読書のあしあと

訳あってしばらく閉店します。

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映画『テルマエ・ロマエ供

前作がなかなか良かった「テルマエ」の続編。
もう観賞された方も多いのではないでしょうか。


監督:武内英樹
出演:阿部寛、上戸彩、北村一輝、竹内力、宍戸開ほか

《ストーリー》
ヤマザキマリの人気コミックを阿部寛主演で実写化し、大ヒットを記録したコメディ「テルマエ・ロマエ」(2012)の続編。斬新なテルマエ(浴場)を作ったことで一躍人気者になった古代ローマの浴場設計士ルシウスは、コロッセオにグラディエーターたちを癒す浴場を作ってほしいと頼まれ頭を悩ませる。そんな時、またしても現代日本へタイムスリップしたルシウスは、平たい顔族(=日本人)の山越真実と再会。そこで見た日本の国技・相撲にヒントを得て、グラディエーター用の新たなテルマエを作るばかりか、血なまぐさいコロッセオに平和的な雰囲気を持ち込むことにも成功する。しかし、和平路線を進める皇帝ハドリアヌスに反発し、グラディエーターたちの戦いを通して市民の好戦意欲を高めようと企んでいた強硬派の元老院は、ルシウスの存在が邪魔になり、さらなる陰謀をめぐらせる。

相変わらず原作譲りのユーモアで笑わせてくれた。
一部で「笑いがマンネリ」という感想もあるようだが、むしろ同じパターンでたたみかけるのがこの作品のいいところ。

阿部寛のリアクションも健在。もはやローマ人を演じていることを忘れるくらい違和感がない(笑)。
前作同様、いか八郎、竹内力といった脇役もいい味を出している。
上戸彩は賛否両論あるみたいだけど、私は好意的に観てます。
いずれにせよ、序盤からテルマエ節炸裂で劇場も笑いが絶えなかった。


ところが、後半になるとユーモアよりもシリアスな展開が優先されている。読み切りのギャグマンガとは違って映画にすると仕方がない部分なのかもしれないが、もっと笑いに重心を傾けても面白かったかもしれない。
ただし、ストーリーが失敗しているということはなくて、特にアントニヌスが実は良い男だった、というくだりはちゃんと「いい映画」になっている。
要はバランスの問題ですかね。

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雑感@中国

先週、久しぶりに仕事で中国に行ったので雑感メモ。


・案外英語が通じない。当然階層にもよるのだろうが、中学レベルの英語も知らない
 中国人がほとんど。下手したら英語より日本語の方がわかる、という人も。
 もっとも、割合で言えば日本人の英語力もそんなものかもしれない。
 中国で仕事するには、英語より何より中国語ですね。当たり前か。


・PM2.5にビビってたのですが、行ってみると意外とこんなものか、という感じ。
 事前に「マスクが黒くなるくらいヤバイ」「100m先も見えない」などと脅されていた
 けど、そこまでひどくはなかった。
 確かにもやっと曇っている感じとか、砂埃くさい臭いはありましたが、現地の人も
 ほとんどマスクをしていなかったのでとりあえずマスクは出しませんでした。
 今回は北京ではなく上海周辺だったこと、たまたまPM2.5の値が低い時期だったこと
 もあったかもしれません。


・初の白酒一気飲みを体験。
 あんまりやるもんじゃないですね。


・現地社員(中国人)のスマホ待ち受けがドラえもんで笑った。
 待ち受けはさすがに本物なんだろうか。

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書評293 斎藤環

『家族の痕跡――いちばん最後に残るもの』

(ちくま文庫、2010年)

以前にも記事で触れた斎藤環の評論集。
斎藤環の文章はちょこちょこ読んでいたが、書評は初となる。


【著者紹介】
さいとう・たまき (1961年―) 精神科医、批評家。筑波大学医学医療系教授。
1990年筑波大学大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。1987年から爽風会佐々木病院勤務。同病院診療部長などを務めた。批評家としては漫画・アニメなどを精神分析の立場から解釈した『文脈病』(青土社)でデビュー。『社会的ひきこもり』(PHP新書)の社会的反響からマスコミでひきこもりについて語るようになった。
2013年『世界が土曜の夜の夢なら』で角川財団学芸賞受賞。


【目次】
第1章 母親は「諸悪の根源」である
第2章 システムとしての家族)
第3章 「世間」と「家族」と「個人」
第4章 家族の価値観
第5章 結婚と家族の理不尽


【本書の内容】
家族は、ひきこもり、DV(家庭内暴力)、AC(アダルト・チルドレン)などの病の温床になっているが、他のどんな人間関係よりましである。多くの家族の症例をみてきた精神科医である著者だけが書ける、最も刺激的にして、愛情あふれる家族擁護論。母子密着問題、「世間」と「家族」と「個人」、結婚の理不尽、等を通して、現代における家族のリアリティとは何かに迫る。


お薦め度:★★★★☆

【本書の感想】

<全体の感想>
「ちくま」に連載されたエッセイをまとめたもので、体系的ではないものの、多様な示唆に富む好著である。
著者は「ひきこもり」の専門家として知られるが、臨床精神科医としての経験に裏打ちされた人間への洞察は、非常に広い射程を持っていると感じた。

本書の主張をざっくりまとめるとこうなる。
あらゆる価値が相対化されたポストモダン社会と言われる現代だが、「家族」だけは未だに揺るぎない価値を保持している。そのことがひきこもりなど様々な問題の温床になっているが、家族よりマシなシステムも見当たらない以上、これをうまくオペレーションしていくしかない。
本書の副題「いちばん最後に残るもの」とはそういう意味だ。

この家族に対する視点も斬新だが、他にも考えさせられる知見が散りばめられていて、精神分析に疎い私にとって収穫の多い読書となった。


<「家族」という価値の源泉>
まず本書の重要な指摘は、人々が思っているよりも「家族」が現代における価値の源泉になっているということ。

生き方が多様化し晩婚化が進んだ現代では、未婚の中年男女も珍しくない。当然ながら、30代でバリバリ仕事をこなす未婚OLも、家で子どもを育てている専業主婦も平等に扱われるべきである。むしろ、社会的には前者の方が生産的だと評価されてもおかしくない。しかし、未婚女性は何となく「負け犬」として肩身の狭い思いをしなければならない。
著者はここに「女の幸せは結婚して子どもを産むことだ」という世間の価値観の圧力があると指摘する。

女性が女性として幸福であるためには、ただ個人として女性であるだけではまったく不足なのだ。幸福を可能にするためには、女性であると同時に、さらに妻と母親を兼任しなければならない。(118項)

また、ひきこもり問題の裏にも同様に、暗黙の価値観が働いている。
ひきこもりの少年少女、青年たちは、何も社会に害を与えているわけではない。にもかかわらず、なぜこれだけ社会問題化し、世間から非難されるのだろうか。

ひきこもり青年たちは、非社会的存在ではあっても、反社会的存在ではない。……彼らはが家族を持とうとしないこと、さらにはイエの存続に寄与しないことこそが、批判されているのではないだろうか。(147項)

なぜ、子持ち専業主婦より未婚OLの方が世間的評価が低いのか。なぜ、ひきこもりは害悪がないのに根絶が目指されるのか。
そこには「家族」という暗黙の価値観が根強く横たわっているのである。

自分のことを考えてみてもはっとさせられる指摘だが、今まで政治学や社会学、現代思想ではあまり指摘されてこなかった点だと思う。


<家族の病理――ひきこもりの事例>
著者は家族について「生存していくうえで、あるいは子どもを養育していくうえで、あるいは相互扶助し合う大義名分として、これほど機能的で一般性が高い形態はほかにない」(240項)とする一方、自らの臨床医としての経験上、家族は「諸悪の根源である」とも指摘する。

たとえば、ひきこもりの子どもを抱える家庭では、著者が「日本的ダブルバインド」と呼ぶ現象が見られる傾向があるという。
ダブルバインドとは言葉によるメッセージと態度が矛盾する状態のことで、親が子どもに対してそういう関係を作り出してしまうことで、ひきこもりが長引いてしまうケースが多い。

多くのひきこもりを抱えた母親たちが、わが子に「早く自立しなさい」「家から出なさい」という否定的メッセージを繰り返し与えつつ、実はわが子の生活を曖昧に支え続けている。……否定の言葉とともに抱きしめることが、いかに人を束縛するか。(30項)

ダブルバインドから解放されるとともにひきこもりから脱出した、というケースも報告されている。
ひきこもりはじめてから親がまったく相手にしてくれなくなったので仕方なくアルバイトに出はじめた。親が「もうずっとひきこもったままでいい」と話すのを聞いてひきこもりをやめた。
この正反対に見える例に共通するのは、言語と態度の一致=ダブルバインドの不在である。
(このダブルバインドが人を拘束する、という実感は家族以外の場面でも感じたことがある人はいると思う。)

著者は、こういった家族の病理から距離を取るために、ひきこもりの治療において「家族以外の親密な仲間関係を数人獲得すること」を目標にすることがあるという。

それはしばしば誤解されるように、「個人を制度に馴致させよう」という試みとは正反対の方向性をはらんでいる。私が目指すのはむしろ「社会や制度から自由であるための条件」として「親密圏を獲得すること」にほかならない。(102項)

親密圏がはらむ「闇」の側面については、哲学者鷲田清一も指摘している(書評263:『死なないでいる理由』参照)。
家族以外の親密圏の獲得は、そのリスクを分散する手段なのである。


<おわりに――臨床医からのサジェスチョン>
本書は精神医学の知見が勉強になるのだが、それが臨床医としての著者の豊富な実体験に基づくだけに、説得力がある。他の著書も読んでみたくなった。

他にも面白い指摘が多々あったので、以下に抜書きしておく。

・「コミュニケーション」とは「情報を伝達すること」ではない。人間のコミュニケーションには、おおまかにいって、「情報の伝達」と「情緒の伝達」という、二つの機能がある。一般的に後者の「情緒の伝達」は意識されないが、コミュニケーションをとる上で欠かせない要素である(81項)。

・上野千鶴子を「このクラスになると負け犬どころか、地獄の番犬ケルベロスといった趣すらあ」ると評していて笑った(125項)。

・日本の「単身赴任」、韓国の「雁パパ(子どもの英語留学に母親が帯同し、父親だけ国内に残って学資を仕送りする)」という家族形態が示すのは、今や家族における父親の役割が経済的機能のみになってしまったことである。
つまり近代とは、多くの男性が、父親として(あるいは夫として)「俺が食わせてやっている」と脅迫的に役割を確認しなければ、家族の成員たりえない時代なのではないか。(159項)
しかし、「俺が食わせてやっている」言説で家族を抑え込もうとしたことがある人なら、そう言い切った後の後味の悪さ、後ろめたさをしっているはずだ、と著者は喝破する。それは就労が自明の義務ではないからである(173項)。

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久しぶりにミスドの新作を物色。
今売出し中の新作は「クロワッサンドーナツ」「Waff」の二種類あるという。
 
クロワッサンドーナツ(写真前)は、その名の通りパイ生地が何層にも重なっているもので、簡単に言えば穴の開いたクロワッサンという感じで、どうということもなし。
 
Waffきなこ(写真後)は、「もちふわ新食感」という触れ込みだが、普通のドーナツとポンデリングの中間の食感という印象で、これならポンデリングを食べるなあ、という感じ。
 
ということで、マイ・ベスト・ミスドであるエンゼルクリームとポンデ・ダブルショコラには遠く及ばない新作試食となりました。
 
 
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帰りに、桜並木を通ったので1枚ぱちり。
今年は満開の週末が大雨だったので花見は行けずじまいでした。
しかし、吉田兼好の言うように、咲き誇る満開の桜を愛でるだけが花見にあらず。
大雨でできた水たまりに敷き詰められたピンクの絨毯もまた風流に見えてきました。
 

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書評292 千住淳

『自閉症スペクトラムとは何か――ひとの「関わり」の謎に挑む』

(ちくま新書、2014年)

障害を扱った本というと健常者には関係ないと思われがちだが、傑作ノンフィクション書評128:『こんな夜更けにバナナかよ』がそうであったように、障害を扱った優れた著作は、普遍的な人間関係について鋭い洞察を秘めているものだ。

ということで、ちくまから自閉症スペクトラムの新刊が出たので読んでみる。


【著者紹介】
せんじゅう・あつし (1976年―) ロンドン大学バークベックカレッジリサーチフェロー。専門は発達社会神経科学。
東京大学大学院総合文化研究科修了。博士(学術)取得。東京大学総長賞、日本心理学会国際賞奨励賞、英国心理学会ニールオコナー賞などを受賞。著書に『社会脳の発達』、『社会脳とは何か』。


【目次】
はじめに
第1章 発達障害とは何か
第2章 自閉症スペクトラム障害とは何か
第3章 自閉症はなぜ起こる?
第4章 自閉症者の心の働きI――他者との関わり
第5章 自閉症者の心の働きII――こだわりと才能
第6章 自閉症を脳に問う
第7章 発達からみる自閉症
第8章 社会との関わりからみる自閉症
第9章 自閉症という「鏡」に映るもの
第10章 個性と発達障害
おわりに


【本書の内容】
自閉症とは、人との「関わり」に困難さを抱える発達障害である。対人コミュニケーションの困難さと、強いこだわりとを特徴とする「社会的な病理」だ。本書は社会脳の研究者が、その最先端の状況をあぶりだす。自閉症とはなにか。その障害(ハードル)とはどのようなものか。人との「関わり」をどう処理しているのか。診断・遺伝・発達・社会・脳と心といった側面から、その内実を明晰に説く。


お薦め度:★★★★☆

【本書の感想】

<全体の感想>
このブログの書評では冒頭に私が本を手に取った動機を書くようにしているが、まさにそれに呼応する文章があったのでまず引用する。

発達障害について詳しく見ていくことから、発達障害を持たない「その他大勢」の人々が、どのように他者と関わり、どのように社会と関わっているかについても、新たな発見があります。(9項)

では本書のテーマである自閉症スペクトラムとは何かというと、従来「自閉症」「アスペルガー症候群」「広汎性発達障害」などと呼ばれていたものが、最新のアメリカの診断基準で一つにまとめられたもの。この考え方自体は書評271:『図解 よくわかる大人のアスペルガー症候群』で紹介していたが、実際の臨床場面でも症例の区分が難しく、診断名としても一つのカテゴリーが相応しいということになったという。

自閉症スペクトラムの特徴は、「対人コミュニケーションや対人行動の困難さ」「限定的・反復的な行動や興味のパターン(こだわり)」の二つだが、ある意味個性の差、程度問題にも思える。それが障害なのか、極端な個性の一つなのか、線引きはどうするのか。

答えは、「それを決めるのは本人」です。……診断はレッテル貼りをするためではなく、本人の役に立つためにあるのです。(22―23項)

要するに、障害には科学的な線引きがあるのではなく、「困っているから社会に助けて欲しい」という自己申告が必要要件なのである。(余談だが、これに従えば、例えば先頃メディアを賑わせた佐村河内氏なんかも、自己申告がありそれを認定した人がいるという意味で立派な障害者ということになる)


<「障害」の定義は個人−社会関係によって決まる>
さらに、「障害」の線引きは個人と社会の関係によっても変わってくる、というのが本書の重要なメッセージだ。

たとえば、現代日本で読み書き算盤ができないという「個性」を持つ男性がいるとする。彼は、学校の成績が極端に悪く授業も集中できないので、診断を受けてみると学習障害という「障害者」と判定された。しかし彼が文字を持たないアフリカ社会に生まれたら「障害者」とは判定されずに一生を終えたかもしれない(212項)。
逆の例を出せば、現代日本で「健常者」と呼ばれる人が原始狩猟民族の中に紛れこんだら、狩猟に必要な体力・脚力といった基礎能力を持たないとして「障害者」と呼ばれていたかもしれない。
また、現代社会でも国や地域によって「障害」の定義は違ってくる。欧米では「代名詞の逆転」と呼ばれる現象(会話の中で“I”と“you”が逆になる)が自閉症の診断基準の一つとして使われているが、代名詞が頻繁に省略される日本では通用しない。逆に「空気が読めない」という自閉症の特徴はアジア圏で問題になり易く、個人の意見を尊重する欧米では症例として挙がりにくい(177項)。


そのため、本書では「健常者/障害者」という区分ではなく「定型発達者/非定型発達者」という区分を用いている。定型発達者とは、その社会で必要不可欠な基本能力を備えるよう発達した者、ということだ。

つまり、「障害」とは個人が持っているのではない。ある社会を快適に生きる上で特定の能力(個性)が必要なとき、それを持たないことが「障害」となって個人に立ちはだかる(=非定型発達者となる)。障害はヒトの性質ではなく、個人が生きにくくて困っている状態のことである、とも言えるかもしれない。


<鏡に映る社会を考える>
ここまでくれば冒頭の文章の意味がわかってくると思う。私たち定型発達者は、自分たちが生きる社会が必要とする特定の能力に気づかずに生きているが、非定型発達者が困っていることに目を向けることでそれに気づくことができるのだ。

本書はその例をいくつか紹介している。
たとえば、定型発達者は人混みの中や会議中に自分に向けられた他人の視線を感じると「何となく」それに気づくことができるが、自閉症者は気づくことが少ないという(93項)。理由はまだ解明されていないが、この「何となく」気づく能力の不足が自閉症者が対人コミュニケーションに問題を抱える一因ではないかと考えられており、同時にこの能力が私たちの日常生活で案外重要な役割を果たしていることがわかる。

また、今の社会では「障害」になってしまっている自閉症者の個性のポジティブな面にも気づかされる。
自閉症者はしばしば「木を見て森を見ない」ことで社会生活がうまくいかないが、逆に「森の中から木を見ぬく」能力に長けている(111項)。自閉症者の中にたまに天才が生まれる、と言われるのはこういった側面が社会のニーズと合致し開花した例だろう。

「定型発達障害」というエピソードも面白い(193項)。これは自閉症者から見ると定型発達者はこんなヘンなヤツに見える、というジョーク混じりの話で、嬉しくないプレゼントをもらっても「ありがとう」と応えるとか、「いやだ」という意味で「いいです」と言うとか、何でもないことで嘘をついてしまっているとか、物事の細部に気づかないとか、ブランド品など機能性が低いが社会的評価が高いものを好むとか、一つくらい思い当たることがあると思う。

このように、障害という鏡を通して自分が生きる社会のことが見えてくるというお手本のような本。
自閉症スペクトラムを少し勉強したことがある人にとっては若干掘り下げが浅いと感じるかもしれないが、障害を考えることの意義がよくわかる良書であり、個人的には考えるヒント満載の本であった。

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