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先週一週間アメリカ出張に行ってきました。 トルコを皮切りにギリシャ、ニュージーランドなど海外旅行はマイナーどころばかりを攻めていたのですが、アメリカはこれが初体験でした。 ニューヨーク、ニュージャージー、デトロイトを回ってシカゴ経由で帰国。 フライトの関係で、ニューヨークで2,3時間ほど空いたので街中を案内してもらいました。 まずはニューヨークの中心地、タイムズスクエア。 個人的には特に思い入れも何もないのですが、有名だから写真を撮っとけと言われたので…。。。 スタバで休憩。アメリカってショートがないんですね。コーヒーまでアメリカンサイズ。 しかもアイスコーヒーを入れる時、順番がコーヒー→氷でした。日本だと普通逆ですよね。 案の定コーヒーが飛び散ってたけど、気にならないんだろうか? そして今回のニューヨーク散歩の目玉、メトロポリタン美術館です。 正味一時間ちょっとしか回れず、おそらく1/10くらいしか観てないと思いますが、それでもお腹いっぱいです。 美術館回りをしたことがあるのは日本とイタリアだけですが、メトロポリタンは人が少なく、手の届く距離で心置きなく鑑賞できるのが魅力的でした。(といっても自分は駆け足だったのですが) 個人的に、ブリューゲルの本物を観たのはこれが初めてだったのでめちゃくちゃ興奮しました。 あと、甲冑だけの展示室が10室くらいあって、これはこれで壮観。 アメリカに行ったら毎日ステーキばっかりで嫌になる…と脅されていたので食事は若干心配でした。 事前にリサーチした結果、日本人が口をそろえて「美味い」と評価する唯一の料理がロブスターだということがわかっていたので、現地で二回食べました。 結論から言うと、一回目はイマイチ、二回目(写真)は美味かった。 味がどうこういというより、食感ですね。ボイルしてあるけど半生のような、何とも言えないプリプリ感が良かったです。 ということは、ロブスターという食材が美味いというよりは調理の仕方で何とでもなるのかもしれません。 …と、海外旅行記みたいになってるので最後に仕事の話を少しだけ。 日本語一切なしのガチの仕事で海外出張したのは初めてだったのですが、やはりというか、英語を聴けても専門的な議論をするレベルまでは程遠いと実感。簡単なディスカッションならできますが、それでは仕事にならないし、信頼されないですからね。 ということで、今後ますます読書量が減るかもしれません。
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鷲田清一『「待つ」ということ』/回想のMy Best Books #2
今回は哲学者鷲田清一の著書、書評93:『「待つ」ということ』について書こうと思います。
鷲田はこのブログでもお馴染みの哲学者。
本書を取り上げたのは7年前ですが、今でも内容を空で言えるくらい、影響を受けた本でした。
本書は、「待つ」ということの根源的な意味を掘り下げていきます。
あらゆる行為が前のめりにならざるを得ない近代社会において、結果を先取りするでもなく、かといって単なる受け身でもない、偶然性に開かれた「待つ」はどういうかたちをとるのか。
鷲田はそれを「時と場を醸成する触媒になること」と表現します。そしてそれは日常の中の小さな行為の積み重ねによって可能だと示唆しています。
当時地球の裏側と遠距離恋愛をしていた私は、だいぶこの本に救われました。結果的にそれはうまくいきませんでしたが、「場を醸成する」という自分なりの努力は、私を人間として大きく成長させてくれたと思います。その後の私の人生の中で(あれからもう7年も経ってしまった)、この「待つ」という力は、とても豊かな可能性を見せてくれました。
だから今となっては何の悔いもありません。
そういう意味での「待つ」という行為は、特に育児や介護といった密度の濃い人間関係で必要とされます。
今後の社会ではよりそういう場面が重要になってくる方向にいくでしょうし、私のプライベートな人生においてもそうなると思います。
これからも「待つ」ということは、社会を考える上での、私自身が生きる上での、指針となり続けるでしょう。
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ちょうど一年前、名古屋・伊勢界隈を食い倒れツアーしてきましたが、最近たまたま名古屋関連の食べ物が
続いたので記事にします。
まずはコンビニで見つけた、オカザえもんが表紙のカップラーメン。
台湾ラーメンというと、名古屋の「世界の山ちゃん」の〆で食べた、あれか?と思い購入。
で、中身は普通にうまい。
ということは、あの山ちゃんで食べたラーメンはカップラーメンレベルだったのか?
話は変わって、三重に出張に行った際に「支留比亜」という喫茶店に入りました。
家の近くのコメダ珈琲には月1回くらいのペースで行ってますが、このチェーン店は初めて見た。
でも雰囲気は丸っきりコメダという。
(コーヒーに豆もついてくるし)
メニューを見ると、「カルボトースト」なるものを発見した。
トーストにカルボナーラソースをかけたもので、まさに名古屋グルメって感じ(←偏見)と思い注文。
期待してなかっただけに、うまくてびっくりした。
近くにあったら普通に通うかもしれない。
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・欧州フットボールシーズンも佳境となり、ついに6月にはW杯が迫ってまいりました。
しかし今回の開催地は地球の裏側、TV放送スケジュールを観てみると案の定真夜中〜朝方と
なっています。
前回の南アフリカのときはグループリーグから半分以上の試合を観戦してましたが、今回は
なかなかキビシイことに。。。
どうしましょ?
・とか言ってる間に日本代表発表されましたね。
大久保の選出がサプライズと言われておりますが、個人的には逆に大久保外す選択肢あるの?
と思ってました。
以前も書きましたが、短期決戦かつ日程がタイトなW杯を戦い抜くうえで、適度なローテーション
は必須であり、特にザックジャパンのコンセプトには、前線からのプレッシングを大会を通じて
貫徹することが求められます。
そういう意味で、点取り屋でありながら守備での運動量を保証してくれる大久保は貴重な戦力
だと思います。個人的には最近不調の清武や柿谷より起用順位は高いのではと見ています。
南アW杯のときのベストプレイヤーの一人でもありますしね。
・職場で飲むアイスコーヒーで迷ってます。
秋〜冬〜春にかけてのホットは、基本的にBlendyのフィルタードリップ(1杯当り20円ほど)を
買っていたのですが、アイスコーヒーは色々試してみても値段と味が両立するものがなかなか
ない。
おススメがあれば教えてください。
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【著者紹介】 おがわ・ようこ (1962年─) 小説家。 早稲田大学第一文学部文芸科卒業。1991年「妊娠カレンダー」で芥川賞、2004年『博士の愛した数式』で読売文学賞・本屋大賞、同年「ブラフマンの埋葬」で泉鏡花文学賞、2006年『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞をそれぞれ受賞。 本ブログで取り上げた著書に書評35:『博士の愛した数式』、書評40:『偶然の祝福』、書評47:『余白の愛』、書評63:『シュガータイム』、書評88:『深き心の底より』、書評230:『ミーナの行進』、書評275:『心と響き合う読書案内』がある。 【本書のあらすじ】 「大きくなること、それは悲劇である」。この箴言を胸に十一歳の身体のまま成長を止めた少年は、からくり人形を操りチェスを指すリトル・アリョーヒンとなる。盤面の海に無限の可能性を見出す彼は、いつしか「盤下の詩人」として奇跡のような棋譜を生み出す。静謐にして美しい、小川ワールドの到達点を示す傑作。 お薦め度:★★★★☆ 【本書の感想】 <全体の感想> ああ、そうだった。思い出した。 小川洋子を読むとはこういうことだった。 小説の世界に浸るとはこういう経験だった。 そういう静かな幸福感と安堵感に満たされて、ため息とともにページを閉じる。 小川ワールドの愉悦を存分に味わうことができた読書であった。 <チェスの奥にもやっぱり小川ワールド> 本書は小さなチェス棋士の一生を綴った物語である。 ただし、チェスを知っているかどうかはたいした問題ではない。この本を楽しめるかどうかは、チェスの世界に見出された小川洋子ワールドに浸れるかどうか、そこにかかっている。 本書のチェスの世界の描き方は、書評35:『博士の愛した数式』を思わせる。『博士』で小川洋子は数学の奥に美しさを見たように、本書ではチェスの世界に美しさを見出したといえばわかりやすいだろうか。 しかもその美しさは、以前よりもさらに洗練されているように思う。 たとえば、主人公の少年は自分がチェスを指しているときの感覚をこう表現している。 「心の底から上手くいってる、と感じるのは、これで勝てると確信した時でも、相手がミスをした時でもない。相手の駒の力が、こっちの陣営でこだまして、僕の駒の力と響き合う時なんだ。そういう時、駒たちは僕が想像もしなかった音色で鳴り出す。その音色に耳を傾けていると、ああ、今、盤の上では正しいことが行われている、という気持ちになれるんだ。上手に説明できないけど……」(101項) この文章を味わうことができる人なら、間違いなく本書は「買い」である。 <小川ワールドの構成要素――空想・異物・奇妙・謙虚> 小川ワールドには、奇妙なキャラクターや身体へのこだわり、現実と空想の境界線がなくなってしまう感覚が欠かせない。それは本書でも同じである。 小さいころから、少年の得技は空想であった。ビルの屋上に閉じ込められた象と壁の中にいる少女を夢想し、彼らと毎日語らうことを日課とした。 想像上の友人たちは皆、不自由な自分の運命を受け入れていた。 「どうしてだろう。自分から望んだわけでもないのに、ふと気がついたら皆、そうなっていたんだ。でも誰もじたばたしなかった。不平を言わなかった。そうか、自分に与えられた場所はここか、と無言で納得して、そこに身体を収めたんだ」(181項) そう言う少年もまた、奇妙な身体的特徴を受け入れ、「与えられた場所」に身体を収めることになるのである。 主人公とともに歩む動物の存在は書評230:『ミーナの行進』のコビトカバを思わせるし、身体の特定の部位の描写は書評47:『余白の愛』以来小川作品の重要な要素になっている。 自分の立場を全うする慎み深さはカズオ・イシグロの世界観にも通じるかもしれない。 小川洋子の作品にはよく「静謐」という形容詞が使われるが、本書もその期待を全く裏切らない。
いい意味で金太郎飴のような、チェスで切っても出てきたのはやっぱり小川洋子だった、という作品である。 |


