書評262 宮崎市定
『中国に学ぶ』
(中公文庫BIBRIO、2003年)
ブログ友だちの蓮さんの記事で宮崎市定が取り上げられており、そういえば中国関連は現代ものばかりで古典は読んでないなと思い、手に取る。
とは言っても、研究書ではなくエッセイだけど。
【著者紹介】
みやざき・いちさだ (1901― 1995年) 中国史・東洋史学者。京都大学名誉教授。
1925年京都大学文学部東洋史学科卒業。44年京都大学文学部教授、その後パリ、ハーバード、ハンブルク各大学などで客員教授を歴任。「京都学派」の中心的研究者として東洋史研究をリードした。89年文化功労者。
主著に『科挙』『アジア史概説』『雍正帝』『中国文明論集』など。
【目次】
1 思想/2 歴史・民俗/3 人物/4 書物/5 時事/6 中国と欧米/7 師友を偲ぶ―中国を学んだ人々
【本書の内容】
中国を学ぶことは、中国に学ぶことに終る。ただし中国に学ぶとは、何もかもすべてを肯定することではない。山なす泥沙を流し、洗い、淘げて、最後に護るのは一撮みの黄金に過ぎぬように、真に学ぶに値するものは、長い目で物を見、表面ばかりでなく必ず裏面の存在を考えることである―深い認識のもとに、中国の思想、歴史・民俗、人物、書物を語り、政治・時事について論ずる。今日の中国理解への貴重な手掛りを示す、達意の文章で碩学が綴った名エッセイ集。
【本書の感想】
<全体の感想>
中国に関する様々な話題を縦横に語っており、人によっては興味ある話題とない話題が混在しているエッセイ集だろう。
個人的には、1〜3章までは面白く読んだが、5章の時評(文化大革命!)は世代ギャップでピンとこないし、7章の中国関連人物論はそもそもそういう人たちを知らなかったのでよくわからない。
ということで、拾い読み程度の本かなと思うが、次はちゃんとした研究書も読んでみたい。
以下では、中国思想の特質について膝を打った箇所があったので、覚書程度に抜いておく。
<「中庸」の世界では対立は存在しない>
著者が中国思想(儒教)の特質として強調するのは、荀子の説いた「中庸」という思想である。人間の徳たる「中」は、これを永遠に繰り返しても支障を生じないという時間的原理=「庸」に裏打ちされて、はじめて真の「中」たりうるという。
最上の善は礼ただ一点であり、中庸はその具体的な規範である。従って、そこから離れれば離れるほど悪となる。
これを西洋思想(キリスト教)と比較するとわかり易い。キリスト教は一神教と言われるが、本質的には神と悪魔の二元論であり、善と悪は対立せざるをえない。
ところが中国思想の場合、善と悪とは対立するものではない。それは「中庸」への“距離の差”の程度問題である。故に、中国と野蛮な夷狄が対立したとき、中国は相手を征服・圧倒するのではなく、教化するのである。教化すれば、世界の徳は中国が体現する中庸ただ一つなので、こちらに寄ってくると信じるのが中国である。
このように見てくると、中華思想が一個の時空間=宇宙を形成していたというのも何となくわかるし、中国のいい意味でも悪い意味でも鷹揚な態度も理解できる気がする。ただし、対テロ戦争時に流行った「一神教≒西洋=好戦的」、「多神教≒東洋=平和的」という図式への安易な援用は避けなければならないだろう。
<儒教=資本主義、墨家=共産主義>
また、儒教と墨家についても比喩を用いて対比しており、興味深い。
著者によれば、儒教は現代の資本主義そのままであり、墨子の教えは今で言う共産主義に近い。
儒教は人情を重んずる、という口実の下に権力者の欲望にあまりに寛大であり、無力な人民には忍耐強くあれ、と諭しているように見える。
一方の墨子は、この儒教の歪みを訂正しようとして、上に立つ者ほど身を粉にして働かねばならぬと説いたが、その理想があまりにも厳しく、天子の成り手がなくなってしまうためか、漢代以降廃れてしまった。
強者に甘すぎれば猛威を振るうし、厳しすぎれば流行らない。
未だリーマンショックの余波の中にいる私たちは、まさに資本主義と共産主義の歴史そのままだと感じることができるだろう。
<おわりに>
その他、細かい点でも覚えておきたい点も幾つか。
例えば、『史記』の面白さは司馬遷が足で集めた市井のエピソードを積み重ねたところにあり、『後漢書』以降の歴史書が面白くないのは『史記』の記述スタイルだけまねて「足で集める」精神が抜け落ちているからだ、という指摘。
いつか『史記』を読む機会のために書き残しておく。
|
中国も歴史ある国だけに
学ぶ所も多いのだと思いますが
それは古典の世界からだけで
今の中国って学ぶ所はないような・・・
2013/2/7(木) 午前 9:35
現代中国は「毛沢東以降」でくくられるとしたら中国自身に国を語る客観性や客観的情報がないので外から見ても歴史的事実として後に語られる姿が見えないと思います。20世紀後半から21世紀前半の中国の姿は「次の世代(共産党独裁が終わった後)」には大きく評価を変えるでしょうね。
2013/2/7(木) 午前 11:11 [ kohrya ]
>その理想があまりにも厳しく、天子の成り手がなくなってしまう、に笑ってしまいました。なるほど、中国にはバランス感覚が昔はあったんですね。今みたいな1党独裁政権だと共産主義といっても、やりたい放題で残念な国になってしまいました。
党が解体されたときに、現れる新しい力に期待したいです。
2013/2/7(木) 午後 1:06
>みかんさん:う〜ん、確かにそうかもしれませんね…。反面教師にすべきところは多々あるような気がしますけどね。
正直、中国について論文が書けるほど勉強してないので、大それたことは言えませんが。
2013/2/7(木) 午後 4:19
>こーりゃさん:振り返ってみれば中国は自国の歴史を政権毎に正統化する歴史書を「正史」としてきました。なので、中国では今でも現政権を正統化する歴史教科書が書かれ、それで教育されているはずです。今後もそれは変わらないでしょう、
多かれ少なかれ歴史ってそういう部分がありますが、中国はそれが正しい伝統になってますからね。
2013/2/7(木) 午後 4:27
>しろねこさん:現在の中国は共産主義と言うよりたちの悪い資本主義ですよね。「権力者に甘く、庶民に厳しい」という資本主義の悪癖がそのままエスカレートしたようなイメージ。資本主義世界では、それを牽制するのが本来は憲法であり、コミュニティであり、リベラリズムなのですが、建前が共産主義一党独裁なので、そういう文化も育たない。
本来の共産主義はもっと指導者に対する要求が厳しかったということですね。
2013/2/7(木) 午後 4:34
三年間の留学期間も含めると十五年くらい中国で暮らしていることになります。でも中国のことはちっともわかっていない、毎日新しい発見があり、新たな思いが去来する、というのが実感です。まるで自分のことがわからないように。
宮崎市定の本は少ししか読んでいませんけれど、中国を学ぶことが、日本を学ぶこと、そして自分について学ぶことになるような気持ちにさせてくれるところが、いいなと思います。
2013/2/8(金) 午後 5:32
日本の文化のほとんどがその根っこは中国にあります。
仏教も他の思想も身近でいえば茶道も・・・
しかし古代から中華思想が根強く、傲慢なところは今と変わらなかったようですね。
ユン・チアンの「ワイルドスワン」はお読みになりましたか?
私は恐ろしくて読了後も震えが止まりませんでした。
2013/2/13(水) 午前 10:26 [ pilopilo3658 ]
>蓮さん:15年でもわかりませんか…しかしその姿勢こそが蓮さんの誠実なお人柄を表しているように思います。
外国研究が行き着く先は自国への思いであり、国家を考えることは自分について考えること、というのは古今東西共通の理のようですね。
宮崎市定は蓮さんに教えていただきましたが、より専門的な研究書を読んでみたいと思いました。
2013/2/15(金) 午前 11:19
>あおちゃんさん:中華思想って傲慢というか、偉そうというか、鷹揚なんですよね。あえて武力は行使しない、普通に考えればそっちから寄って来るでしょ、っていう態度。その理由がどういう道徳からくるのか、わかった気がします。
『ワイルド・スワン』は読んでません。というか、文学で中国関係はほとんど読んでないですね。
2013/2/15(金) 午前 11:23