書評208 ジュンパ・ラヒリ
『停電の夜に』
小川高義訳(新潮文庫、2003年)
ピュリッツァー賞まで受賞した、インド系アメリカ人の新鋭作家のデビュー短篇集。
ベストセラーになったし、文学通の間では有名な作品なので、お読みの方も多いかと思う。
【著者紹介】
Jhumpa Lahiri (1967年―) アメリカの作家。
カルカッタ出身のベンガル人の両親のもとロンドンに生まれ、幼少時に渡米。99年、「病気の通訳」がO・ヘンリー賞受賞。同作収録の短編集『停電の夜に』でPEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞ほかを独占し、鮮列なデビューを飾る。2000年4月には、新人作家としてはきわめて異例ながらピュリツァー賞を受賞し、一躍全米の注目を集めた。
【収録作品】
停電の夜に
ピルザダさんが食事に来たころ
病気の通訳
本物の門番
セクシー
セン夫人の家
神の恵みの家
ビビ・ハルダーの治療
三度目で最後の大陸
【本書の感想】
<全体の感想>
うーん、良い短篇集だった。
この作家さん、大変な美貌だが、見とれている場合ではない。ラヒリは本物の作家だ。
彼女は小説でしか表現できないものがあることを知っている。そしてそれを表現する術を知っている。
この本については多くのレヴューが出ているが、読後の余韻を正しく表現できる評者がいたとすれば、偉い才能の持ち主だろう。
小説を読むことでしか得られない感動を、他の表現で伝えることはとても難しいことだ。
作品の登場人物は、何らかの意味でインド系移民と関係する人たちである。本書には、ドメスティックな日本人には想像もできない、移民とその子孫の「違和感」がさりげなく表現されている。
違和感というのは、異質な他者に出会ったときの感情と反応のことだ。インド系移民が、アメリカという土地、文化、文明に出会ってから適応していく過程で、必然的に感じざるを得ない違和感。
それはおそらく、大仰な理論を振りかざすでもなくて、こういった静かな文学でこそ表現できる部分もあるのではないか。
著者自身がインド系移民二世であるためか、その感情のひだを拾うのがとても上手い。そしてその違和感が、やがて安心感に変わっていく様を表現する文章の滑らかさ!
さらに、本書で描かれているのは、インド系移民とアメリカ文明の出会いという特殊な関係だけにとどまらない。
文明間のみならず、社会が人間関係の網の目で出来ている以上、私たちの周りは違和感だらけである。男女間、地域間、階層間、育った環境、個人が持っている資質・・・などなど。
実際、9篇のうちほとんどで、夫婦間のすれ違いが何らかの影を落としている。訳者が述べているように、「男女の出会いもまた理解と誤解が交錯する異文化の接触」なのだ。
本書は、特殊を描いているようで、実はもっと射程が広い。
一度原文を味わってみたくなった。
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確かにドメスティックな島国気質の日本人は、文化的違和感は苦手分野かもしれませんね。
察し合いみたいなものを相手に期待する風土があり、差異を明らかにしたりするのは和を乱すみたいな感覚があるような気がします。
日常的に感じている違和感を文学描写で表現した作品なのですね。
大三元さんは原書も読まれるのですか。
語学も堪能なのですね。
2010/8/29(日) 午後 2:00
新刊で出たときに気になっていたのですが、いつのまにか忘れていました^^;
何かと違和感を感じることが多い昨今、特殊なテーマが今日的で普遍的なテーマにもなっているところが興味深いです。
2010/8/29(日) 午後 3:46
異文化の衝突がアメリカの魅力の一つですね。
街によっては英語が通じないのには驚きました。大阪にも店によっては日本語が通じないところもありますが・・・そのうち日本も。
2010/8/29(日) 午後 6:49
ベタ褒めですね。「美貌に見とれている場合じゃない」とありますが、私はひたすら見とれましたよ(笑)
あの短篇集、全体として私はどう捉えていいのかよく分からなかったのですが(好みの作品もあれば、好みじゃないものもあったので)なるほど「違和感」ですか。また読み返してみます。
2010/8/29(日) 午後 8:31
>オブ兵部さん:日本人には長らく「単一民族神話」がありますから、自分たちの国土に異民族がいると思っていないし、いること自体に対しても必要以上に身構えてしまう傾向があるのではないでしょうか。すると、他の国よりも相互理解のプロセスが遅く、複雑になる。これから移民を受け入れていく必要のある時代、これでは困るんですが。
2010/8/31(火) 午前 0:57
>AKIKOさん:これだけグローバル化が進むと、文明と文明の遭遇なんて日常茶飯事ですし、「違和感」の在り方も入り組んできて複雑・多様化してきます。私たちの周りも、考えてみると違和感だらけなんですよね。
2010/8/31(火) 午前 1:06
>CAVEさん:移民国家の伝統から「違和感」と正面から向き合ってきたアメリカで、生まれるべくして生まれた文学のように思います。グローバル化によって世界の均質化が進む現代、私たちもこの問題からは決して避けられないでしょう。
2010/8/31(火) 午前 1:08
>ぼやっとさん:正直、淡々とし過ぎていると思える短篇もありますけれど、また読み返してみたら登場人物の“心の襞”に気づくこともあるかもしれないな、と感じさせる短篇集でした。歳をとってから、また再読したい一冊です。
2010/8/31(火) 午前 1:10
>内緒さん:さすが、もうお読みなのですね。いい短篇集でしたね。この作家さんの長篇も読むのが楽しみです。
2010/8/31(火) 午前 1:11
美貌に見惚れたクチです^^あまりに徹底した観察眼に正直ドン引きしてしまいました。最終話を読むまで心の襞に気付かないくらいに…。気づけてよかった。(ホッ)
大三元さんの仰る「違和感」とても興味深いです。もうすこし時間をおいてから読み返してみたい作家さんです。
2010/9/2(木) 午前 0:40
>あんごさん:私も、この本の“味”を全て消化しきれた感じがしないので、もっと歳と経験を重ねてから読み返したい作家さんです。それにしても、この若さでそれだけの含蓄を小説から放つことができるラヒリという作家は末恐ろしいです。
2010/9/5(日) 午後 6:03
『見知らぬ場所』ではインド移民文学という枠組みを超えて、家族の繋がりや男女の愛憎の機微をより普遍的なものとして描いてくれています。「射程が広い作家」という印象はぴったりです。
2010/9/13(月) 午前 6:35
>りぼんさん:トラバありがとうございました。
そうなんですよね、インド系移民コミュニティを描いているようで、実はもっと深いところに通じる、何かがある気がします。『見知らぬ場所』も楽しみです。
2010/9/13(月) 午後 10:44