お薦め度:★★★★☆ 【本書の感想】 <自然と人間の「ねじれ」> 著者は茅沼のタンチョウの給餌作業に触れ、自然保護と人間のねじれた関係に悩む。 自然保護を唱えるにせよ、人間はいつも勝手だった。 タンチョウを狩猟の獲物にしたかと思いきや、手厚い保護の対象として“給餌”を奨励し、それが成功すればしたで、今度は「そんなのはやめて自然に還すべきだ」と主張する。 タンチョウを観光客の客寄せに利用するくせに、カヌーやSLでタンチョウの生息環境を破壊する…。 もめごとのタネは、つねに人間の側にあるのであって、タンチョウや自然の側にはない。……ものごとを複雑にしているのは、いつも人間の方なのだ。(107項) 人間の都合で“害獣”のレッテルを貼られたり剥がされたりしてきたシカも、その被害者である。 明治以前は、農作物を食い荒らすシカやイノシシなどが“害獣”であり、それらを減らすオオカミは“益獣”だった。ところが明治以降は立場が逆転、オオカミが駆除された。すると天敵のいないシカやイノシシがまた“害獣”扱いされ始める。 シカの駆除を請け負っている桑原さんは、「もう手を出さずにありのままにしておくべきだ」という声に、疑問を呈する。 「今まで、人間が自然に手を加えすぎておかしくしたんだから、これからはいっさい手を加えずに温かく見守りましょう。表現的には素晴らしいですね。温かく見守りましょう。でも、自然のバランスをこれだけ崩しておいて、あとのことは知らない、あとはいっさい手を加えずに見守りましょうでは、あまりに勝手すぎませんか。まずは、自然にさらに手を加えてでも、人間の英知によって崩れたバランスを取り戻す。それが人間の責任なんじゃないですか」(174項) 今まで自然と真剣に向かい合ってきた人ゆえの、無責任な「自然保護」を唱える外野とは一線を画した考えである。 人間の勝手な都合で破壊されてきた自然は、もはや人間の手を借りないと崩壊するところまできている。 ならば、せめてこれ以上悪化しない程度に手を加えるべきではないか。その加減を、それぞれの場面で見つけていくべきではないか。 タンチョウとシカの現状は、そう訴えているように見える。 <市場原理は農業を効率化しない?> 本書は、日本農業を考える上でも興味深い論点を提示してくれている。 書評267:『さよならニッポン農業』では、非効率で高コストな片手間農家の「兼業農家問題」が日本農業の根本的な問題であることを見たが、著者はそれを認めた上で「北海道だけは例外である」と力説する。 北海道はその厳しい気候条件などのため、ほとんど唯一理想的なペースで農業の大規模化が進んだ地域であり、意欲的な主業農家の割合も72%と都府県に比べて格段に高い(都府県は21%)。 しかし、そんな北海道にして、アメリカの1戸あたり平均198ヘクタール、オーストラリアの平均3,024ヘクタールと比較すると、全く歯が立たないのが現実だ。これらの国の農産物と関税なしで戦うことは、効率化の努力を積み重ねてきた北海道農業でさえ不可能である(203―204項)。 事態がさらに複雑なのは、彼ら(非主業農家)の作るコメの方が、総じて市場評価が高く、魚沼産コシヒカリを筆頭に、ブランド力もあり、なおかつ消費者に好まれることだ。じつは、全国のコメ生産の約6割を担い、日本のコメのクオリティを支えているのは、「片手間農家」の作るコメだという現実がある。つまり、市場原理をそのまま推し進めれば、日本から姿を消してしまうのは、効率的で低コストな農業に取り組む修行農家や大規模農家の方であり、生き残ってってしまうのは、非効率的で高コストな「片手間農家」ばかりという事態も起きかねない。(217項) こう見てくると、少なくともコメに関しては、神門の主張するような市場原理効果は逆効果かもしれないと思った。 もっとも、コメに関しては北海道米よりも「片手間農家」が作ったコメの方が市場に好まれるのであれば、北海道のコメ作付面積を他の作物に転作すれば一石二鳥かもしれない。 市場に淘汰された結果として片手間で努力しない農家のコメが残るのは、望ましくはないにしても一つのあり方だろうし、努力しても勝てないコメを作るよりは、より可能性のある農作物に転作した方が意欲のある農家にとっていいのではないか、とも思う。 農業やTPPを考える上で、このように「地域」という切り口で見ると、また違う見え方があって新鮮である。
|
全体表示
[ リスト ]




