|
ウンベルト・エーコさんの小説です。二十数年前、大変話題になったと記憶しています。映画化もされてこちらも話題になっていました。いつか読んでみたい本でしたが、何やらものすごく難しい内容のような予感もして、長らく敬遠していました。
今回、やっと読んでみた感想なんですが・・・、どうしよう、予感のとおり、ある意味とても難しい本でした。(@_@;)
まず、ミステリ的な要素満載ですが、ミステリとしてはよくある例のアレです。アレというのは、いわゆる連続殺人事件なわけで、やはり例によって閉ざされた空間で限られた登場人物の中で起こります。凄腕らしき探偵役が事件の初期から登場しているにも関わらず、例によってたくさん死人が出てからようやく容疑者を追い詰めるものの、これまた例によって全てがアレなことに・・・。クライマックスはこうするのがやはり一番スペクタクルなんですかね。
しかも、殺人はマザーグース・・・じゃなかった、手毬歌・・・でもなく、中世キリスト教世界ならではの黙示録になぞらえて起こりますし・・・。探偵役は登場するとすぐに演繹的かつ「セレンディップの王子」的に推理力の優れているところを周囲の人物と読者に見せつけ、しかもルックスや性格、習慣に至るまでホームズを髣髴とさせます。これに助手というよりも弟子役の人物が付き従っていて、もちろんこの人物が執筆者であり、まあワトスン役ですよね。
こうしてみると、ミステリ部分としては、定番タイプの連続殺人事件のパスティーシュで、しかも、登場人物にしても、「ホームズ・ワトスンコンビみたいなのがやはり一番おもしろいよね」的なノリのやはりパスティーシュとして見ていいと思います。
舞台となる建造物の中には迷宮と呼べる不可思議な構造の物があり、そこでの主人公達の探検は大いにわくわくさせられはしますが、それほど物凄いとも思えません。謎を解く鍵となるのは書き文字や人の発する言葉なわけですが、これだってそんなに記号学っていうほどのことでもないような?
歴史的かつキリスト教的な薀蓄の部分はさすがにすごいとは思うのですが、これはエーコさんがこの方面の専門家なわけだからで、こういった専門知識がある人が他にいないということでもないでしょうし・・・。
なので、なので、この物語の本当にすごいところは、変な話、実は物語部分ではなく、歴史的宗教的な背景部分ですらなく、もっと他のところなのではないかと思うのです。ハニーはこの本を食後でちょっと時間のあるときや寝る前のふとんの中で読んでいて、そして必ずすぐに眠くなってしまい、「その本は睡眠薬ですか!?」という突っ込みを息子から受けていました。一番おもしろいはずのホームズ・ワトソンコンビ型の定番連続殺人事件ミステリで、ですよ?
そう、この本の真髄は、きっとこの眠くなる部分にあるのだと思います。いや、睡眠作用があるのがすごいのではなく、表面上の「楽しきホームズ・パスティーシュ的中世キリスト教世界連続殺人事件」のストーリーテリングには特に影響のない、一読しただけではわけがわからないのでつい眠くなってしまう部分がたくさんあって、そういう部分に実はいろんな仕掛けが隠されているのではないかと思うのです。要するにこの本は、小説の姿をした別の何かだと思うのですよ。
では、それは何なのか・・・。それがわかれば苦労はしません。一読ではわからないからすごいのではありませんか。あと何回か読めば、ハニーにもおぼろげながらわかってくるのかも知れませんが、この本は図書館で借りたので近々返してしまいますし、今のところハニーにわかる可能性はありませんね・・・。(おおーい!!)
それと、タイトルの「薔薇の名前」ですが、とても素敵だなと感じていて、早くその「薔薇」なるものが出てこないか期待していたのですが、物語の中には全く花の薔薇も、薔薇のメタファーになるようなものも出てきません。が、最後の最後に締めくくりの言葉として表され、ああ、なるほど、と納得させられました。なんか、色は匂えど散りぬるを・・・とか、月日は百代の過客にして・・・とか、沙羅双樹の花の色・・・とか、そんな言葉を思い出しました。
が、こんなふうに最後にタイトルの意味がわかると、普通余韻を感じつつ感動できるものなんですが、ここですらその感動はありません。プロローグで、ワトスン的執筆者のアドソが老齢になって若かりし頃遭遇した事件を書きとめているということを明かし、さらにその前の部分、この本の冒頭で、著者のエーコさんが偶然にもそのアドソの手記の翻訳版を読む機会を得たことを語っても・・・。これらの枠組みもまた「感動を呼ぶ小説形態」のパスティーシュであり、エーコさんが本当にやりたいことの表面を覆っているに過ぎないからなんでしょう。で、その本当にやりたいことって・・・、とまたここで堂々巡りしてしまう・・・。そんな感じで難しい本でありました・・・。(@_@;)
|