読書のあしあと

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書評47 小川洋子

『余白の愛』

(中公文庫、2004年)


小川洋子作品第三弾。月一冊ペースになっているが、意図的ではありません(笑)。
以前取り上げた二冊は比較的最近のものだが、この作品は単行本が1991年に出ており、初期のものに属する。


【著者紹介】
おがわ・ようこ (1962年─) 小説家。
早稲田大学第一文学部文芸科卒業。兵庫県芦屋市在住。2006年、本屋大賞を受賞した『博士の愛した数式』が映画化され話題を呼ぶ。『薬指の標本』がフランスで映画化されるなど海外での評価も高い。
1988年「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞、1991年「妊娠カレンダー」で芥川賞、2004年『博士の愛した数式』で読売文学賞・本屋大賞、同年「ブラフマンの埋葬」で泉鏡花文学賞、2006年『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞をそれぞれ受賞。他の著書に『密やかな結晶』(講談社文庫)、『薬指の標本』(新潮文庫)、『貴婦人Aの蘇生』(朝日新聞社)など多数。
本ブログで取り上げた著書に書評35・『博士の愛した数式』書評40・『偶然の祝福』がある。


【本書のあらすじ】
耳を病んだわたしの前にある日現れた速記者Y。その特別な指に惹かれたわたしが彼に求めたものは…。記憶の世界と現実の危ういはざまを行き来する。幻想的でロマンティックな長篇。瑞々しさと完成された美をあわせ持つ初期の傑作。(中公文庫紹介より)


お薦め度:★★★☆☆

【本書の感想】

<全体の感想>
小川洋子ワールド全開である。
淡々と静かに進むストーリー、その中で起きる幻想的な出来事、それにもかかわらず読者に残る確かなリアリティ。これらによって構成される「小川洋子的世界」は、どの作品でも変わらずそこにある。それほど強いメッセージ性はないが、多くの読者を虜にする世界が存在する。

何冊か小川洋子を読んできて、結局小川作品を評価するには、作品に「こういう意義がある」とか「素晴らしいメッセージが込められている」という点ではなく、この世界が「気に入るか、気に入らないか」が決定的に重要であるような気がしてきた。
無論、私は前者である。


上に述べたような特徴は、本作品にもしっかりとうかがえる。これは比較的初期の作品だが、「小川洋子的世界」は作家人生の早い時期から完成されていたのだと思わされる。

その一因は、いずれの作品にも細かい点ながら物語を安定させる要素が散りばめられていることだろう。例えば、本作品の甥っ子である少年ヒロの存在。彼は主人公の「わたし」に静かに寄り添い、速記者Yとの関係や耳の病という作品の「物語」を、一緒に歩んでくれる同伴者である。これは『偶然の祝福』 の愛犬アポロ、『博士の愛した数式』の息子ルートに対応する。特にヒロとルートは年甲斐にもなくしっかりしている少年という点で酷似している。

さらに小川洋子の、リアリティを喚起する文章が物語に安定感を与えている。これは『博士』の書評でも述べたことだが、物語自体が幻想的(空想的)なのに現実離れしていないのは、細部まで推敲された繊細な文章の力による。指や料理や耳や補聴器が、リアルに映像として立ち上がるのだ。


<指と耳のフェティシズム>
小川洋子作品のもう一つの特徴として、身体の一部への執拗なまでのフェティシズムが挙げられよう。しかもその部位は何らかの意味で病んでいることが多い。この作品では耳と指、『偶然の祝福』では唇や足、『薬指の標本』では再び指だった。

よく女性は男性の指に惹かれると言う。初対面の男のどこを見るかと問われて、「指」と答える女性も少なくないそうである(知人談)。事実私もたまに「指がきれい」などと言われたりするが、女性はそういうところに着目するものなのかなぁ、と思っていたところへこの小説。「女性から見た指の魅力」が存分に描かれていて、勉強になった。
例えば、速記者「Y」がワインを開けるときの記述はこうだ。

ワインの栓はYが開けてくれた。人間がほとんどの仕草を指でやってしまうことに、わたしは感謝した。人間がワインを鼻で開けるのでなくてよかった、と思った。おかげで、いろいろな仕事をする彼の指に出会うことができるのだった。らせん状になった栓抜きの先やコルクや瓶の口が、彼の指とどんな様子で調和しているか、わたしはしばらく見つめていた。(130項)

女性が男性の指をどう見ているか、その一例である。なるほど、と思わされる。
「わたし」はYに出会った時からその指に惹かれている。速記者という特殊な職業にあるYの指は、「わたし」にとって特別な意味を持つようになる。


<変わらぬ世界と“記憶オチ”>
『偶然の祝福』の書評もそうだったが、このままでは書評ではなく「小川洋子論」になってしまいそうなので、作品の内容にも触れておきたい。

本書は耳を病んだ「わたし」と速記者であるYとの関係が物語の中心である。Yと出会った時から彼の指に惹かれていた「わたし」は、自らの記憶をYに速記してもらうようになる。彼の指から生まれる文字は、「わたし」の記憶を静かに受け止め、紙の上に保存していく。途中「わたし」の回想の場面が挿入されたりして、小川洋子特有の現実と幻想を往復するような場面も見られる。

この作品の、他の作品との相違を敢えて挙げれば、ストーリーのミステリアス性という点だろうか。Yはどういう人間なのか、突然訪れた耳鳴りの原因は何なのか、消えた博物館はどこへ行ったのか……といった謎が作品の最後まで謎のまま隠される。そこまでは他の作品にも見られる部分だが、この作品ではクライマックスに近づくに連れてスピード感が出てくる。他の作品ではそんなにスピード感はなく、終わり方も静かだった。
それに比べてこの作品の後半、まるで推理小説のように「読ませる」展開の最後は、“夢オチ”ならぬ“記憶オチ”である(!)。これをどう評価するかは人それぞれだろうが、私はいい意味で意表を突かれた感じがした。「そうきたか!」と。

いつもと変わらない世界観だけでなく、個々の作品の独自性がちゃんとあるのが小川作品の魅力でもある。


<犬を愛すること>
少し本筋からはずれるが、小川洋子作品には犬もよく登場する。この作品でもYが昔飼っていた犬の話をする。

「犬を愛することは、とてもたやすいことです。人間を愛するよりはずっと原始的で純粋だと思う。……教えたことが全部報われるんだ。僕が押し付けたことをちゃんと守ろうとしている。そのけなげな目が僕の宝物だった。けなげであることのいとおしさを、仔犬から学んだんです。」(115項)

ここの箇所は全くその通りだなぁと思った。犬は、人間のように裏切らないし、疑わないし、存在だけで愛らしい。犬の飼い主の一人として、強く共感した。


<おわりに>
余談だが、本書の世界観は文庫版の表紙がよく表せていると思う。全体として淡い色使いと、日差しを柔らかく包むような雨雲。雨があがった後の、水滴をつけた窓から見える静かな景色。
装丁の考案者はよくわかっている。

小川洋子の作品は、どれも今まで述べてきたような特徴を備えている。代わり映えしないと言われるかもしれないが、逆にそれだけ世界観にブレがなく、安定感があると言えよう。つまり小川洋子ファンにとってはハズレがないのである。
「洋子ファンクラブ」会員の一人として、これからもこのブログで彼女の作品を取り上げていくことになりそうだ。

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