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著者は作家・武田泰淳の妻で、本書は夫泰淳と中国文学者の竹内好と3人でロシアを旅行した際の紀行日記である。 【著者紹介】 たけだ・ゆりこ (1925―1993年) 作家・随筆家。作家・武田泰淳の妻。 1943年横浜第二高等女学校卒業。図書館や喫茶店・酒場での勤務を経て1951年に武田泰淳と結婚。泰淳の死後に泰淳と過ごした富士山荘での日記『富士日記』を出版し評価を受ける。その後本書で読売文学賞を受賞するなど、寡作ながら結晶度の高い随筆作品で多くの熱狂的なファンを得る。娘は写真家の武田花。 他の作品に『ことばの食卓』(ちくま文庫)、『遊覧日記』(ちくま文庫)、『日々雑記』(中公文庫)がある。 【本書の内容】 生涯最後の旅を予感している夫武田泰淳とその友人竹内好のロシアへの旅に同行して、星に驚く犬のような心と天真爛漫な目とをもって、旅中の出来事・風物を克明に伸びやかにつづり、二人の文学者の旅の肖像を、屈託ない穏やかさでとらえる紀行。読売文学賞受賞作。 お薦め度:★★★☆☆ 【本書の感想】 不思議な魅力を持った本だ。 こういう紀行文、というかこういう文章を書く人は珍しい。 文は人なりとはよく言ったもので、武田百合子という人格そのものに触れているような読後感があるのだ。 この人は、魅力的である。 「犬が星見た」というタイトルが表しているように、彼女の目は現実をカメラのようにきれいに記憶し、それを星に驚く犬のようなピュアな心に映し出す。我を張る訳ではないけれど、女性らしい強さとしなやかさを随所に発揮する。 人格の魅力を表現するのが難しいように、人格そのものである文章の魅力を表現するのも難しい。 変な例えでご迷惑かもしれないけれど、このブログでお付き合いのある方の中で言えば、すてさんに似た雰囲気を持った人だと感じた。たぶん、あんごさんもとても気に入るタイプの人(本)だと思う。 そんな褒め方が許されるのかわからないが、ブログ書評ならでは、ということでご容赦。 …と、これだけでは何だかわからないので、印象に残った文章を引きながら、感じた魅力をお伝えしたい。 「百合子。面白いか?嬉しいか?」ビールを飲みながら主人が訊く。 「面白くも嬉しくもまだない。だんだん嬉しくなると思う」と答える。(9項) 旅の序盤の武田夫妻の会話。 こんな会話、普通しないよなあ。この人の会話のセンス、それを書き留める記憶力に独特の魅力がある。(「会話の記憶力」!)。 「グジェー スタヤンカ タクシー」竹内さんと私は何度もつぶやいて練習した。(24項) 素直な二人の姿が目に浮かぶ。可愛らしい。 回教寺院中庭の、ばらが咲いている石畳をわたっているとき、ナターシャの黒エナメルハイヒールの細いかかとが石畳の隙間にはまりこんでしまって取れなくなった。イヒヒ。いい気味。(128項) 感じの悪いロシア女性(ナターシャ)を意地悪な目で見る著者の、少女のような無邪気さ。 「シェスナッアチ(16)カペイク。シェスナッアチカペイク」ゆっくりとくり返しながら、おかみさんは財布のなかを覗き込む。おかみさんが言う通りの代金を、私が間違わずに出せるかどうか、今度は手を出さずに待っている。16カペイクを並べ終わると「ハラショー!!」と言った。私はロシア語がずいぶんうまいような気がした。おかみさんは日本語がずいぶんうまい気がしたらしい。お互いに、にっこりとした。(142項) この人は、旅先で人と仲良くなるのがとてもうまい。要するに、旅を楽しむのがとてもうまい。 椅子に坐らせられ、向かいから、両隣から盃がくる。離れた席からも盃が順ぐりに手渡されてきて、私は片っぱしから飲んでしまう。飲み干すたびに「ミール」「ミール」と声が上がり、皆が乾杯をする。……左隣の太った中年女は、私の左の掌をひろげさせ、イクラをのせたゆで卵をくれる。クッキーをくれる人。きゅうりをくれる人。鮭の燻製をくれる人。私はあっちもこっちも全部食べる。しまいに隣の女は、ぐらぐらする私の頭を押さえて、口に押し込む。主人も山口さんも同様にされていたらしいが、どんな風か見るひまもなく、私は食べ続け、差し出される盃を干し続けた。(237―238項) ホテルのレストランで、ロシア人やブルガリア人の席とごた混ぜになってメチャクチャな宴会。 エライ酒飲みだなあ。 「この飛行機は高度が上がっても寒くならない」竹内さんはひとり感服したあと、「たいしたもんじゃ。たいしたもんじゃ」と、銭高老人の抑揚をそっくり真似てつけ加えた。いままで眠たげで、ろくに返事もしていなかった主人が顔を上げて、「わし、よう知っとった。前からよう知っとった」と負けずに言った。(276項) この旅で3人と一緒になったツアー客に、銭高老人というおじいさんがいる。この人は、3人でモノマネをはじめてしまうくらい面白いのだった。 旅先で面白い人のモノマネをして楽しむのは、私もよくやるのでとても共感した(笑)。 「犯罪に時効ってあるじゃない。十年目とか十五年目とか。でも外国へ行っていた間の年月や時間は勘定に入れてくれないんだってね……なるほどと思うなあ」(306項) 海外旅行をしていると時間が止まったような感覚になる、という話。なるほどと思う。 「スパシーバ(ありがとう)」不意に竹内さんが盃を上げた。「パジャールスタ(どういたしまして)」すぐ主人も盃を上げる。話が続く。とぎれる。竹内さんは「スパシーバ」と盃を上げる。「パジャールスタ」恭々しく主人が返す。私は浅く眠り、ときどき目覚める。
「スパシーバ」「パジャールスタ」延々と飲んでいる二人を眺めて、また眠る。(331項) 帰路の機中のまどろみから見える、かけ合いながら延々と飲み続ける武田と竹内。 いい絵だ。 |
書評 随筆・紀行
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以前にもコメントしましたが、「富士日記」を読んだとき、大きな事件や、喜怒哀楽の波もさほどない穏やかな日々を淡々と描かれているのに少しも飽きないし、楽しめたのはそういう訳だったのかな。。。紀行文気になりますね。^^
「文は人なり」、最近「あっ、これ私の文章の雰囲気にそっくり」と一読してちょっと驚いたブログに出会いました、(男性の方でしたが)自分はまだまだ、納得のいく文章が書けないので葛藤の渦の中にいますが、あーきっとものの見方感じ方考え方が似ているんだろうなあとふと思いました。(´_`illi)
2012/8/3(金) 午後 2:54
「富士日記」は、いつか読んでみたい本です。
いつかいつか…っと、そういう本が山積みなんですけれど。
タイトル、気になります。
なにか意味が込められているのでしょうか?
2012/8/4(土) 午後 8:46 [ わかめ ]
>凛さん:凛さんに『富士日記』をオススメいただいたこと、覚えています。ただ大部の作品だけに、別でオススメされていたこちらから入ってみました。
凛さんと似た文章を書く人とは、気になりますね。しかもそのコメントだと、その人自身も葛藤の渦の中?(笑)Yahoo!ブログですか?
私はまだ自分と同じような文章を書く人には会ったことがありませんねえ。どこかにいるのかしら。
2012/8/5(日) 午前 0:54
>わかめさん:『犬が星見た』というタイトルの由来は諸説あるようですが、作者が星を見上げる犬を見て思いついたという説が有力なようです。
私がタイトルが内容を表している、と書いたのは、武田百合子の現実を見る目、それに対するピュアな反応が、星に驚く犬に似ているのではないか、という意味でした。
2012/8/5(日) 午前 0:56
マッタク本とは関係ないのですが、、、
幼い頃、体操のアンドレアノフ・ニコライ選手に憧れて、ソ連に行きたいと思っていた頃がありました。。。(笑)
ロシアも一度は観光してみたいですね♪
(*~-^*)/~
2012/8/7(火) 午後 8:12
この紹介文を読ませていただくと、武田百合子さん、長生きしそうなタイプに思えますが、わりと早く亡くなられてしまいましたね。
私の年代ですと、ソ連には良いイメージありません。
近くに住む方のお父様がシベリアに抑留されていました。
生き延びるために必死でロシア語を勉強したそうです。
若い方には分からないでしょうか。
今でも国家体制としては良いイメージありません・・・。
2012/8/8(水) 午前 10:00 [ pilopilo3658 ]
>さんぽさん:ロシア、行ってみたいですか?(笑)私の中での優先順位はかなり低いのですが^^;
2012/8/8(水) 午後 10:41
>あおちゃんさん:私は「ソ連」という国家のイメージをリアルタイムで感じていない世代なのですが、それでもロシアにはあまりいいイメージがありませんね。もっとも、テレビから受ける政治的イメージと、実際に旅行してみて感じる“人間”は別物だと思います。本書に出てくるロシア人も、すごく人間臭いですよ。
2012/8/8(水) 午後 10:45
大三元さん、こんなに遅くにコメントを失礼いたします。武田百合子さんの名前は知っていましたが、作品を読んだことがないのです。どんな人かなあと記事を読んでいて、まあ文章の雰囲気が似ていると!いやあ、嬉しいやら恥ずかしいやらです。褒めてくださっていると思うのに、作品を読んだことがないのでなんとコメントしたらいいのか・・・・。でもありがとうございます。早速、宮本百合子さんにお会いしに読まなくては・・・・・。そしたら、またコメントにしに参ります。
2012/9/19(水) 午後 11:30
>すてさん:私の語彙力がなく、失礼な話ですが、ついすてさんの「人柄」で書評してしまいました。勝手に申し訳ありません。でも、書いたことは本当なんです。文章だけの印象ですが、されど文は人なり。すてさんの記事から受ける印象と魅力は、武田百合子のそれと酷似していると思いました。ご本人が読まれて、私はこんなんじゃない!とお叱りを受けるかもしれませんが(笑)、それも含めてブログ上の交流ということで、ご容赦いただければと思います。
2012/9/21(金) 午後 9:49