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【著者紹介】 うちだ・たつる (1950年─) 神戸女学院大学文学部教授。専攻はフランス現代思想、映画論、武道論。 東京都立大学人文科学研究科博士課程中退。1990年より神戸女学院大学文学部助教授。主著に『ためらいの倫理学』、『レヴィナスと愛の現象学』、『寝ながら学べる構造主義』など多数。 本ブログで取り上げた著書に書評112:『私家版・ユダヤ文化論』がある。 【目次】 1 日本人は辺境人である 2 辺境人の「学び」は効率がいい 3 「機」の思想 4 辺境人は日本語と共に 【本書の内容】 日本人とは辺境人である――「日本人とは何ものか」という大きな問いに、著者は正面から答える。常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。日露戦争から太平洋戦争までは、辺境人が自らの特性を忘れた特異な時期だった。丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱いつつ日本を論じる。読み出したら止らない、日本論の金字塔、ここに誕生。 お薦め度:★★★★☆ 【本書の感想】 <全体の感想> 幾多の日本人論の中で、売れっ子思想家の内田がどれほどの独自性を出せるのか、という期待を持って読むと冒頭で肩透かしを食らう。日本人は辺境人である、というのは別に目新しいものではないからだ。 内田の「辺境人」ということの意味は、梅棹忠男と丸山真男が既に指摘していることである。 梅棹によれば、日本人は「ほんとうの文化はどこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、何となく劣っているという意識」を持っている(21項)。 丸山によれば、日本人は伝統的に「きょろきょろして新しいものを外なる世界に求める態度」で生きてきた(26項)。 これは内田自身認めるように何回も繰り返されてきた日本人論だし、この点が肯定的に評価されることもなかったわけではない。(例えば書評38:「日本は自らの来歴を語りうるか」参照)。 むしろ本書の特色は、なぜ日本人は「辺境人」的思考をするようになったのか、そうなることができたのか、を指摘したことである。 <「辺境人である」という選択> 上述の日本人的特質を内田が「辺境人」的思考と呼ぶのは、日本人が伝統的に「世界の中心はどこか他にあって、日本はその辺境だ」と思い込んできたからだという。 しかも内田によれば、それはある程度意識的・戦略的な選択であった。 華夷秩序における「東夷」というポジションを受け入れたことでかえって列島住民は政治的・文化的フリーハンドを獲得したというふうには考えられないか。朝鮮は「小中華」として「本家そっくり」にこだわったせいで政治制度についても、国風文化についてもオリジナリティを発揮できなかった。それに対して、日本列島は「王化の光」が届かない辺境であるがゆえに、逆にローカルな事情に合わせて制度文物を加工し、工夫することを許された。(66―67項) 逆に、辺境人はリーダーシップを執ったり人の先頭に立ったりすることが苦手である。 日本人は後発者の立場から効率よく先行の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮するけれども、先行者の立場から他国を領導することが問題になると思考停止に陥る。(89項) 戦前の大東亜共栄圏も、華夷秩序の裏返しであって、日本人がオリジナルの世界観で世界にアピールしたことがない。 それは、日本人が辺境人であることを選択できた理由と密接に関係している。 <「学ぶ力」とは「愚鈍になる力」である> ここからが内田の真骨頂だ。 辺境人のキャッチアップ能力には、水準の高い学習能力が必要となる。 内田によれば、日本人がそれを獲得できた理由は、よく言われるようにその勤勉性などではなく、「愚鈍になる能力」にあるのだという。 日本には独特の「師弟関係」というものがある。 自分が知らない分野について学ぶとき、誰に教えてもらうのがいいのかを私たちは判断できない。なぜなら、その判断に必要な知識こそこれから学ぼうと思っている知識そのものだからだ。しかし、そこで足踏みしたり、疑問を持ちながら学んだりすると、学びの質やスピードは落ちてしまう。 ところが日本人は、師匠を選ぶ時に比較的疑問を持たない。「なぜこの人が偉いのか」なんて考えずに、師匠の家の雑巾がけまでしてしまう。新しい物事に対して頭を白紙にして丸ごと学ぶことができる。 外来の知見に対したとき、私たちは適否の判断を一時的に保留することができる。極端な言い方をすれば、一時的に愚鈍になることができる。それは一時的に愚鈍になることによって知性のパフォーマンスを上げることができるということを私たちが(暗黙知的に)知っているからです。(141項) 日本的師弟関係が成り立つのは、それが最も効率的だという暗黙知が日本人に共有されているからだという。これが「学ぶ力」に決定的に重要だというのが内田の見立てである。 「学び」という営みは、それを学ぶことの意味や実用性についてまだ知らない状態で、それにもかかわらず、これを学ぶことがいずれ生き延びる上で死活的に重要な役割を果たすことがあるだろうと先駆的に確信することから始まります。……「学ぶ力」とは「先駆的に知る力」のことです。自分にとってそれが死活的に重要であることをいかなる論拠によっても証明できないにもかかわらず確信できる力のことです。(196―197項) <辺境の伝統の喪失> しかし昨今では、日本でも「学ぶことの報酬」ばかりが宣伝されていることに、内田は強い危機感を覚えているのである。 「これを学べばこんないいことがあるよ」というインセンティブを与えられなければ学ぶ意欲が起きない子どもがいたとすれば、この「先駆的な力」が衰微しているということになります。……現代日本の国民的危機は「学ぶ力」の喪失、つまり辺境の伝統の喪失なのだと私は思います。(199項) このあたりの議論は説得力がある。 確かに、我が大学はこんなに就職率がいいですよとか、この資格はこんなに役に立ちますよとか、そういう広告ばかりが目立つ一方で、昔ながらの師弟関係はどの世界でも減ってきているだろう。 日本の子どもの学力低下ばかりが叫ばれているが、内田の指摘するように、「先駆的に知る力」の衰退が最大の問題かもしれない。
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読みたいと思いつつも読んでいない本のひとつです、なるほど、そういうことですか、
申し訳ないのですが、大三元さんのこちらの記事を拝読して、もう読まなくてもいいかなあと思ってしまいました、今更ながら本当にわかりやすくて納得のいく書評をありがとうございました!( ^-^ *)
2011/5/16(月) 午後 2:23
確かに日本人が世界と言うとき、そこに日本は入っていないようです。
日本とは別な場所に世界が有って、日本が世界の一部と言う概念はないようですね。
最近の、学ぶ事を普通と思わない子供や若い人たちを見ると、日本もちょっとまずい事になるかなと心配になります。
2011/5/16(月) 午後 8:40
この本は発売したころに一読しましたが、かなり私には難しかったです。
内田樹の著書は池上彰と同様、ものすごい数、出版されてますね。
でも読み終えてしばらくすると、すっかり内容を忘れてしまいます。
老化現象が進んでいるのかしら??
2011/5/17(火) 午後 10:36 [ pilopilo3658 ]
>凛さん:褒められているのですよね?(笑)ありがとうございます。
実は以前も、別の記事で何度か「本を読まなくても内容がわかりました」と同じようなコメントをいただいたことがあります。嬉しい反面、複雑なところもあって、書評というのは本来人に「読みたい」と思わせるものなんですよね。微妙です。
2011/5/19(木) 午前 9:40
>オブ兵部さん:最近の子供は本当にそんなことになっているのですか。内田は教育者の立場で身近に感じているそうなのですが、私はいまいちピンとこない部分もあったのですが。本当にそんなことが起こっているとすると、えらい事態ですね。
2011/5/19(木) 午前 9:42
>あおちゃんさん:前半はすらすらと読め過ぎて「内容薄いのか?」と思ってしまいますが、後半はそれなりに歯ごたえがありましたね。内田の著書は『私家版・ユダヤ文化論』もそんな感じでした。
でも、私もすっかり内容忘れますよ(笑)。そんなものではないでしょうか。
2011/5/19(木) 午前 9:44
勿論!褒め言葉です。(^ ^)
2011/5/19(木) 午後 0:09
今年になり、ざっと一読しましましたが私は評価できないです。
他にも立ち読みしたけど評価できない著作もあります。
一応読んでから言おうと思ってますが、他に買わなければならない本たくさんあるから買えないです。古本屋や新古書店で遭遇すれば。
一つトラバ。
2011/5/22(日) 午前 10:37 [ nagata ]
>凛さん:ありがとうございます、安心しました^^;
2011/5/22(日) 午後 0:01
>nagataさん:そうですか、先日の宮台・東といい、厳しいですね(笑)。
私の場合、★4つはつけられなくても3つはいくかなと思いました。特に後半の、「先駆的に知る能力」というのは、これまでの日本人論とは結びつかない盲点だったような気がします。もっとも本人も認めるようにかなり大味な議論なので、「辺境でいいのだ」という言い方も含めて色々議論はあろうかと思います。読まれたら是非また感想をお聞かせ下さい。
2011/5/22(日) 午後 0:26
「日本辺境論」は新刊で買って読みました。
私が評価できないと思っているのは「街場の中国論」ですね。
確か神戸女学院大学は退官しましたね。
2011/5/22(日) 午後 6:09 [ nagata ]
>nagataさん:『街場の〜』シリーズは、どうかなと思って手にとっていません。やはり内田樹は『ためらいの倫理学』でしょう。彼の考え方の根本は全てあそこで書かれており、あとはブログの焼き直しですから。
2011/5/22(日) 午後 9:23
私は貧乏な物書きです。また、私が読んだこともない作家に私の作品を評価されるのを嫌って賞といふもを忌避してゐます。私は現在、『夢幻空花なる思索の螺旋階段』『審問官 第一章「喫茶店迄」』『幽閉、若しくは彷徨〈第一部〉』を出版してゐます。文学賞を取った作品より幽玄な内容だとの自負があります。もし宜しければお読みください。
2011/6/23(木) 午前 5:49 [ 積 緋露雪 ]
>積 緋露雪さん:初めまして、ご訪問&コメントありがとうございました。幽玄なタイトルのご著書ですね。チェックしてみます。
2011/6/27(月) 午前 4:35
台湾のカメラマンで美術教育家の知り合いから、三十歳近くになって、それまで全く知らなかった中国語の手ほどきを受けることになったのはぼくの「辺境人」力が発揮されたのかな。
2014/3/3(月) 午後 6:52
>蓮さん:そういう経緯で中国にどっぷり浸かっていかれたのですか。何が縁になるかわからないものですね。
この内田の言う「丸ごと学ぼうとする姿勢」というのは意外と大切ではないかと思うのです。全く違うスタンスの東浩紀なんかも「本を読むときは、一旦は正しいことが書いてあると信じて読まなければダメだ、取捨選択は後からでもできる。いちいち難癖つけながら読んだりしていると何も吸収できない」と言っていて、深く頷きました。
この辺境人力、平たく言えば素直さということになるのかもしれませんが、素直というのは一つの能力だなとつくづく感じます。
2014/3/5(水) 午後 4:58
「私は私」なので、辺境人とか気にしません。我が道を行きます。
2014/4/7(月) 午後 0:58 [ - ]
>Solomonさん:今はたくさんの本を読まれて、たくさんの人と出会って、たくさんの悩みを抱えてください。
2014/4/8(火) 午前 1:47