読書のあしあと

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書評9 加藤陽子

『戦争の論理──日露戦争から太平洋戦争まで』

(勁草書房、2005年)


若手の日本政治史家の新刊ということで読んでみた。


【目次】
第1章 軍の論理を考える
第2章 政友会における「変化の制度化」
第3章 日露戦争開戦と門戸開放論
第4章 中国とアメリカを同時に捉える視角
第5章 ロンドン海軍軍縮問題の論理
第6章 統帥権再考
第7章 反戦思想と徴兵忌避思想の系譜
第8章 徴兵制と大学
第9章 敗者の帰還
第10章 政治史を多角的に見る


【本書の内容】
副題の通り、日露戦争から太平洋戦争までの政治史のトピックを扱った論文を編んだ論文集。


お薦め度:★★★☆☆

【本書の感想】

<全体の感想>
著者は伊藤隆門下で若手の日本政治史研究者。処女作『模索する1930年代』(山川出版社、1993年)とほぼ同じような感想を持った。つまり、研究手法自体はしっかりしていると思うし、視点もある程度新鮮なんだけれど、いまいち文章が深みに欠ける気がしてならないのである。ただこれは表現しにくいし、一朝一夕でできるものではない(著者はまだ若手である)とも思うし、何より自分が他人の事を言えた立場ではないので厳しすぎる評価かもしれない。
ただし、その「深み」を滲ませた著作を私はいくらか知っていることを記しておく(例えば、この時代に限っただけでも入江昭・北岡伸一・麻田貞雄・五百旗頭真・戸部良一・三谷太一郎らの研究がある)。
以下では、全10章あるうち気になった章を取り上げて考えたことを述べて行く。


<第1章 軍の論理を考える>
本章のテーマは旧日本軍の政治力の源泉である。加藤は従来の研究においては軍の政治力の源泉は統帥権独立や軍部大臣現役武官制などに求められていたとして、それ以外からのアプローチを提唱する。具体的には国内における徴兵制度、あるいは国外に駐屯する軍隊の存在である。ただし、本章はそれらの具体的な考察には至らず、徴兵制は別著『徴兵制と近代日本』、国外の軍隊は三谷太一郎『近代日本の戦争と政治』に議論を譲っており、本章は軍部大臣武官制・統帥権独立がそれぞれ軍の政治力の決定的源泉にはなりえなかった点を検討している。
軍部大臣現役武官制については加藤はこう述べる。

気に入らない首相候補者を拒絶するための伝家の宝刀は、何度も連続して使い得たであろうか。大命降下した首相に陸相候補者を拒否し続けることは、統帥権干犯との批判を招くおそれはなかったのだろうか。(7項)

これ自体は正しい指摘であって、陸軍といえども軍部大臣現役武官制を盾に何度も陸相推薦をボイコットし続けることは無理であったろう。
しかしながら、一度であっても軍が陸相推薦を拒んだのは歴史的事実であったし、「伝家の宝刀」というものは、それを使わなくても政治的アクターがその使用を恐れて行動してしまう点に真の怖さがあると私は思う。結果的に「伝家の宝刀」は一回しか使われなかったし、それ以上使うことは批判を浴びたかもしれないが、制度的に可能であるということがキャビネット・メーカーや政党にどれだけプレッシャーになったかを考えると、やはり軍部大臣現役武官制の意義は小さいとは思えない。

統帥権独立に関しては、満州事変をケース・スタディとして取り上げ、こう述べている。

独断専行が問題化すれば、朝鮮軍司令官や参謀総長の進退問題が問題とならざるをえなかった。そのような場合、軍が救われる道は、以上述べてきたようなプロセス、すなわち、閣議決定によって、朝鮮軍の増派を決定する形式を整えるしか方法はなかったのである。帷幄上奏は宮中側近によって阻止されていた。よって、内閣がこの時点で断固、増派を認めなかったとすれば、現地軍の独断専行もこの時点で挫折した可能性がある。(15項)

つまり満州事変が拡大していく過程には「現地軍の暴走」だけではなく、それを阻止しようとしなかった政治にも責任があるという論理である。これには全く同感で、満州事変だけではなく日中戦争に至るまでの「現地軍の暴走」に同じような構図が見られる。


<第5章 ロンドン海軍軍縮問題の論理>
1930年に米英日仏伊の間に調印をみたロンドン海軍軍縮問題に関しては、私はこれまで麻田貞雄『両大戦間の日米関係──海軍と政策決定過程』(東京大学出版会、1993年)が最も信頼できる研究だと考えてきた。麻田はワシントン体制が成熟から崩壊に至る約20年間(1920─1940年)の転換点としてこの問題を位置づけ、ワシントン体制下で鬱積した海軍<艦隊派>の起爆剤と解釈した。

それに対して本論文は少し違う観点からこの問題に切り込む。
即ち“補助艦の対米7割を主張した海軍軍令部”vs.“7割未満で妥結しようとした内閣・宮中”という図式の対立軸を、「補助艦の割合」ではなく「兵力量の定義」の相違からくるものだと主張する。海軍軍令部は「帝国国防方針」の必要兵力に依拠すれば対米7割が必要だとし、内閣は憲法12条の「常備兵額」に依拠して議論していた。このように兵力を解釈する際の引証が違えば結論も違うのが当然だというのである。

これはなるほどと思った。軍令部がかくも強硬に反対した背景にこういったすれ違いがあったことを想像するのは難しくない。しかしながら、内閣と軍令部で兵力量の議論が仮に噛み合っていたと仮定しても、加藤寛治はじめ軍令部の考え方からすればやはり対米7割は主張していたのではないかと思う(加藤寛治ら軍令部に関しては麻田・前掲書を参照)。


<おわりに>
今回は二つの章を取り上げたが、他の章も同じような問題関心から書かれている。著者の言葉を引けば「人々の戦争に対する考え方はいかに変わっていったのか」である。このテーマは非常に興味深いし、学問的にも意義深いものであると思う。著者も認めるように、本書でこのテーマの氷山の一角が扱われたに過ぎない気がするし、今後の研究に期待したい。

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