書評284 司馬遼太郎『坂の上の雲』その4全8冊(文春文庫、1978年)来年のW杯グループリーグの組合せが発表されました。わりと恵まれた組合せとはいえ、日本より格上ばかりなのを忘れてはいけません。 実力的にはまだ挑戦者の立場です。 さて司馬の長篇も最後の書評です。足掛け4ヶ月、長かった…。 【著者紹介】 しば・りょうたろう (1923─1996年) 作家。 大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960年『梟の城』で直木賞を受賞し、以後歴史小説を一新する話題作を続々と発表。『国盗り物語』『竜馬がゆく』で菊池寛賞など受賞多数。 本ブログで取り上げた作品に『燃えよ剣』、『竜馬がゆく』、『翔ぶが如く』、『草原の記』、「故郷忘じがたく候」、「街道をゆく」シリーズの『19 中国・江南のみち』、『40 台湾紀行』、『26 嵯峨散歩、仙台・石巻』がある。(記事一覧はこちら) 【本書の内容】 本日天気晴朗ナレドモ浪高シ―明治三十八年五月二十七日早朝、日本海の濛気の中にロシア帝国の威信をかけたバルチック大艦隊がついにその姿を現わした。国家の命運を背負って戦艦三笠を先頭に迎撃に向かう連合艦隊。大海戦の火蓋が今切られようとしている。感動の完結篇。巻末に「あとがき集」他を収む。(文庫版第八巻裏表紙より) お薦め度:★★★★★ 【本書の感想】 <戦勝が狂気を生むという歴史> 日露戦争最後の陸戦、奉天会戦は日本軍有利のままロシア軍の戦略的撤退で幕を閉じた。戦略的撤退というのはクロパトキン司令官にとってであったが、国際世論はそうとは見なさず、日本の勝利として大々的に報じた。 このあたりを「キリだ」と見た児玉源太郎は、大本営へ和平工作の推進を促すが、東京が一向に動かないことにいらいらしていた。 児玉が閉口しきっていることは、新聞が連戦連勝をたたえ、国民が奉天の大勝に酔い、国力がすでに尽きようとしているのも知らず、「ウラルを超えてロシアの帝都まで征くべし」と調子のいいことをいっていることであり、さらに児玉がにがにがしく思っていることは政治家までもがそういう大衆の気分に雷同していることであった。(第七巻、183項) ここに戦争のエスカレーション・メカニズムの典型例を見ることができる。 結果的にはアメリカの仲介によって講和を結ぶことに成功し、児玉は胸を撫で下ろすことになるのだが、一歩間違えば昭和期の軍事エスカレーションを先取りしたかもしれない現象もあったことに留意しておきたい。 実際、陸戦は引き分けかひいき目に見てロシアの敵失による辛勝という状況だったし、佐藤鉄太郎や秋山真之が語っているように、圧勝した日本海海戦もその勝因は「運」であった(第八巻、180項以下)。 それを自国の実力と勘違いした日露戦争後の日本について、司馬の筆はふたたびあの苦い昭和におよぶ。 戦後の日本は……むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、その部分において民族的に痴呆化した。日露戦争を境として日本人の国民的理性が大きく後退して狂躁の昭和期に入る。……敗戦が国民に理性を与え、勝利が国民と狂気にするとすれば、長い民族の歴史からすれば、戦争の勝敗などというものはまことに不可思議なものである。(第八巻、307項) <おわりに――「輝く白い雲のみを見つめて坂をのぼる」> この長い物語の「あとがき」には、タイトルの由来が書かれている。 ここには、司馬の昭和への慨嘆と明治への憧憬が、抑えようとも抑えきれずあふれ出ているようである。 政府も小世帯であり、ここに登場する陸海軍もうそのように小さい。その町工場のように小さい国家のなかで、部分々々の義務と権能をもたされたスタッフたちは世帯が小さいために思うぞんぶんにはたらき、そのチームをつよくするというただひとつの目的にむかってすすみ、その目的をうたがうことすら知らなかった。この時代のあかるさは、こういう楽天主義からきているのであろう。
楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いていたとすれば、それをのみ見つめて坂をのぼってゆくであろう。(第八巻、298項) |
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2013年12月08日
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