい人間集団に劣らず重要なのが、自由な社会において成長する伝統と慣習である。……誰も設計したのではなく、誰にも理由がわからないかもしれない社会的過程の産物に、普通に従おうとする心構えもまた、強制をなくすべきであるならば欠くことのできないひとつの条件である。(同論文、28項)

偽の個人主義=大陸的自由主義は一見リベラルに見えて、実は社会を上から設計・統制する意図がある点で全体主義や社会主義と同根であるということになろう。

J.S.ミルまでも「偽の個人主義者」と断じている点など異論はあるものの、ハイエクの立論はシャープで面白い。
自由な社会にするために伝統や慣習が必要となる逆説は、マイケル・オークショットの政治思想を思わせて興味深い(短評9:『政治における合理主義』)。


<「現場の知識」を最大利用するための市場>
上に述べたような「自由な社会」の条件となるのが有名な「自生的秩序」である。これには上記の伝統や慣習、法などがあるが、その要となるのが市場メカニズムである。
ハイエクは、市場経済の最大の意義を、知識の利用効果の最大化に見ている(第2章「社会における知識の利用」)。

中央当局が有効に利用できる知識は、科学的・一般的な知識や統計的に把握可能な情報に限られる。これに対して時々刻々に変化し、現場の人でなければ知らない具体的な情況の知識は、正確に中央当局に集計されない。そして実はこういった知識こそ社会では大切なのだ、とハイエクは論じる。

理論的訓練を卒業した後に、どのような職業においても、勤労生活のいかに大きな部分を特定の仕事の習得に費やすものか、そして、人々についての知識、地域の状態についての知識、特殊な情況についての知識というものが、あらゆる職業においていかに貴重な資産であるか(同論文、58項)

と強調し、社会に分散して無数に存在する「現場の知識」を有効に反映させて社会につないでゆくのが市場であると指摘する。

市場経済の重要なファクターである価格システムがその代表例であり、各商品の価格決定を中央当局ではなく各々の商品の個別的事情に委ねることが、世界中に散らばった個別の情報を価格に吸い上げる最も簡単で妥当な方法である(第3章)。


市場原理主義者と見られているハイエクが、市場経済は必ずしも人間の本性に合致するものではないと考えていたのも新鮮。

市場の出現に先立つ何千年ものあいだ人間は共同体の中で生きてきたのであって、共同体指向のメンタリティは人間の原生的心理であると考えている。市場の非人格的メカニズムはこの原生的心理からの離脱を要請するのであって、人は無理を強いられて、未知の秩序とルールに適応させられるのである。そしてこの適応に成功した社会が文明の発展を享受する。(「解説」277項)
市場メカニズムはたしかに「反人間的」であり、個人に対して「配分的正義(=社会的正義)」を保証しない。……諸個人に対する「機会の平等」の保証も、「何人に対しても例外を認めない一般的ルール」としての法の支配ということであって、諸個人が同じ出発点から走り始める条件を約束するということではない。(「解説」同項)

こういった市場経済の「反人間的」側面や、結果の平等、スタートラインの平等を保証できない欠点を認めつつ、それでも「真の個人主義」の観点から市場経済を擁護するのがハイエクの立場である。


<おわりに>
他にも面白い知見が散りばめられている。社会を合理的に組織しようとする設計主義が自由な社会を絞殺するというハイエクの立場から、彼は自然科学的・技術者的精神の社会認識への不当な侵入に対して容赦ない批判を加える点など。このあたりは全面的に賛成。

私自身は、ハイエクに「イギリス的自由主義と同じ程度に大陸的自由主義の影響を受けてしまった」と批判されているJ.S.ミルに近い立場を取っているつもりなので、本書の主張に全て同意するわけではない。

しかし、何度も書くが「それでもハイエクは面白い」。
 

閉じる コメント(4)

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これはハイエク全集とは違うのですね。
私も昨年ハイエクについて少し書きましたが、ハイエクも新自由主義も悪者にされていますが、実像はまったく違うと思います。
特に佐藤優がひどく悪く書いてましたね。私のブログでは名指しでは指摘するつもりはありませんが。
傑作&トラバ

2010/1/7(木) 午前 7:54 [ nagata ]

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>龍作さん:ハイエクはその論法の鋭さのためか、誤解を招き易いような印象を受けました。何と言うか、小気味が良すぎるんですよね(笑)。刺激的で面白いんですがねぇ。

2010/1/11(月) 午後 10:58 大三元

合理主義が特化すると、非合理に満ちた市場経済を統制する結果になるという論旨なのですね。
個人主義が伝統や習慣を尊重すべきものとしている部分はなるほど斬新です。
新自由主義というのを少し誤解していたかもしれません。

2010/1/13(水) 午後 11:56 オブ兵部

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>オブ兵部さん:おっしゃる通りです。合理主義が自由な社会=市場経済を絞め殺す、ということですね。
合理主義=個人主義=新自由主義vs.反合理主義=リベラル=福祉国家路線という図式で頭が固まってしまっている日本人には、とても新鮮な視点だと思います。
ハイエクは面白いですよ。

2010/1/14(木) 午前 0:01 大三元

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