空閨残夢録

上層より下層へ中心より辺境へ表面より深淵へデカダンよりデラシネの戯言

美術と芸術の部屋

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 戦場のミンストレルこと夢の斥候はサンダース軍曹です!

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 雨



南風は柔い女神をもたらした。
青銅をぬらした、噴水をぬらした、
ツバメの羽と黄金の毛をぬらした、
潮をぬらし、砂をぬらし、魚をぬらした。
静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした、
この静かな柔い女神の行列が
私の舌をぬらした。


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 上記の詩は、西脇順三郎の「雨」という詩であるが、この詩はギリシア神話のダナエを謳っているのであろう。

 ダナエは、ペルポネス半島の東北部にあるアルゴス湾から内陸にほどなくあるアルゴス王国の娘であり、この王女は父であるアクリシオスに青銅の塔の青銅の石室に幽閉される。

 ことの起こりは、アルゴスの王は託宣により嫡男を授からず、男子の子宝に恵まれないと、神託を受けるが、さらに娘の子である孫に命を奪われるであろう・・・・・・と、予言された。

 この予言を信じてアルゴス王は王女ダナエを幽閉した。このダナエをゼウスは恋焦がれて黄金の雨となって、青銅の塔に忍び込み、ダナエの閉ざされた青銅の石室へと流れ交わる。

 この黄金と青銅の交情から生まれたのがペルセウスである。アルゴス王は生まれた孫を殺せずに、ダナエとその子を箱に閉じ込めて海へと流した。

 母子を乗せた箱はセリーポス島に漂着する。これを漁師のディクテュスが救うが、ディクテュスの兄がダナエに恋焦がれて弟から奪おうとする。

 邪魔な息子のペルセウスをディクテュスの兄であるポリュデクテースは、怪物メデゥーサ退治をペルセウスに差し向ける。

 ペルセウスは無事にメデゥーサを退治して帰還して、母を伴い祖国のアルゴスへやがて帰還する物語がギリシア神話のあらましあらまし・・・・・・。

 この物語は画家や詩人に想像力を刺激するモノが深く秘められているようで、ルネサンス期には画題として多くの画家が描いた。

 そのなかでも、ティツィアーノ・ノヴェチェッリオの数作に及ぶ“ダナエ”の画題による作品には、天井から閨房に金貨が降る作風に、やがて世紀末ウィーンのグスタフ・クリムトへと継承されていく画題となった。



 ・・・・・・こちらホワイトルークでした!

アール・デコ風の少女

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「Checkmate King 2, this is White Rook, over.」

「This is King 2, roger, out. All right, that's it - let's get outta here ! 」


 ・・・・・・夢の斥候は、眠りの精サンダース軍曹です!



 ラフェエル前派の描くビクトリア朝の肖像画で少女が描かれた作品が可愛くて好きであるが、タマラ・ド・レンピッカが描く少女像は、抽象的な要素を含むネオキュビズムの技術がルネッサンス絵画の古典的スタイルと融合して、独特なエロティシズムをかもしだす。

 人物像をアールデコ風に表現した肖像画のスタイルには成人男性と女性にはクールな雰囲気で美しくも、少女を題材にすると硬質な人形のようで冷めた感覚になるが、タマラは少女時代の娘であるキゼットを描いて表現した。

 バルティスが好んで少女を肖像画として題材にしていて、男性が描いたその少女たちはとても可愛いのであるが、エロティシズムは希薄である。されどタマラの描く女性の視点で娘を題材にした作品にはエロティシズムが充填されているような気がしてならない。

 タマラ・ド・レンピッカという女性は自分の姿(深層心理)を、男性にも、女性にも、少女にも、自分を投影しているような感じがするのだが、それら作品を個人的に観る感想として、冷めたエロティシズムを感じてしまうのだが、それは彼女が冷感症の女となんとなくボクは思えるのでした。


 ・・・・・・・こちらホワイトルークでした!

 

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「Checkmate King 2, this is White Rook, over.」

「This is King 2, roger, out. All right, that's it - let's get outta here ! 」


 ・・・・・・夢の斥候は、眠りの精サンダース軍曹です!



  タマラ・ド・レンピッカ・・・・・・この女性にについてボクはあまり多くを知らない。されど彼女の作品には昔から魅了されていた。ワルシャワで彼女は1898年に生をうけたという。少女の時代はロシアのサンクトペテルブルクに在住し、やがて革命から逃れてパリに・・・・・・

 ロシアで伊達男のタデウシュ・レンビッキと恋におち、結婚後、亡命先のパリで娘キゼットが生まれるも夫婦の幸福は長く続かなかったようだ。彼女はやがて肖像画家として生計をたてられる画家として認知され、パリの社交界で有名となる。それは1920年代から30年代の西欧文化の爛熟期である。

 さて、ボクがタマラの絵をはじめて見たのはMTVのプロモーション・ビデオである。あのマドンナの「ヴォーグ」に登場してくるのだ。このマドンナのPVもタマラの生きた20年代から30年代のヨーロッパを彷彿とさせる演出になっている映像でもある。

 マドンナはタマラの作品のコレクターのようで、PVに登場する絵画は彼女の所持品かも知れない。



「ヴォーグ」 マドンナ
http://youtu.be/GuJQSAiODqI



 ・・・・・・こちらホワイトルークでした!

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「Checkmate King 2, this is White Rook, over.」

「This is King 2, roger, out. All right, that's it - let's get outta here ! 」


 ・・・・・・夢の斥候は、眠りの精サンダース軍曹です!



 調度、二年前の秋の今頃、ボクは世紀末のパリに想いを熱くよせていた(単なる好奇心)。それまで、クルチザンヌのリアーヌ・ド・プージィ(1869-1950)と、ベル・エポックのパリで金曜日のサロンを開催するナタリー・バーネイ(1876-1972)について全く何も彼女たちに対する知識が皆無だったので、彼女たちの愛の絵巻物語を探索するのに夢中になっていた時期。

 彼女たちの舞台であるパリでの愛の物語にやがて魅了されてしまったわけだが、そこで時代は1920年代の狂乱の時代をやがてむかえるのである。ルネ・ヴィヴィアン、ココ・シャネル、コレット、タマラ・レンピッカと、女神たちは、女も男も世界を巻き込みながら世紀末のデカダンなムードから、やがてアール・ヌーボーの時代を経てアール・デコの様式に爛熟していく。

 今は自分の意識や好奇心の全てがラファエル前派の芸術運動に神秘的に傾斜していて、レンピッカの活躍していた時代のアール・デコの芸術様式には、あまり関心が沸かないのだけれども、彼女の作品だけは気におけない何かを常々感じてしまうのだネ。そこで今宵は、いや暫く作品だけを掲載させていただくその場シノギの話題とします。

 レンピッカの絵でボクが一番ココロ惹かれるのは、女性像よりは男性の肖像画に強い魅力を感じてしまうのでした。なかでも彼女の夫であるタデウシュ・ド・レンビッキの肖像が好きであり、この肖像画にある夫とは作品完成とともに、タマラとはすぐに離婚となるのでした。(つづく)



 ・・・・・・こちらホワイトルークでした!

 

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「Checkmate King 2, this is White Rook, over.」

「This is King 2, roger, out. All right, that's it - let's get outta here ! 」


 ・・・・・・夢の斥候は、眠りの精ペパー軍曹、もとい!・・・サンダース軍曹です!




 1958年、コペンハーゲンの対岸にあるスウェーデンのマルメ市、この街の出版社アルヘムの企画によって、マックス・ワルター・スワーンベリ(M.W.スワンベルク)はアルチュール・ランボーの散文詩集『イリュミナシオン』の挿絵を描く。

 墨と水彩(赤、ピンク、青)と金泥を用いた石版画による印刷で、そのすばらしく豪華な詩集が出版されると、世界各国で絶賛されたが、なかでもアンドレ・ブルトンは狂喜して、「これは私が今までに見たいちばん美しい本だ」と讃えた。

 A.P.D.マンディアルグはスワーンベリを、「私たちに天啓もたらす天啓受信者(イリュミネ)
である。一つの天啓(イリュミナシオン)はいわば、それを破壊しないかぎりはどんな低俗なものも介入しえない、ということによって決定される。かくして、マックス・ワルターによってもっとも極端にイメージ化された奇妙な物らは、精神のもっとも高い、もっとも雪ふかい山頂から決してはなれることはないのだ」。

 スウェーデンにおけるシュルリアリスムの擁護者にして詩人のアルトゥール・ルンドクヴィストは、「スワーンベリは不可能を可能にした。彼はランボーを補ったのだ」と述べた。


 

 雪を前にして、丈の高い美の一存在。死人の喘ぎと鈍い音楽の輪につれて、この尊い肉体は、亡霊のように、拡がり、慄えて、昇って行く。黒く、深紅の傷口は、見事な肉と肉との間に顕れる。------《ビーイング・ビューティアス》



 俺は、樅の林を透かして髪を振り乱すブロンド色の朧に笑いかけ、銀色の山の頂に女神の姿を認めた。
 そこで、俺は面帖(かずき)を一枚一枚と剥いでいった。往来では両手を振り、野原をすぎる時は、雄鶏に知らせてやった。街へ出ると、彼女は、鐘塔や円屋根の間に逃げ込んだ。俺は、大理石の河岸の上を、乞食のように息せき切って、あとを追った。------《夜明け》



 売物。凡そあらゆる種族の、あらゆる世界の、性別の、血統の、その埒外にある価も量られぬ肉体。歩むに従って、迸り出る様々な富。無統制のダイヤモンドの投売り。------《大売出し》




 以上の詩はランボーの『イリュミナシオン』のなかの「ビーイング・ビューティアス」「夜明け」「大売出し」の各詩で、翻訳は鈴木信太郎と小林秀雄の共訳である。この各詩に添えられた挿絵三点が掲載したスワーンベリの石版画(白黒2とカラー1)である。

 本邦ではスワーンベリの画集は昭和51(1976)年に河出書房新社から刊行された「骰子の7の目」叢書シリーズ別巻で、澁澤龍彦により紹介されているだけであろう。種村季弘の著作で『箱の中の見知らぬ国』(青土社)では、種村氏はスワンベルク(スワーンベリ)家を訪問したエッセイがある。

 澁澤氏はこの画家を最も愛していたらしく、彼の画風を楽園志向の画家として分類していたようだ。その作風はひたすら陶酔に誘う種類の絵で、ランボーの詩にある硬質な特有のイメージを、画家は見事に視覚化していると述べている。

 ランボーの宝石のような言葉と、スワーンベリの変容する楽園には、少年の無邪気な「王国」に通低している。スワーンベリのその王国は、女が鳥や馬と自由に愛の交歓をしたり、薔薇や花や星が双生児の姉妹になったり、女と蝶、女と魚、女と鳥、女と花、女と宝石が童話のように、様式的に抽象化された世界を顕現させている。

 それはブルトンの詩にある『自由な結合』とも通低したエロティシズムの世界だ。






 ・・・・・・こちらホワイトルークでした!

                  

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