書評212 堂目卓生
『アダム・スミス――『道徳感情論』と『国富論』の世界』
(中公新書、2008年)
08年のリーマン・ショック以降、世界経済は安定を欠いたままである。
こんな時こそ古典に帰るべきかもしれないと思い、08年のサントリー学芸賞受賞作を読む。
【著者紹介】
どうめ・たくお (1959年―) 大阪大学大学院経済学研究科教授。専攻は経済思想史。
岐阜県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業、京都大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。立命館大学経済学部を経て現職。
2005年“The political Economy of Public Finance in Britain, 1767-1873”で日経・経済図書文化賞、2008年『アダム・スミス』でサントリー学芸賞を受賞。
【目次】
序章 光と闇の時代
第1章 秩序を導く人間本性
第2章 繁栄を導く人間本性
第3章 国際秩序の可能性
第4章 『国富論』の概略
第5章 繁栄の一般原理(1)―分業
第6章 繁栄の一般原理(2)―資本蓄積
第7章 現実の歴史と重商主義の経済政策
第8章 今なすべきこと
終章 スミスの遺産
【本書の内容】
政府による市場の規制を撤廃し、競争を促進することによって経済成長率を高め、豊かで強い国を作るべきだ―「経済学の祖」アダム・スミスの『国富論』は、このようなメッセージをもつと理解されてきた。しかし、スミスは無条件にそう考えたのだろうか。本書はスミスのもうひとつの著作『道徳感情論』に示された人間観と社会観を通して『国富論』を読み直し、社会の秩序と繁栄に関するひとつの思想体系として再構築する。
【本書の感想】
<全体の感想>
「見えざる手」概念を発明し、元祖市場主義者というイメージが強いアダム・スミス。毀誉褒貶の激しいスミスの思想を、二冊の主著『道徳感情論』と『国富論』を丁寧に読み解きながら、立体的に再構成しようという意欲作である。
中でも堂目が注目したのは、『道徳感情論』の中核概念、「同感」である。偉大な知識人がすべからくそうであるように、スミスも経済学者である以前に社会科学者であり、哲学者であった。
<人間の「弱さ」が発展をもたらす――『道徳感情論』>
私たちは、自分の利害に直接関係なくとも他人に興味を持つ。他人が喜んでいればそれを分かち合いたいと思うし、悲しんでいれば自分も悲しくなってしまう。そのような、自分の中に他人と同じ感情を引き起こす能力を、スミスは「同感」と呼ぶ。
さらに私たちは、人びとが互いの感情や行為をどのような基準に従って判断しているかを学び、それに同感していく中で、他人だけでなく自分自身の感情や行為の適切性・不適切性を判断するようになる。スミスは、この判断の源を「胸中の公平な観察者」と呼んだ。
人間のなかには、胸中の公平な観察者の判断に従おうとする「賢明さ」と、自分の欲望や利害を優先させようとする「弱さ」がある。「賢明さ」は、私たちに正義感をもたせ、法を作らせ、社会に秩序をもたらす。一方、「弱さ」は、私たちに富や地位に対する野心をもたせ、勤勉、節約、創意工夫などを通じて社会を繁栄させる。ただし、秩序と繁栄を両立させるためには、富や地位への野心は放任されるのではなく、正義感によって制御されなければならない。
「賢明さ」には社会の秩序をもたらす役割が、「弱さ」には社会の繁栄をもたらす役割が与えられている。特に、「弱さ」は一見すると悪徳なのであるが、そのような「弱さ」も、「見えざる手」に導かれて、繁栄という目的の実現に貢献するのである。(104項)
人間の「弱さ」が経済発展の原動力になる、という視点は、形を変えて多くの経済学者に継承される。しかもそれを導くのが「賢明さ」に支えられた正義感と、市場原理の「見えざる手」であるというのがポイント。
スミスにとって、市場原理は法秩序とともに社会の発展のための最重要機能であった。
<市場の役割は、秩序の創出と貧困極小化である――『国富論』>
では、なぜ社会は経済発展を目指さなければならないのだろうか。
スミスは、市場を競争の場としてのみならず、互恵の場としても捉えた。見知らぬ人びとが、利己心だけでなく、同感にもとづいて富=世話を交換する。人々は交流を深めることで想像力が育まれ、秩序が生まれ、より安全な社会をつくることができれば、更なる経済発展につながる。そうすれば、最低限必要な富に達しない貧困層の人口が少なくなるはずだ。
このように、富は、市場によって見知らぬ人どうしをつなぎ、成長によって貧しい人を救い、貿易によって外国との関係を良好にする。市場の本来の機能は、今日世間で言われるような、モラルに反する非人間的なものではなかったはずである。
しかし、実際の歴史はその通りにはならなかった。スミスによれば、その原因は既に述べたように近代ヨーロッパ諸国の重商主義政策にある。
スミスは、ものごとの自然な成行きに従えば、経済は農業→製造業→外国貿易という順序で発展すると考えたが、実際のヨーロッパの歴史はその逆で外国貿易→製造業→農業という順序であった。これは外国貿易によって金を自国に貯め込むこと自体を目的とした、17世紀オランダに始まるヨーロッパの重商主義政策のためである。その結果ヨーロッパ全体の経済発展を遅らせるとともに、国際的な不和の原因となった。(230項以下)
スミスは、金を貯めること自体に価値があるという倒錯観念に絡めとられた重商主義政策を、「弱い人」の思想であるとして『国富論』の中で痛烈に批判している。
『道徳感情論』の議論を踏まえると、近代資本主義には「賢明さ」が足りなかったということだろう。
社会主義の崩壊から20年経ち、私たちは未だにあるべき資本主義の形を見出せていない。リーマン・ショックから立ち直れない今、私たちは今一度、資本主義における「賢明さ」とは何なのかを考える必要があるのだと思う。
<おわりに>
スミスが市場原理主義者ではなかった、というのはもはや常識であるが、改めてその射程の広さを実感できる好著。他にも面白い点がたくさんあったので、いくつかメモ書きしておく。
◆「意図ではなく行動結果で人を評価する」という市場原理の原則は、思想・言論の自由を保障するという観点からきている。(48項)
◆スミスは国際秩序について、諸国民間の「公平な観察者」は偏狭なナショナリズムに歪められる可能性があるため、すぐに平和が成立するとは思っていなかった。しかし、国際秩序も国内秩序と同じく、自由貿易を通じて交流が広がれば、徐々に誤解が解け、ナショナリズムが抑えられていくと考えた。(174項以下)
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著書を読まなくても何だかわかったような気分になりました、
「とても勉強になりました!ありがとうございます。
今の時代「賢明さ」と「弱さの」のバランスが大きく崩れているのでしょうか、「見えざる手」によって均衡?が導かれる時がくるのを楽観的に信じたいですね!信念を持って。
2010/10/22(金) 午前 9:19
歴史を通じて人も世界も進歩していかなければなりませんね。
今世界が感じている『生みの苦しみ』は
必ず報われる・・・と信じたいです。
2010/10/22(金) 午前 11:05 [ 名無しの権兵衛 ]
>しぐれさん:よく「本を読まなくても内容がわかった」というコメントをいただくのですが、ああ内容が伝わる文章を書けた、という安心感の反面、微妙なところです。「この本を読みたい!」と思わせるのも書評の役割ですからね。
「賢明さ」というのはとても難しくて、文字で書くと簡単そうなのですが、日々生活する中でどう行動に活かしていくかが問題です。ただ、今や悪名高くなった市場主義が、本来は「賢明さ」を大切にする思想であったことは忘れてはならないと思います。
2010/10/23(土) 午前 11:59
>リッチーさん:そうですね、今の「生みの苦しみ」が後世に報われればいいのですが。長期的に見れば、景気の波は辻褄が合うようになっているはずですが、体感としてはそうは思えないですよね。
2010/10/23(土) 午後 0:01
堂目卓生氏の『アダム・スミス』を新聞記事で読んで以来、
興味を感じていました。
大三元さんの記事を読みながら、本の内容をなんとなく
理解できたような気がします。
“資本主義における「賢明さ」”に早く気づかないと
いけないのでしょうけど・・・どうなのでしょうね。
(以前の記事をTBさせていただきます)
あっという間に年末ですね・・・
よいお年をお迎えください*
来年もよろしくお願いいたしますm(__)m
2010/12/30(木) 午後 9:07
>mielさん:トラバありがとうございました。記事読ませていただきました。堂目は、バランスのある経済学者なので、信頼して読めますね。「賢明さ」ってほとんどの人が大事なのはわかってるんだろうけど、如何せん曖昧なもので、だからこそ難しいんですよねぇ。
2010/12/30(木) 午後 9:51
こんにちは
蓮さんのところからきました。
わたしは小豆島の町役場の職員ですからあまり勉強をしていませんのでよくわかりませんが、アダムスミスという人は、国民大部分が貧乏なのになぜ富国というのかということを問いかけて、考えたのではないでしょうか・・・
堂目卓生先生の御著書は、その部分の切り込みが薄いような気がしました。
2013/1/31(木) 午後 1:22
>testpilotさん:はじめまして、ご訪問&コメントありがとうございました。
貧乏なのになぜ富国というのか?というのはどういうことでしょうか。お手数でなければご説明いただけますか。なんせ私自身もスミスの原典はかじり読みでして、不勉強でお恥ずかしい限りです。
2013/2/1(金) 午前 0:50