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鷲田清一『「待つ」ということ』/回想のMy Best Books #2
今回は哲学者鷲田清一の著書、書評93:『「待つ」ということ』について書こうと思います。
鷲田はこのブログでもお馴染みの哲学者。
本書を取り上げたのは7年前ですが、今でも内容を空で言えるくらい、影響を受けた本でした。
本書は、「待つ」ということの根源的な意味を掘り下げていきます。
あらゆる行為が前のめりにならざるを得ない近代社会において、結果を先取りするでもなく、かといって単なる受け身でもない、偶然性に開かれた「待つ」はどういうかたちをとるのか。
鷲田はそれを「時と場を醸成する触媒になること」と表現します。そしてそれは日常の中の小さな行為の積み重ねによって可能だと示唆しています。
当時地球の裏側と遠距離恋愛をしていた私は、だいぶこの本に救われました。結果的にそれはうまくいきませんでしたが、「場を醸成する」という自分なりの努力は、私を人間として大きく成長させてくれたと思います。その後の私の人生の中で(あれからもう7年も経ってしまった)、この「待つ」という力は、とても豊かな可能性を見せてくれました。
だから今となっては何の悔いもありません。
そういう意味での「待つ」という行為は、特に育児や介護といった密度の濃い人間関係で必要とされます。
今後の社会ではよりそういう場面が重要になってくる方向にいくでしょうし、私のプライベートな人生においてもそうなると思います。
これからも「待つ」ということは、社会を考える上での、私自身が生きる上での、指針となり続けるでしょう。
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待つ、ということは意味のある行為なんですね〜
2014/5/26(月) 午前 5:31 [ よっちゃん ]
「待つ」という行為に関して哲学的考察など考えたこともなく〇十年過ごしてしまい、今や、「待つ」時間など残されていない年齢となってしまいました(*^-^*)
それにしても「地球の裏側と遠距離恋愛」とは、館長様、意外に情熱的なんですね!
2014/5/26(月) 午前 11:57
哲学書ですか〜。
う〜む、私に理解できるかなぁ。
タイトルに惹かれますね。誰もが、自分が自分がと前のめりに他を押しのけてゆくような世の中で、じっとそこに佇んでいる姿が浮かびます。
その内面に迫る内容なのでしょうか。ちょっと気になります。
頑張って、挑戦してみようかな。
2014/5/27(火) 午後 9:33 [ わかめ ]
「待つ」というのは忍耐でもありますね。短気なのでじっくり腰を据えて待てなくてどれだけ失敗したことか。私は今待ち続けている状態ですね。本当は何か目的を見つけてそれに向かって待つべきなのでしょうが、答が見つかるまで、いや死ぬまで分からないかも。
「ゴドーを待ちながら」の状態でしょうか。
早速読んでみます。
2014/5/27(火) 午後 11:33 [ - ]
>よっちゃんさん:よくも悪くも、私たちは本来の意味での「待つ」ということができない社会に生きているのかもしれません。そういう社会でも「待つ」ということを実践するとはどういうことか。
考えさせられます。
2014/6/2(月) 午前 0:11
>AKIKOさん:どうもお久しぶりです。
意外ですか、いや〜ブログの記事から情熱がにじみ出てるはずが…(笑)
2014/6/2(月) 午前 0:37
>わかめさん:本書は、哲学者が書いたエッセイと言ってもいいかもしれません。エラい哲学者の小難しい引用などは最小限で、鷲田自身がきちんと自分の頭で考えた思索がつづられています。
読み易いですし、機会があれば是非感想をお聞きしてみたいです。
2014/6/2(月) 午前 0:39
>ちょいこさん:少し本の内容に踏み込んでしまいますが、普通世間で使われている他動詞の「(〜を)待つ」に対し、本書で言うところの本当の「待つ」とは自動詞である、というのがポイントです。
何かを期待して待つのではなく、待ちぼうけを通り過ぎて、待っていることさえ忘れてしまったような「待つ」という状態。それが鷲田の言う「待つ」の境地ですね。
読まれたら是非感想をお聞かせください。
2014/6/2(月) 午前 0:42
そういえば育児中、私にとって「待つ」=修行で、それは若い自分が自己を超越してみようという試みでもありました。
乳幼児相手だと、↑に書かれているようにほとんど自動詞の「待つ」なんですね。相手に期待しない「待つ」という行為です。大変ですが育児ではこれが相手の中に作用を引き起こしている手応えを味わえるのですね。「待つ」というのは自らを意識的に仕掛けていかなければならない行為で、私にとっては今でも修行です^^
2014/6/2(月) 午後 6:20