書評283 正岡子規『ちくま日本文学040 正岡子規』(ちくま文庫、2009年)司馬遼太郎『坂の上の雲』の中で、正岡子規が非常に魅力的に描かれていて(書評その1参照)、子規の文章も読んでみたくなった。ちくま日本文学シリーズは書評134:『ちくま日本文学006 寺山修司』以来である。 【著者紹介】 まさおか・しき (1867―1902年) 俳人、歌人。名は常規(つねのり)、幼名は升(のぼる)。 1867年松山生まれ。子規(俳句)、獺祭書屋主人(評論)、竹の里人(短歌・新体詩)等の雅号をもつ。新聞『日本』を拠点に俳句短歌革新運動を展開。カリエスを病みつつ数々の名作を残し、近代短詩型文学の祖としての偉業を成した。 【目次】 病/夏の夜の音/飯待つ間/小園の記/車上所見/雲の日記/夢/蝶/酒/熊手と提灯/ラムプの影/明治三十三年十月十五日記事/死後/くだもの/煩悶/九月十四日の朝/松蘿玉液(抄)/墨汁一滴(抄)/病牀六尺(抄)/歌よみに与うる書/俳句問答/古池の句の弁/短歌/俳句 お薦め度:★★★☆☆ 【本書の感想】 <全体の感想> 『墨汁一滴』『病牀六尺』などの代表的な随筆、『歌よみに与うる書』などの詩歌論を収める。 総花的な編集だが、一度は正岡子規を読んでおきたい、という人にお薦め。 『坂の上の雲』で子規に興味を持った私にとって、本書は子規の人となりを知る上で格好のテキストであった。 <くだものづくし> 子規はくだものが好きであった。学生時代から余裕があればくだものを買い、旅に出ても酒に金を使うのではなくくだものばかり食べていたという。病気になってからは外に楽しみがなくなったので、毎日くだものを食べるようになった(「くだもの」104項以下)。 子規の日記を読んでも、毎日柿か梨をまるまる1個か2個むいて食べている。くだものの好みが自分と似ていて少し嬉しい。 くだものについて書いたエッセイも多い。一例を引くと、 枇杷はうまけれど種子大きく肉少なきこそ飽かぬ心地はすれ。桑の実はなべての人に知らねども菓物の中これを外にして甘き者は無し。……梨は涼しくいさぎよし。……桃は世にへつらわぬ処に一段高き処あり。……葡萄は甘からず渋からず人に媚びずさりとて世に負かず君子の風あり。(「松蘿玉液 抄」152―153項) <小味の国> 明治初期は、農産物の品種改良で生産性向上を目指す運動が盛んであった。 子規はその利点を意識しつつも、「大きいものは経済的であるが、小さい方がうまい」として、日本特有の美味は小さいものにあると述べる。 日本は島国だけに何もかも小さく出来て居る代りにいわゆる小味などいううまみがある。詩文でも小品短篇が発達して居て絵画でも疎画略筆が発達して居る。しかし今日のような世界一家という有様では不経済な事ばかりしていては生存競争で負けてしまうから牛でも馬でもいちごでも桜んぼでも何でもかでも輸入して来て、小い者を大きくし、不経済的な者を経済的にするのは大賛成であるが、それがために日本固有のうまみを全滅する事の無いようにしたいものだ。(「墨汁一滴 抄」210―211項) <おわりに> 何だか食べ物に関する文章ばかり引用してしまったが、最後にはっとさせられる一節を引いておく。 悶えるような病苦と何年も闘った子規だからこそ書ける、シンプルだが胸を打つ名文である。 余は今まで禅宗のいわゆる悟りということを誤解していた。悟りという事はいかなる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、悟りという事はいかなる場合にも平気で生きて居る事であった。(「病牀六尺 抄」238項)
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2013年11月28日
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