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【著者紹介】 ほさか・かずし (1956年―) 作家。 山梨県生まれ。早稲田大学政経学部卒業。1990年『プレーンソング』でデビュー。1993年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、1995年『この人の閾(いき)』で芥川賞、1997年『季節の記憶』で平林たい子文学賞、谷崎潤一郎賞を受賞。 他の著書に『生きる歓び』『カンバセイション・ピース』『小説の誕生』など多数。 【本書の内容】 小説は、読んでいる時間のなかにしかない。読むたびに、「世界」や「人間」や「私」について、新たな問いをつくりだすもの、それが小説なのだ――。ときに立ち止まり、ときに駆け抜ける、思考の原型としての「生」の小説論。 お薦め度:★★★★☆ 【本書の感想】 <全体の感想> 雑誌『新潮』上で一年間連載された評論。 著者自身の思考過程をそのまま文字に起こしたような文章で、話題があちこちに飛んで初めは何を言いたいのかいまいち掴みづらいが、保坂の書きたいことは一貫している。 それは、小説とは何か、小説を読むとはどういうことか、である。 私は、この本を読んで保坂という人のことを信用した。 <小説に「意味」を求めること> 世の文芸評論家、批評家たちは小説に意味を見出す――「ここには現代の病が書かれている」というような――ことを職業としている。 対して保坂は、小説に意味や主張が隠されているはずで、それを探るのが読書だ、という固定観念に異議を唱える。 保坂は意味を見出すことがナンセンスな小説の代表例としてカフカ『城』を挙げて、タイトルの城とは何なのかとか、なぜ城に入れないのかとか、そんな邪推は不要だと言う。小説を理解しようとして前がかりになると、自分の見たいものしか見えてこないのである。 「わかる」こと、「わかろうとする」ことが、結局、小説を読む前に持っていた自分の思考の材料を更新することではなく、事前にあったそれらで小説を腑分けすることでしかないことを示している。(216項) 小説の役割は、普段の生活とは全く違う地平から、読者に何かの印象を残したり、考えるきっかけを与えることにある。世間にありふれた話題を小説に投影して読むことは、小説にしかできないことではない。 ある小説が、その小説が書かれる前から社会の中でじゅうぶんに認知されている問題を、社会と同じ視点から書いても、問題の質的転換は起こらず、すでに問題とされている問題が強化されたり、固定化されたりするだけだ。(393項) <彼が彼としての人生を生きる> 「小説を読む」とは、不可解なものを不可解なまま読み、それをそのまま全体として受け入れることである。 その読み方を、保坂は音楽を聴くことに例えて説明する。 私は『城』をもっと記憶するまで読まなければいけないのではないか。クラシック音楽のファンだったら、四、五十分ある交響曲の全体を記憶している曲が一つか二つあるのではないか。なのにどうして小説の方は一回や二回読んだだけで「読んだ」ことになってしまうのか。小説をもっとずっと音楽の受容の仕方に近づけることが、小説を、批評という小説とは似ても似つかない言葉から自由にすることなのではないか。(149項) カフカの不可解な小説を、意味づけずにそのまま全体として受け入れ、そのリアリティを感じること。 この本を読んでよかった、保坂という人の本を読んでよかったな、と感じたのが、カポーティ『冷血』の登場人物について述べた文章。 役に立つ/立たない、価値がある/ない、社会に還元される/されない…これらのことは副次的なことで、何よりも大事なのは、彼が彼としての人生を生きることだ。(229項) |
書評 随筆・紀行
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>内緒さん:おっしゃる通りです。本書はひたすら「小説を読むことの意味」を考えている内容ですが、保坂の姿勢が誠実なんですよね。小説のみならず、おそらく人に対しても「そのまま受け入れる」ことができる人なんじゃないかと思います。
2010/9/6(月) 午前 8:00
保坂作品は気になっていたのですが、未読なんです。でも、この誠実な姿勢は好感持てますね。
まあ、プロではない小説好きですので、読みこむということは全く考えてませんでしたが、こうやってズバっと言われると、心に響きます。
2010/9/6(月) 午後 3:41
>しろねこさん:そうなんですよね、「その道のプロ」がマジメに書いた文章なので、面白くないはずがありません。この本は、今年の読書の中でも意外な収穫No.1かもしれません(笑)
2010/9/8(水) 午前 0:51
とても興味があります^^引用された「役に立つ/役に立たない〜」の一文はとても共感が持てます。専門書は別ですけれど、私自身も小説を読んで「何かを得よう」と思った事はないので。本書は探してみますね☆
2010/9/8(水) 午後 11:33
>あんごさん:「何かを得よう」と思って小説にかかると、結局作品世界を味わうことにならないんですよね。そういう意味では、学術書やビジネス書とは、小説の詠み方は正反対であるべきなのでしょう。
2010/9/12(日) 午前 2:11
色々考えさせられる本ですね。
歯科医に行く前にチラと覗いたときは「私は何かを得ようと思って小説を読んだことは無い」と思いましたが、治療を受けながら、「でも10代20代の頃はとても求めていたな、共感や生きていく上の啓示を」と思い、その帰りの自転車で(AHA,また転んだりして)「今だって求めてる。何をとは言えないけど」に変わり、今、もう一度読み直してみると・・・この方も、結局求めているのかなって。
意味や主張では無く、小説に描かれた世界全体を?
うまく言い表すことができません。。
2010/9/13(月) 午後 4:30
>AKIKOさん:何度もチラ見していただきありがとうございます(笑)
言われてみれば、確かに保坂も、保坂の考える「小説の役割」を求めて小説を読んでるんですよね。この本は、自分が小説に何を求めているのか、を考える素材を提供してくれたのかもしれません。
2010/9/13(月) 午後 11:32
恥ずかしながら、今回帰国時初めて日フィルの生の演奏をサントリーホールで聴きました、>音楽の受容の仕方に近づける。。。
その時感じた浄化されるような感動といいましょうか、意識を空っぽにさせるような作用が小説にもあるということでしょうか。
と言いつつ、今読んでいるのは「生命のバカ力」という遺伝子に関する本です、久々に自分の中ではヒットの本です。
2010/9/18(土) 午後 0:06
>しぐれさん:保坂の言わんとすることを精確に表現するのはそれこそ保坂の意図を曲げることになるような気がするんですが、しぐれさんのおっしゃる通りでおおかた間違いないと思います。この本は、エッセイとしては久しぶりのヒットでした。
『生命の〜』はまたえらく違う方向にいっちゃいましたね(笑)。また感想をお聞かせください〜。
2010/9/19(日) 午前 1:29
ずいぶん前に記事を読んだのですが、やっとコメントします(笑)。
素人ながら、小説の感想を書く時、「う〜ん、これは文字にすると全然ちがうモノになってしまう…」と思って、書かない作品がいくつかあります。そして、実はそういう作品の方が、後々まで鮮明に心に残っていることが多いのです(例えば、児童文学の「クローディアの秘密」とか、吉本隆明の本とか)。
登場人物が、作者やその時代の世相から離れ、自由に動き回っている小説が、古典として残ったり、いつまでの印象にのこる作品になっているのかもしれませんね。この本は、探して読んでみようと思います。
2010/9/19(日) 午前 6:19
>mepoさん:そうなんですよね、いざ感想を書こうとすると、自分の言葉で表現した途端、元の小説の魅力が失われてしまうことに気づく、ということはよくあります。でも、こうやってブログで感想を共有し合うことで色々な発見もありますから、全く無意味だとは思いませんけど。
古典として残る、というご指摘はなるほど!と思いました。おっしゃる通り、古典として評価される作品は「彼が彼の人生を生きる」小説が多いかもしれません。
2010/9/20(月) 午前 1:18
本の感想も、、表現ですね。。。
いくら感じたことがあっても、、その表現方法を知らなければ、、他人には伝わらない。。。
逆に、、、素晴らしい表現・言葉・文字があれば、、どんな本でも輝きますね。。。(笑)
保坂和志...全く知らない作家ですが、、興味を持ちました。。。
(*^-^*)/~
2010/9/21(火) 午前 10:15
確かに小説に意味合いみたいなものを見出すのは、結局言葉の遊びみたいになってしまう事も多い気がします。
まあ、それはそれで面白い作業ではあるのですが、、、。
小説を音楽の受容の仕方に近づけるという発想は斬新でした。
2010/9/22(水) 午前 4:48
>さんぽさん:おっしゃる通りで、本当にいい小説の感想って難しいんですよね。保坂の本は初めて読みましたが、この人は小説との付き合い方を知ってるな、と思いました。プロの作家に対して失礼かもしれませんが(笑)
2010/9/23(木) 午後 4:04
>オブ兵部さん:言われてみれば、好きな曲は空で歌えるのに、なぜ大好きな小説はたった1ページさえ暗誦していないのか。新鮮な問題提起でした。
2010/9/23(木) 午後 4:12