空閨残夢録

上層より下層へ中心より辺境へ表面より深淵へデカダンよりデラシネの戯言

奇想迷宮夢幻読本

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 「Checkmate King 2, this is White Rook, over.」 
 (チェックメイト・K2・・・こちらホワイトルークどうぞ!)

 「This is King 2, roger, out. All right, that's it - let's get outta here !」
 (どうぞ!・・・こちらキング・2・・・応答せよ!)



 コッペリアを愛するフランツこと斥候サンダース軍曹です!




 第二次大戦ドイツ占領下のポーランドの画家、写真家、人形作家であるハンス・ベルメール(1902〜75年)は当時ナチズムを批判していた。「健全で優生なるアーリア民族」を象徴する健康志向を痛烈にベルメールは嫌悪もしているが、それが彼の球体間接人形の製作の主要因ではない。ただ彼の製作する人形は反ナチズム的であるのは間違いない。しかし人形作りにはファシストの匂いをも感じさせる不条理な作業なり創造性を垣間見ることも確かだ。

 現在、日本では多くの球体間接人形を製作する作家が世界中で一番多いそうだが、その教祖的存在がベルメールであることはいうをまたない。この作家を日本に紹介したのは澁澤龍彦なのだが、それは1965年に『新婦人』という雑誌で初めてベルメールについての評論が著された。

 それ以前に澁澤龍彦は1962年に「推理ストーリー」(12月号)で短編小説『人形塚』を発表し掲載しているのだが、この小説は明らかにハンス・ベルメールの球体間接人形から受けた作用が強く影響して作品となったことは疑いもないであろう。ただ推理小説の要素というよりは幻想小説の要素を濃厚に醸しだされた内容でもある。

 さて、この球体間接人形なり、人形愛なり、ピグマリオンの象牙の女、そしてエナメルの眼をしたコッペリアの物語を現代に登場させて、再現を試みたのが加納朋子による『コッペリア』という長編推理小説だ。

 推理小説なのであらすじはツイツイおしゃべり過ぎるボクとしては控えておくが、第一章ではアングラ劇団の女優である聖の幼少時の記憶から始まるのだが、この冒頭の描き方はまるで演劇の舞台装置と美術を演出したような感覚が職人業ともいえる描き方に魅了される。

 この聖とパラレルに了というバレエの『コッペリア』で登場するフランツの如き大学生の少年時の回想が展開する。この二人に関連し共通する接点の人物が、つまりコッペリアス博士を思わせる如月まゆらという球体間接人形の作家である。聖は或る日この人形作家の展覧会に足を運ぶと、なんとそこに自分と同じ姿と顔を持つ如月まゆらの作品である人形と出逢うのだ・・・・・・。

 そして了は近所の如月まゆら邸にうち捨てられた人形の残骸を貰い受けるために、彼女の工房を訪れるが望みは叶えられなかった、とある日、マユラ・ドールとそっくりな聖と出逢い恋に落ちる。了はストーカーみたいになって聖に磁石のように惹きつけられる釘みたいに彼女にすいよせられていく。

 第二部では二人称から語られた物語の展開に、聖の保護者というかパトロンでもあり、こちらも第二のフランツなのであるが彼の回想が絡んでくる。これにより如月まゆらの過去が明かされるかたちなのだが、このヘンであらすじの進行はやめておこうネ。

 人形を主題にした小説を多く書いているのは江戸川乱歩であるが、猟奇性や幻想や耽美が物語の全篇に漂うけれど、この加納朋子という作家は殺人事件も血腥くもなく、非現実より日常を丹念に描き、陰惨でも暗澹ともしない作風がアッケラカランとした登場人物によりカラカラとしている。そんな感じで読みやすい文体が好印象でもある。

 たとへば唐十郎の芝居は『少女仮面』『河童』『下町ホフマン』『ジャガーの眼』などで人形が重要な役となった戯曲を多く発表しているが、彼の作風はアングラという世間からの固定観念を突き破る軽快な明るさが演劇的に表現されていたが、これに似た読書感覚を刺激してくれる作風ともいえるかも知れない。

 そもそも遅ればせながら、ピグマリオン伝説を紹介しておこうネ。それはギリシア神話に登場する彫刻家ピグマリオンは、生身の女性に自己の理想像を求めることやめて、自ずから完璧な女性像と理想美を求めて象牙で彫刻する。出来上がった彫刻をピグマリオンは恋焦がれてしまう破滅的な伝説。このことが人形愛をピグマリオニズム或いはピグマリオン・コンプレックスと呼ばれる所以。

 『コッペリア、またはエナメルの眼をした娘』はドイツの作家エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマンの短編小説の『砂男』(1815年)を原作にしたバレエである。ホフマンの小説では主人公ナタナエルがオリンピア教授の製作した自動人形(オートマタ)に恋をする悲劇だ。

 バレエの『コッペリア』はコッペリウス博士が自動人形コッペリアを製作する。この人形に恋焦がれる青年がフランツであるが、フランツにはスワニルダという恋人がいて、奇妙で滑稽な三角関係が物語りのあらすじなのだが、ホフマンの悲劇性をバレエでは喜劇的な作風で描かれているのだが、加納朋子版『コッペリア』も作風は破滅的でも悲劇的でもなく妙な明るい要素が漂う現代的な作風である。





 ・・・・・・こちらホワイトルークでした!

愛と幻想のファシズム

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「チェックメイト・K2・・・こちらホワイトルークどうぞ!」

 村上龍関係の皆様
 狩猟者の皆様
 右翼関係の皆様
 ファシズム関係の皆様
 幻想を抱いて闘わぬ気もない平和主義の理想論者の皆さま

 (北朝鮮のミサイルが国内に落ちることを心から願うヨ・・・堕ちる場所は理想論者と核反対論者の人の頭に落ちてネ、ついでに永田町エリアにも・・・・・・)


「斥候サンダース軍曹です!!」




 ヘルマン・ヘッセがかつて精神的な危機を乗り越えて、小説『デミアン』を書きあげ出版に至る背景には、カール・グスタフ・ユングの深層心理学による治療と思想的な影響があったように、村上龍も1987年に講談社より出版された『愛と幻想のファシズム』を書きあげる源泉と思考に影響力を与えた人物がいる。

 それは『愛と幻想のファシズム』に登場する主役の“トウジ”こと鈴原冬二とは、実在のモデルがいて、このモデルとされる男が村上龍の精神的な危機を救う。そして同じく登場人物のゼロこと相田剣介とは、村上龍の存在自身がそのモデルとして反映した人物像。

 現在は、絶版になっている講談社の1991年に出版された『原始思考法』は、本の帯に村上龍の推薦文があり、この本の著者である齋藤令介なのだが、この本に著者がはじめにと、書かかれた序文を以下に抜粋する。

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 何かがずれて、どこかが狂っている、と、誰もが感じ始めている日本。子供たちに少年たち、女たち、男たち、マスコミ、警察、政治、社会のどこもかしこも、何かがおかしい。

 氾濫する情報、一体、どの情報を信じたらいいのか? 情報は真実なのか?頭の中は押し寄せる情報が交差し、ただ流されストレスがたまっていく。頭の中に多くの情報を抱えている人、すなわち知識人ほど複雑に考え、悩みや苦しみを多く持ってしまう。頭がよいゆえにいくとおりもの道を考え、そして・・・・・・オーバーヒート。

 作家の村上龍もそうだった。私と村上龍が初めて会ったのは1983年のことだった。そのとき彼は映画の失敗で落ち込んでいて、文章も書けない状態だった。そして悩み、苦しんでいた。そして働きたくないといった。

 あまりに暗い顔をしているので、私は彼に質問をした。

 「家族を食わす分は稼いでいるのか?」

 彼はそのくらいは稼いでいると答えた。私は、

 「お前は狩人だよ。だから餌がある時は働きたくないのだ。農耕民族的資質を持つ男たちは毎日働かなければ安心しないけれど、狩人の血を持った男は餌があるかぎり働きたくなくなるのだよ」

 このように告げた時、彼の顔は劇的に変わった。彼を覆っていた平均的日本人的思考法は、私の言葉によって飛び去ってしまったのだ。

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 その後、村上龍と齋藤令介の旅と交流がつづき、狩猟と原始思考法を伝授することで、村上龍の人生は変貌して次第に明るくなり、仕事もこなし遊びを楽しむ人生感を体得することになる。

 原始思考法を会得した村上龍は、快楽の本質を身につけて、書きあげた作品こそが、この『愛と幻想のファシズム』なのであるが、そのあらすじを以下に・・・・・・

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 アラスカで狩猟生活をする鈴原冬二は、人生に絶望して酒場で飲んだくれていた日本人のゼロと出会う。親しくなったゼロから日本の独裁者になるように勧められ帰国するトウジ・・・・・・

 当初は挑戦的なCMを出し注目を集め、世界経済が恐慌に向かい日本が未曽有の危機を迎えると、トウジとゼロの結成した政治結社「狩猟社」は大衆の支持を集めるようになる。

 国内の敵対勢力を手段を選ばず叩き潰し、勢力を拡大するとともに世界の再編成に乗り出した多国籍企業集団“ザ・セブン”による日本の属国化を阻止するためにも強力行動する。

 まず自衛隊にダミー.クーデターを起こさせ国会議事堂、首相官邸などを占拠させ、それからまもなく人質の解放と武装解除の交渉のためにテレビに登場し、そこで米ソの世界再編成の陰謀を暴露を会見する。

 その後、国会は解散し総選挙で革新政権を誕生させて崩壊させた。そしてこのような混乱状態のなか鈴原冬二と狩猟社だけが唯一の国民の希望の星となる。

 その間にイスラエルと秘密協定を結びプルトニウムを手に入れ戦術核を製造し、これを配備し、同時にハッカーたちによって情報を混乱させながらアメリカの牽制に成功する。

 最終的には、米ソと対等の地位を手にいれた日本は世界からも一目置かれるようになる・・・・・・。



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「Checkmate King 2, this is White Rook, over.」

「This is King 2, roger, out. All right, that's it - let's get outta here ! 」


 ・・・・・・眠りの精はお菓子のピエロ、斥候サンダース軍曹です!



 村上春樹の『1Q84』という小説を二年ほど前に夢中に読んだが、この物語を読むことで派生的に多くの小説を読み、映画を観て、音楽を聴いた覚えがある。ある意味、この村上春樹の作品は“引用の文学”でありエンターテイメントであった。

 小説のタイトルからしてジョージ・オーウェルの近未来小説の『1984』からの発想と物語のベースになっている。地下鉄サリン事件を匂わせる内容には、物語に登場する宗教法人である“さきがけ”が出てくるが、つまり、この組織は、かつての“ヤマギシ会”がモデルであることは確かであろう。この“さきがけ”とは、元々は左翼系運動の組織が農業コミューンへと変質し、やがて宗教法人となり、あの“オウム”という事件と重ねられたのであろうと想像される。

 さて、“引用の文学”と冒頭で述べたが、その引用されたと思わしき作品群を列記しながら、あらすじを述べつつ話題とし展開していこう。


 『1Q84』のBOOK1では、冒頭に「青豆の物語」から始まる。そして「天吾の物語」が交互に二人称のように展開していく。青豆とは年齢が29歳ぐらいの独身女性の苗字で名前はBOOK1では明かされていないが、青豆雅美という主要人物の一人。この青豆という女性が乗ったタクシーが首都高で渋滞にあうことから、物語は始まる。

 青豆はとても重要な仕事に遅れる訳にいかず、渋滞の高速道を運転手のアドバイスにより、途中下車して非常出口から降りるお話しが冒頭の出来事。タクシーのラジオから流れるヤナーチェックの「シンフォニエッタ」が印象的に響き、青豆はうまく渋滞から逃れた。まず、このヤナーチェックの曲が物語の全編に印象的にBGMの如くにテーマ曲さながら鏤められている。

 次に、「天吾の物語」が始まるのだが、川奈天吾は東京都内の予備校に数学講師として務めながら、売れないながらも小説をコツコツと書いている無名の作家で29歳ぐらいの背の高い独身男性である。小松という某出版社の編集者が天吾に或る話を持ちかけてくる。

 それは、‘ふかえり’(深田絵里子)という17歳の少女が「空気さなぎ」という小説を新人賞に投稿してきたが、小説世界は魅力に溢れる構想と構造でも、筆力とレトリックがその作品に伴わずに、それを天吾に補って作品化して欲しいという要望だった。つまりゴースト・ライターとして腕を貸して欲しいとう要望で、それにより、ふかえりの作品を新人賞に当選させる思惑を天吾に打診する。

 青豆という女性の物語は、ミステリー的にしてハード・ボイルド風に進んでいく。それは片岡義男を彷彿とさせるレトリックに近い表現形式に思える。例えば、片岡義男の1992年前後に発表された小説で、『彼女のリアリズムが輝く』『狙撃者がいる』『花模様にひそむ』などのヒロインと人物造形や描写が非常によく似ているいる。

 片岡義男の小説も女性の暗殺者がヒロインであり、主に拳銃という銃器を扱う達人として登場するが、青豆も暗殺を裏の仕事にしているのだが、殺しの技は池波正太郎の『仕掛人梅安』シリーズと同じであるところが面白い。

 天吾のお話しは、‘ふかえり’という個性的で不思議な魅力をたたえる少女が登場して、こちらの物語も引き込まざるをえない。ふかえりの描いた小説の『空気さなぎ』は、物語に出てくるリトル・ピープルを表したことで、この小説は新人賞を得て、世間に大きな話題をふりまくことになる。

 しかし、ふかえりは宗教法人「さきがけ」をモデルとした「リトル・ピープル」に狙われて、身の危険を感じ失踪することでBOOK1の物語は終える。

 青豆と天吾の物語は別々に進んでいくのだが、その宗教団体の「さきがけ」が二人の物語にやがて深く関わりながらも、やがて二人の人生に深く影響していく。この「さきがけ」或いは「リトル・ピープル」とも呼ばれるかも知れない組織が青豆と天吾をやがて結びつけるのだが、実は二人は10歳の時に小学校で接点があり、青豆は今でも少年だった頃の天吾に強く恋焦がれているのであった。

 青豆雅美はプロの殺し屋であるが、殺しの武器は改良されたアイスピックで、つまり、首の後ろの延髄にあるポイントに針を差し込む方法である。最初の青豆の殺しは私的な出来事であったが、親友の大塚環が自殺した原因がドメスティック・バイオレンスにあり、環の旦那をアイスピックで復讐として殺したことにある。

 ジョージ・オーウェルの『1984年』に登場するビック・ブラザーは、『1Q84』ではリトル・ピープルという幻想的な存在として登場しているけれども、リトル・ピープルは「空気さなぎ」をつくる6人の或いは7人の小人たちの事である。

 『1Q84』の作品は、青豆の物語と、天吾の物語が交互にBOOK1と2で展開していくが、BOOK3では、「牛河の物語」が加わる。つまり物語は三人称のように途中で展開していく訳である。

 青豆は物語の冒頭で、どうしても渋谷のホテルに於いての、はずせない大事な仕事があり、首都高の渋滞から免れたのであるが、この降下によりパラレルワールドへと移るキッカケとなってしまったようだ。それはルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』で例えるならば、あの「兎の穴」なのであった。

 そして「兎の穴」を降下した青豆は月が二つ見えるその不思議な国であるパラレルワールドを・・・・・・「1Q84」と、独自に名付けて呼んだ。「牛河の物語」は青豆と天吾だけが見える二つの月が見えるようになる男で、二人の敵でもある「さきがけ」に雇われた探偵であるのが牛河という存在。

「天吾の物語」は、幻想文学や怪奇小説風で展開しているの特徴的で、ふかえり(深田絵里子)の巫女的存在が特におもしろく、そのような要素で物語りが進行していく。

 天吾は小学生の頃から数学の神童であり、現在は予備校で数学の講師をして生業としながらも、小説も無名ながらも書いてもいる男だが、天吾の物語では、川奈天吾が‘ふかえり’(深田絵里子)という少女を媒体にしてパラレルワールドに迷い込むが、それはふかえりの小説であり、天吾が手をくわえた「空気さなぎ」という小説が空想から現実に移行することで、青豆の「1Q84」の異世界へと接近していくのである。

 その天吾が迷い込む異世界を、天吾は独自に「猫の町」と呼ぶ。「猫の町」とは、萩原朔太郎の散文的な詩のような小説風の作品である『猫町』と思わしい世界にも通じるが、その朔太郎の文を一部を以下に掲載してみよう。

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 私は、また例の知覚の疾病「三半規管の喪失」にかかったのである。山で道を迷った時から、私はもはや方位の観念を失喪していた。私は反対の方へ降りたつもりで、逆にまたU町へ戻って来たのだ。しかもいつも下車する停車場とは、全くちがった方角から、町の中心へ迷い込んだ。そこで私はすべての印象を反対に、磁石のあべこべの地位で眺め、上下四方前後左右の逆転した、第四次元の別の宇宙(景色の裏側)を見たのであった。つまり通俗の常識で解説すれば、私はいわゆる「狐に化かされた」のであった。

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 上記の朔太郎による不思議な異世界を著した幻想はパラレルワールドなのだが、村上春樹がBOOK3で房総のある町に病気の父親を見舞うために総武線の電車内で読んだ作品は朔太郎の『猫町』ではない。

 多分、それはイングランドかアイルランドにある旧い伝説だと思われる。その猫の町の伝説をアルジャーノン・ブラックウッドの創作による怪奇短編小説である『Ancient Sorceries』を読んでみるに、ここにもパラレルワールドが展開していた。

 ブラックウッドのこの作品は1908年に刊行された作品集に収められているから、明らかに朔太郎の『猫町』はブラックウッド或いはイギリスの怪奇伝説をもとにネタとされた作品である。

 ブラックウッドと朔太郎と村上春樹に共通する「猫の町」とは、鉄道で或る駅に降りて迷いこむパラレルワールドであることは一致していて、そのほかエピソードも多く共通している。

 いずれにしても、表層的にも深層的にも高密度な文学的にも洗練された作品として『1Q84』を読んだけれども、十分に満足させてくれたことは間違いない。BOOK3の最後に青豆と天吾が首都高速3号線を逆に昇り、異世界から抜け出すところで、このパラレルワールドが映画『決死圏SOS宇宙船』という映画を思い出させてくれるはずだ。

 さてさて、その他にもチェーホフのルポタージュである『サハリン島』をこの小説で初めて知ったのも読書の収穫であったが、引用された文学はオーウェル、ドストエフスキー、プルースト、バルザック、ディケンズ、フレイザー、「平家物語」、「今昔物語」、「山椒大夫」、グリム童話や不思議の国のアリス、カール・ユングの自伝やディネーセンの『アフリカの日々』などの引用が特に印象的であった。

 映画からの引用は、『ミクロ決死圏』『渚にて』キューブリックの『突撃』『ペーパームーン』『ゲッタウェイ』『スティング』『隠し砦の三悪人』『蜘蛛の巣城』に、ショーン・コネリー、フェイ・ダナウェイなどの役者による引き合いで引用が心に残る。

 音楽の引用では特に多く、ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』にはじまり、クラッシック、ジャズ、ロックンロール、ビートルズ、ソニーとシェール、ローリング・ストーンズ、アバ等々とてんこ盛り状態。

 それに天吾の年上のガールフレンドである安田恭子による月に関するお話で、“lunatic”と“insane”の違いを、天吾に語る民俗学的な話題も大変に興味ある逸話として心に残るが、ふかえりちゃんが魅力的な少女として面白い存在として一際ひかり、朗々と平家物語を諳んじるシーンが彼女の魅力を輝かせていた。(了)
 

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――― 斥候サンダース軍曹です! ―――



 ドストエフスキーの有名な小説『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフは、多分、強迫神経症だったと思われる。その神経症から殺人を犯してしまうが、その後、良心の呵責のために苦悩する。それも漸く娼婦のソーニャによる愛によって魂を救われる事となるのだが、これは愛が神経症を救うという典型的な物語でもある。

 犯罪にまで至らなくても、わたしたちの日常では、不安や苛立ち、劣等感や罪悪感、どうしょうもないサディズムとか攻撃衝動を、愛によって無意識のうちに解消していたりする場合は、意外にも多いことだと思われる。また、他人に愛された経験の少ない人、あるいは愛の対象を奪われた人が、しばしば心の均衡を狂わしてしまう事件や物語も多いことであろう。

 “精神分析学の巨頭”-ジークムント・フロイドが以下のようなことを述べているので、以下に掲載しておこう。

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 「下界の現実の対象によって、また愛の要求により、愛の要求が満たされている限りは、その個人は幸福であった。だが、この対象を奪われ、これに対する代理が見つからないと、神経症に陥る。この場合、幸福は健康と合致し、不幸は神経症と合致する。神経症の治療は、失われた満足の可能性に対して、代理をあたえることのできる運命によって決まり、それは医師によるよりも容易である。」

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 このフロイドの言葉から考えてみると、神経症の患者が如何なる愛の喪失や欲求を秘めていて、その秘められた部分を発見し、医師はある程度の原因をつきとめられるであろうが、運命的にその患者に対して、その埋められない愛の充足を満たせなければ神経症は完治できないともいえる。

 角川文庫の昭和50年初版発行の小説で、なだいなだ氏の『れとると』を読むに、精神科の医師が男性で、患者が女性の場合に、医師との信頼関係が出来て、やがて患者は心を開き、自分の心の傷や過去の記憶にぶつかりながらも葛藤を繰り返して、やがて自分自身の現在の病気の深い原因を発見すると、そこで治療が終わるのだが、殆どの患者が女性の場合、男性の医師に対して恋愛感情を生じるらしいのだ。

 小説『れとると』では、神経症の患者に少女が登場する。少女は杉原ユキという10歳の女の子であり、スクレロフォビーつまり登校拒否の小学生である。医師は32歳の男性医師であり、最終的に治療は成功するが、少女は医師に対して恋心を抱くのである。

 医師は患者の求める快感原則の海に溺れるわけにはいかないので、治療後に患者の幻想を現実原則の試練を与えて、患者に快感原則にしたがって生きることの難しさを教えてやる必要がある。ある意味、これは神経症の原因を探るよりも難しい処置かも知れない。

 シュテーケルも述べているように、「真の愛は最高の医者であり、すべての病気を治す」のだとあるが、真の愛を獲得することも人生ではなかなかの難問といえる現実であり、運命的なことかも知れない難関である。人生とは愛の試練であるとアフォリズムに一行に付録しておこう。




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 ・・・・・・夢の斥候ことサンダース軍曹です!





 先日は宇月原清明の異色幻想歴史小説である『信長、あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』を紹介したが、本日は、国枝史郎の小説『神州纐纈城』を彷彿とさせる同作家の豊臣秀吉と甥の秀次の物語である『聚楽、太閤の錬金窟』(新潮社-2002年に新潮文庫化)のあらすじと、秀吉の歴史的ミステリーについてのお話・・・・・・

 豊臣秀吉による太閤の天下統一もなって数年、「殺生関白」こと秀次は、異端の伴天連ポステルと聚楽第に巨大な錬金窟(グロッタ)を作りあげ、夜ごとの秘教祭儀を繰り広げていた。

 この京洛の地下に隠された謎をめぐって暗躍するのは、家康や三成らの諸侯、蜂須賀党や伊賀忍者の乱破、イエズス会異端審問組織「主の鉄槌」などなど。秀吉が頑なに守る秘密、そして秀次の企みとは?・・・・・・、権力の野望に魅せられた男たちの狂気を描く、オカルトとエロスの椀飯振舞、異端幻想戦国絵巻。

 ここまでは『聚楽、太閤の錬金窟』のあらすじだが、戦国時代から安土桃山時代の歴史で織田信長の存在は魅力的な逸話がたくさんあるが、豊臣秀吉についても同じことがいえるであろう。

 その秀吉の死因を2009年に学術論文により、脳神経外科医で作家の若林利光さんが、当時の症状などを基に「脚気(かっけ)」とする病状の新説をまとめて発表している。

 脚気とは、いわゆるビタミンB1不足で起きる。足のしびれ・むくみが典型的な症状だが、下痢や失禁、精神錯乱、心不全なども引き起こす。食事が白米中心だとかかりやすく、かつては富裕層に多かった。

 若林さんによると、当時の宣教師がイエズス会に送った報告書に、秀吉が死の直前の約2ヶ月間、下痢を患って狂乱状態に陥ったとある。その他に失禁の記録もあり、いずれも脚気の症状と合致している。

 脚気(かっけ、英: beriberi)は、ビタミンB1欠乏症の一つで、ビタミンB1(チアミン)の欠乏によって心不全と末梢神経障害をきたす疾患である。心不全によって下肢のむくみが、神経障害によって下肢のしびれが起きることから脚気の名で呼ばれる。心臓機能の低下・不全(衝心)を併発したときは、脚気衝心と呼ばれる。

 ビタミンB1はチアミンとも呼ばれ、ビタミンの中で水溶性ビタミンに分類される生理活性物質である。 サイアミン、アノイリンとも呼ばれる。日本では1910年に鈴木梅太郎がこの物質を米糠から抽出し、1912年にオリザニンと命名したことでも知られる。脚気を予防する因子として発見された。

 チアミンは糖質および分岐脂肪酸の代謝に用いられ、不足すると脚気や神経炎などの症状を生じる。卵、乳、豆類に多く含有される。

 江戸時代のお江戸では、富裕層の間で玄米にかえて精米された白米を食べる習慣が広まり、将軍をはじめ富裕層に脚気患者が多かったと伝わる。脚気は、元禄年間に一般の武士にも発生し、やがて地方に広がり、また文化・文政に町人にも大流行し、“江戸患い”と呼ばれた。

 経験的に米にかえて蕎麦(ビタミンB1を含む)を食べると、快復に向かうことが分かっていたため、漢方医学では療法として用いられていたものの、その知識が一般化することは無かった。

 大正期以降、ビタミンB1を含まない精米された白米が普及するとともに安価な移入米が増加し、副食を十分にとらなかったことで多くの患者を多く出し、結核とならぶ二大国民病といわれたこともある。

 国民の脚気死亡者数は、大正末期に年間2万5千人を超え、昭和期に入っても日中戦争拡大などで食糧事情が悪化する1938年(昭和13年)まで毎年1万人〜2万人の間で推移した。1千人を下回ったのは、アリナミンとその類似品が浸透する1950年代後半であった(1950年(昭和25年)3,968人、1955年(昭和30年)1,126人、1960年(昭和35年)350人、1965年(昭和40年)92人)。

 しかし1975年(昭和50年)ごろからジャンクフードの普及により、脚気が再発してきた。アルコール依存症患者にも多く、アルコール分解の際にビタミンB1が消費されることと、偏食もかかわっている。

 さて、秀吉なのであるが、彼は生まれつき右手の指が六本あったのだ。しかし、このことは秀吉が天下をとって、あらゆる秀吉の伝承や文献から削除されたので、奇形であった指の事実は隠蔽された。この秀吉の六本指は多指症とされるものである。

 多指(趾)症(たししょう)とは、手足の先天性の形状異常のひとつであり、指(足の場合は趾)が分離形成される段階で、1本の指(趾)が2本以上に分かれて形成される疾患のことである。結果として手足の指の数が6本以上となる。

 反対に、指の数が少ないのを欠指(趾)症という。手足の先天性異常では比較的多くの割合を占め、様々な症候群に合併する。

 ・・・・・・豊臣秀吉が右手の親指が2本あったと、歴史的な記録に残るのはルイス・フロイスと前田利家が記録している。




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