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Checkmate King 2, this is White Rook, over.
「チェックメイト・K2・・・こちらホワイトルークどうぞ!」
This is King 2, roger, out. All right, that's it - let's get outta here !
「どうぞ!・・・こちらキング・2・・・応答せよ!」
ソドムとゴモラの斥候ことサンダース軍曹です!
性的コードを破ったものが「旧約聖書」では厳しく罰せられるのはイスラエル民族の掟であり、同性愛もこれを免れることはない。「汝、女と同衾するが如くに男となすべからず、これを行うは憎むべきことなり」(レビ記・第18章)、「人もし女と同衾するが如く男と交じ合えば、これその二人を憎むべき行いなり、必ず死をもって償うべし、その血は己に帰せん」(レビ記・第20章)。
創世記18章(16節〜33節)にアブラハムの甥ロトとその家族がソドムに暮らしていて、神はソドムとゴモラを滅ぼす旨を伝えるが、アブラハムは甥の家族のために赦しを神に乞うのだが、神はこの願いをとりあえず受けて、天使を二人ほど使者としてロトの家に及ぼす。
されどソドムの住人はロトの家に来たこの神の使者である訪問者を、自分たちの性的な快楽の道具のために差し出せと要求する。ロトはそれを拒み自分の二人の娘を代わりに差し出すと返答するが、ソドムの住人はそれを受け入れず納得しなかった。ロト一家はソドムを天使たちに導かれて脱出に成功するが、ロトの妻はソドムの町の未練のために塩の柱となる。
斯様な伝説を踏まえて、ソドムの住人たちを淫行の象徴とし、獣姦と男色が盛んに行われている場所として、歴史的に刻印されることとなり、ギリシヤ語の Sodom 、ラテン語の Sodoma 、が言葉として現代に残った。
さて、昨夜は三島由紀夫との友情を、自伝的な歴史をふまえて描いたとされる著作の、福島次郎の『三島由紀夫 剣と寒紅』について読書後に感想としたが、同性愛にすれ異性愛にすれ回想録として表わすのであれば、筆者は個人的な性的関係性を他人に漏らす感覚には、やはりボクには理解できない世界だ。
それは愛の秘儀や秘蹟には、俗なる世界に公開する感性はルール違反の行為でもあろうが、それを描くことは小説では難解なテーマでもある。ポルノグラフィーにもなれば、それを越えた文学にもなろう。
その微妙な領域を福島次郎氏は、至らないコモンセンスから、俗なる覗き見趣味者の関心事を刺激するだけの、ただただ俗世間のスキャンダルの餌食になるような、餌を振りまく陥穽に落ちた。・・・・・・多分、生涯に筆者はその陥穽を理解できずにいたのであろうネ。
本人もズレた自分を客観的に文章として構文として冷静に描いているつもりであるが、芯がズレた感覚では文学は成立しないであろうし、たとえ芯がズレていても、その感覚を文学的に完成できる人も存在するのである。そのブレに本人が意識を深く向ければ三島由紀夫に失礼な表現をしなかったと思われのです。
この福島次郎という人についてはこれ以上は表沙汰にはお話しはしたくはない。その人の内面の性的な嗜好や独自性には興味深くもあるが、あの世で三島氏に一刀両断されてもかまわい人であろう存在でしょうネ。ボクなら居合いで眉間を断ち切ると思われますネ。
それと『三島由紀夫 剣と寒紅』の本は、その装丁であるが、グイド・レーニによる聖セバスチャン殉教図なのだが、この絵に関しては過去に何度も述べているので今宵は話題としない。
しかし、この殉教図絵はルネッサンス時期に多くの画家が題材としたが、そのなかでもソドマという画家もこのテーマを題材としていて、後世に獣姦や男色を意味する渾名で美術史には存在するのかが理解できないし、判明できないのである。
同時代にあるレオナルドやミケランジェロでさえ、男色の非難を恐れていた時代なのに、ソドマはホモエロティックな名前で過去の時代を活躍していたのかが興味深い。
それと、『三島由紀夫 剣と寒紅』では、戦後の頃はホモという言葉は巷に無かったと述べていて、ゲイという言葉が男性同性愛者の隠語として使われていたとある。
ボクとしてはこの述回も意外であった。ゲイという言葉は1980年代頃に構造主義哲学の用語として頻繁に登場していたからである。そもそも、その用語は歴史的に深くあり、以下にウィズダム英和辞典(三省堂)の項目から抜粋する。
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gayの最初の意味(原義)はフランス語源の「陽気な」であるが,現在では「同性愛者の,ゲイの」の意味でよく使用される。「ゲイの」の初例は1935年の Geycat (a homosexual boy) に遡る。フランス語 (gai, gaie) でも近年「ゲイの」の意味で使用されるが,英語 gay(ゲイの)からの転用である。
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いずれにしても、ゲイでもホモでもよいのだが、男色なりソドミーに獣姦という意味があるのがボクには面白いことで、鶏姦という言葉が男性の同性愛で肛門性交を表わす旧い言葉としてあり、この鶏姦の語源についても、中国から渡来した言葉と思われるのだが、ボクは昔からヨク理解していないのである。
ただ鶏という漢字がイメージを阻んでいて、古代の東洋では鳥は天使の比喩であり、仏教のイメージにもキリスト教の概念に似たイメージが存在する。
それは『阿弥陀経変相』に描かれた迦陵頻伽(がりょうびんが)の姿だ。・・・・・・これはイスラムやキリスト教世界の天使像でもあるが、ソドムの者たちは、天使と交接する行為を望むのは、聖なる世界の住人と、世俗にある穢れた獣のなせる性交という表現とも解釈もできる。
現実的に獣姦を成そうとする男性は鶏よりは等身大のオトナシイ山羊なんかのほうが行為しやすいと思われるのだが、古代アジアの秘儀宗教の神事で鶏との交接の神技でもあったかも知れない。・・・・・・それはわからないホワイトルークでした!
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