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「Checkmate King 2, this is White Rook, over.」
(チェックメイト・K2、こちらホワイトルーク、どうぞ!)
――― 斥候サンダース軍曹です! ―――
旧約聖書の創世記によると、楽園を追われたアダムとイブに、カインとアベルの兄弟が生まれるが、この兄弟は神への供え物による原因から、やがてカインは弟のアベルを殺してしまう事件が起きる。
カインは野の畑から収穫物を神に供え、アベルは育てた子羊を祭壇に供したが、神は何故かアベルの供え物を選び、カインの物を顧みず拒否した。
このことにより、カインが殺人を犯す動機であった訳なのだが、神の裁きはカインをエデンの東にあるノドの土地へ追放して、カインに誰も危害を加えないように“しるし”を付けて移り住まわせることになる。
イギリスの神話学者であるS・H・フックによると、“カインのしるし”とは、古代バビロニアに伝わる新年祭に、この物語の背景があると述べられている。
それは、人類が農耕農業を始めてから、大きな問題の一つに天候などによる不作を回避するために、宗教的な儀式儀礼として、大地への人身御供としての生贄の祭儀行為が、典礼様式化された演劇的なものとなり、農耕神が牧羊神を屠る呪術的な象徴としての物語化による原型が、そこにあるという訳だ。
つまり、大地を豊饒とする神に仕える祭司が、遊牧民の家畜を屠る儀式に、カインとアベルの物語の根底であるという民俗学的な見解があり、社会学的な検知が覗える。
こうした解釈の証拠に、殺人者であるカインの“しるし”が、安全と庇護の「しるし」であることに注目する。何故に、神は殺人者に庇護のための「しるし」を与えたのであろうかしら・・・・・・。
実はバビロニアの新年祭には、生贄を屠る司祭に「しるし」をいにしえに付けていたとされる。それは祭儀を執行する司祭は生贄の血で穢れるために、一定の期間に共同体から隔離されるのだが、この間に神の庇護のために「しるし」を付けられて、潔められるまで放浪を余儀なくされたのであるという。この隔離と放浪の期間が安全であるために「しるし」を神に付与された訳なのである。
このバビロニアの慣習が、根底に旧約聖書のカインとアベルの物語にあり、遠い記憶の痕跡として反映される訳なのだが、創世記だけの記述からだけでは「カインのしるし」の物語の深層を読み解くのは至難である。
さて、ヘルマン・ヘッセの小説に『デミアン』があるが、ラテン学校に通う10歳の主人公シンクレールの苦境を救うマックス・デミアンは、キリスト教的な世界観からとは、全く視点の違う見解から、デミアン独自による「カインのしるし」論を聞かされる。主人公の明るく清らかなキリスト教的な道徳生活の世界に、魅惑的で異教的な思考の萌芽を付与される。
シンクレールは成長とともに、思春期から大人へと成長するなかで、ヨーロッパを渦に巻く第一次世界大戦を体験して、やがて人生の明暗を分け、精神の二つの世界を揺れ動きながらも彷徨しながら、人生の筋目と岐路でデミアンと邂逅しながらも、真の自己を求めて魂の救済の道を開いていくのであった。
その最初の試練と成長の過程に、「カインのしるし」の物語が、主人公シンクレールの「運命と心情」の試金石となる物語の発端である。
このヘッセの小説に度々登場する言葉に、ノヴァーリスからのアフォリズムの引用が何度も登場する。それは、『運命と心情(意志)とは、二つの言葉の一つの概念である』・・・・・・という、言葉であり、アフォリズムであるのだが、この引用は大きくヘッセの小説に作用している。
この度々、引用される言葉は、つまり・・・・・・「運命と心情(意志)とは、一つのコインの表裏である」と、述べられているのだが、このノヴァーリスの言葉と、精神分析学者のC・G・ユングの深層心理学が、小説『デミアン』の物語の水脈の血であり、魂となっている。
ヘッセはユングの患者であった時があり、一時期に精神的な危機状況にあったヘッセは、衰弱した心と魂をユングの医学療法で乗り越えているのだが、この経験が小説『デミアン』の誕生となった次第でもあり、この長編小説は20世紀を代表する記念碑的な文学作品の金字塔である。
・・・・・・こちらホワイトルークでした!
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