書評290 ウィリアム・トレヴァー『密会』中野恵津子訳(新潮クレストブックス、2008年)2008年に刊行されてからずっと気になっていた短篇集。「現役の最高の短篇作家」とも呼ばれる作家である。 【著者紹介】 Trevor, William (1928年―) アイルランド人作家。 アイルランド・コーク州に、少数派であるプロテスタントのイングランド系アイルランド人として生まれる。トリニティ・カレッジ・ダブリンを卒業後、教師、彫刻家、コピーライターなどを経て作家活動へ。65年「同窓」がホーソンデン賞を受賞、以後すぐれた長篇・短篇で数多くの賞を受賞している。短篇の評価はきわめて高く、現役の最高の短篇作家と称される。 【目次】 死者とともに/伝統/ジャスティーナの神父/夜の外出/グレイリスの遺産/孤独/聖像/ローズは泣いた/大金の夢/路上で/ダンス教師の音楽/密会 【本書の内容】 早朝のオフィスで、カフェの定席で、離婚した彼女の部屋で、寸暇の密会を重ねる中年男女の愛の逡巡…表題作。孤独な未亡人と、文学作品を通じて心を通わせた図書館員。ある日法外な財産を彼女が自分に遺したことを知って…「グレイリスの遺産」。過って母親の浮気相手を殺してしまった幼い自分のために、全てを捨てて親娘三人の放浪生活を選んだ両親との日々…「孤独」。アイルランドとイギリスを舞台に、執着し、苦悩し、諦め、立て直していく男たち女たち。現役の英語圏最高の短篇作家と称される、W.トレヴァーが、静かなまなざしで人生の苦さ、深みを描いた12篇。 お薦め度:★★★★★ 【本書の感想】 <全体の感想> 絶品である。 「英語圏最高の短篇作家」「現代のチェーホフ」の呼び声も伊達ではない。 この作品の登場人物は、皆ストレートに幸せにはならない。 痛すぎる傷、哀切極まりない過去、醜悪な秘密…そうしたものを抱えた普通の市民の人生を、適度な距離感を保ちながら淡々と描いていく。 そして、その20ページ足らずの一篇一篇には、彼ら彼女らの“人生”そのものが詰まっている。ある作品では少女が老女になるまで抱え続けた「孤独」が描かれ、またある作品では人生が壊れてしまうような決定的事件がポンと提示される。 圧倒的な共感をもって読める人物もいれば、絶対に共感したくないのに強烈な印象が残ってしまう人物もいる。彼らは、読み終わって一週間経った今も私の心に居座り続けている。 短篇なのに長篇を読んだようなカタルシスが残るのは、そこに理由があると思う。 本書は多くの読書好きをうならせるに違いない。 本書に収められた短篇はどれも素晴らしく、これほど駄作がない短篇集というのも珍しいが、特に印象に残った作品の感想を簡単に記す。 「死者とともに」 夫を亡くした妻のもとを、偽善的な姉妹が弔問に訪れる。未亡人は、彼女らに生前の夫がいかにつまらない男だったかを延々と愚痴ったあと、こうつぶやく。「私が夫を愛していなかったとは思わないでくださいね」 それはおそらく真実だ。白も黒も灰色もごったまぜになった数十年の結婚生活を噛みしめて、彼女は朝を迎えた。 「ジャスティーナの神父」 知恵遅れの少女ジャスティーナは、家族から疎ましく思われており、ことあるごとに教会を訪れる。神父は必要もないその懺悔を聴き、赦しを与え、ささやかな拠り所になっている。ジャスティーナを見つめる温かい視線が印象的。 「夜の外出」 結婚相談所の紹介で出会った中年の男女は、早い段階でお互い「これはないな」と値踏みした。すると男は女に夕食をおごらせようとするのだが、これが何とも情けない。こんな男いるのかな。 「孤独」 かつて家族が住んでいた家で母が犯した罪、7歳だった少女が起こしてしまった事件。それをきっかけに一家は各国を転々とホテル住まいを繰り返すが、少女はずっと孤独を抱えていた。やがて52歳になった彼女は、なぜか見知らぬ男にすべてを話してしまえそうな気がする。書評213:『贖罪』のテイストを思わせる、長篇にできそうな45年間を詰め込んだ濃密な一篇。 「聖像」 宗教の衰退という社会的風潮の中で、若い聖像職人は貧しい暮らしを強いられていた。もうすぐ生まれてくる子どものために、彫像を諦めて道路工事現場で働くのか。夫を思う妻は、子どもが欲しいができないと言っていた友人のことを思い出した…。 正統派の爽やかな作風は、古き良き18世紀の小説を思わせる。 「ローズは泣いた」 家庭教師の初老の男が、ローズを最後の教え子にすると言い出した理由を、ローズは知っていた。 彼がローズを教えている間に、同じ家の中で妻が若い男を引き入れて浮気していたのだ。 ローズは、彼を仲間内で笑い者にしてしまった自分を恥じ、彼のために泣いた。 少女の純真さが人生の苦みに出会う瞬間を切り取った、一枚の油絵のような短篇。 「大金の夢」 若い男女はアメリカン・ドリームをつかもうと誓い合い、男は単身アメリカへ渡る。はじめは熱心に男への想いを募らせていた女は、やがて男を愛していないと気づくのだった。 遠距離恋愛の経験がある人なら、感じることが多いだろう小品である。 「路上で」 別れた妻をつけ回す偏執的なストーカー。彼は元妻の感情、反応、涙が欲しいがために罪を犯す。彼女もそれをわかっているから、黙って話を聴いて席を立つ。この男の執拗なまでの怨念の塊は強烈な印象を残すが、一度結婚しているだけに唯一の理解者である元妻の優しさも忘れ難い。 「密会」 この短篇集の白眉はこれだろう。 いつものカフェで密会を重ね、愛を確かめ合ってきた二人。しかし、この関係を終わらせる時が来た。 「終わりなのね?」彼女が言う。食い下がる彼女を、彼は制した。愛していないわけがない。だが…。 今日、愛は何も壊されなかった。彼らは愛を抱きつつ、離れてゆき、お互いから立ち去った。未来は、今二人が思っているほど暗いものではないことに気づかずに。(271項) *余談だが、同じクレスト・ブックスの書評144:『巡礼者たち』のギルバートにせよ、書評188:『冬の犬』や書評222:『彼方なる歌に耳を澄ませよ』のマクラウドにせよ、好きな作家の出身が寒い国に多いのは、自分にも雪国出身者の血が流れているからではないかと最近思うようになった次第である。
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2014年03月09日
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