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書評285 濱口桂一郎『新しい労働社会――雇用システムの再構築へ』(岩波新書、2009年)少し古い本だが、労働法について勉強するのに手軽な本、ということで手に取った。著者のブログは有名らしいが、読んだことがなかった。 【著者紹介】 はまぐち・けいいちろう (1958年―) 労働政策研究・研修機構研究員。専攻は労働政策法。 1983年東京大学法学部卒業。同年労働省に入省。その後東京大学客員教授、政策研究大学院大学教授などを経て現職。 主著に『労働法政策』(ミネルヴァ書房、2004年)、『日本の雇用と労働法』(日経文庫、2011年)など、訳書に『ヨーロッパ労働法』(監訳、ロジェ・ブランパン著、信山社、2003年)など。 【目次】 序章 問題の根源はどこにあるか―日本型雇用システムを考える 第1章 働きすぎの正社員にワークライフバランスを 第2章 非正規労働者の本当の問題は何か? 第3章 賃金と社会保障のベストミックス―働くことが得になる社会へ 第4章 職場からの産業民主主義の再構築 【本書の内容】 正規労働者であることが要件の、現在の日本型雇用システム。職場の現実から乖離した、その不合理と綻びはもはや覆うべくもない。正規、非正規の別をこえ、合意形成の礎をいかに築き直すか。問われているのは民主主義の本分だ。独自の労働政策論で注目される著者が、混迷する雇用論議に一石を投じる。 お薦め度:★★★★☆ 【本書の感想】 <全体の感想> 労働問題は歴史問題などと並んで感情的になりやすく、何を読んだらいいのかわからない問題の一つではないかと思うが、そんな中で本書は独自の分析に基づいて現代日本の労働問題を整理している好著だと思う。 単に規制緩和を主張するでもなく、「小泉改革は全て悪」のような左翼でもなく、ロスジェネに加担するでもなく、きちんと歴史的経緯を踏まえて独自の主張を展開している。 そのすべてに同意できるわけではないが、基本的な論点をおさえつつ平易に叙述されている本書は、現代の労働問題入門としても相応しいと思う。 <問題の根源――日本的メンバーシップ型雇用> まず著者は、あらゆる労働問題の根源にあるのは日本の雇用契約の性質――メンバーシップ型雇用形態にあるという基本認識を示す。 日本では伝統的に、何の仕事をするのか知らないまま雇用契約を結んで会社の仲間になる、つまり「就職」ではなく「入社」するのが一般的である。これを著者は「メンバーシップ型」と呼ぶ。 これに対し欧米は「ジョブ型」で、職務スキルに対応した形態であることが知られている。 著者によれば、このメンバーシップ型が長期雇用、年功序列、企業別組合といった日本的雇用慣行を生み、さらに同一労働同一賃金原則の阻害などの様々な問題の原因になっているという。 こういった切り口から、著者はワークライフバランス、ホワイトカラーエグゼンプション、派遣切り、ワーキングプア、社会保障といった問題に切り込んでいく。その手並みは鮮やかで、主張もきわめてまっとうである。 例えば解雇規制については、経営不振による整理解雇の要件は厳格なわりに、家族の事情で配転を拒んだ社員の懲戒解雇は認められるといった個別解雇については規制が緩やかな点が問題であるとし、前者の緩和と後者の強化を提言している(56項以下)。きわめてまっとう。 また「労働者の二極化」――すなわち生活給に基づき年齢とともに賃金が上昇していく正社員と、生活が維持できないような低水準に張り付いた非正規労働者の二極化が進んでいる、という議論についても、問題はそんなに単純ではないと述べる。 そもそも現在の賃金システム自体が「正社員の夫+養われる専業主婦や学生」という家族モデルに基づいており、それが支配的だった時代はある意味合理的な制度だった(もっとも、シングルマザーなどの例外があったり、扶養家族の有無で労働の価値が違ってしまう=同一労働同一賃金原則に反するといった問題はあった)。 それが就職氷河期以降のフリーター急増期を経た今は時代遅れになっていると指摘し、日本の社会保障体系全体の問題として考えるべきだとしている。 労働しない扶養家族の生計費は誰がいかなる形で保障すべきなのか。その家族を扶養する労働者の賃金という形でその使用者から支払われるべきであるのか、それとも労働に対応すべき賃金とは別に社会的な給付という形で支払われるべきなのか。(128項) これを踏まえた現実的な解決策として、「評価の均衡」という観点からの非正規労働者に対する期間比例賃金制の導入を提言している(102項以下)。きわめてまっとう。 <「職場からの産業民主主義」は可能か> 本書の後半では、非正規社員の声をいかに拾っていくかという課題を取り上げていて、これは個人的にも今までの仕事を通じて痛感してきた問題意識だったので、興味深く読んだ。 結論から言えば、著者は「職場からの産業民主主義」ということを言う。すなわち「現在の企業別組合をベースに非正規労働者を加え、すべての労働者が加入する代表組織を構築していくこと」(187)である。 これは確かに現実的な策かもしれないが、個人的に気になったのは、著者はユニオンなど企業の「外側で騒ぐ」タイプの組合運動ではなく、「内側から改革する」タイプの組合運動を推奨しているが、それを進めた組合員が企業の社員として評価されない現実をどうするのか、という点に全く触れていないこと。 組合専従から会社に戻ったときに評価されないどころか『沈まぬ太陽』書評その1/その2で描かれたように冷遇されてしまう、なんてことは現実にあるわけで、そうであるかぎり改革を進めようとする人材は出て来ない。 これは、非正規社員を取り込んだとしても企業別組合であるかぎり免れない問題であり、そこを何とかしないと「職場からの民主主義」は絵に描いた餅になってしまうと思う。 |
書評284 司馬遼太郎『坂の上の雲』その4全8冊(文春文庫、1978年)来年のW杯グループリーグの組合せが発表されました。わりと恵まれた組合せとはいえ、日本より格上ばかりなのを忘れてはいけません。 実力的にはまだ挑戦者の立場です。 さて司馬の長篇も最後の書評です。足掛け4ヶ月、長かった…。 【著者紹介】 しば・りょうたろう (1923─1996年) 作家。 大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960年『梟の城』で直木賞を受賞し、以後歴史小説を一新する話題作を続々と発表。『国盗り物語』『竜馬がゆく』で菊池寛賞など受賞多数。 本ブログで取り上げた作品に『燃えよ剣』、『竜馬がゆく』、『翔ぶが如く』、『草原の記』、「故郷忘じがたく候」、「街道をゆく」シリーズの『19 中国・江南のみち』、『40 台湾紀行』、『26 嵯峨散歩、仙台・石巻』がある。(記事一覧はこちら) 【本書の内容】 本日天気晴朗ナレドモ浪高シ―明治三十八年五月二十七日早朝、日本海の濛気の中にロシア帝国の威信をかけたバルチック大艦隊がついにその姿を現わした。国家の命運を背負って戦艦三笠を先頭に迎撃に向かう連合艦隊。大海戦の火蓋が今切られようとしている。感動の完結篇。巻末に「あとがき集」他を収む。(文庫版第八巻裏表紙より) お薦め度:★★★★★ 【本書の感想】 <戦勝が狂気を生むという歴史> 日露戦争最後の陸戦、奉天会戦は日本軍有利のままロシア軍の戦略的撤退で幕を閉じた。戦略的撤退というのはクロパトキン司令官にとってであったが、国際世論はそうとは見なさず、日本の勝利として大々的に報じた。 このあたりを「キリだ」と見た児玉源太郎は、大本営へ和平工作の推進を促すが、東京が一向に動かないことにいらいらしていた。 児玉が閉口しきっていることは、新聞が連戦連勝をたたえ、国民が奉天の大勝に酔い、国力がすでに尽きようとしているのも知らず、「ウラルを超えてロシアの帝都まで征くべし」と調子のいいことをいっていることであり、さらに児玉がにがにがしく思っていることは政治家までもがそういう大衆の気分に雷同していることであった。(第七巻、183項) ここに戦争のエスカレーション・メカニズムの典型例を見ることができる。 結果的にはアメリカの仲介によって講和を結ぶことに成功し、児玉は胸を撫で下ろすことになるのだが、一歩間違えば昭和期の軍事エスカレーションを先取りしたかもしれない現象もあったことに留意しておきたい。 実際、陸戦は引き分けかひいき目に見てロシアの敵失による辛勝という状況だったし、佐藤鉄太郎や秋山真之が語っているように、圧勝した日本海海戦もその勝因は「運」であった(第八巻、180項以下)。 それを自国の実力と勘違いした日露戦争後の日本について、司馬の筆はふたたびあの苦い昭和におよぶ。 戦後の日本は……むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、その部分において民族的に痴呆化した。日露戦争を境として日本人の国民的理性が大きく後退して狂躁の昭和期に入る。……敗戦が国民に理性を与え、勝利が国民と狂気にするとすれば、長い民族の歴史からすれば、戦争の勝敗などというものはまことに不可思議なものである。(第八巻、307項) <おわりに――「輝く白い雲のみを見つめて坂をのぼる」> この長い物語の「あとがき」には、タイトルの由来が書かれている。 ここには、司馬の昭和への慨嘆と明治への憧憬が、抑えようとも抑えきれずあふれ出ているようである。 政府も小世帯であり、ここに登場する陸海軍もうそのように小さい。その町工場のように小さい国家のなかで、部分々々の義務と権能をもたされたスタッフたちは世帯が小さいために思うぞんぶんにはたらき、そのチームをつよくするというただひとつの目的にむかってすすみ、その目的をうたがうことすら知らなかった。この時代のあかるさは、こういう楽天主義からきているのであろう。
楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いていたとすれば、それをのみ見つめて坂をのぼってゆくであろう。(第八巻、298項) |
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新潮文庫の表紙折り返しマークを集めて応募する「Yonda?クラブ」が終了するそうです。 しかも、今後このマークを使った景品イベントの予定はないそうです。 このクールの景品がイマイチだなあと思って、次回クールの景品を狙ってマークを溜めていただけにショック。 どうせだから今のクールで何か交換しようかな。 文豪ウォッチがまだマシだろうか… 「Yonda?クラブ」って、大手文庫の景品イベントのはしりみたいなものなので、なくなるのは寂しいです。 これも出版不況のあおりか否か。
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書評283 正岡子規『ちくま日本文学040 正岡子規』(ちくま文庫、2009年)司馬遼太郎『坂の上の雲』の中で、正岡子規が非常に魅力的に描かれていて(書評その1参照)、子規の文章も読んでみたくなった。ちくま日本文学シリーズは書評134:『ちくま日本文学006 寺山修司』以来である。 【著者紹介】 まさおか・しき (1867―1902年) 俳人、歌人。名は常規(つねのり)、幼名は升(のぼる)。 1867年松山生まれ。子規(俳句)、獺祭書屋主人(評論)、竹の里人(短歌・新体詩)等の雅号をもつ。新聞『日本』を拠点に俳句短歌革新運動を展開。カリエスを病みつつ数々の名作を残し、近代短詩型文学の祖としての偉業を成した。 【目次】 病/夏の夜の音/飯待つ間/小園の記/車上所見/雲の日記/夢/蝶/酒/熊手と提灯/ラムプの影/明治三十三年十月十五日記事/死後/くだもの/煩悶/九月十四日の朝/松蘿玉液(抄)/墨汁一滴(抄)/病牀六尺(抄)/歌よみに与うる書/俳句問答/古池の句の弁/短歌/俳句 お薦め度:★★★☆☆ 【本書の感想】 <全体の感想> 『墨汁一滴』『病牀六尺』などの代表的な随筆、『歌よみに与うる書』などの詩歌論を収める。 総花的な編集だが、一度は正岡子規を読んでおきたい、という人にお薦め。 『坂の上の雲』で子規に興味を持った私にとって、本書は子規の人となりを知る上で格好のテキストであった。 <くだものづくし> 子規はくだものが好きであった。学生時代から余裕があればくだものを買い、旅に出ても酒に金を使うのではなくくだものばかり食べていたという。病気になってからは外に楽しみがなくなったので、毎日くだものを食べるようになった(「くだもの」104項以下)。 子規の日記を読んでも、毎日柿か梨をまるまる1個か2個むいて食べている。くだものの好みが自分と似ていて少し嬉しい。 くだものについて書いたエッセイも多い。一例を引くと、 枇杷はうまけれど種子大きく肉少なきこそ飽かぬ心地はすれ。桑の実はなべての人に知らねども菓物の中これを外にして甘き者は無し。……梨は涼しくいさぎよし。……桃は世にへつらわぬ処に一段高き処あり。……葡萄は甘からず渋からず人に媚びずさりとて世に負かず君子の風あり。(「松蘿玉液 抄」152―153項) <小味の国> 明治初期は、農産物の品種改良で生産性向上を目指す運動が盛んであった。 子規はその利点を意識しつつも、「大きいものは経済的であるが、小さい方がうまい」として、日本特有の美味は小さいものにあると述べる。 日本は島国だけに何もかも小さく出来て居る代りにいわゆる小味などいううまみがある。詩文でも小品短篇が発達して居て絵画でも疎画略筆が発達して居る。しかし今日のような世界一家という有様では不経済な事ばかりしていては生存競争で負けてしまうから牛でも馬でもいちごでも桜んぼでも何でもかでも輸入して来て、小い者を大きくし、不経済的な者を経済的にするのは大賛成であるが、それがために日本固有のうまみを全滅する事の無いようにしたいものだ。(「墨汁一滴 抄」210―211項) <おわりに> 何だか食べ物に関する文章ばかり引用してしまったが、最後にはっとさせられる一節を引いておく。 悶えるような病苦と何年も闘った子規だからこそ書ける、シンプルだが胸を打つ名文である。 余は今まで禅宗のいわゆる悟りということを誤解していた。悟りという事はいかなる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、悟りという事はいかなる場合にも平気で生きて居る事であった。(「病牀六尺 抄」238項)
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