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書評278 司馬遼太郎

『坂の上の雲』その1

全8冊(文春文庫、1978年)

久しぶりに読む司馬の長篇。
最後の近代ものにして、司馬文学の金字塔とも言われる大作に満を持して挑戦です。


【著者紹介】
しば・りょうたろう (1923─1996年) 作家。
大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960年『梟の城』で直木賞を受賞し、以後歴史小説を一新する話題作を続々と発表。『国盗り物語』『竜馬がゆく』で菊池寛賞など受賞多数。
本ブログで取り上げた作品に『燃えよ剣』、『竜馬がゆく』、『翔ぶが如く』、『草原の記』、「故郷忘じがたく候」、「街道をゆく」シリーズの『19 中国・江南のみち』、『40 台湾紀行』、『26 嵯峨散歩、仙台・石巻』がある。(記事一覧はこちら


【本書の内容】
明治維新をとげ、近代国家の仲間入りをした日本は、息せき切って先進国に追いつこうとしていた。この時期を生きた四国松山出身の三人の男達―日露戦争においてコサック騎兵を破った秋山好古、日本海海戦の参謀秋山真之兄弟と文学の世界に巨大な足跡を遺した正岡子規を中心に、昂揚の時代・明治の群像を描く長篇小説全八冊。(文庫版第1巻裏表紙より)


お薦め度:★★★★★

【本書の感想】

<全体の感想>
司馬遼太郎にとって、日露戦争は特別な意味を持っている。
三谷博が指摘するように、司馬遼太郎は江戸文明が日本の本来の姿であり、日露戦争後にその精神が失われておかしくなり始め、あの「異常な昭和」に突入したと考えていた(書評260:『明治維新を考える』参照)。
つまり司馬にとって、日露戦争は「まだまともだった日本」の最後の姿だったことになる。
いきおい、日露戦争の評価も感傷的にならざるをえない。

この小さな、世界の片田舎のような国が、はじめてヨーロッパ文明と血みどろの対決をしたのが、日露戦争である。その対決に、辛うじて勝った。その勝った収穫を後世の日本人は食いちらかしたことになるが、とにかくこの当時の日本人たちは精一杯の智恵と勇気と、そして幸運をすかさずつかんで操作する外交能力のかぎりをつくしてそこまで漕ぎつけた。いまからおもえば、ひやりすとするほどの奇蹟といっていい。(第一巻、75項)

この一文は、そのような「司馬史観」を凝縮しているように思うし、史実としてもそういう面は強かった。
この長篇の随所にこの日露戦争観が感じられる一方、返す刀で太平洋戦争に対する激しい憎悪感情を吐露するなど、司馬遼太郎の作品群を考える上でもきわめて重要な作品だと思う。

何回かに分けて書評を書くが、今回は日露開戦前までで印象に残った場面を引用しながら感想を述べていきたい。


<子規と真之の青春>
序盤は、秋山兄弟と正岡子規の少年期の成長を中心に描かれるが、この部分がとてもいい。
伊予松山に生まれ、時期は違えども東京に出てきた三人は、それぞれ進路に悩む。

子規は松山の中学時代、学校の勉強にも飽き、文学運動や演説運動のまねもしてみたが、これはというものを感じない。

「出たい、出たい。どうにもならんほど、あしは東京へ出たい」(第一巻、106項)

もはやだだをこねる子どもである。
もっとも、子規だけではない。とにかく東京に出れば何とかなる、という雰囲気がこのころの日本にはあった。
これに感化された真之も、東京へ出ることを親に懇願し、一足先に東京で陸軍に雇われていた兄・好古のところへ転がり込んだ。

東京に出てきたら出てきたで、「生まれたからにはその道で日本一に」と志す二人の青春は定まらない。
子規は哲学を目指すも同級生の才能に自分の限界を感じ、この頃から詩歌小説に心を奪われるが旧藩の給費生という後ろめたさから、その道への一歩を踏み出せない。
そんな子規を「俗なことをいうな」と叱る真之も、実は「悩んどるのよ」と告白する。真之の学費は好古が負担しているが、その好古の懐も苦しかった。真之は悩んだあげく学費不要の海軍兵学校へ入学する決意をする。

決意はしたものの、真之は「ともに文学をやろう」と誓い合った子規に合わせる顔がなく、置手紙を書いた。
ほんの数行のそれを読んで、子規が茫然とした場面は、二人が共有した青春の濃密さを示している。

やがて、壁の上をみた。そこに鉛筆の線で大きな人のかたちが描かれている。かつて真之がかいたものであった。真之は徹夜勉強が得意で、寄席などへ行ったあとはかならずこれをやった。あるとき子規も、「あしもやる」と言い、
――さあ徹夜の競争じゃ。といいながら机をならべたのだが、夜半になると子規の体力が尽き、ついに壁にもたれてねむりこけてしまった。真之はのちの証拠としてその人がたを鉛筆でとった。
(あげなことをしおって)
と、その陰の線描をみているうちに、真之の手紙の感情がのりうつったのか、涙があふれて始末にこまった。(第一巻、205項)

こうして、二人は俳諧と海軍というこの時代未開拓であった分野の日本一を目指すことになった。

進路に悩み、自尊心を砕かれ、友情を育む青春時代を経て、別の道で身を立ててゆく。
日露戦争が始まる前のこの時代を描いた箇所が、この作品中最も爽やかであり、司馬の筆も踊っているように感じられた。


<子規という人の魅力>
私自身詩歌が得意ではないということもあって、今まで正岡子規にあまり興味を持ったことがなかった。
ところが、本書に描かれる子規はとても魅力的である。

性格は真っすぐだが子どもっぽく、負けず嫌いであった。上に引いた徹夜競争のエピソードなどはそれをよく示している。
戦争熱をあげている当時の日本にあって、病弱な子規は真之らが出征しているのが羨ましかった。勤め先の新聞『日本』の主幹・陸羯南に何度も従軍させてくれと頼みこんだが、なかなか認めない。
何度も懇願し、やっと日清戦争の従軍記者に決まったとき、子どものように喜んだ子規は友人に手紙を書いた。

「小生いままでにて最もうれしきもの」として、ひとつは松山中学四年間を修了して上京にきまったとき、いまひとつはこんどはじめて従軍ときまったとき、と書いた。この当時の日本のふしぎさは、このように無邪気な文学者をもっていたことであった。(第二巻、132―133項)

結局、子規が戦地に着く前に日清戦争は終わってしまい、さらに結核を発症したことによって、子規は「生まれたからには日本一に」という志を凄まじい闘病生活の中俳句で実現することになる。

そのくせ人懐っこさも人一倍で、団体競技への志向が強かった。
生涯のライフワークとした俳句もそのルーツは連歌であり、子規が用語を訳したとされる野球も団体スポーツである。
また、感性がシンプルで鋭かった。俳句は絵画的であらねばならないとし、理屈や知識に頼った句や、聴いたときにぱっと絵が浮かばない句は評価しなかった。

子規の人となりに強く惹かれたので、子規の文章もいずれ読んでみたい。
司馬自身も、子規の魅力のとりこになっていた節がある。


妹のお律の描写も惹かれるものがある。
幼年時代の子規が悪童なかまにいじめられて泣いていると、3つ下の童女であったお律は「兄ちゃまの仇」と言って石を投げに行ったという。今ふうに言えば、「萌え」である(笑)。
その童女の心のままおとなになったお律は、のち子規が結核を発病すると、自分はもう他家の嫁のくせに「私が看護するけん」と言い切った(第一巻、292項)。

このお律と、二人の子どもを裁縫教室をしながら育てた母に囲まれて育った子規がこのような若者に育ったのも、さもありなんと頷けるものである。

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