書評211 村上春樹『もし僕らの言葉がウィスキーであったなら』(新潮文庫、2002年)正直、村上春樹の小説はどうも苦手だ。しかしエッセイにはだんだん抵抗感がなくなってきた。 以前読んだ書評120:『ナイン・インタヴューズ』でも、「意外といいこと言うな」と感じた記憶がある。 村上作品を取り上げるのは、本書が初めて。 【著者紹介】 むらかみ・はるき (1949年―) 作家、翻訳家。 京都府生れ。早稲田大学文学部卒業。1979年、『風の歌を聴け』でデビュー、群像新人文学賞受賞。主著に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞受賞)、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)など。『レイモンド・カーヴァー全集』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』など翻訳書も多数。 【本書の内容】 シングル・モルトを味わうべく訪れたアイラ島。そこで授けられた「アイラ的哲学」とは?『ユリシーズ』のごとく、奥が深いアイルランドのパブで、老人はどのようにしてタラモア・デューを飲んでいたのか?蒸溜所をたずね、パブをはしごする。飲む、また飲む。二大聖地で出会った忘れがたきウィスキー、そして、たしかな誇りと喜びをもって生きる人々――。芳醇かつ静謐なエッセイ。 お薦め度:★★★☆☆ 【本書の感想】 <全体の感想> シングル・モルトの二大聖地、スコットランド・アイラ島とアイルランドを訪ねた旅行記。 村上春樹アレルギーの突破口として、大好きなウィスキーに関するエッセイなら、と思って読んでみたところこれが大当たり。楽しませてもらいました。 村上曰く、酒はご当地で飲むのが一番旨いのだそうだ。確かに、その土地の景色を観ながら、その土地の肴をアテに、出来立ての酒を飲むときの気分は何とも言えないものがある。 <口を開くまでに少し時間がかかるけれど> この本の特徴は、村上春樹の淡々とした文章とともに、妻である陽子氏の撮った写真が載っていることである。ブリテン諸島らしい、よどんだ雲り空と鮮やかならぬ緑の芝。 ウィスキーには、こういう地味で穏やかな景色がよく似合う。 アイルランドの美しさが僕らに差し出すのは、感動や驚嘆よりは、むしろ癒しとか鎮静に近いものである。口を開くまでに少し時間がかかるけれど、いったん話し出すと、穏やかな口ぶりでとても面白い話をしてくれる人が世間にはいるが(そんなにたくさんはいない)、アイルランドはちょっとそれに似ている。(76項) シングル・モルトも、一口飲んで「美味しい」と感じるような、わかりやすい美味しさではない。何度か飲んでみて、ああこういう味だったのか、とわかってくるウィスキーもある。そういう付き合い方の良さというものは、景色でも酒でも人でも変わらないのかもしれない。 村上がアイラ島のバーで見かけた、紳士なスーツを着こなした老人の姿が、とても気持ちいい。 彼は、同じバーで同じ時間に同じ量のシングル・モルトを飲んでいるようだ。 やがてグラスは飲み干された。……ちらりと腕時計に目をやり、再び僕の顔を見て、にっこりとした。僕もしょうがないからにっこりとした。彼の顔には満足の色が浮かんでいた。ちょうど良いだけの量のお酒が、ちょうど良いだけの時間で飲み干されたことを、その微笑みは示していた。なによりのことだ。それから彼はカウンターの上に置かれていた左腕を回収し、人々のあいだを縫って、足早に店を出ていった。(108―109項) この、「なによりのことだ」という感覚が、とてもよくわかる。 村上春樹も話せるじゃないか。 <ウィスキーとコロッケと物語> タイトルの意味を、村上春樹はこう書いている。 もし僕らのことばがウィスキーであったなら、もちろん、これほど苦労することはなかったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む。それだけで済んだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。しかし残念ながら、僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる。(12―13項) メッセージを伝えたいとき、言葉で伝えるよりも他の何かを差し出した方が伝わることがある。 書評120:『ナイン・インタヴューズ』で村上がコロッケに例えて語ったのはそういうことだった。もし僕らの言葉がウィスキーであったなら、おそらく村上がこのエッセイで書きたかったことがもっとリアルに伝わったはずだ。 そして、村上春樹という作家が物語に託しているのも、そういうウィスキーとしての役割なのである。
|
書評 随筆・紀行
[ リスト ]



相変わらず、分かるような分かんないようなタイトルですねえ、村上春樹を本は。それにしても体質が合わない気がする作家に何度も挑戦すべきなのかどうか、とも思ってしまいますが。
それだけ気になる存在ってことなんでしょうね。
私の若い頃は、飲むっていうと必ずウイスキーのボトルをキープしてたものですが、ずいぶん長い間、隅に追いやられていたような・・・
最近、息を吹き返したようですね、村上春樹がこうした本を書くとますますブームが来るんでしょうね、影響力絶大だから・・・。
2010/9/29(水) 午前 9:31 [ pilopilo3658 ]
>村上春樹も話せるじゃないか
この一行に思わず、笑ってしまいました。
私は今「ねじまき鳥。。。」を読んでいるので、残虐な描写に村上春樹の持っている毒は、濃厚ではかりしれないと感じています、ということはそれにみあう解毒剤もきちんと持ちあわせている作家なんだろうなぁと。。。
自分はアルコールは嫌いではありませんが、男性の酒にたいする嗜みとは別物のような気もします。
今回東京で、ボトルキープではなく、ほとんどの常連さんが樽(?)キープというバーに息子が連れて行ってくれました。
そこのマルガリータは今まで飲んだ中で一番円やかで、美味しかったです。
2010/9/29(水) 午前 10:09
実はボクは村上ワールド嫌いではありません、というか好きだったりします。
今日日、村上を好きというのはけっこう勇気が要るものですが(笑)
タイトルからしてもう村上ワールド全開な感じがします。
あとは、この感覚が好きかどうかの問題ではあるのでしょうが、、、。
2010/9/29(水) 午後 8:43
私、前から密かに、大三元さんに村上春樹、そんなに合わなくもないんじゃないかと思っているのですが…。
このエッセイ、かなり地味だけど味わい深かったですね。
2010/9/29(水) 午後 10:30
質問の答をしにきました。私は、村上春樹は、自分に合わないのではないかなと思って、ほとんど読んでいませんでした。
でも、こんなにすごい作家になってしまったなら、いつかは読まなければならぬのか・・・・と思っています。まさか、こんなすごい作家になってしまうとは思わなかったのですけど。羊男シリーズで盛り上がっていたときは。
2010/10/2(土) 午後 10:50
私は村上春樹が苦手以前に、一冊も読んだことがありません(笑)。
大三元さんが書評を書かれるとは、これは一気に興味津津です。
2010/10/3(日) 午前 6:32
私も彼の小説はどうも苦手です。でも「風の歌を聴け」はとても気に入っていますが。文体がどうも体質に合わないみたいです。他にも理由はありますけれど(笑)ほとんど読んでいないのですが、短編が良かったという記憶があります。
2010/10/3(日) 午後 9:26
>あおちゃんさん:最近のウィスキー人気は、村上春樹ではなくて明らかにハイボールのCMの小雪効果でしょう(笑)。
それはそうとして、同じ作家の本なのに、小説とエッセイでなぜ自分の中の受け取り方がこうも違うのか、自分でも不思議です。
2010/10/3(日) 午後 9:54
>しぐれさん:村上春樹は、私の中で未だに掴めていない作家です。今後気に入る小説が出てくるのかどうか・・・。
ボトルキープではなく、樽キープってすごいですね!聞いたことないです。母親をそういうところに連れて行けるなんて、良い息子さんですね。
2010/10/3(日) 午後 10:37
>オブ兵部さん:この本が村上ワールド全開と言えるのかどうか、私はわかりません。村上ワールド全開な小説には拒否反応を起こす私が、このエッセイは普通に読めて、共感できる部分もあったのです。この違いは何なのか、村上春樹ファンの方に是非聞いてみたいものです。
2010/10/3(日) 午後 10:45
>ぼやっとさん:ぼやっとさんもお読みでしたか、村上のエッセイはいいですよね。
私と春樹、合わないこともないですかねえ?確かぼやっとさんのお薦めは『スプートニクの恋人』だったでしょうか、今度挑戦してみたいです。
2010/10/3(日) 午後 10:51
>すてさん:すてさんのおっしゃる、村上春樹の文体が翻訳っぽいという感覚、とてもわります。以前から思っていたのですが、村上作品が世界中で評価されているのは、それが翻訳しても通じるような、無国籍的・普遍的なものを持っているからなのではないでしょうか。
同じように無国籍的な、例えば小川洋子の小説なんかには共感できるのに、村上春樹に共感できないのは、そういう普遍的なモノの質が違うのか?
今後の宿題になっています。
2010/10/3(日) 午後 10:55
>KING王さん:そうなんです、初村上作品書評です。これだけ売れていれば、食わず嫌いでは済まないかな、と。KING王さんの感想も是非お聞きしてみたいです。
2010/10/3(日) 午後 10:56
>きいちごさん:私も同じく村上春樹の文体が合わないなあと思っていたのですが、それを感じたのが『風の歌を聴け』でした、どうしたことでしょう?(笑)
短篇ですか、有名どころの短篇集でも読んでみようかなあ。
2010/10/3(日) 午後 11:00
最近、やっと村上春樹の初期の長編「羊をめぐる冒険」を読んでいますが、「風の歌を聴け」といい初期の文体はやっぱり苦手です。
「羊を〜」を読んでいると、最新の「1Q84」なんて「村上春樹、ほんと丸くなったなあ」という感じがします。
2010/10/4(月) 午前 5:37
>ぼやっとさん:私も初期の文体が苦手なんですよね〜。。まさに『風の歌を聴け』ですけど。
最近の村上春樹はそうでもないんでしょうか。『羊』以降の作品を物色してみようかな。最新作からさかのぼる方が安全ですかね。
2010/10/4(月) 午前 6:48
私も小説よりエッセイのほうが好きです。
きっと小説の文体と無国籍感がダメなのかもしれません。
ところでメッシが来日しましたね・・・楽しみでしかたありません。
2010/10/7(木) 午後 11:04
>CAVEさん:小説とエッセイで、なぜこうも印象が違うのでしょうか。エッセイに無国籍感が全くないかというと、そういう感じもしないし、他の無国籍的な作家でも拒否反応を起こさない作家もいるんですよね。
ところでメッシはどうでしたか?残念ながら昨日はスポーツニュースさえ見れなかったので、プレーの切れ端さえ見ていないのですよ。
2010/10/9(土) 午前 9:01