空閨残夢録

上層より下層へ中心より辺境へ表面より深淵へデカダンよりデラシネの戯言

東京懐古邂逅回顧録

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神谷バーの思い出

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Checkmate King 2, this is White Rook, over.
「チェックメイト・K2・・・こちらホワイトルークどうぞ!」

This is King 2, roger, out. All right, that's it - let's get outta here !
「どうぞ!・・・こちらキング・2・・・応答せよ!」


戦場のミンストレルこと斥候サンダース軍曹です!



 太宰治の小説『人間失格』に電気ブランという酒が登場するのだが、「酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し、……」云々とあり、カストリ焼酎のような粗悪な戦後の密造酒みたいなイメージで想像していた。

 1985年、浅草のすでに閉館となっていた常磐座という映画館で、劇団第七病棟の『ビニールの城』という芝居を観た。この作品は戯曲は唐十郎、演出と出演に石橋蓮司、主演に緑魔子で、月光さし入る浅草・神谷バーの店内で、石橋蓮司演じる腹話術師とビニ本モデルを演じる緑魔子がふと再開するのだが、ここで電気ブランが登場する。

 腹話術師が電気ブランを煽る場面だけが今でもボクの記憶に焼きついているのだが、ビニ本とは、当時のエロ本が立ち読みできないようにビニールで封鎖された時代で、このことから劣情を及ぼすビニールで覆われた写真集をビニ本と呼ばれた。

 さて、電気ブランとは浅草の神谷バーで明治期につくられたカクテルである。今では瓶詰めにされて販売されているし、もちろん店内でも飲むことが出来る。神谷バーの創業は1880年(明治13年)で、日本で初めてのバーでもある。

 小説で、そして演劇で、神谷バーの電気ブランを知ったのだが、芝居を観て2年後くらいに浅草へ行って神谷バーに訪れ電気ブランをはじめて飲んだ。建物と店内のレトロな雰囲気がとても気に入り、それから何度か訪れることになる。

 それと、あがた森魚が1972年にリリースしたアルバム『乙女の儚夢』のなかに、神谷バーの電気ブランを謳った歌がある。



あがた森魚 「電気ブラン」
http://youtu.be/BjnnFEH1q6w



 酒を飲むのはシチュエーションや背景がとても重要だと感じながら盃をかたむけるのであるが、神谷バーで飲む酒はそんな意識を懐古的に落ち着かせてくれる和やかな空間である。



 ・・・・・・こちらホワイトルークでした!

ここ・杉並

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「チェックメイト・K2・・・こちらホワイトルークどうぞ!」
(Checkmate King 2, this is White Rook, over.)

「どうぞ!・・・こちらキング・2・・・応答せよ!」
(This is King 2, roger, out. All right, that's it - let's get outta here !)



斥候サンダース軍曹ですです!


 生まれ育って暮らした札幌の南区は澄川と真駒内エリアはボクにとって一番お馴染みでおちつける場所なのだが、関東は東京圏に10年暮らし、その後は各地を転々と暮らしているが、東京の杉並区に1985年から1990年まで暮らしていて、ボクはこのエリアも懐かしく心おちつく思いで深い場所なのである。





  『ここ・杉並』 谷川俊太郎




 生まれてからずっとここに棲んでいる

 もう七十年を超えたが

 根を下ろしているかと問われると心もとない

 言の葉は空へとひろげているかもしれないが


 若いころここは無限の宇宙の一隅だった

 界隈には名だたる文人たちもおられたようだが

 私はケヤキの枝越しに青空見つめて

 火星人からの通信を待っていた


 いまではそれなりに居心地のいい巣穴

 かつて田んぼいま建売のこの地の下に

 縄文以来の祖先の暮らしも埋まっているが

 他意はないけど私は多分ここに骨は埋めない


 燃えないゴミに燃えるゴミ資源ゴミに粗大ゴミ

 集積所を通り過ぎる日々の流れの無常迅速

 腕白だった川は飼い慣らされても

 昔ながらの速度を保っていて


 その堤に春になれば桜も咲いて富士も霞んで

 行きつけの床屋 顔見知りの宅配青年

 イタリーやインドやタイの出店もたくさん

 並木道に異国の言葉も聞こえてくる


 阿波踊りや七夕祭りの雑踏を抜けると

 四つ角の塀のうえ野良猫がアクビしている

 とまれ私はここから世間に打って出て

 毎夜ここの巣穴で幸せに眠る

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 上記に掲載した詩は谷川俊太郎の作である。この詩人が住み暮らすご近所で生活をしていたボクなのだが、昔の双子山部屋とか、かつてアーケードのあったすずらん通り商店街の熊谷突撃商店とか、都立和田堀公園や、ビートたけしのネタで有名な高千穂大学のあるエリアだ。この地域で最も特筆すべき神域は大宮八幡宮であり、初詣はあたりまえだが、よく参拝に訪れたものである。

 この八幡さまは、康平6年(1063年)に源頼義が前九年の役の帰途に、石清水八幡宮から分霊して当地に創建したと伝わる。武蔵国の三大宮の一つで「多摩の大宮」とも呼ばれ、境内は15,000坪もあり、都内でも3番目の広さを持つのですヨ。

 和田掘公園に隣接する釣堀屋の武蔵野園で、釣りはせずによく鯉こくを食べて酒を飲んだのも思いで深い。この辺りを渡辺えり子が杉並の秘境と言っていたのだが、夜はここが東京かと思うくらい鬱蒼として暗かった場所でもあった。この閑静な佇まいは居心地がとてもヨカッタものである。・・・あぁ〜八幡さまに初詣に行きたいなぁ〜。



 ・・・・・・こちらホワイトルークでした!

下町酒場巡礼

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「Checkmate King 2, this is White Rook, over.」

「This is King 2, roger, out. All right, that's it - let's get outta here ! 」


 ・・・・・・夢の斥候は、眠りの精ペパー軍曹、もとい!・・・サンダース軍曹です!





 縁が丸くなったコの字型の木製カウンター、木の丸椅子やパイプ椅子、黒光りした柱や天井、掃き清められた土間、大型の木製冷蔵庫・・・。魅力的な主人やおかみさんと常連の客たちが、長い年月をかけ練り上げてきた空間に浸り、酔った。人が酔うのは酒ばかりではない。東京の下町の場末、個性ある隠れた酒場46店を呑んべえ三人組が飲み歩く、これぞ「酒場愛好家」の必読書!・・・第19回「雑学出版賞」受賞した『下町酒場巡礼』。

 この『下町酒場巡礼』は1997年に『dancyu』に初出、翌年に単行本化された。今はちくま文庫で読める。種村季弘氏がこの単行本に寄せた言葉があり、「むかしのままのお店がなつかしい。着古したシャツみたいな下町の居酒屋が好きだ。」・・・とあるが、ボクも全く同感である。

 ただし、ボクは東京の下町には、かつて生活することは無かった。中央区勝鬨に半年ほど暮らしたけれど、今では其処は下町というよりはベイエリアと呼ばれている。

 下町に暮らさなかったボクは、それでも其処に暮らす友人が多く、彼らと御神輿を担いだりして、下町の酒場を巡礼したのであるが、台東区と江東区が主なエリアだった。

 本に或る下町の酒場は、台東区、江東区、墨田区、荒川区、足立区、北区、葛飾区、千代田区の酒場が紹介されている。

 ボクは有楽町駅から新橋駅のガード下、そして新橋のアンダーグランドの酒場もこよなく愛している。また浜松町から羽田にいたる界隈も、港湾エリアの工場で働く労働者のために設けられた立ち飲み屋とか酒場も捨てがたい。

 羽田では鯊とか穴子が冬の頃に獲れて、これが安く美味しく天麩羅にしてくれる立ち飲み屋さんもあり、なんともありがたいものである。下町ではモツ煮込みが定番で人気料理の代表であろう。

 それでも今の東京はコギレイになり過ぎた。闇市の匂いがする場所はいずれ消えるであろう。モツ焼きの匂う酒場もだんだんと消えつつある。それに比べて大阪の街には庶民的な大衆的な場所が未だに幅をきかせて存在している感じがする。

 都会でもしも暮らすならば、東京の街よりも、今では大阪の街ををボクは選択すると思われる。





 ・・・・・・・こちらホワイトルークでした!

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 ・・・・・・夢の斥候は、眠りの精ペパー軍曹、もとい!・・・サンダース軍曹です!




 26歳の頃、それまでフラフラとアテも無く芝居などをして暮らしていたから、生活や将来に不安が生じて、西新宿にあった喫茶学校とか、バーテンダー・スクールとか、細々と雑居ビルで看板をあげていた専門学校のレストラン経営講座に一年通った。

 それは昭和63年(1988)の頃で、ホテルのバーにでも就職しようという気になって西新宿の専門学校に入学した。授業は簿記、経営学、英語、サービス学などに加えて、理論のほかに実地で西洋料理、製菓、洋酒でカクテルを作ったり、珈琲などの抽出法を学んだ。

 その当時の東京は景気が上昇傾向にあり、やがてバブル経済という好景気で潤い膨張していた時代の入り口にあった。すでに人々の嗜好にも急激に変化をもたらしていて、東京都内にある駅前には喫茶店は消えつつあり、夜の繁華街ではスナックという看板も消滅しかけていた。

 東京は急激に土地の値打ちが上昇して、喫茶店みたいな回転率が悪い客単価も低い商売は繁華街から消えていく。喫茶店が夜にはスナックになるような個人経営のお店も客足は遠のき、前時代的な飲食スタイルは消滅する時でもあった。

 そんな時代であるから、ボクの通っていた学校も生徒が少なく、講師陣も見栄えのしない人たちばかりであった。まぁ〜それでも1960年代から70年代頃には、とても盛況であった学校でもあったのである。しかし、時代は移り変わろうとしていた。

 ボクは喫茶店をやスナックを経営するするつもりで学校に入った訳ではなかったし、就職の手がかりとして入学したので、古臭い学校の経営意識にはあまり問題にしていなかったので、それなりに楽しく授業に勤しんだ。

 当時、東京近郊の地下鉄駅前や国鉄の駅前にはドトールというコヒーショップのチェーン店でいっぱいであった。アメリカン・コーヒーとお昼にトーストとかナポリタンのパスタをお品書きにしていた個人経営の喫茶店は、このドトールが登場することで街から消えた。

 あえて、喫茶店を経営したいという相談で、寂れたボクの通う西新宿の喫茶学校に相談に訪れる人たちも沢山いた。それは、かなり繁盛している法人が節税対策のために、儲からない喫茶店とかスナックを経営して、それを経営者の愛人に店舗を任せるというスタイルも流行っていたのだ。

 いずれにしても、ボクはホテルには勤めずに、学校を一年で卒業後に銀座のバーに就職した。ホテルにはバーだけではなく、レストランもあり、宿泊施設もあって、営業とか経理とか、そのほか諸々の仕事が沢山あり、たとへ望み通りにバーで採用されても、そこで一生の仕事をするわけではなく、ボイラーを弄ったり、ベットメイキングをする仕事にまわされたりするかも知れないので、街場のバーに就職を決めたのである。しかし、街場でも銀座というエリアには特に拘った。





 ・・・・・・・こちらホワイトルークでした!

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 ・・・・・・夢の斥候は、眠りの精ペパー軍曹、もとい!・・・サンダース軍曹です!




 今ボクは北海道で暮らしている。十勝の清水町という町に住んでいる。日本にはいくつか清水という地名の街や村があり、鉄道路線の駅名では全国で四ヶ所あったと思われるが、混同をさけるためにか、此処の駅では「十勝清水駅」と表記されている。

 ボクは札幌で生まれ育った。札幌は今では南区というエリアで澄川とか真駒内という場所で暮らして育ったのだが、札幌市の面積の約半分が南区でもある。つまり扇状地である地形の札幌では南の方角は森林であり貯水池としての機能を都市に及ぼす。

 札幌の南区は面積が広くても人口の割合は比例しないのである。人の生活圏より森林による緑が鬱蒼とした場所が南区であり、札幌の奥座敷みたいになっている。そんな奥座敷の最奥部には定山渓温泉という市民の憩いの湯もある。

 さて、現在は田舎町に暮らしている。生まれ育った札幌でも街外れの僻地の出身である。そんなボクが18歳で東京で暮らすこと10数年を過ごした。正確には千葉県の船橋市で2年、横浜の南区と中区で2年、東京は杉並区で約6年暮らした。僅か半年ほど途中で勝鬨で暮らしていたことがあり、中央区民の時期もあった。

 過去を振り返れば、そういうことなのだけれど、もしも、今棲む場所で定職を失えば、多分、札幌に行くことであろう。札幌にもう一度住むとすれば、やはり真駒内に暮らしてみたい。そこは緑が多く、都会にも近いからである。

 札幌に仕事が無ければ、東京に上京して職を探すかも知れない。そうなれば長く暮らした阿佐ヶ谷界隈が生活するのに好ましいであろう。阿佐ヶ谷で住めないとしたら荻窪にする筈だ。荻窪がダメなら高円寺、そこがダメなら中野か吉祥寺でもかまわないであろうと思われる。

 このヘンのこだわりは、駅前に闇市の面影を残す飲食店があったり、善福寺池や井の頭池などの緑地が身近にあったりするのがお気に入りなのである。都会では緑地や公園は安らぎの空間である。そのようなエリアと闇市の面影を残す小路の飲み屋があれば、ボクはなんとか生きていけるだろう。

 荻窪駅前にある焼き鳥屋の「鳥もと」は未だあるようだが、吉祥寺の焼き鳥屋「いせや」は建て替えられたらしくとても残念である。吉祥寺駅北口のハモニカ横丁はまだ健在なのであろうかしら。

 新橋のアンダーグラウンドから上野と浅草界隈の雰囲気、そんなところで飲むのが好きだが、眠る場所は煌びやかなネオンから外れた静かな処が好みなので、やはり東京でまた暮らすのであれば西の方角、つまり中央線沿線沿い、京王線の沿線沿いのなるべく奥地が東京ではお好みの場所である。

 札幌でも十勝でも少なからず似たような地形に位置して暮らしているから、海よりは山型の地形を好んでいるいるようだが、伊豆のように山と海が一体となった地形が最も好ましい生活エリアともいえる。海と山で猟ができる場所なら、できれば永遠にそこで暮らしてみたい気もする。





 ・・・・・・こちらホワイトルークでした!

 

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