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「Checkmate King 2, this is White Rook, over.」
「This is King 2, roger, out. All right, that's it - let's get outta here ! 」
・・・・・・夢の斥候ことサンダース軍曹です!
先日は宇月原清明の異色幻想歴史小説である『信長、あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』を紹介したが、本日は、国枝史郎の小説『神州纐纈城』を彷彿とさせる同作家の豊臣秀吉と甥の秀次の物語である『聚楽、太閤の錬金窟』(新潮社-2002年に新潮文庫化)のあらすじと、秀吉の歴史的ミステリーについてのお話・・・・・・
豊臣秀吉による太閤の天下統一もなって数年、「殺生関白」こと秀次は、異端の伴天連ポステルと聚楽第に巨大な錬金窟(グロッタ)を作りあげ、夜ごとの秘教祭儀を繰り広げていた。
この京洛の地下に隠された謎をめぐって暗躍するのは、家康や三成らの諸侯、蜂須賀党や伊賀忍者の乱破、イエズス会異端審問組織「主の鉄槌」などなど。秀吉が頑なに守る秘密、そして秀次の企みとは?・・・・・・、権力の野望に魅せられた男たちの狂気を描く、オカルトとエロスの椀飯振舞、異端幻想戦国絵巻。
ここまでは『聚楽、太閤の錬金窟』のあらすじだが、戦国時代から安土桃山時代の歴史で織田信長の存在は魅力的な逸話がたくさんあるが、豊臣秀吉についても同じことがいえるであろう。
その秀吉の死因を2009年に学術論文により、脳神経外科医で作家の若林利光さんが、当時の症状などを基に「脚気(かっけ)」とする病状の新説をまとめて発表している。
脚気とは、いわゆるビタミンB1不足で起きる。足のしびれ・むくみが典型的な症状だが、下痢や失禁、精神錯乱、心不全なども引き起こす。食事が白米中心だとかかりやすく、かつては富裕層に多かった。
若林さんによると、当時の宣教師がイエズス会に送った報告書に、秀吉が死の直前の約2ヶ月間、下痢を患って狂乱状態に陥ったとある。その他に失禁の記録もあり、いずれも脚気の症状と合致している。
脚気(かっけ、英: beriberi)は、ビタミンB1欠乏症の一つで、ビタミンB1(チアミン)の欠乏によって心不全と末梢神経障害をきたす疾患である。心不全によって下肢のむくみが、神経障害によって下肢のしびれが起きることから脚気の名で呼ばれる。心臓機能の低下・不全(衝心)を併発したときは、脚気衝心と呼ばれる。
ビタミンB1はチアミンとも呼ばれ、ビタミンの中で水溶性ビタミンに分類される生理活性物質である。 サイアミン、アノイリンとも呼ばれる。日本では1910年に鈴木梅太郎がこの物質を米糠から抽出し、1912年にオリザニンと命名したことでも知られる。脚気を予防する因子として発見された。
チアミンは糖質および分岐脂肪酸の代謝に用いられ、不足すると脚気や神経炎などの症状を生じる。卵、乳、豆類に多く含有される。
江戸時代のお江戸では、富裕層の間で玄米にかえて精米された白米を食べる習慣が広まり、将軍をはじめ富裕層に脚気患者が多かったと伝わる。脚気は、元禄年間に一般の武士にも発生し、やがて地方に広がり、また文化・文政に町人にも大流行し、“江戸患い”と呼ばれた。
経験的に米にかえて蕎麦(ビタミンB1を含む)を食べると、快復に向かうことが分かっていたため、漢方医学では療法として用いられていたものの、その知識が一般化することは無かった。
大正期以降、ビタミンB1を含まない精米された白米が普及するとともに安価な移入米が増加し、副食を十分にとらなかったことで多くの患者を多く出し、結核とならぶ二大国民病といわれたこともある。
国民の脚気死亡者数は、大正末期に年間2万5千人を超え、昭和期に入っても日中戦争拡大などで食糧事情が悪化する1938年(昭和13年)まで毎年1万人〜2万人の間で推移した。1千人を下回ったのは、アリナミンとその類似品が浸透する1950年代後半であった(1950年(昭和25年)3,968人、1955年(昭和30年)1,126人、1960年(昭和35年)350人、1965年(昭和40年)92人)。
しかし1975年(昭和50年)ごろからジャンクフードの普及により、脚気が再発してきた。アルコール依存症患者にも多く、アルコール分解の際にビタミンB1が消費されることと、偏食もかかわっている。
さて、秀吉なのであるが、彼は生まれつき右手の指が六本あったのだ。しかし、このことは秀吉が天下をとって、あらゆる秀吉の伝承や文献から削除されたので、奇形であった指の事実は隠蔽された。この秀吉の六本指は多指症とされるものである。
多指(趾)症(たししょう)とは、手足の先天性の形状異常のひとつであり、指(足の場合は趾)が分離形成される段階で、1本の指(趾)が2本以上に分かれて形成される疾患のことである。結果として手足の指の数が6本以上となる。
反対に、指の数が少ないのを欠指(趾)症という。手足の先天性異常では比較的多くの割合を占め、様々な症候群に合併する。
・・・・・・豊臣秀吉が右手の親指が2本あったと、歴史的な記録に残るのはルイス・フロイスと前田利家が記録している。
・・・・・・こちらホワイトルークでした!
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