書評210 坂本多加雄『明治国家の建設 1871-1890』その2<日本の近代2>(中央公論社、1999年)この本、一回目の書評を書いてから、何と4年間も放置していた(笑)。書評189:『明治六年政変』からの流れで久しぶりに読み直したので、後半を書評しておきたい。 【著者紹介】 さかもと・たかお (1950─2002) 元学習院大学法学部教授。専攻は日本政治思想史。 東京大学法学政治学研究科博士課程修了。法学博士。『市場・道徳・秩序』(創文社、1991年)でサントリー学芸賞・日経経済図書文化賞、『象徴天皇制度と日本の来歴』(都市出版、1995年)で読売論壇賞を受賞。保守派の論客として知られたが癌で死去。 本ブログで過去に取り上げた作品に、書評11:『明治国家の建設』、書評36:「『万国公法』と『文明世界』」、書評38:『日本は自らの来歴を語りうるか』がある。 【目次】 プロローグ 物語の競合と統合 1 公論と勅命 2 郡県と封建 3 富国と強兵 4 国権と民権 5 帝国憲法と教育勅語 お薦め度:★★★★☆ 【本書の感想】 後半部において、競合し統合していく物語は二つ。 1.民権と国権の論理 2.天皇と国体の位置づけ の2点をめぐる物語である。 <民権伸張=国権拡張> 板垣退助に象徴的なように、初期の自由民権運動は士族が牽引していた。 士族が民権運動に熱心だった理由は主に二つあったようだ。 一つは、維新政府を独占している薩長閥への嫉妬である。彼らの多くは、維新に貢献しながらも冷や飯を食わされているという被害者意識を持った、薩長以外の士族たちであった。ゆえに彼らの「民権」は、立憲主義や民主主義といった体系的思想ではなく、薩長閥に対する反感に原動力を持っていた(201項以下)。 いま一つは、土佐民権派などに顕著に見られた、民権伸張→元気と愛国心→国権拡張という論理である。 藩閥政府のみならず、全国の平民たちに政治への門戸が開かれることにより、愛国心が高まって国威も高揚する。これは逆も然りで、対外戦争の遂行が国内の改革を促進するという論理(つまり征韓論の論理!)にもつながっていった(202項)。 こういった思想は多くの士族に見られたが、典型的には西郷隆盛が挙げられる(書評172:『翔ぶが如く』その1参照)。 要するに、士族の民権活動は西郷の言う「右手に筆を取り左に剣を御提」という気概に支えられていたのである。 <権力の集中か多元化か> この時期において最も興味深い論点は、新しい国家を創るにあたってどのような構想で制度を創るのか、いわば“国のかたち”の問題であった。 中でも後々まで大きな影響を及ぼし、また実際の政治制度も二転三転したのは、天皇の地位と権力のバランスをめぐる議論であった。 1885年、伊藤博文は自らイニシアティブをとって内閣制度を発足させ、初代内閣総理大臣に就任する。 伊藤の意図は、総理大臣の権限を強化して「天皇や宮中勢力のそのときどきの意志や意見から政府を独立させるという意図を秘めるものであった」(293項)。 この時は、天皇の伊藤への信頼もあって、伊藤の意見が通る形で内閣以外の宮中勢力の権限が大幅に弱体化した。 しかしこうした動きの中に、法制官僚の井上毅や宮中の待補層は幕府的存在を感知し、警鐘を鳴らす。 書評その1でも触れたように、「天皇親政」とは、国家元首たる天皇を幕府的存在から独立させることに他ならない。 初期の宮中実力者で儒学者でもあった元田永孚が、元老院や国会といった民権的機関の強化を主張したのも、実はそういう観点からのものだった。 待補たちの立憲政体論を理解するうえで興味深いのは、待補層自身の政治的地位の上昇の目論見と平行して、元老院の拡張や国会開設の主張も、こうした立法機関の設置や権限の増大を通して大臣・参議の権限を縮小することで、三権分立を実現し、結果として天皇の輔弼機関が多元化することを主眼としていたということである。 大臣・参議による政府が「有司専制」の批判をこうむっていることもあって、そこに天皇に代わる幕府的な存在を感知し、その権限を削ぐことで、天皇の位置を「百官」から等距離に保ち、天皇が「百官」に諮問して、自らのイニシアティヴで統治を行うような体制の実現をめざすものであったといえよう。(227―228項) このように、ここで争われていたのは、天皇や宮中を諸勢力から遠ざけて公平な政治判断を出来るようにするのか、内閣に権力を集中させて迅速な意思決定を優先させるのか、という問題であった。 結局内閣の権限は憲法制定の際に再び問題になり、明治憲法下の総理大臣の権限は再び縮小されるものの、伊藤の恐れたことは昭和に入ってから現実化することになる。
弱体化された総理大臣は、軍部や宮中、枢密院といった多元的な権力構造の中で首班としての権力行使が不可能になり、ついには太平洋戦争を招く一因になったのであった(書評22:『政軍関係研究』)。 |
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権力の集中と分散は、国家を作るにおいて、重要なテーマだったでしょうね。明治初期は、大久保利通の専制政治だったという認識は合っているのでしょうか。「翔ぶが如く」で、大久保が台湾と交渉に行く時、軍事と行政権、司法権までも自分の手中になければ、責任をもった行動はできないというところが、とても印象に残っています。司馬氏の言葉を借りると、「自己の責任においては不退転」といおう外交ですね。権力の集中は、有能な人がその座につけば、有効に働くこともあるのでしょうが、そうではない人がトップに立った時、国は危うくなってしまいますね。大久保の死後、どのように権力構造が移ろっていったのかが気になっていたので、とても面白く読みました。この本は、入手したいですね〜。
2010/9/25(土) 午後 10:22
>mepoさん:権力の集中と多元化というアポリアは、明治国家のみならず近代国家にとって永遠のテーマでしょうね。おっしゃる通り、理想的な制度ばかり空想的に考えても、それを動かす人間を無視しては本末転倒の結果が生まれてしまいます。
その中で、政治学は何ができるのか。明治の歴史は考えさせてくれますね。
2010/9/27(月) 午前 0:02
三権分立が天皇制の弱体化を防ぐものという視点は、ちょっと新鮮でした。
ただそれが内閣の権限を狭めることになり、軍部の暴走を招きひいては天皇制の崩壊(崩壊は言い過ぎか?)へつながるというのは皮肉な結果です。
2010/9/29(水) 午後 8:34
>オブ兵部さん:後の昭和期の混乱につながる権力多元化の体制も、その起源は全く別の意図から(しかも、それ自体はそれなりの説得力を持っている)構築されていたことがよくわかります。後々のことまで見越して体制を考えるのは、本当に難しいことですね。
2010/10/2(土) 午前 11:03