読書のあしあと

訳あってしばらく閉店します。

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年末年始からずっと読書スランプが続いてきましたが、2月以降は好調です。
読めないときってどうしても気が散って読めないんですね。
特に影響が出るのが海外文学で、読めないときは全く入り込めない。
学術書なんかは淡々と読めますが。

最近はその不調も脱し、書評待ちの読了本も3冊ほど溜まっているので順次アップできると思います。


で、最近何を読んでいるかというと、何冊か発達障害/精神医学関係の本を読んでいます。

私は政治外交史出身なので、精神医学など実証が難しい分野は言葉が悪いですがマユツバに思える印象があり、あまり読んできませんでした。実際、日米関係に精神医学を応用して失敗してる人もいますし。


最近イメージが変わってきたのは、まともな精神科医のエッセイを読んでいると、精神医学は人間関係を大枠で捉えて6〜7割方当てる、ということに長けているような印象があるからです。
人間の性格や脳の機能の多様性からいえば9割当てるのは難しいのでしょうが、「概ねこういう傾向があるよね」ということは言えて、それが何となく当たっているような気がする。
そこを手掛かりに人間関係を色々考えることができる。

たとえば、斎藤環が色んなところで言っている「コミュニケーションが得意な若者は自己イメージが薄く、不得意な若者ほど自己イメージをしっかり持っている」ということ。
これは、他者とのコミュニケーションがうまくいかないと、何でうまくいかないんだろう、俺ってどこが悪いのかな、と葛藤するからですね。何となくコミュニケーションができてしまう人はそういうことを考えずに生きていけるわけです。

これはその通りだと思いますし、同じようなことに気付いている人も多いと思うのですが、そこにこういった「枠組み」を与えてくれると、考えが整理されるしその先へ色々広がりますよね。


もう一つ、これは詳しくはそれぞれの書評で触れますが、発達障害/精神病は、誰しもが持っている性格や脳や身体の機能不全、あるいはそれと社会との摩擦が極端に表れたものです。
ということは、人間一般に普遍的に言えることのエッセンスが詰まっていると見ることもできる。
一見関係ないように見える私たちにも、そこから学べることはたくさんあるはずだと思うのです。


と、今後の書評の告知も兼ねて。

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書評291 佐藤俊樹

『桜が創った「日本」――ソメイヨシノ起源への旅』

(岩波新書、2005年)

桜の季節だ。
日本人にとっての原風景の一つである、「一面に広がる桜」。
今回取り上げるのは、社会学者による「桜」論である。


【著者紹介】
さとう・としき 1963年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。専攻は比較社会学、日本社会論。
東京大学大学院社会学研究科博士課程中退。東京工業大学助教授等を経て現職。階層社会研究により新世代を担う社会学者として評価される一方、サブカルチャーについても造詣が深い。著書に『近代・組織・資本主義』『ノイマンの夢・近代の欲望』『不平等社会日本』など多数。
本ブログで取り上げた作品に書評41:『00年代の格差ゲーム』がある。


【目次】
1ソメイヨシノ革命
2 起源への旅
3 創られる桜・創られる「日本」


【本書の内容】
一面を同じ色で彩っては、一斉に散っていくソメイヨシノ。近代の幕開けとともに日本の春を塗り替えていったこの人工的な桜は、どんな語りを生み出し、いかなる歴史を人々に読み込ませてきたのだろうか。現実の桜と語られた桜の間の往還関係を追いながら、そこからうかび上がってくる「日本」の姿、「自然」の形に迫る。


お薦め度:★★★☆☆

【本書の感想】

<全体の感想>
桜は日本人にとって特別な花である。
出会いと別れの季節に、日本人は飲めや歌えやの花見酒をずっと続けてきた。一面をピンクで埋め尽くし散っていく様に「日本らしさ」を重ね合わせてきた。…と、信じられてきた。
ところがそういう春の過ごし方、桜の見方の「伝統」が実はせいぜい江戸時代以降のものだ、というのは知っている人も多いと思う。

本書は、日本人の桜語りの方法論を跡づけ、その桜語りの「創られた伝統」の構造を解き明かすもの。
と書いてしまうと、「桜は“日本人らしさ”を捏造するために利用された」式の左翼的内容に聞こえるかもしれないが、そこは佐藤俊樹。そういう思考方法も返す刀で斬り返し、手堅い実証や分析がなされている。


<ソメイヨシノ革命――交錯する理想/現実>
現在日本の桜の約8割を占めると言われるソメイヨシノは、幕末にエドヒガンとオオシマザクラの交配で生み出され、明治初期に全国に広がっていった新種である。
ソメイヨシノは、種子ではなく接ぎ木によって増えていく(つまりクローン)、花はぺたっとしたピンクの単色、成長が早く20年ほどで盛りを迎える、といった大衆的性質を持つ。
それ以前は、東日本はエドヒガン系、西日本ではヤマザクラ系の多種多様な桜が見られた。淡いピンク一色で空を埋め、一週間ほどで一斉に咲いて散っていくソメイヨシノに比べ、他種の桜は色や咲く時期、咲いている期間も様々である。従ってソメイヨシノ以前は、桜が咲く時期も今よりバラバラで、花見の期間も一か月程度あったと推測される。
さらに、昔は兼六園や渋谷金王桜のような一本桜を愛でていたのが、17世紀以降徐々に今のように群生する桜の森の下で花見をする習慣に変わっていったことも、ソメイヨシノとの相性は抜群であった。

このように、「空を埋め尽くすピンク」「一瞬で咲いて散る儚い花」といったイメージは、明治以降のソメイヨシノが創ったものだ。
…と思いたいところだが、話はそんな単純ではないことを、著者はこう表現している。

ソメイヨシノの出現以前に、ソメイヨシノが実現したような桜の景色を何人もが詠っていたのだ。(48項)

どういうことか。
たとえば足利義政の歌「咲みちて花より外の色もなし」には、非常にソメイヨシノ的な感性が感じられる。また、中世の吉野には桜が群生していたという事実はないにもかかわらず、『古今和歌集』の時代から「吉野」は桜の名所とされ憧れの的であった。
平安時代から現実にはない「一面の桜」が咲く「吉野」が理想郷として語られており、その理想をソメイヨシノが実現した。言わば現実が想像に追いつき、追い越した。
人々が理想とした「桜」よりも桜らしいソメイヨシノの出現に、日本人は日本の伝統を見出した。
その圧倒的な妖しき魅力の前に、「日本人は昔から桜のように…」などと語ってしまうのである。

こうして、夢想されていた桜の理想郷(イデア)がソメイヨシノによって実現され、そこに日本人は「日本らしさ」を見出し、それが全国に(戦前は植民地にも)広がることで「桜=日本人らしさ」は根づいていった。
ここでは、「理想/現実」が互いに補強し合う、連環的な磁場のようなものができあがっている。
このあたりオートポイエーシスを使った議論はさすが佐藤俊樹といったところ。


<それでも桜は美しい>
この“桜をめぐる環”からは抜け出すのは容易ではない。
たとえば、ソメイヨシノの人工的な歴史や平板なビジュアルを殊更に嫌い、「ヤマザクラこそ真の日本の桜だ」と反発する人もいる。
しかし上に見たように、ソメイヨシノ以前は日本列島がヤマザクラに覆われていたわけではなく、エドヒガンをはじめ多様な桜が咲いていた。ソメイヨシノへの反発が新たな「伝統」を捏造してしまう典型であるという意味で、この“環”から自由だとは言えない。
桜を語ろうとすれば、たちまちこの“環”に絡めとられてしまう可能性があると佐藤は喝破する。


だからこそ、単純に美しい桜を愛でたいと思う。
上野のソメイヨシノは圧巻だし、花見に行かずには春を迎えた気がしない。
それがたとえ「創られた伝統」が私の感性を支配した結果であっても、「So What?」である。

そんな私の桜に対するスタンスは、おそらく佐藤も同意してくれるのではないかな。

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国立西洋美術館/モネ、風景を観る眼――19世紀フランス風景画の革新

久しぶりの上野。
モネをやっていると聞いては、モネ好きとして行かないわけにはいかない。


モネと銘打ってはいるが、モネ以外の印象派画家の作品も展示されていて、比較しながら観ることができるようになっています。こういう企画は観やすくていい。

この企画を観た感想は、「モネは風」「ピサロは茂み(Bush)」「コローは森」にその白眉があるということ。
モネは風を感じさせる爽やかな躍動感を感じる絵が一番好き。
カミーユ・ピサロは印象派の中でも茂みの点描が抜群に上手いと思う。(以前取り上げた《窓から見たエラニーの通り、ナナカマドの木》など)
コローで一番好きなのは《モルトフォンテーヌの思い出》なのですが、今回観た《ナポリの浜の思い出》も印象深い。森から差し込む光のタッチが、淡い思い出を包んでいるようで、観ていて心地よいです。

ピサロもコローも画像がネットで見つからなかったので、以下はモネの話。





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「モネは風」と上に書いたのは、この《散歩》を観たからですね。このブログのアイコンにしてある《モネ夫人と息子》もそうですが、観る者にそよ風を感じさせずにはいません。





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この《花咲く堤、アルジャントゥイユ》は数種類の花が描き込まれていたり、街の煙突から出る煙が見えていたり、と珍しい作品です。





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印象派の画家がよく使う、ピンクとオレンジと肌色の間のような淡い色が印象的なのが《セーヌ川の日没、冬》。





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今回の展示会の目玉は《睡蓮》の連作です。個人的には、この構成がしっかりしていて緑が濃く、カラフルな睡蓮が散らばっている一枚がよかったです。





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この日は常設展の方が観覧無料だったので、さらっと流してみたところ、この絵の前で足が止まりました。
カルロ・ドルチ《悲しみの聖母》という作品で、何となくバロックの影響があるかも、と思っていたらやはり17世紀の作品とのこと。
鮮やかな青いヴェールと、敬虔かつ悲しげな表情のコントラストが印象的な作品でした。

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書評290 ウィリアム・トレヴァー

『密会』

中野恵津子訳(新潮クレストブックス、2008年)

2008年に刊行されてからずっと気になっていた短篇集。
「現役の最高の短篇作家」とも呼ばれる作家である。


【著者紹介】
Trevor, William (1928年―) アイルランド人作家。
アイルランド・コーク州に、少数派であるプロテスタントのイングランド系アイルランド人として生まれる。トリニティ・カレッジ・ダブリンを卒業後、教師、彫刻家、コピーライターなどを経て作家活動へ。65年「同窓」がホーソンデン賞を受賞、以後すぐれた長篇・短篇で数多くの賞を受賞している。短篇の評価はきわめて高く、現役の最高の短篇作家と称される。

なかの・えつこ (1944― 2013年) 翻訳家。
新潟市生まれ。国際基督教大学卒業。米国小説を中心に翻訳した。13年肺炎のため死去。
訳書に書評222:『彼方なる歌に耳を澄ませよ』など多数。


【目次】
死者とともに/伝統/ジャスティーナの神父/夜の外出/グレイリスの遺産/孤独/聖像/ローズは泣いた/大金の夢/路上で/ダンス教師の音楽/密会


【本書の内容】
早朝のオフィスで、カフェの定席で、離婚した彼女の部屋で、寸暇の密会を重ねる中年男女の愛の逡巡…表題作。孤独な未亡人と、文学作品を通じて心を通わせた図書館員。ある日法外な財産を彼女が自分に遺したことを知って…「グレイリスの遺産」。過って母親の浮気相手を殺してしまった幼い自分のために、全てを捨てて親娘三人の放浪生活を選んだ両親との日々…「孤独」。アイルランドとイギリスを舞台に、執着し、苦悩し、諦め、立て直していく男たち女たち。現役の英語圏最高の短篇作家と称される、W.トレヴァーが、静かなまなざしで人生の苦さ、深みを描いた12篇。


お薦め度:★★★★★

【本書の感想】

<全体の感想>
絶品である。
「英語圏最高の短篇作家」「現代のチェーホフ」の呼び声も伊達ではない。

この作品の登場人物は、皆ストレートに幸せにはならない。
痛すぎる傷、哀切極まりない過去、醜悪な秘密…そうしたものを抱えた普通の市民の人生を、適度な距離感を保ちながら淡々と描いていく。
そして、その20ページ足らずの一篇一篇には、彼ら彼女らの“人生”そのものが詰まっている。ある作品では少女が老女になるまで抱え続けた「孤独」が描かれ、またある作品では人生が壊れてしまうような決定的事件がポンと提示される。
圧倒的な共感をもって読める人物もいれば、絶対に共感したくないのに強烈な印象が残ってしまう人物もいる。彼らは、読み終わって一週間経った今も私の心に居座り続けている。
短篇なのに長篇を読んだようなカタルシスが残るのは、そこに理由があると思う。
本書は多くの読書好きをうならせるに違いない。

本書に収められた短篇はどれも素晴らしく、これほど駄作がない短篇集というのも珍しいが、特に印象に残った作品の感想を簡単に記す。



「死者とともに」
夫を亡くした妻のもとを、偽善的な姉妹が弔問に訪れる。未亡人は、彼女らに生前の夫がいかにつまらない男だったかを延々と愚痴ったあと、こうつぶやく。「私が夫を愛していなかったとは思わないでくださいね」
それはおそらく真実だ。白も黒も灰色もごったまぜになった数十年の結婚生活を噛みしめて、彼女は朝を迎えた。


「ジャスティーナの神父」
知恵遅れの少女ジャスティーナは、家族から疎ましく思われており、ことあるごとに教会を訪れる。神父は必要もないその懺悔を聴き、赦しを与え、ささやかな拠り所になっている。ジャスティーナを見つめる温かい視線が印象的。


「夜の外出」
結婚相談所の紹介で出会った中年の男女は、早い段階でお互い「これはないな」と値踏みした。すると男は女に夕食をおごらせようとするのだが、これが何とも情けない。こんな男いるのかな。


「孤独」
かつて家族が住んでいた家で母が犯した罪、7歳だった少女が起こしてしまった事件。それをきっかけに一家は各国を転々とホテル住まいを繰り返すが、少女はずっと孤独を抱えていた。やがて52歳になった彼女は、なぜか見知らぬ男にすべてを話してしまえそうな気がする。書評213:『贖罪』のテイストを思わせる、長篇にできそうな45年間を詰め込んだ濃密な一篇。


「聖像」
宗教の衰退という社会的風潮の中で、若い聖像職人は貧しい暮らしを強いられていた。もうすぐ生まれてくる子どものために、彫像を諦めて道路工事現場で働くのか。夫を思う妻は、子どもが欲しいができないと言っていた友人のことを思い出した…。
正統派の爽やかな作風は、古き良き18世紀の小説を思わせる。


「ローズは泣いた」
家庭教師の初老の男が、ローズを最後の教え子にすると言い出した理由を、ローズは知っていた。
彼がローズを教えている間に、同じ家の中で妻が若い男を引き入れて浮気していたのだ。
ローズは、彼を仲間内で笑い者にしてしまった自分を恥じ、彼のために泣いた。
少女の純真さが人生の苦みに出会う瞬間を切り取った、一枚の油絵のような短篇。


「大金の夢」
若い男女はアメリカン・ドリームをつかもうと誓い合い、男は単身アメリカへ渡る。はじめは熱心に男への想いを募らせていた女は、やがて男を愛していないと気づくのだった。
遠距離恋愛の経験がある人なら、感じることが多いだろう小品である。


「路上で」
別れた妻をつけ回す偏執的なストーカー。彼は元妻の感情、反応、涙が欲しいがために罪を犯す。彼女もそれをわかっているから、黙って話を聴いて席を立つ。この男の執拗なまでの怨念の塊は強烈な印象を残すが、一度結婚しているだけに唯一の理解者である元妻の優しさも忘れ難い。


「密会」
この短篇集の白眉はこれだろう。
いつものカフェで密会を重ね、愛を確かめ合ってきた二人。しかし、この関係を終わらせる時が来た。
「終わりなのね?」彼女が言う。食い下がる彼女を、彼は制した。愛していないわけがない。だが…。
今日、愛は何も壊されなかった。彼らは愛を抱きつつ、離れてゆき、お互いから立ち去った。未来は、今二人が思っているほど暗いものではないことに気づかずに。(271項)



*余談だが、同じクレスト・ブックスの書評144:『巡礼者たち』のギルバートにせよ、書評188:『冬の犬』書評222:『彼方なる歌に耳を澄ませよ』のマクラウドにせよ、好きな作家の出身が寒い国に多いのは、自分にも雪国出身者の血が流れているからではないかと最近思うようになった次第である。

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オリンピック雑感

観てたり観てなかったりしましたが、雑感を殴り書きです。
 
男子フィギュア:てっきり絶対王者が勝つもんだと思ってました。すみません。決勝ではこけちゃいましたが、
躍動感は圧巻でした。
 
女子フィギュア:こっちもてっきり絶対王者が勝つもんだと思ってました。結果はまさかのダークホースが
地元金メダル。真央ちゃんは、森元総理へ「彼もああいうことを言って反省してると思います」なんて笑顔で
言えるほど、フリーの演技でふっきれたのでしょう。よかった。
 
カーリング:カーリングって観てて面白いですね!非常に戦術的であると同時に、その戦術を実現する
技術も求められる。いわゆる「自分との闘い」の競技ではなく、常に相手があるゲームであることも面白い。
フィジカルの要素がないサッカーのようなものか。しかしオリンピックでもないと観れないんだよな。
 
スノーボードハーフパイプ:リアルタイムで観てたら、平野の前に平岡が滑って2位に上がり、さらに平野が
それを抜いて、結果的に銀と銅のツースリーフィニッシュ。平岡→平野へのライバル意識むき出しなのも
好ましく、これからも切磋琢磨していってもらいたい。
 
スノーボードクロス:初めて観る競技だったけど、観てる方は面白い。がちゃがちゃして転倒が多いので
偶然的要素が強い。その分、選手はたまったもんじゃないだろうな。
 
スキージャンプ:このオリンピックのハイライトは、葛西の銀確定直後のコメントでしょう。
「これで4年後の目標ができました」
 
パラリンピック:やっぱり地上波放送がないから、あんまり浸透しない。残念。色んな制約がある分見応えも
ありそうな気がするんだけど。
 
 

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