書評226 司馬遼太郎『街道をゆく40 台湾紀行』(朝日文庫[新装版]、2009年)先日仕事で台湾出張があったので、この機会にと思って手に取った。司馬の「街道を行く」シリーズを取り上げるのはこれで2冊目になる。 【著者紹介】 しば・りょうたろう (1923─1996年) 作家。 大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960年『梟の城』で直木賞を受賞し、以後歴史小説を一新する話題作を続々と発表。『国盗り物語』『竜馬がゆく』で菊池寛賞など受賞多数。 本ブログで取り上げた作品に『燃えよ剣』、『竜馬がゆく』(その1/その2/その3/その4/その5)、『翔ぶが如く』(その1/その2/その3)、『草原の記』、『街道をゆく19 中国・江南のみち』、「故郷忘じがたく候」がある。 【本書の内容】 一個の人間の痛覚として、私は台湾の未来が気がかりなのである…。台湾人自身による国づくりをはじめた、この島を歩きながら考えた、華麗島(フォルモサ)の苦難と栄光の歴史。特別対談―李登輝総統・司馬遼太郎「場所の悲哀」。 お薦め度:★★★★☆ 【本書の感想】 <全体の感想> 「国家とはなにか。」という一文でこの紀行は始まる。 国家というものを考える上で台湾という土地は恰好の題材である。この島は、オランダをはじめ、鄭成功(明の残党)、清朝、帝国日本、蒋介石(国民党)というように、次々と替わる占領国家の支配下に置かれてきた。紆余曲折を経て今なお、国家と名乗っていい程の内実を備えつつ、名乗ることができない微妙な境遇に置かれている。 この不思議な土地に生きる人々を描く時、司馬の筆はいっそうの輝きを放つ。 書評177:『草原の記』にせよ書評215:「故郷忘じがたく候」にせよ、複雑な歴史を背負う人々の微妙な感情をすくい取り、醒めた目と深い共感を込めて描く文章は、司馬文学の真骨頂と言ってよい。 <本省人の「恩」> 土着の台湾人は自らを“本省人”と呼び、戦後移入してきた中国人を“外省人”と呼ぶ。 興味深いことに、本省人の外省人に対する印象は、日本人の大陸中国人に対するそれと酷似している。 「蒋介石がきてから大陸の万人身勝手という風を持ち込んだんです」(42項) これはある老台北の言である。 本省人は、漢民族本来の「恩を知るという、この民族が何よりも大切にしている倫理」を大切にするという。 いまでは大陸ではほろびつつあると言われる漢民族独特の倫理感情が、台湾では豊富に残っている。(268項) 実際、本省人に話を聞いてみると、外省人を悪く言わない人はいない。 私が出張中に聞いた挿話にこういうものがある。1999年に台湾を襲った大地震の際、北京政府は台湾に対し莫大な資金援助を発表した。ところが10年以上経った今でも、入金される気配はない。事ほど左様に外省人は信用ならんのだ、と。 翻って、日本はその時多額の資金援助を実施していた。その恩返しとして、今般の大震災に際しても台湾はいち早く日本への支援を表明した。 恩を知るということ。 その倫理は大陸に発祥し、今はその周辺の台湾や日本で生き永らえている。 <台湾人と日本人> 台湾人は親日的だと言われる。その最大の理由は、日本統治時代の「善政」にある。 善政と言うと語弊があるが、戦後の国民党支配に比べるとそう見えたのであり、植民地支配は悪であることを前提にした上でも、台湾人の感情として日本人贔屓になるのは当然のことだった。 敗戦日本の後にやってきた蒋介石の国民党は、宝の山に入り込んだ盗賊のように略奪に奔走し、汚職のかぎりを尽くした。 「犬(日本人)が去って豚がやってきた。犬は小うるさいが、家の番はできる。豚はただ食って寝るだけだ」という悪口が流行した。犬も豚も、外からやってきた“国家”である。(71項) 日本は侵略者だったが、土木・灌漑・衛生や法律・教育・治安に至るまで、有形無形の社会インフラを台湾に建設した。それが大陸中国(及び外省人)と現在の台湾(及び本省人)の倫理観の違いの一因になっていると、司馬は見ている。 また司馬は、台湾の山地に住む原住民の中に日本人と相通ずる性質を発見した。 “高砂族”と日本時代によばれてきた台湾山地人の美質は、黒潮が洗っている鹿児島県(薩摩藩)や高知県(土佐藩)の明治までの美質に似ているのではないか。この黒潮の気質というべきものは、男は男らしく、戦いに臨んでは剽悍で、生死に淡白である、ということである。(301項) この「黒潮の気質」というのは、西南戦争の主唱者であった薩摩藩士・桐野利秋を思い浮かべればよい。(書評179:『翔ぶが如く』その3参照)。 司馬によれば、山地人の方でも同じようなことを感じているらしい。 そのことの傍証に、80年代、司馬の知り合いの日本人が滞台中に出会った山地人の老人の話が面白い。 この老人は、戦後に日本人と会うのが初めてだったらしく、「日本人は、その後しっかりやっているか」と問いかけ、別れ際には「日本人の魂を忘れるな」と言ったという。 読者に不思議な親近感を持たせるこのエピソードを、司馬は「民話のようだ」と表現している。 <おわりに――「街道をゆく」の魅力> 本書には、台湾と日本をめぐって、様々な時代を生きた人々が登場する。 司馬の文章はいつも通り、その人生を描くと同時に、背後にある時代/土地/文化を炙り出している。 戦前を日本人として生き、戦後は大陸から来た外省人に無実の罪で殺された多くの台湾人の一人、葉盛吉氏。 ぶっきらぼうな言い方で少年のような恥じらいを隠す、作家の陳舜臣。 若い研究者が初々しい目で実験装置を前にするように、権力に相対した李登輝総統。 日本統治時代、台湾を善く治めた児玉源太郎と後藤新平。 台湾のインフラ整備に生涯をかけた明治の土木技術者・八田輿一。 自分の名前を書いて自己紹介する時、「瑩」の字の横に「ほたるではないよ」と添え書きして司馬を吹き出させた茶目っ気たっぷりの陳瑩さん。 司馬の文章に連れられて、年月と地域を飛び回る内、読者は台湾のことが好きになっている。
こんな文章を書けるのは古今東西司馬遼太郎だけではないか。 もしかすると、「街道をゆく」こそ司馬文学の金字塔なのかもしれない、と思い始めた。 |
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2011年05月11日
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