空閨残夢録

上層より下層へ中心より辺境へ表面より深淵へデカダンよりデラシネの戯言

新撰小倉百人一首

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「Checkmate King 2, this is White Rook, over.」

「This is King 2, roger, out. All right, that's it - let's get outta here ! 」


 ・・・・・・夢の斥候は、眠りの精ペパー軍曹、もとい!・・・サンダース軍曹です!




♪あれ松虫が、鳴いている
 ちんちろちんちろ、ちんちろりん
 あれ鈴虫も、鳴きだした
 りんりんりんりん、りいんりん
 秋の夜長を、鳴き通す
 ああおもしろい、虫のこえ♪


 日本列島は今日も各地で猛暑でありますが、こちら蝦夷地は奥地の十勝清水では、本日の最高気温は28度ぐらいで湿度35%ほどでさわやかな快晴、木蔭に入れば涼やかであります。野原ではキリギリスが鳴いているし、夕暮れになると草叢では虫の声が小さく響いている。

 槿の花が咲いたと思ったら、野山では萩の花も咲いていたりと、こちらでは夏も秋も混在した趣であるが、暦のうえではいずれにしても秋なんでありますネ。

 「秋は、夕暮。夕日のさして、山の端(は)いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの列ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。」 - 清少納言三巻本系『枕草子』

 ボクのお家には以前暮らしていた人が畑にしていた庭があるが、手入れをしないので、今では其処は雑草で覆われ荒れた佇まいなのだが、秋の虫の声が聴こえてくるので、最近では自然のBGMを楽しめるのであった。

 小倉百人一首で秋の虫の声を詠ったものはないかと調べてみると、一首みつける。




 「きりぎりすなくや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかもねむ」 --後京極摂政前太政大臣




 この歌は秋は秋でも晩秋の趣ですネ。なんだかこの歌を思うとアリとキリギリスのお話しを思い浮かべてしまう。

 イソップのお話に登場するアリとキリギリスの寓話は誰もがよく知っておりますが、原話の「アリとキリギリス」のお話は実は、「アリとセミ」だったみたいなんですよネ。

 イソップの寓話で、「アリとキリギリス」は夏の間にバイオリオンを奏で楽しむキリギリスと、冬の食料を確保するために、セッセッと貯蓄する働き者のアリたちのお話し。

 このお話は紀元前600年前後に実在したという、古代ギリシャの作家でアイソポスの寓話なんですが、英語で Aesop と表記して、これを発音するとイソップと呼ぶ、本邦ではお馴染みの物語ですネ。

 アイソポスの一連の動物寓話は他に、『ウサギとカメ』、『北風と太陽』、『金の斧』、『狼少年?』・・・・・・嘘つきな子供の話で、「狼が出たぞ〜」の狼にまつわる話なんかが有名ですネ。

 『アリとキリギリス』のお話は、アイソポスは「蟻と蝉」と著わしていて、ヨーロッパにコノ物語が広がるにつれて、セミがバッタに変わっていきました。つまり、セミは熱帯と亜熱帯の昆虫なので、イギリスにこの話が伝わるとセミよりも、身近なバッタに改編されて、やがて、本邦には英国からコノ話が伝わりキリギリスとなったそうな・・・・・・。

 そこでキリギリスは弦楽器を弾いているようですが、セミくんは笛を吹いていたそうですヨ。

 それよりも、アイソポスがこの寓話を創作したというより、それ以前から伝わるお話をまとめて、更にアイソポスの死後にも寓話は追加され、これら『イソップ物語』があるようですネ。

 そこで、この『アリとキリギリス』のお話は、西欧ではエンディングはほぼ同じで、やがて冬が到来するとキリギリスは飢えて、アリたちの処へ食べ物を乞いに行きますが、「夏は歌っていたんだからさぁ〜、冬は踊っていればイインじゃん!」と断られるのでした。トホホ(ーー;)

 1593年にコノお話が本邦に伝わると、『エソボのハブラス』ではアリたちはキリギリスを皮肉るが、食料は与えてあげるのです。(^^ゞ・・・・・・

 1600年に本邦で出版された、『伊曽保物語』ではアリたちはキリギリスを助けません。(ーー;)

 一般化され昭和初期まで伝わるのは後者の、『伊曽保物語』系の伝聞が及びます。

 1934年(昭和9年)に米国でウォルト・ディズニーが、コノ話をアニメ映画にいたします。タイトルは『The Grasshopper and the Ant = THE SILLY SYMPHONIES』でございます。

 このディズニー映画の影響により、日本の戦後からは、『アリとキリギリス』は結末で、アリたちはキリギリスに食べ物を与えるのでした。(^^)v

 ディズニー映画のエンディングは、食べ物を乞いにアリの王国にやって来たキリギリスは食料を与えられて、その感謝の気持ちを込めて、アリの女王さまや働きアリの前でバイオリンを弾いてお返しとしました。

 そして、キリギリスの奏でる楽器の響きにより、アリたちの心は芯から暖かくなり幸せに暮らすことができたそうな・・・・・・。

 さて、こちら北海道も今年の夏は暑いほうで、昼間は蝉が鳴き、夕暮れは草叢から虫の音が聴こえるのですが、たまたまお昼にNHKの生中継番組を見るともなしに観ていると、本日は京都が中継場所で、貴船川の川床の映像が放映されていた。

 京の川床は、桃山時代後期、裕福な人々が鴨川の中州や浅瀬に床机を設け、遠方からの客をもてなしたのが始まりといわれている。

 貴船の川床では、街中での暑さが嘘のような清々しい空気が漂う。貴船川の清流の水面より数十センチに作られた川床は「天然クーラー」の中に居るかのよう。貴船は「京の奥座敷」と呼ばれるほどその歴史は長く、約20件のお食事どころでは、川魚などをメインの料理でもてなしてくれる。青々とした木々に囲まれた自然の中でのお食事はなんとも風情を感じるし雅やかであった。

 話は右左斜めに大きく逸れたが、新撰の小倉百人一首は後京極摂政前太政大臣の歌でしめくくろう。




 「幾夜われ波にしをれて貴船川袖に玉散るもの思ふらむ」




 ・・・・・・こちらホワイトルークでした!
 

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・・・・・・十勝清水駅前壺中庵主人こと、斥候サンダース軍曹です!




  あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む (定家撰)


  もののふの八十氏河の網代木にいさよふ波の行く方知らずも (邦雄撰)



 小倉百人一首、三番目の歌人は柿本人麿の秋の歌だ。「あしびき」は山の枕詞、「しだり尾」とは長く垂れ下がった尾っぽ、「ながながし夜」=長い長い夜、「ひとりかもねむ」=かもとはやるせないよう気持ちを含んだ助詞で、「山鳥の尾の長く垂れ下がったような長い長い夜を独り寝する侘しさや」と少々ながら歎いているのだが、山鳥は習性として、夜には雌雄が谷を隔てて寝ると伝わり、独り寝の寂しさ侘しさを詠じている。

 人麻呂は持統天皇、文武天皇の両朝につかえた宮廷詩人。三十六歌仙の一人で、歌聖と仰がれる『万葉集』を代表する歌人だ。



  もののふの やそうぢがはの あじろきに いさよふなみの ゆくへもしらずも



 こちらは昭和百人一首の塚本邦雄の新撰からで、小倉百人一首の「山鳥の尾」も枕詞とそれを含む助詞で上の句全部が下の句を導く序詞となっているが、この「網代木」も同様、「もののふ」は、もともと多数にちなんで「八十氏」と称し、宇治河にこれを結んで「八十氏河」。

 時には、八十を省いて直接、「あをによし奈良山過ぎて もののふの宇治川渡り」のようにも歌う場合もあり。

 宇治川には初冬の頃から初夏にかけて、漁労の竹編みによる簀を仕掛けた。魚を堰くのが網の代わりの網代、それを固定する杭が網代木である。川水はここで激しく、泡立ち、たゆたひ、すなわち「いさよふ」。

 十六夜の月もためらひがちに昇るやうに見えるから「十六夜」の譬えがある。しばしやすらひつつ波は、水流はたちまち、遥か淀川の彼方へ消えて行く。ふたたびは帰らず、その行く末もわかりはせぬ。

 その流水さながらにわが身も、人の世も、寓意を推察し、無常を歎き、森羅万象のはかりしれぬ力を畏れる歌と解釈するかは、読者の自由でもあり、味わい方は様々でもあろう。






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百人一首 #2

「Checkmate King 2, this is White Rook, over.」

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  春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山  

  
  
 定家撰小倉百人一首の二番目の歌が上記の持統天皇によるもの、これぞ、日本の風景にして、ポピュラーソングといったところか・・・・・・「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」(#1)の作者は、百人一首のトップバッターである天智天皇の娘が持統天皇。


 
  北山に たなびく雲の 青雲の 星離りゆき 月を離りて



 上記に掲げた歌も持統天皇の作によるが、昭和新撰小倉百人一首は塚本邦雄撰による歌・・・・・・「星離りゆき」「月離りて」は(ほしさかりゆき)(つきをさかりて)と読む。

 持統天皇は657年齋明三年、13歳にして、当時26〜7歳の大海人皇子の妃となる。妃の表す、青雲、星、月が鮮やかに印象的な歌である。

 古代の青は、曖昧模糊とした色合いらしく、必ずしも群青(ぐんじょう)、紺青(こんじょう)、緑青(ろくじょう)の青にあらず、藍より出でた青を意味しないらしい。この青雲はむしろ鈍色(にぶいろ)の雲であったであろうと塚本氏は曰く。

 色彩の印象で、この青い雲と星と月の関係も、イメージとして我々の心象にも影響は少なからずあろうと思われる。青雲に、星が離れて、月が離れていくというイメージは明け方の映像なのかも知れない。




 ・・・・・・こちらホワイトルークでした!

 

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百人一首 #1

「Checkmate King 2, this is White Rook, over.」

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 歌がるた遊びも今では消えてしまいそうな世の中であるが、カルタにある百人一首は藤原定家が撰んだ百首の和歌がもとになったと伝わる。

 定家は鎌倉時代前期の歌人で、百首はほぼ年代順である。『万葉集』の時代の歌ではじまり、平安時代初期の歌人がつづく。そして後宮が栄え、王朝文化が華ひらく10世紀から11世紀の歌となり、後半に『新古今和歌集』を中心とする鎌倉初期の歌がきて終わる。

 時代は7世紀半ばから13世紀の前半まで、六百年にわたっている。この定家撰『小倉百人一首』の一番は天智天皇から百番の順徳院までの歌を、塚本邦雄の1980年/文藝春秋/刊『新撰小倉百人一首』からも掲げさせていただく。

 『新撰小倉百人一首』とは、歌人の故・塚本邦雄による、制限が多少あるものの、98人から、かけがえのない一首を撰び上げた私撰小倉和歌集である。

 『小倉百人一首』と呼ばれるのは、定家がこれを編纂した地が小倉山であったと伝えられているためである。さて、この詞華集から一番の天智天皇の歌を掲げよう。



  秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ (定家撰)

  
  朝倉や 木の丸殿に わがをれば なのりをしつつ 行くはたが子ぞ (塚本撰)




 ・・・・・・こちらホワイトルークでした!



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