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書評 海外文学

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ブログのメインである、過去の書評です。海外の小説や戯曲などを扱っています。
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書評290 ウィリアム・トレヴァー

『密会』

中野恵津子訳(新潮クレストブックス、2008年)

2008年に刊行されてからずっと気になっていた短篇集。
「現役の最高の短篇作家」とも呼ばれる作家である。


【著者紹介】
Trevor, William (1928年―) アイルランド人作家。
アイルランド・コーク州に、少数派であるプロテスタントのイングランド系アイルランド人として生まれる。トリニティ・カレッジ・ダブリンを卒業後、教師、彫刻家、コピーライターなどを経て作家活動へ。65年「同窓」がホーソンデン賞を受賞、以後すぐれた長篇・短篇で数多くの賞を受賞している。短篇の評価はきわめて高く、現役の最高の短篇作家と称される。

なかの・えつこ (1944― 2013年) 翻訳家。
新潟市生まれ。国際基督教大学卒業。米国小説を中心に翻訳した。13年肺炎のため死去。
訳書に書評222:『彼方なる歌に耳を澄ませよ』など多数。


【目次】
死者とともに/伝統/ジャスティーナの神父/夜の外出/グレイリスの遺産/孤独/聖像/ローズは泣いた/大金の夢/路上で/ダンス教師の音楽/密会


【本書の内容】
早朝のオフィスで、カフェの定席で、離婚した彼女の部屋で、寸暇の密会を重ねる中年男女の愛の逡巡…表題作。孤独な未亡人と、文学作品を通じて心を通わせた図書館員。ある日法外な財産を彼女が自分に遺したことを知って…「グレイリスの遺産」。過って母親の浮気相手を殺してしまった幼い自分のために、全てを捨てて親娘三人の放浪生活を選んだ両親との日々…「孤独」。アイルランドとイギリスを舞台に、執着し、苦悩し、諦め、立て直していく男たち女たち。現役の英語圏最高の短篇作家と称される、W.トレヴァーが、静かなまなざしで人生の苦さ、深みを描いた12篇。


お薦め度:★★★★★

【本書の感想】

<全体の感想>
絶品である。
「英語圏最高の短篇作家」「現代のチェーホフ」の呼び声も伊達ではない。

この作品の登場人物は、皆ストレートに幸せにはならない。
痛すぎる傷、哀切極まりない過去、醜悪な秘密…そうしたものを抱えた普通の市民の人生を、適度な距離感を保ちながら淡々と描いていく。
そして、その20ページ足らずの一篇一篇には、彼ら彼女らの“人生”そのものが詰まっている。ある作品では少女が老女になるまで抱え続けた「孤独」が描かれ、またある作品では人生が壊れてしまうような決定的事件がポンと提示される。
圧倒的な共感をもって読める人物もいれば、絶対に共感したくないのに強烈な印象が残ってしまう人物もいる。彼らは、読み終わって一週間経った今も私の心に居座り続けている。
短篇なのに長篇を読んだようなカタルシスが残るのは、そこに理由があると思う。
本書は多くの読書好きをうならせるに違いない。

本書に収められた短篇はどれも素晴らしく、これほど駄作がない短篇集というのも珍しいが、特に印象に残った作品の感想を簡単に記す。



「死者とともに」
夫を亡くした妻のもとを、偽善的な姉妹が弔問に訪れる。未亡人は、彼女らに生前の夫がいかにつまらない男だったかを延々と愚痴ったあと、こうつぶやく。「私が夫を愛していなかったとは思わないでくださいね」
それはおそらく真実だ。白も黒も灰色もごったまぜになった数十年の結婚生活を噛みしめて、彼女は朝を迎えた。


「ジャスティーナの神父」
知恵遅れの少女ジャスティーナは、家族から疎ましく思われており、ことあるごとに教会を訪れる。神父は必要もないその懺悔を聴き、赦しを与え、ささやかな拠り所になっている。ジャスティーナを見つめる温かい視線が印象的。


「夜の外出」
結婚相談所の紹介で出会った中年の男女は、早い段階でお互い「これはないな」と値踏みした。すると男は女に夕食をおごらせようとするのだが、これが何とも情けない。こんな男いるのかな。


「孤独」
かつて家族が住んでいた家で母が犯した罪、7歳だった少女が起こしてしまった事件。それをきっかけに一家は各国を転々とホテル住まいを繰り返すが、少女はずっと孤独を抱えていた。やがて52歳になった彼女は、なぜか見知らぬ男にすべてを話してしまえそうな気がする。書評213:『贖罪』のテイストを思わせる、長篇にできそうな45年間を詰め込んだ濃密な一篇。


「聖像」
宗教の衰退という社会的風潮の中で、若い聖像職人は貧しい暮らしを強いられていた。もうすぐ生まれてくる子どものために、彫像を諦めて道路工事現場で働くのか。夫を思う妻は、子どもが欲しいができないと言っていた友人のことを思い出した…。
正統派の爽やかな作風は、古き良き18世紀の小説を思わせる。


「ローズは泣いた」
家庭教師の初老の男が、ローズを最後の教え子にすると言い出した理由を、ローズは知っていた。
彼がローズを教えている間に、同じ家の中で妻が若い男を引き入れて浮気していたのだ。
ローズは、彼を仲間内で笑い者にしてしまった自分を恥じ、彼のために泣いた。
少女の純真さが人生の苦みに出会う瞬間を切り取った、一枚の油絵のような短篇。


「大金の夢」
若い男女はアメリカン・ドリームをつかもうと誓い合い、男は単身アメリカへ渡る。はじめは熱心に男への想いを募らせていた女は、やがて男を愛していないと気づくのだった。
遠距離恋愛の経験がある人なら、感じることが多いだろう小品である。


「路上で」
別れた妻をつけ回す偏執的なストーカー。彼は元妻の感情、反応、涙が欲しいがために罪を犯す。彼女もそれをわかっているから、黙って話を聴いて席を立つ。この男の執拗なまでの怨念の塊は強烈な印象を残すが、一度結婚しているだけに唯一の理解者である元妻の優しさも忘れ難い。


「密会」
この短篇集の白眉はこれだろう。
いつものカフェで密会を重ね、愛を確かめ合ってきた二人。しかし、この関係を終わらせる時が来た。
「終わりなのね?」彼女が言う。食い下がる彼女を、彼は制した。愛していないわけがない。だが…。
今日、愛は何も壊されなかった。彼らは愛を抱きつつ、離れてゆき、お互いから立ち去った。未来は、今二人が思っているほど暗いものではないことに気づかずに。(271項)



*余談だが、同じクレスト・ブックスの書評144:『巡礼者たち』のギルバートにせよ、書評188:『冬の犬』書評222:『彼方なる歌に耳を澄ませよ』のマクラウドにせよ、好きな作家の出身が寒い国に多いのは、自分にも雪国出身者の血が流れているからではないかと最近思うようになった次第である。

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書評272 エリザベス・ストラウト

『オリーヴ・キタリッジの生活』

小川高義(ハヤカワepi文庫、2012年)

ぼやっとさんにお薦めいただいた本。
私からは書評264:『観光』をお薦めしたので、ハヤカワepi文庫の交換会みたいになってしまった。


【著者紹介】
Elizabeth Strout (1956年―)
アメリカ・メイン州ポートランド生まれ。第一長篇『目覚めの季節エイミーとイザベル』(1998)でオレンジ賞とPEN/フォークナー賞の候補となり、“ロサンゼルス・タイムズ”新人賞および“シカゴ・トリビューン”ハートランド賞を受賞。第二長篇Abide with Me(2006)を経て、2008年に発表した『オリーヴ・キタリッジの生活』は全米批評家協会賞最終候補となり、2009年度ピュリッツァー賞(小説部門)を受賞した


【本書の内容】
アメリカ北東部にある小さな港町クロズビー。一見何も起こらない町の暮らしだが、人々の心にはまれに嵐も吹き荒れて、いつまでも癒えない傷痕を残していく―。住人のひとりオリーヴ・キタリッジは、繊細で、気分屋で、傍若無人。その言動が生む波紋は、ときに激しく、ときにひそやかに周囲に広がっていく。人生の苦しみや喜び、後悔や希望を静かな筆致で描き上げ、ピュリッツァー賞に輝いた連作短篇集。


お薦め度:★★★☆☆

【本書の感想】

<全体の感想>
オリーヴという女性とその周りの人々に起こるとりとめもない出来事を、数十年間のスパンで描いた連作短篇集。
さらりと書かれているようで、一篇一篇が重い。
まるで十数年寝かせておいたウィスキーのようだ。口当たりは軽いのに、よく味わってみるとだんだん奥深さが感じられてくる。本当に美味いウィスキーを飲むと黙ってしまうように、本書の感想を書くのも難しい。

なぜ重いのか。
一つは、本書の背景が典型的なアメリカ社会であるためではないか。
舞台は田舎の小さな港町だが、酒、離婚、ドラッグ、殺人などアメリカ社会に巣くう病巣が垣間見えるのは、それが大都会に限らないということだろう。

いま一つは、解説の井上荒野が言うように「時は無常なり」というテーマが根底に流れているからだと思う。
本書の中でオリーヴは40代から70代まで歳をとる。周囲の人も立ち去ったり死んだりする。息子は成長し、親を煙たがるようになる。
泣いても喚いても時は流れる。時は傷を癒すどころか、新たな傷をつくることもある。そういう残酷な現実を、もがきながら受け止めるオリーヴを、本書は淡々と描いている。
この、砂嵐が吹き荒れるような登場人物の内面を、あくまでも淡々と描写しているところに本書の味があると思う。

以下、いくつかの短篇を取り上げて所感を記す。


「薬局」
「時が経つ」ということの意味、それを思い出すことの意味を噛みしめることができる一篇。
あったかもしれない人生を回想する壮年の男の、後悔とも自己否定(肯定)ともつかぬ複雑な感情を描いて間然としたところがない。見事の一言である。
こういう思いは誰もが持っているはずで、特に女性より男にそういう思いが強いような気がする。
これが長篇になってイギリス文学になると書評54:『日の名残り』に近くなるのかもしれない。


「飢える」
主人公のオリーヴ・キタリッジは、無愛想で傍若無人、口も悪い。図体が大きいことがその印象に拍車をかけている。「この町で絶対に泣き顔を見せない人物がいるとしたらオリーヴだろう」と思われていたくらいだ。
そのオリーヴが、初対面の女の子を見ていきなり泣き出す場面がある。

「会ったばかりの他人だけどさ、あんたみたいなお嬢さんを見てると、つらくて泣けてきちゃうのよ。……あたしはね、32年間、学校の先生やってたの。でも、こんなに病んでる子は見たことない」(159項)

厚い面構えの顔の下に隠した、繊細な感性が流させた涙なのか。ショッキングなシーンである。


「犯人」
あたしの人生、こんなはずじゃない、と考えていた。そしていま、これまでの人生の大半は、そのように考えて過ごしたのではないかと思った。あたしの人生、こんなはずじゃない……。(405項)

これはオリーヴの台詞ではないけれど、この短篇集を象徴しているように思う。もちろん、人生はマイナスばかりで埋め尽くされているわけではない。しかし、往々にして思った通りにはいかないものだ。


<おわりに>
個人的に、すごく共感できる作品とそうでもない作品の差が激しかった短篇集だったが、その理由をまだ整理できていない。
はじめに述べた「アメリカ社会」的な背景なのか。
「薬局」がわかる、というのはどちらかというと男性的心理だと思うので、男女差なのか。
いずれも決定的要因ではないように思うが、これは個人的な整理の問題。

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書評266 Arthur Conan Doyle

‘Silver Braze’

“The Memoirs of Sherlock Holmes”, Pocket Penguin Classics, 2005

今年の課題の一つとして「洋書を読む」というのがあるが、これがなかなか進まない。
以前何冊か読んだことがあるが、いずれも簡易版で、ちゃんとした洋書を通読したことがない。

今年はそうも言ってられないので、読み易い短篇集を…と思いホームズを読み始めたものの、私の語学力では通読するのにいくら時間があっても足りないので、とりあえず読み終わった一篇を取り上げておくことにする。


【著者紹介】
Arthur Conan Doyle (1859‐1930) イギリスの小説家。
イギリスのスコットランド・エディンバラ生まれ。ロンドンで医師として開業するが成功せず、以前から手を染めていた小説の執筆に専念、ホームズもので大人気作家となる。また『失われた世界』をはじめとするSFや、歴史小説など、数多くの作品を残した。ナイト爵をもつ。
本ブログで取り上げ作品に書評111:“The Adventures of Sherlock Holmes”がある。


【本書のあらすじ】
ウェセックス・カップ(ウェセックス・プレート)の本命馬である白銀号(シルヴァーブレイズ)が突然失踪した。さらに調教師のストレイカーが死体で発見され、殺人事件として捜査が進んでいるところに、ホームズも加わるが…。


お薦め度:★★★☆☆

【本書の感想】
小学校の頃読んだことがあったと思うが、あらすじはぼんやりとしか覚えていなかった。
それが幸いしたか、今読んでも新鮮で楽しむことができた。

いわゆる「解決編」、ネタばらしのくだりにもホームズらしい粋な仕掛けが効いているのだが、これがまたいい。
人によっては古典的・わざとらしいと感じるかもしれないけれど、個人的には忘れた頃に読むと新鮮。


これは書評というか自分の語学力の問題なのだけれど、洋書を読むトレーニングとして、訳書を読んだことがある短篇集を選んだのはよかったと思うが、推理小説というのは微妙かもしれない。
今の実力では、細かいところまで正確に把握できないが雰囲気はわかる程度。普通の小説やエッセイならそれでいいかもしれないが、推理小説のキモはディテールである。
なので、本作も雰囲気は楽しめたものの、謎解きモノとしては全くついていけなかった。
(しかしホームズものは雰囲気を楽しむ文学としても一級品である。書評111:“The Adventures of Sherlock Holmes”参照)

とはいえ、読み始めたからには一応できるところまでいってみようと思う。

浅学の修練を温かく見守って下さい。

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書評264 ラッタウット・ラープチャルーンサップ

『観光』

古屋美登里訳(ハヤカワepi文庫、2010年)

2010年の「この3冊」で挙げられていたので、手に取ってみた。

名前を見て「何人?」というのが最初の反応だと思うが、タイ系アメリカ人だそうである。
カズオ・イシグロやジュンパ・ラヒリはもとより、英米文学のトップランナーをアジア系の作家がつとめるのも、もはや珍しくないのかもしれない。


【著者紹介】
Rattawut Lapcharoensap (1979年―) アメリカの作家。
シカゴに生まれ、タイ・バンコクで育つ。タイおよびコーネル大学で学位取得後、ミシガン大学院を経て執筆活動に入る。2005年にデビュー作である本書を刊行すると、各方面から賛辞が集まり、文芸誌『グランタ』や全米図書教会など英米の有力紙誌・機関から注目の若手作家に選出されている。


【本書のあらすじ】
美しい海辺のリゾートへ旅行に出かけた失明間近の母とその息子。遠方の大学への入学を控えた息子の心には、さまざまな思いが去来する―なにげない心の交流が胸を打つ表題作をはじめ、11歳の少年がいかがわしい酒場で大人の世界を垣間見る「カフェ・ラブリーで」、闘鶏に負けつづける父を見つめる娘を描く「闘鶏師」など全7篇を収録。人生の切ない断片を温かいまなざしでつづる、タイ系アメリカ人作家による傑作短篇集。


お薦め度:★★★★☆

【本書の感想】

<全体の感想>
傑作短篇集である。
傑作と表現するには派手さが足りないような気もするが、その地味な、何とも言えない味が傑作たる所以である。
人間関係の機微をすくい取る技は絶妙で、それを表現する文章は瑞々しい。

タイ系の作家らしく、全篇の舞台はタイである。各短篇のモティーフとなっている外国人観光客、徴兵制、カンボジア難民、闘鶏などもタイにルーツを持つ。
にもかかわらず、タイを知らない私たちが新鮮さとともに懐かしさを感じるのは、そこから見えてくるテーマが普遍的だからだ。初恋の甘酸っぱさ、親友を裏切る後ろめたさ、外国人と接するときの距離感、親子の絆…。
つまり本書は「個別を書きながら普遍を描いている」。

これは同じアメリカのインド系作家ジュンパ・ラヒリの書評208:『停電の夜に』にも通じるところがある。
ラヒリと比べるとすれば、ラヒリの作品には処女作とは思えぬ落ち着きがあり、くすんだ色調に人生の陰影が織り込まれていたのに対し、本書は爽やかなタイの風を感じさせるところがあり、“清新”という言葉がよく似合う。


「ガイジン」
外国人観光客を相手に淡い恋を繰り返すタイの少年の物語。タイ人(=女)がガイジン(=男)の慰み者になるというのがこの手の話のステレオタイプだと思うが、この短篇は男女が逆になっている。こういうことも珍しくないのだろうか?
ともあれ、タイを訪れる観光客たちを評する母の言葉が辛辣だ。

「セックスと象だよ。あの人たちが求めているのはね」(11項)


「カフェ・ラブリーで」
父を亡くし、崩壊しつつある家庭の兄弟。兄に妖しいパブへ連れて行ってもらった帰り道、大人の階段を登りきれなかった歯がゆさをかみしめながら走らせるバイクで感じる風の描写は、思春期の少年の感性を見事にすくい取っている。

ぼくらの下でエンジンは楽しそうにうなりをあげ、がらがらの真っ直ぐな高速道路を飛ぶように走った。ぼくらは一言も言葉を交わさなかった。耳に当る熱い風と、周りで滲んでいく夜と、エンジンがガソリンを燃やすにおいより素晴らしいものなどこの世にないように思えた。(74項)


「プリシラ」
これも少年が主人公で、カンボジア難民の少女・プリシラへの初恋を描く。これも少年の微妙な心の動きを捉えていて、上手い。
主人公がプリシラに教えたタイ語のスラング(「こんちくしょう」「くそったれ」「間抜け野郎」など)を、いつの間にかプリシラの母親が覚えてちょっとズレた使い方をする場面がいい。
異文化交流の「ズレ」の微笑ましさとは、こういうことだ。


「こんなところで死にたくない」
タイ人女性と結婚した息子を非難していた主人公は、身体が不自由になって、タイに移住した息子の家に転がり込むことになった。
この主人公の、タイ人(息子の嫁含めて)とタイの生活に対する偏見、嫌悪感がよく書けている。
このオヤジ、典型的な白人労働者のガンコ者で、ちょっとしたことで人種偏見的悪口を言うところなんか、イーストウッドの映画『グラン・トリノ』を思わせるところがある。
例えば、主人公の妻の葬式で、息子からタイの女性と結婚することになったという報告を受けて言うセリフ。

「その知らせを聞いていたら、お前の母さんは死なずにすんだかもしれんな」(148項)

悪いオヤジである。
だからこそ、「混血児」と馬鹿にする孫との交流にも、逆に人間味が出てくる。このあたりも上手いんだよなあ。


「闘鶏師」
それでわたしはヌーンに言った。これからはよく覚えておいたほうがいいわ、わたしたちが住んでいるのは、そういった言葉が意味をなさない世界なの。善悪、左右、上下、内外、そういった言葉はここの人たちには意味がないのよ、と。(288項)

闘鶏師を生業とする父親の、やるせない背中を見て育った娘の一言。父親を襲った世間の荒波をまざまざと見せられて、彼女なりに理解した「世界」である。それでも、最後に家族が光を取戻すことが示唆されているところに、「カフェ・ラブリーで」にも通じる爽やかさを感じる。

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書評261 ジョン・アーヴィング

『ガープの世界』

筒井正明訳(新潮文庫、1988年)全2巻

現代アメリカを代表する作家、ジョン・アーヴィング。
色んな人が絶賛しているので、読書好きとしていつかは読まないわけにはいかないと思っていた。


【著者紹介】
Irving, John Winslow (1942年―) アメリカの作家。
ニューハンプシャー州生まれ。ウィーン大学、アイオワ大学などで学び、カート・ヴォネガットに師事。1968年『熊を放つ』でデビュー、1978年『ガープの世界』が世界的なベストセラーとなる。映画化された『サイダーハウス・ルール』では自ら脚本を手がけ、アカデミー賞最優秀脚色賞を受賞。
他の作品に『ホテル・ニューハンプシャー』『第四の手』『また会う日まで』など。


【本書の内容】
看護婦ジェニーは重体の兵士と「欲望」抜きのセックスをして子供を作った。子供の名はT.S.ガープ。やがて成長したガープは、ふとしたきっかけで作家を志す。文章修業のため母ジェニーと赴いたウィーンで、ガープは小説の、母は自伝の執筆に励む。帰国後、ジェニーが書いた『性の容疑者』はベストセラーとなるのだが――。現代アメリカ文学の輝ける旗手アーヴィングの自伝的長編。


お薦め度:★★★☆☆

【本書の感想】
変な小説である。いや、いい意味で。
作家T.S.ガープの一生を描いた小説、と言えばそれまでなのだが、とにかく読者に“読ませる”引力といったらない。

社会風刺と下劣なジョーク、これでもかと続く奇妙な事件の数々、てんこ盛りにされたセックス・暴力・不貞・事故。
不思議なのは、それが単にバラバラに書かれているのではなく、何の違和感もなく物語の構成要素になっている、つまり文字通り「ガープの世界」の一部になっていることだ。


まず、登場人物が奇妙である。吃音、性欲、感情、家族、舌の一部……みなどこかに欠陥を抱えており、個性が必要以上に誇張されている。そこには「小説とはそういうもので、だからこそ面白い」という著者の信念のようなものさえ感じる。

物語の核となるエピソードも、並の想像力では思いつかないものばかりだ。「男と住むのは嫌だが子どもは欲しい」という母ジェニーが、寝たきりの負傷兵の精子でガープを妊娠するという生い立ちから始まり、犬に耳を噛みちぎられ、「性の容疑者」とされた母の自伝がベストセラーになり……果ては、夫婦スワッピングであっても平然とストーリーの一部となる。

爆発したディテールが唯一最大の魅力であり、それを息もつかせず連発することによって、ストーリーの勢いを生むという逆説。
やっぱり変な小説である。おそらく、こんな小説は他にない。


期待値が高かっただけに、以下は少し厳しい評価になるかもしれない。
ぐいぐい読ませる腕力は天下一品である一方、読んだ後に心に何かが残るかというと、残念ながら私にはそうは感じられなかった。
もちろん、読んでいる間の手は止まらない。おっと思わせるフレーズもたくさんある。

「するときみは次がどうなるか知りたくて本を読むわけだね?」
「ほかに本を読む理由なんて、ないのとちがうっけ?」

このやりとりは、本書の魅力をそのまま表していると言えよう。
だけど、心に残る小説とは、何かが違うんだな…。

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