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【著者紹介】 ささき・あつし (1964年―) HEADZ代表。早稲田大学教育学部、武蔵野美術大学非常勤講師。 文学、映画、音楽など幅広いジャンルで批評活動を行なっている。 【目次】 プロローグ 「ゼロ年代の思想」の風景 第1章 「ニューアカ」とは何だったのか? 第2章 浅田彰と中沢新一──「差異化」の果て 第3章 蓮實重彦と柄谷行人──「テクスト」と「作品」 第4章 「ポストモダン」という「問題」 第5章 「90年代」の三人──福田和也、大塚英志、宮台真司 第6章 ニッポンという「悪い場所」 第7章 東浩紀の登場 第8章 「動物化」する「ゼロ年代」 【本書の内容】 これまでになかった日本の現代思想史が登場!浅田彰、中沢新一、蓮實重彦、柄谷行人から、福田和也、大塚英志、宮台真司、そして東浩紀まで──。思想家たちの論点・対立点を示す試み。(カバー紹介より) お薦め度:★★★☆☆ 【本書の感想】 <全体の感想> 浅田彰から東浩紀まで、日本の現代思想の変遷を辿った本だが、いくつか留意点がある。 第一に、「ニッポンの思想」と言いつつも、扱う対象は80年代〜現在までのポストモダン系の論客のみであること。従って、その他の政治思想や社会思想における重要な論争(リベラル=コミュニタリアン論争や「敗戦後論」論争など)は視野の外である。 第二に、それぞれの論客について簡単な紹介・要約はあるものの、本書の主眼はその詳細な検討ではなく、むしろなぜ彼らが売れたか/売れなくなったか、ということにある点。 こういったいくつかの留保付きで読めば、そこそこよくまとまった本である。何より、これだけの「知のスター」たちの著作を平易に要約し、一冊の新書にまとめる編集力は買いだろう。 よく整理されている反面、この本で著者が主張したかったことが見えないのが評価の難しいところではある。 <「ニューアカ」の悲喜劇> 80年代を彩った現代思想の風景は、一般に「ニューアカデミズム(ニューアカ)」と呼ばれる。 『構造と力』で衝撃的デビューを飾った浅田彰をはじめ、中沢新一、蓮實重彦、柄谷行人らがその担い手であった。 彼らはなぜ売れたのか。著者によれば、その理由は二つある。 第一に、彼らの著作が若者のニーズに合致したこと。ニューアカはドゥルーズ=ガタリやデリダなど、フランス現代思想を明晰に説明した上でさらにわかりにくくして見せたような側面があり、そのファッショナブルな文章は「政治の季節」が終わった後の「思想したい若者たち」に歓迎された(102項以下)。 第二に、本当に理解しているかどうかは別にして、ニューアカの言説を受け入れる土壌が当時の社会にあったこと。浅田・中沢がそれぞれの表現で提出した「差異化」は現実を批判する概念だったが、結果として「80年代ニッポン」の爛熟した消費文化を肯定する論理になってしまったのである。 著者は、ニューアカの登場が80年代であったことは、その思想が誤解される環境にあったという意味で不幸であったが、逆にニューアカが売れる勝因でもあった、と述べている。 ニューアカが売れた理由を分析したこの部分は本書で一番の収穫。中沢新一の宗教がかった論理や蓮實重彦の晦渋な文章がなぜ爆発的な人気を得たのか、やっと腑に落ちた。 <東浩紀「一人勝ち」の構造へ> 日本の消費社会/情報社会化の追い風を受けてブームとなったニューアカは、バブル崩壊とともに下火となっていく。代わりに言論界の主役となったのは、ニューアカの主戦場である思想誌、批評誌ではなく論壇誌を中心に活躍した論客たち――福田和也、大塚英志、宮台真司である。 彼らがニューアカと違っていたのは、ニューアカがその思想の起点を現代思想などのアカデミズムに置いていたのに対し、目の前の現実から思想を出発させていることである。福田は目の前の「日本」という土壌について、大塚はマンガ、宮台はブルセラ女子高生について論じることによって人気を得た。 95年に起きたオウム真理教事件と阪神大震災は、この「反思想=現実主義」志向を後押しすることになる。 これが2000年代になると、新しい思想家や論客は出て来ず、浅田彰の最大限の賛辞によってデビューを飾った東浩紀の一人勝ちの状況が出現したという。著者によれば、それは「大きな物語」が終わった後のゲームボードの設定に東のみが成功した結果なのだという。 左右のイデオロギー対立が終わり、社会のサブカル化、ポストモダン化が極限まで達したゼロ年代では、全ての価値基準が相対化される。その中で、東は何をしたのか。 「相対化」とはすなわち、優劣や善悪や当否などといった価値判断も正当化されないということです。つまり、そこでは絶対的に「勝ち負け」が決まらない。だったら、何らかのルールや審査基準があり、そのなかで競い合えるような「ゲーム」を新たにこしらえて、そのなかで戦えばいいわけです。(331項) 東は、一般公募の若者から厳しい審査を経た一人に単行本のデビューの機会を与える「ゼロアカ道場」なるものを創設し、新たな思想誌『思想地図』も立ち上げた。そこから若い論客が少しずつ出て来ているようだ。 東が作ったのは、出版不況に顕著な「思想の冬」の時代をサバイブしていく仕組みであったという。 <おわりに――「思想」は生き残るか?> 大塚や宮台は相変わらず元気だし、東の「一人勝ち」という断定はいささか贔屓し過ぎているような気はするものの、東がゼロ年代の思想界を引っ張っている一人であるのは疑いない。 しかし、東一人を手放しで賞賛するわけにもいかないだろう。著者自身認めるように、現実主義的になった90年代の思想に対し、ゼロ年代は現実主義を超えてさらに「現実追認」になってしまっている観がある。果たしてそれは「思想」と呼べるのだろうか? 思想のパフォーマンスをファッショナブルに消費したニューアカの二の舞に終わらず、本当に中身のある「思想」を生き残らせるにはどうしたらよいのか? 必要以上に悲観的になる必要はないが、その点については著者の筆も重いようだ。 【追記】 先日の朝日新聞web版に、東浩紀のインタビューが載っていた。 昔読んだ宮台との対談では、東から「モチベーションの低下が止まらない」というネガティブな告白があってびっくりしたが、今はそんなことはないらしいからちょっと安心。否、これもパフォーマンスか? かたや『中央公論』1月号には浅田彰と蓮實重彦の対談が載っていて、タイムリーだったので読んでみた。
こちらは浅田・蓮實とも相変わらずの調子で、未だに「ニューアカ」的パフォーマンスを貫いている。 ニューアカが単なるファッションだったことがバレてるのに、と思ったけど、彼らは彼らで一貫していてアリなのかな。 |
書評 思想・文化
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最近の政治を考えるとマスメディアの力を良きものへと転化しながら基礎教育の見直しを!と叫びたくなります(笑)
先日藤原教授の本を流し読みしましたが示唆に富んだ内容で感銘しました。
藤原正彦 [ふじわらまさひこ]
1943年7月 旧満州新京生まれ。
父:新田次郎氏(直木賞作家。『孤高の人』、『八甲田山死の彷徨』など)
母:藤原てい氏(『流れる星は生きている』)
東京大学理学部卒業。東京大学大学院理学系研究科修士課程修了。理学博士。
現在、お茶の水女子大学理学部数学科教授。
2000年からお茶の水女子大学附属図書館長も兼任。
専門は数論。哲学科の土屋賢二と並ぶお茶大の看板教授。
■ [著書]
『若き数学者のアメリカ』 『遙かなるケンブリッジ』 『数学者の休憩時間』
『父の威厳 数学者の意地』 『古風堂々数学者』 『心は孤独な数学者』
『天才の栄光と挫折―数学者列伝』 『祖国とは国語 』『若き数学者のアメリカ』
『数学者の言葉では』 『父の旅 私の旅』
2010/1/21(木) 午後 0:00 [ pipimyucogen ]
>カフェっちさん:藤原正彦 の数学エッセイは面白いですね。『国家の品格』なんか書かないで数学者・エッセイストとしての仕事を全うした方がよかったですねぇ。
2010/1/23(土) 午後 3:43
人気があった反面この連中を毛嫌いする方も多くいましたね。
私もその一人かも(笑)
私にとっての澁澤龍彦や三島由紀夫の後継者が見つかりませんよ。
2010/1/23(土) 午後 8:22
>CAVEさん:私も学生時代に一応流し読みしましたが、決して良い読者とは言えませんでした。未だに浅田はナナメからのスタンスで、蓮實は「愚鈍さ」を貫くと言っており、彼らは全然変わっていないのですが、それはそれで一つの在り方かもしれませんね。
2010/1/24(日) 午後 4:35
読書会というのがあるんですか。
浅田彰、懐かしいですね。
ボクが学生の頃、ニューアカのスーパースターでした。
何故80年代にブレイクしたかのくだりは、まさに的を得ていると思います。
その頃、現役だったヤツが言うのだから間違いないです(爆)
学生運動が終わり、というかそういうものがダサいと皆が思い始め、それでもちょっと理屈をこねてみたい若者が、一斉に飛びついたという構図だったと思います。
思想的なムーブメントと言うよりは、知的ファッションの一つとして若者に受け入れられた向きがありました。
ただ、今の若いもんはそういうものをカッコイイとは思わないんでしょうね。
てか、あんまり知的な若者が少なくなっている気がしているのは、年寄りのひが目か(笑)
ゆとり教育の影響でもあるのかな。
2010/2/3(水) 午後 8:42
>オブ兵部さん:そうですか、オブ兵部さんの学生時代にピッタリとは(笑)。
「知的な若者が少なくなっている」というのは、おそらく「知的」の概念が変わってきているのではないでしょうか。昔は理解できるかどうかはともかく浅田彰を読んでいればカッコよく知的に見えた。今は颯爽とスーツを着てプレゼンが上手いやつがカッコいい。東浩紀に言わせれば、「じゃあ昔の思想のレベルは高かったのか?」ということになると思います。
2010/2/5(金) 午後 11:54