読書のあしあと

訳あってしばらく閉店します。

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田原総一郎と竹中平蔵の対談に無料で参加できる、と聞いたので行ってきた。
http://www.gaitame.com/seminar/tokyo_130907/



アベノミクスについて
田原)方向性は概ね正しい、後は三本目の矢・成長戦略をいかに軌道に乗せるかである。
竹中)現政府内にも既得権を手放そうとしない抵抗勢力は多い。安倍首相の覚悟が問われるのはこれから。

消費税について
竹中)今の段階で上げると宣言するのは時期尚早。しかし国際公約もあることなので難しい。

TPPおよび農業について
田原)JAが支持する族議員がTPPに反対しているが、やる気があって頑張っている農家はむしろ賛成の声が多い。
竹中)日本農業は競争力がないと言うが、路地野菜の関税率は今でも3%で、競争力は十分ある。コメはないから大規模化するしかない。大規模化できない山間農地は社会政策としてやればいい。コマギレ農地はかつての地主−小作関係から解放する意味があったが、今はもうない。


経済全般に関しては予想通りの話だったが、農業について興味を惹かれた部分があった。

田原発言は書評267:『さよならニッポン農業』で述べた「やる気ない農家問題」に符合するもので、健全な農業の発展とTPPは基本的に矛盾しないということがわかる。
「弱者を切り捨てるのか!」とテレビで叫んでいるおっさんは弱者ではなく既得権の代弁者だということ。

ただし書評234:『北の無人駅から』その2で見たような地域的な問題、個別作物種ごとの問題は、TPPのような国際貿易・外交問題の文脈というより、竹中の言う通り社会政策として考えるべきだと思った。

その際の視点として個人的に考えているのは
 悗気茲覆薀縫奪櫂麈清函戮濃愿Δ気譴拭屬いに土地を活かすか」という“土地の視点”
経済性度外視で文化的観点から後世に残すべきか考える“文化の視点” (例:棚田)
やる気がないわけではなく従来農業にアイデンティティを持つ人々をいかに包摂するかという“人の視点”

△鉢がいわゆる社会政策であって、これが欠けてしまうとまさに「弱者切り捨て」と取られかねないが、私も妙案があるわけではなく、なかなか難しいとは思う。

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書評280 芥川龍之介

「藪の中」

『芥川龍之介全集4』(ちくま文庫、1987年)所収

以前読んだ阿刀田高の本で、芥川の最高傑作として推薦されていた作品。
今回はちくま文庫版全集の中から本作だけを取り上げる。


【著者紹介】
あくたがわ・りゅうのすけ (1892-1927) 作家。
東京の下町生まれ。幼いころより和漢の書に親しみ、怪異を好んだ。東大英文科在学中に書いた「鼻」が夏目漱石の激賞を受ける。しばらく教員生活をしたのちに創作に専念、第一創作集「羅生門」によって文壇の地位を確立。以後、王朝物、キリシタン物、開化物など、たえず新機軸につとめ、知的で清新な作風をつくりあげた。睡眠薬により自殺。


お薦め度:★★★☆☆

【本書の感想】
藪の中で起こった強盗強姦事件の経緯が、3人の当事者と4人の証言者のモノローグで構成される仕組みになっている。
しかし、それらは噛み合わない部分が多く、真相はついにわからない。
このモノローグの畳み掛けはスリリングであり、引き込まれる。

文学研究史上は、この事件の「真相」をめぐって相当の論争が交わされたそうだが、この作品を傑作と褒めた阿刀田高は、この作品の結論を詮索することに意味はなく、「結局見る人によって現実は違うのであり、全ては藪の中」だというのがこの作品のメッセージだとしている(書評108:『小説家の休日』参照)。


小川洋子は芥川の文章について、「文章はキラキラと装飾されているから美しいのでなく、むしろ飾りがないから、美しい」と評している(書評275:『心と響き合う読書案内』)。
また、前記の阿刀田は芥川が創作に苦しんだ理由として、若くして文壇の寵児となったためサラリーマン生活の経験がないことを挙げている。

芥川の文章をきちんとまとめて読んだのはこれがはじめてだが、確かに、文章の切れ味、言葉の選択には唸らされるし、本作品のようにモノローグを重ねて「藪の中」を表現するというアイディア、技法は素晴らしい。
ただ読み方によっては、技巧にはしりすぎて厚みがない、という見方もできる。

比較して言うなら、同じく近代日本文学のストーリーテラーである太宰治が、その作品に人間性が濃厚に滲んでいるのに対し、芥川はそれが見えにくい。人間臭さをあまり感じないのである。
これが阿刀田の言うところの「経験」に由来するものなのか、今後芥川作品を読み続けていきたい。


なお、有名な黒澤明監督の『羅生門』の原作は「羅生門」ではなくこの「藪の中」だそうである。
こちらも機会があれば観てみたい。

初体験・岩盤浴

最近健康に関する話題をブログで書くようになって、オヤジ化したような気がして複雑な気分なのです。
一応まだ20代なのに!

で、最近サウナの気持ちよさに気づきました。
昔はただ暑いとこに座ってて何が面白いの?と思ってたのですが、先月とある温泉に行ったときに
サウナ⇒水風呂を3回ほど繰り返したら、身体の水分が循環してる感覚があって気持ちよかったんですね。


そこで先週末、岩盤浴に挑戦してきました。
岩盤浴もはじめてです。

宮前平温泉 湯けむりの庄
http://yukemurinosato.com/miyamaedaira/ganbanyoku


ここは温泉も面白くて、茶褐色のとろっとしたお湯なんですが、数百年前?数千年前?の植物が溶け出してるらしい。
それって石油じゃん! というツッコミを誰かがすでにしているはず。


お目当ての岩盤浴は、ミスト版や岩塩版など数種類の部屋があります。
やってみた感想は、室温の低いサウナかなと。
サウナだと暑すぎて抵抗がある、という人は向いてると思います。


風呂上りには館内着のまま入れる居酒屋で夕食。
満腹食べて、温泉・岩盤浴コミコミで一人5,000円也。


手軽に小旅行を満喫した気分になれるので、たまに体内の水を入れ替えるのに行ってもいいかもしれません。

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書評279 司馬遼太郎

『坂の上の雲』その2

全8冊(文春文庫、1978年)

前回書評278:その1は秋山兄弟と正岡子規の生い立ち〜青春時代までをレビューした。
今回は、日露戦争までの日本陸海軍というものの成立を中心にまとめる。


【著者紹介】
しば・りょうたろう (1923─1996年) 作家。
大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960年『梟の城』で直木賞を受賞し、以後歴史小説を一新する話題作を続々と発表。『国盗り物語』『竜馬がゆく』で菊池寛賞など受賞多数。
本ブログで取り上げた作品に『燃えよ剣』、『竜馬がゆく』、『翔ぶが如く』、『草原の記』、「故郷忘じがたく候」、「街道をゆく」シリーズの『19 中国・江南のみち』、『40 台湾紀行』、『26 嵯峨散歩、仙台・石巻』がある。(記事一覧はこちら


【本書の内容】
日清戦争から十年―じりじりと南下する巨大な軍事国家ロシアの脅威に、日本は恐れおののいた。「戦争はありえない。なぜならば私が欲しないから」とロシア皇帝ニコライ二世はいった。しかし、両国の激突はもはや避けえない。病の床で数々の偉業をなしとげた正岡子規は戦争の足音を聞きつつ燃えつきるようにして、逝った。 (文庫版第三巻裏表紙より)


お薦め度:★★★★★

【本書の感想】

<大山と東郷>
まずは海軍の成立から見ていきたい。

司馬は、日清戦争から日露戦争にかけて日本が達成した建艦計画を「想像を絶する奇蹟」としている。
日清戦争の段階での日本海軍は、ぼろ汽船に大砲を積んだだけ、戦艦はゼロ、巡洋艦もゼロという状況だった。
それを、国家予算の半分以上をかけ続けて当時最新鋭の軍艦を死にもの狂いでつくった。

日本人は、大げさにいえば飲まず食わずで作った。(第三巻、43項)

国民生活からいえば、ほとんど飢餓予算といってよかったが、この時期の日本の奇妙さは、これについての不満がどういうかたちでもほとんど出なかったことである、と司馬は不思議がる。(第三巻、42項)

その近代日本の海軍にとって、いわばオーナーのような立場が大山巌であり、監督が山本権兵衛であり、キャプテンが東郷平八郎、キャッチャーが秋山真之であった。

山本権兵衛。
この無口な男は、ほとんど無にちかいところから近代海軍を設計し、建設し、日清・日露戦争をし遂げた。戦艦の仕様から戦法、大砲の購入から人事まで、彼は大佐の身分でありながら「海軍を魔王のようにきりまわしていた」(第三巻、57項)。

山本のような立場の者がそんな活躍ができたのも、薩摩的将帥の典型たる海軍大臣大山巌の後ろ盾があったからであった。
薩摩的将帥とはなにか。

まず、自分の実務のいっさいをまかせるすぐれた実務家をさがす。それについては、できるだけ自分の感情と利害をおさえて選択する。あとはその実務家のやりいいようにひろい場をつくってやり、なにもかもまかせきってしまう。ただ場をつくる政略だけを担当し、もし実務家が失敗すればさっさと腹を切るという覚悟をきめこむ。(第三巻、48項)

このような大山に見込まれたのが山本だったのである。
オーナーたる元老・大山巌が全責任を負う下で、山本が海軍の全てを建設した。


<東郷と真之>
その山本は、日露戦争にあたる現場の総責任者=軍司令官に東郷平八郎を、その片腕となる参謀に秋山真之を任じた。
東郷は現場を預かってリーダーシップを発揮する主将で、真之は現場における戦術操縦者、いわばキャッチャーのような立場と見ることができると思う。

東郷と真之の初対面で、真之はいずれ上司となる(とはまだ知らない)東郷に強い印象を受けた。
真之が会議室に入っていくと、

「このたびのこと、あなたの力にまつこと大である」といっただけで、だまってしまった。だまりながら、薩摩人が客に対して見せる特有の表情で真之を見ていた。唇を閉じ、両はしにわずかに微笑を溜めている。この東郷という人はおそろしく無口な人物であることを、真之はきいていた。
対面は、それだけでおわった。あとで人事局の千秋恭二郎が感想をきくと、真之はしばらく考えてから、
「あれは大将になるためにうまれてきたような人だ。……あの人の下なら、よほど大きな絵を書けそうだ」と、いった。(第三巻、142―143項)

そして真之は、日露戦争の海戦の設計者となるのである。

真之は、その頃までに稀有な経験を積んでいた。
書評278:その1で見たように、「生まれたからには日本一に」という志を海軍で立てようとした真之は、若くしてアメリカに留学している。
この経験が、後の真之の仕事に多いに役立った。

まず真之は、アメリカで近代海軍の租と言われるアルフレッド・マハン大佐に面会している。
マハンの既刊論文や新刊書まで読破しているこの極東の若者に感心したマハンは、海軍戦略の何たるかを滔々と語ったという(第二巻、225項以下)。

さらに、留学中に勃発した米西戦争の観戦武官たる機会を得た。このときの海上封鎖戦が、のち真之が日露戦争で指揮することになる対旅順艦隊戦のヒナ型を提供してくれたことは、天の恵みのようだと司馬は書いている。


<陸軍の作戦癖>
ここで陸軍の方を見てみたい。

まず、日本陸軍の戦術観について。
織田信長やナポレオンがそうであるように、敵に倍する兵力と火力を予定戦場に集めて敵を圧倒するということが戦術の大原則であるが、日本人は古来、小部隊をもって奇策縦横、大軍を翻弄する戦法を好んできた。楠正成や源義経が人気があるのはそういう事情による。
昭和期の指導者までもがこの素人的好みに憑かれ、ついに対米戦に至ったが、司馬によれば日露戦争の頃は違ったという。

日露戦争のころの軍事思想はその後のそれとは全くちがっている。戦いの期間を通じてつねに兵力不足と砲弾不足になやみ悪戦苦闘をかさねたが、それでも概念としては敵と同数もしくはそれ以上であろうとした。(第三巻、270項)

このあたり、太平洋戦争への憎悪が滲み出ているようでもある。


また、真之の兄である秋山好古が一からつくりあげた日本騎兵の戦い方も面白い。
日本の騎兵は、戦闘開始とともにいっせいに馬から降りて騎兵でなくなる。歩兵となり、防御射撃主義をとった(第四巻、282項)。
これは、当時世界最強の騎兵であったコサック騎兵に対し、正攻法である乗馬突撃では勝てないことを知っていた好古が、貧弱な日本騎兵のために考案した戦術であった。ロシア騎兵は、これに驚きつつもてこずった。


一方で、兵站戦略については陸軍は一貫してお粗末であったと司馬は指摘している。
そもそも弾薬の絶対数が足りなかった上に、食糧の補給さえもままならなかった。それを海軍は比較的手ぬかりなくやったが、陸軍はお粗末この上なかった(第四巻、105項)。それを正当化する大本営の「補給の欠乏は、戦闘の勇敢さをもってカバーせよ」という発想は太平洋戦争を思わせるが、これは海軍よりも陸軍に濃厚らしい。


このあたり、伝統的な海軍善玉/陸軍悪玉論になってしまいそうだが、司馬は具体的にその例外も挙げており、読者は他の本も読みながら歴史観のバランスを取る必要があるだろうと思う。

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映画『わたしを離さないで』

台風連休から映画三昧。

あのカズオ・イシグロの名著書評153:『わたしを離さないで』の映画化ということで、公開当時から観たかったものの、おっかなびっくり。今回やっとDVDで鑑賞です。


監督:マーク・ロマネク
出演:キャリー・マリガン (キャシー) 、アンドリュー・ガーフィールド (トミー)、 キーラ・ナイトレイ (ルース)、 シャーロット・ランプリング (エミリ先生) 、サリー・ホーキンス (ルーシー先生)

《ストーリー》
緑豊かな自然に囲まれた寄宿学校“ヘールシャム”。そこは、牧歌的な田園地帯にありながら外界からは完全に隔絶され、徹底した管理が行われている謎めいた施設だった。そんな静かで整然とした環境の中で、幼い頃からずっと一緒に育ってきたキャシー、ルース、トミーの仲良し3人組。やがて18歳となった3人はヘールシャムを卒業して、農場のコテージで共同生活を送ることに。初めて接する外の世界に不安や喜びを感じていく3人。そして、いつしかルースとトミーが恋人になったことで3人の関係も終わりを迎えようとしていたが…。(allcinemaより)

うーん。重い。。。
映画としての完成度は高いし、心にずしりとくるものはあるけれど、これじゃあ救いようがない。
というのが、原作の大ファンの感想です。

!! ※ここからは完全にネタバレです !!


いや、原作も十分重いです。
この映画が原作と決定的に違っているのは、ヘールシャム時代のポジティブな思い出が全くないこと。そのことで、映画全体が救いようのないものになってしまっている。

原作では、はじめ彼女らの将来に何が待っているのか、はっきり明かされません。普通の学校とは違う、ちょっと特殊な施設で育つ子どもたち。でも、彼女らは普通にサッカーをし、叱られ、友情を育み、恋をした。読者はこの子たちも同じ人間なんだと感情移入できるからこそ、その後の悲劇にも共に共感し、でもあんな楽しい思い出もあった、と共に回想できる。
このことは、以前の書評で強調した通り、この作品を単なる悲しい物語で終わらせない、悲しさの中に共感とカタルシスを感じさせる核があると思っています(書評153:『わたしを離さないで』参照)。

しかし映画版では、このポジティブな思い出がバッサリ切られているために、悲劇から悲劇へ転がり落ちるだけのストーリーになっている。“終了”を迎えるときの、あの胸に迫る「悲喜こもごも」が、「悲」だけになってしまっている。
そのため、原作にもあった「重さ」は十分過ぎるほど伝わるのですが、原作から受ける感動はそれほどではない、というか質が全然違う。

原作を読んだ人の中にも、悲しいだけで感動はない、という感想をちらほら見ましたが、この監督は原作をそのように読んだのかもしれません。


とはいえ、演出は素晴らしいです。イギリス文学の映画化はやはり完成度が高いですね。

主演のキャリー・マリガンは素晴らしい。映画『華麗なるギャツビー』を先に観ていたのですが、デイジーとは全く違う、運命に翻弄されるヒロイン・キャシーを演じきっています。個人的な好みだっていうのを差し引いても、この雰囲気、かわいらしさはキャシーにぴったりではないかと。
キーラ・ナイトレイは映画『プライドと偏見』でエリザベスを見事に演じていましたが、ここでは汚れ役のルース。しかしルースの最期もショッキングだった。。


と、原作を2009年のマイ・ベスト・ノベルに推しただけに、違和感を全面に出したレビューになってしまいましたが、決して駄作ではないと思います。
悲しくて重いですけど、ね。

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