空閨残夢録

上層より下層へ中心より辺境へ表面より深淵へデカダンよりデラシネの戯言

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「Checkmate King 2, this is White Rook, over.」

「This is King 2, roger, out. All right, that's it - let's get outta here ! 」


 ・・・・・・夢の斥候ことサンダース軍曹です!



 
『砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード』(The Ballad Cable Hogue)は、サム・ペキンパー監督による1970年の西部劇であるが、前年の1969年に製作された最後の西部劇と呼ばれる『ワイルド・バンチ』とは全く違がった異色の西部劇。

 当時、暴力の巨匠と卑下され、或いは、絶賛されていたバイオレンス映画の監督であったサム・ペキンパーの西部劇の作品に、心温まるハート・ウォーミングな作風でコミカルですらある映画が『ケーブル・ホーグのバラード』だ。

 砂漠を放浪していた砂金堀りのケーブル・ホーグは、仲間のボウエンとタガートに騙されて、水と馬を奪われ砂漠のど真ん中に放り出される。四日間の放浪の果て、砂嵐の中でいよいよ進退極まったホーグは、神を呪い、仲間たちへの復讐を誓うが、その瞬間、倒れた砂漠の地面から、水が溢れ出る奇跡に遭遇する。

 ここが駅馬車のルートであることを知ったホーグは、井戸を掘り、好色牧師ヨシュアの勧めに従って土地を登記して、駅馬車の休憩所を作る。気のいい娼婦のヒルダに振り回されたり、気まぐれな銀行家カッシングや頑固者の運送業者クイットナー、駅馬車の御者フェアチャイルドとの交流の中で、砂漠のささやかなオアシスの時は流れていくが、しかしホーグは、自分を裏切った仲間の復讐を忘れることはなかった。

 ついに偶然通りかかった裏切り者のボウエンとタガートを捕らえたホーグは、タガートを射殺するが、ボウエンを許し、彼に休憩所と井戸を譲って、自分は都会へ行った恋するヒルダの居る新天地に乗り出す決心をする。

 すると、まるでメルヘンの如くに、そこへヒルダが砂漠の中へ自動車に乗って現れたのであった。都会で妾暮らしをしていたヒルダは、お金持ちの旦那が死んで財産を相続しホーグを迎えに来たのであった。しかし、ここでハッピーエンドで映画は終わらない。

 映画『ケーブル・ホーグのバラード』は1908年の時代設定であり、アリゾナの砂漠が主な舞台である。この時にヒルダが乗っていた自動車はT型フォードと思われる。

 このT型フォードが現れる前の場面にも、自動車が砂漠を走るシーンが登場するが、こちらは1903年にフォードが設計開発したモデルAからDのタイプであると思われるが、1908年(明治41年)のT型は20番目の車で、1927年(昭和2年)までの20年間に一万五千台も生産された最初のモデルであった。

 この自動車を運転していた黒人の御者(運転手)がブレーキをかけていなかったのか、無人のT型フォードはかつて自分を裏切ったボウエン目掛けて走りだしてしまって、ボウエンを助けて自らホーグは車に轢かれてしまう。

 ホーグは車に腹部を轢かれたが意識はしっかりしていた。失われていく西部開拓の精神を寓話的に歌い上げるペキンパー監督の、ハートが温まる和やかな詩情を添えた演出であり、『ワイルド・バンチ』や『パット・ギャレットとビリー・ザ・キッド』とは、明らかに違う作風だが、西部開拓魂の挽歌であるのは共通した作品であろう。



 ・・・・・・こちらホワイトルークでした!

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