空閨残夢録

上層より下層へ中心より辺境へ表面より深淵へデカダンよりデラシネの戯言

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俺たちの旅 1975

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Checkmate King 2, this is White Rook, over.
「チェックメイト・K2・・・こちらホワイトルークどうぞ!」

This is King 2, roger, out. All right, that's it - let's get outta here !
「どうぞ!・・・こちらキング・2・・・応答せよ!」


戦場のミンストレルこと斥候サンダース軍曹です!



 日本テレビ系列で、その昔、日曜日の夜8時に放映されていたドラマの「俺たちの旅」は、1975(昭和50)年から翌年まで一年間にわたり人気番組としてお茶の間を沸かせたというよりも、少年のボクには、当時、かなり印象深い感動的なテレビドラマとして熱心に観ていたものです。

 この時間枠は、その当時、青春ドラマが視聴率をあげていた時期でもある。前放送では森田健作の「俺は男だ!」とか、それ以前を遡れば、「飛び出せ!青春」や「われら青春!」、さらに遡れば「「青春とはなんだ」とか「これが青春だ」という青春学園ドラマのルーツも放映されていた番組枠でもある。

 なんせNHKの大河ドラマが放送されている民放の裏番組でもあるからして、日本テレビにおけるこの時間枠のドラマは、かなり熱意を感じる娯楽的要素を抱えた企画の放送時間帯で、ボクの記憶は未だにうすれていないこの時間帯のドラマは思いで深い。

 そのなかのドラマでも「俺たち旅」は4クールという異例の人気番組であった。当時の民放では週1回の放送で2クールで企画されていたのが一般的で、24話を24週の半年で基本的に放映するスタイルが当時は普通であったと思う。

 視聴率が上がらなければ1クールの12話で打ち切り、視聴率が高ければ4クールという人気番組となっていた時代なのである。そこで思い出す限り、日テレの日曜8時枠で一年間の放映があったのは「俺たちの旅」だけだと思われる。

 「西遊記」という番組も視聴率が高く人気があったが、続編、続々編のかたちで2クールづつ分割されて放映されていたから、民放のドラマで一年間にわたり連続放送されたドラマは異例だと思う。まぁ〜それは人気番組であったからこそというワケだ。

 それでこの人気番組は青春ドラマという範疇なのだが、それまでの青春学園モノとは一線を画し、主人公のカースケこと中村雅俊演じるのは二流私大生、その友人で同じバスケ部のオメダを田中健の配役、カースケの同郷の先輩である冴えないサラリーマンを演じるはグズ六こと津村まさあき(秋野太作)が主役。

 これら3人を中心に物語りが進行する友情と青春群像が主題であるのだが、後に同じような企画で踏襲する「俺たちの朝」や「俺たちの祭り」というドラマも放映されることにもなる。

 さて、この「俺たちの旅」では音楽を小椋桂が担当して主題歌はヒットする。それでは以下をクリックして聴いてくださいな・・・・・・




俺たちの旅 OP
http://www.youtube.com/watch?v=LpUEpUV87e8

俺たちの旅 ED
http://www.youtube.com/watch?v=QBG91DosrvU

俺たちの旅 ED (ただお前がいい)
http://www.youtube.com/watch?v=hTRVMsFviiw



 このドラマの舞台とロケ地は、主に東京の吉祥寺でありまして、井の頭池やその公園が映像によくでてきます。・・・・・・今頃は桜が咲いて井の頭池の水際を花弁が寄せている頃でありましょうネ、そして、その散った花弁は神田川を流れていくことでしょうネ・・・・・・こちらホワイトルークでした!

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「どうぞ!・・・こちらキング・2・・・応答せよ!」



 詩の胎内から小説が生まれ、小説の胎内から戯曲が生まれた。つまり、詩のことばと構成のなかから小説が生まれ、小説のことばと構成のなかから戯曲が生まれたという意味であるが、このことを明らかにしたのは吉本隆明である。

 さて、詩や小説を読む人は多かろうが、こと同じ文学でも戯曲を読む機会は少ないと思われる。・・・・・・どうであろう、主に文学を多く読書をする人でも、シェイクスピア、チェーホフ、ベケット、テネシー・ウィリアムズぐらいまでで、好んで戯曲やシナリオを購読する人は少なかろうと思われる。

 戯曲を購読する前に販売され出版される部数自体が極端に少ないのが現状でもある。文学でありながら文学として読むよりも、演劇や映画の脚本として舞台化され映像化された作品として味わうことが多いともいえる。

 とまれ、戯曲の読みにくさにも、その一因があるともいえるが、登場人物の名前があたまにあって、その下に会話の文がある。モノローグでなければ、他の登場人物のリアクションとして、その会話を別の登場人物が反応するという形式が主な戯曲のシクミとなるが、一人の会話ごとにイチイチあたまに会話する人物の名がある。

 つまり、そのあたまの人物名のために、スラスラと小説のように読めない性質を抱えていて、ひとえに読者がセリフのあたまに位置する登場人物にイチイチ目を落とし、めんどうな、わずらわしい、動作により、会話が区切られることが、読書の感覚を連結できないことが主要因だと思われるのだ。

 とても読みにくいシクミが戯曲にはあるのだが、舞台や映画にするには重要な脚本でもある。役者は、この脚本となる戯曲なりシナリオなり台本をもとに演技するわけだが、佐々木昭一郎の『四季〜ユートピアノ』のシナリオをあらためて読んでみると大変に苦労した。映像を観ると心象に直通するのに、文として噛みしめるに咽喉を通らない違和感がある。

 しかし、佐々木昭一郎の映像をあらためて観ると、詩の胎内から小説が生まれ、小説の胎内から戯曲が生まれ、戯曲の胎内から映像が生まれたと感じましたネ。それが、やがて還元して詩となる。映像詩とは・・・・・・つまり、そんな表現なりたとえなのであろうと感じた。

 この生まれた映像を、人は芸術と呼んでいいのでしょうが、この映像の中に役者が戯曲のセリフを言葉として発するわけで、根源的にはことばと存在があるのですが、中尾幸世という女優の存在感は、人を演じる姿以上に、東北の、青森の、その風土の、自然と一体となって映っている。


NHKオンデマンド 「四季〜ユートピアノ}
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2009012084SA000/index.html?capid=mail_100820_c004_01


 ここで気がついたのですが、日本の映画界で黒澤明と肩を並べるほどの世界的には有名な小津安二郎監督の作品に常連で登場していた役者に笠智衆がおります。フーテンの寅さんこと『男はつらいよ』の映画で御前さまを演じていた俳優さんですネ。


小津安二郎 「東京物語」 予告編
http://www.youtube.com/watch?v=LjDWc-lQYnM


 この笠智衆を映画評論家の淀川長治は斯様に評しておりました。・・・・・・「海を見てるようだ。山を見ているようだ。その安らぎには、しかしきびしいものをも見る。笠さんがそれだ。(中略) 畳、障子、布団、そのなかの笠智衆を見ていると、心がとろける。まさにぴたりと日本なのである。夏のうずまきの蚊とり線香、冬の日の暖簾をくぐった屋台のラーメン。みんな日本であり日本の風景である。そのなかに自然にとけこんでしまう笠智衆に西洋人があこがれるのは、当然であろう。スウェーデンのマックス・フォン・シドーを思うひともあろうが、あの俳優の、ときに見せるギラギラとした演技を笠智衆には見たことがない。そよ風であり、松であり、谷のせせらぎで、どう思っても笠智衆は純粋の古来からの日本の風景だ。日本の山だ、日本の海だ。」

 淀川さんの炯眼には、いつも一目おきますが、ここで「日本の」という形容は特に意味を見出す必要はなく、淀川さんには笠智衆という役者が映像のなかで山や海のように、つまり自然や物の如くに見えていることが重要だと思われるのネ。

 つまり、人間以外のなにか・・・・・・に、淀川さんは笠智衆という存在をみている。


 ボクは若い頃に演劇を学んでいるが、ありがたいことに淀川さんが講師の一人だったりもした。今でも演劇科のテキストであったハンドブックを未だに持っているが、その演技入門のマニュアルに杉村春子の序文がある。杉村春子も小津安二郎組の常連さんの一人だネ。

 小津映画で杉村春子の役どころは、たいていは庶民的でどこにでもいるような小母さんである。そしてその演技は新劇界の天才といえるほど見事なものである。

 しかし、その演技や存在感は笠智衆とは決定的に異なっている。杉村春子の存在は人間にしか見えないし、その演技は人間を超えない。杉村春子が、笠智衆のように山に見えたり海に見えたりすることなど、つまり、人間以外のなにかに、見えることはないのですネ。

 その理由ははっきりしていて、杉村春子が、演技とは人間を演じることであると考えており、ボクの演技入門ハンドブックの序文でもそう書いてあります。

 さすれば、笠智衆は人間であると同時に、なにゆえ自然物でありえたのか・・・・・・それは、小津監督の指導にあります。

 小津監督は笠智衆に、「君の演技より写真の構図のほうが大切なんだ」と、また、「君は、嬉しいときに嬉しい顔、不機嫌なときに機嫌の悪い顔を、絵に描いたようにするが、ぼくの作品では、表情はなしだ。表情は能面でいてくれ」と、言われたようです。

 そして、笠智衆は監督の邪魔にならないように、演じることなく、ただ頭をカラッポに存在することを心がけたそうです。

 さてさて、人間を演じない、存在感を消そう、構図になろう、自然物になろう、自然や物を演じようというとなると、これまた演技なり俳優修行としては、とてもヤッカイなんですが、されど幼稚園児にお芝居の稽古で、「ハ〜イ、それでは、みなさん自転車になりましょうネ、次は傘になりま〜す」といえば、大半の幼児は物体をも演じるであろう。その物になる感性が大人は磨耗し、思想的には、それを否定していることに原因がある。



 ・・・・・・こちらホワイトルークでした!

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アンダルシアの虹

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 20世紀の演劇論に多大な影響を及ぼしたコンスタンチン・スタニスラフスキーの演技理論は、多くの演劇や映画俳優の表現方法の礎となっている。たとへば、この理論に最も忠実な俳優としてマーロン・ブランドがいるが、ポール・ニューマン、アル・パチーノ、ダスティン・ホフマン、ジーン・ハックマン、ジャック・ニコルソン、ロバート・デニーロなども同じだ。

 スタニスラフスキーはドラマ(虚構)をリアルな演技術で合理的に思考し、これを理論化したけれども、現実の世界なり社会に固有な表現者であり、生活者でもある人間には、全く無能にして不能な理念に過ぎない。

 ドラマツルギーという概念から虚構世界をリアルな表現で演出し、これを体現する役者の演技力がスタニスラフスキー・システムに於いて有効でも、佐々木昭一郎のドラマでは全く無効となるわけである。

 佐々木昭一郎は「方法即ち、主題」という映像芸術表現の方法論だと述べる。それは映像表現とは、方法論そのものの追求であり、方法論なくして主題はなく、方法論こそが作者にとって、芸術表現のための命題であると述べる。

 ドラマツルギーとは概ね演繹的であるが、佐々木昭一郎のドラマは帰納的である。帰納的とは、テレビの報道に例えるなら、事件の現場で記者がニュース映像に写り、事件の状況を報道する行為に似ている。

 報道的には、理屈を考えてから、やおら立ち上がり、事件の現場を説明する記者は、表現者としては視聴者側からは胡散臭く映り、見たままを理屈ぬきに、的確にして斥候の如くに言葉で表現する者こそがふさわしい。

 さて、佐々木昭一郎のドラマツルギーとは帰納的な方法論で展開される芸術表現といえる。その映像詩は帰納的でもあり、報道的でもあるが、ドキュメンタリーではないのである。

 そこで、斯様な独自のドラマツルギーで演出される物語には、スタニスラフスキーの演技理論から無効な表現方法をもってして演じられる役者が必要となる。それが、中尾幸世という女優の存在感が佐々木昭一郎のドラマに必然的な表現者として登場する。

 そして、『アンダルシアの虹〜川(リバー)スペイン篇』と『春・音の光〜川(リバー)スロバキア篇』の作品で、中尾幸世は表現者として見事に演じている。


NHKオンデマンド「アンダルシアの虹」
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2009012086SA000/index.html?capid=mail_100820_c004_01

無料動画一部映像 「アンダルシアの虹」
http://www.youtube.com/watch?v=p1uapUlh8ik


NHKオンデマンド「春・音の光」
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2009012087SA000/index.html?capid=mail_100820_c004_01

無料動画一部映像 「春・音の光」
http://www.youtube.com/watch?v=CpjEjm0JPJg



 ・・・・・・こちらホワイトルークでした!

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戦場のミンストレルこと斥候サンダース軍曹です!




 佐々木昭一郎という元・NHKの主にテレビドラマの演出家と、中尾幸世という今では無名に近い女優について話題としたい。

 1974年に『夢の島少女』というNHKのテレビドラマを佐々木昭一郎は演出して、主演に当時、高校三年生の中尾幸世が少女役で主演した。

 この経緯から1980年の佐々木昭一郎の『四季 〜ユートピアノ〜』(文化庁芸術祭テレビドラマ部門大賞、放送文化基金賞ドラマ番組部門本賞、イタリア賞テレビドラマ部門グランプリ、国際エミー賞優秀作品賞)、1981年の『川の流れはバイオリンの音〜ポー川イタリア〜』(文化庁芸術祭テレビドラマ部門大賞、イタリア市民賞)、1983年は続編の『アンダルシアの虹〜 川(リバー) スペイン編〜』、そして3作目のシリーズは1984年の『春・音の光 〜川(リバー) スロバキア編〜』(文化庁芸術祭テレビドラマ部門優秀賞、芸術選奨文部大臣賞、毎日芸術賞)の四作品に中尾幸世は主演することになる。

 中尾幸世は『四季 〜ユートピアノ〜』の出演を契機にNHK朝の連続テレビ小説のヒロインに抜擢されるも、これを辞退している。今でも女優としての新人の登竜門であるチャンスを蹴る彼女の思想はわからないのだが、彼女は東京キッドブラザースに『夢の島少女』で映像デビューする以前に舞台の世界に足を踏み入れていたようだ。

 いずれにしても、その後、佐々木昭一郎の川(リバー)シリーズ三部作を好演している。彼女の演技の特徴は演技をしていないような自然体で、役者としては希薄な表現力と抑制された演技力にある。そして彼女の朗読は、それも抒情詩を語らせれば、如何なる女優よりも詩を奏でるミューズとして右に出る者はいないであろう静謐な声音にある。

 現在、NHKオンデマンドにより佐々木昭一郎のドラマ作品は観ることができるのでありがたい。一部ビデオ化された過去の作品は中古市場で3万円以上もするが、これらは多分、将来はDVD化はされないであろう。NHKオンデマンドでは単品で350円くらいで視聴できるのでありがたい。



NHKオンデマンド「川の流れはバイオリンの音」
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2009012085SA000/index.html?capid=mail_100820_c004_01



 川(リバー)シリーズのドラマは放映されるまで10年間は企画書のまま埋もれていたという。それが、『四季 〜ユートピアノ〜』の主人公のピアノの調律師である志木榮子が物語のコアの部分の設定として重要なファクターとなったという。

 川(リバー)シリーズの主人公は世界を旅する調律師のA子であり、バイオリンを携えた放浪の女性がヒロインである。人間の赤ちゃんの産声は、A(ラ)の音程であるといわれる。すべての楽器の基準音もA(ラ)である。人類の発生もA(ラ)の音程も謎であり神秘的だ。何故、人類の感性の基準音がA(ラ)なのか、時の刻みと共に消え去る音が、人を和ませ、人類の産声がA(ラ)であることを、『四季 〜ユートピアノ〜』というドラマは秘儀的に語っている。

 この『四季 〜ユートピアノ〜』のA(ラ)というテーマが、AからはじまってZにつづく世界の川の名「アムール川、アウダ川・・・・・・ミシシッピー、ライン、ドン、ハドソン、ナイル、ロワール、セーヌ、テイムズ・・・・・・」A子の夢の川の名へと旅は始まる。



 「川は永遠に流れる。音は、うたいつがれる。人は生まれ、生き、変り、絶えることはない」


 
 ・・・・・・と、ドラマの冒頭で語られ、物語は川と人々の生活を淡々と穏やかに描かれる。

 佐々木昭一郎の演出はプロの役者は起用していないが、唯一、中尾幸世はプロであり、彼女はドラマでプロの役者に見えない。ロケ先で現地の一般人を起用して、演技をにわかにつけて撮影する技法が彼の方法論である。

 故に、ドラマはドキュメンタリータッチになり、この独特の作風が佐々木昭一郎の特徴である。さらに、ドラマは音や音楽を物語の重点的な位置にそなえ大きな要素となっている。

 『四季 〜ユートピアノ〜』ではピアノが音の主要素で、マーラーの交響曲第四番第一楽章および第四楽章が効果的に使用されている。川(リバー)シリーズではバイオリンが主な要素の中心に添えられている楽器だ。

 佐々木昭一郎のドラマはドキュメンタリー風でありながらシナリオを元に構成され演出されながらも、物語性の起伏を重点にしない抒情性にあふれた映像詩的な作品である。

 役者である中尾幸世の朗読は、この映像詩を、一際・・・・・・淡々と、物語り、その科白を、虚構に思えぬ透明なリアリズムで、それを言葉と響きとして、私たちの耳に残してくれる胸の奥深くに・・・・・・




四季 〜ユートピアノ〜 (約2分ほどの縮約編集バージョン映像)
http://www.youtube.com/watch?v=-M4mXcd4wAY

四季 〜ユートピアノ〜(10分以上の縮約編集バージョン映像)
http://www.youtube.com/watch?v=1H4XISTchh0






 ・・・・・・こちらホワイトルークでした!

 

コンバット!余談

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 ♪戦場のミンストレルこと斥候サンダース軍曹です!




 昨夜、往年のテレビ番組の『コンバット!』を観ていたが、ヘンリー少尉がフランスのとある町にあるカフェで、食事にありつこうと入店するが、フランス語ができない少尉は店の主人との注文に手間取る。そこへ英軍の女性兵士がフランス語が自在なので助けてくれるのだが、女性兵士はヘンリー少尉に「少尉殿、お困りのようですネ。注文の手助けをいたしましょうか?」と親切に対応してくれた。

 テレビの番組だから字幕ではなく日本語に翻訳された声優によるセリフなのだが、普通の日本人なら女性がヘンリーに呼びかける「少尉殿・・・」という言葉に疑問などはなかろうネ。それは初めての面識で階級章を認識しての呼びかけだから「少尉殿・・・」となったワケであるのだが・・・・・・。

 『コンバット!』の翻訳は誤読、誤解、誤訳がとても多いのだが、このボクが提起した些細な翻訳もコマカク言えば間違いで、それは軍隊の階級に敬称を用いることはないということである。つまり少尉という階級に殿という敬称は必要がないのが世界的な認識で、日本は明治に西欧の軍隊の階級を用いたが微妙な尊称や敬称までは理解できていないのが、こんなところからも垣間見える。

 なんだかNHKの言葉おじさんみたいな始まりかたになったが、たとへば皆さん・・・映画の『プライベート・ベンジャミン』は観ておられるでしょうネ。これを翻訳すれば「ベンジャミン二等兵」となろうネ。二等兵は兵卒の新兵で階級的には最下層にある。それが何故?・・・プライベートなんだろうネ。国家の軍隊に所属しているのにネ。

 まぁ〜そんな具合でお話をしていきますが、つまり今宵の本題になりそうな話題は軍隊の階級についてが要点になりそうである。成り行きは別としてネ。

 さて、昨日は『コンバット!』のサンダース軍曹の名前がチップ・サンダースというのだが、チップとは名前といよりは愛称であり、それでは本名はなんというのかという探索が命題でしたが、散漫にお話は展開して解決をミズに終焉した。

 それで軍曹という階級はサージャントと英語で呼ばれるワケで、サンダースにこの階級を付けて表すのなら Sergeant Sandars、 SGT Sandars、と表記する。

 そもそも軍隊の階級は中世の騎士たちによる語源が主流で、旧くは古代ローマ軍からのラテン語を由来とされる。ローマ帝国が滅亡すると古代ローマの軍事組織を模倣して、16世紀には現代と通じる軍事指揮組織が編成された。つまり近代の絶対君主制のもとで常備軍が置かれたことにもよる経緯だ。

 常備軍が編成されるまでは、諸国の領主が城を持ち兵を募り部隊を編成して戦っていたのだが、日本の戦国時代にたとえると天皇に軍隊はありませんでしたネ。足利将軍が諸国を束ねていたけれど、室町時代末期には将軍には自軍の兵卒さえいなかった。寺社仏閣が私兵を抱えていてこれを僧兵と呼んでいたりネ。

 織田信長は天下布武をとなえて、足利将軍を担ぎ上洛し、この時代に最初の常備軍を編成した。この時代には武田信玄のおさめる信州でも常備軍はなかった。農繁期は百姓で忙しく、米の刈り入れが終ると部隊に編成されて戦乱を戦ったのが普通のことで、信長は西欧の軍隊のシステムを最初に日本にとりこんだ武将なのである。

 されど信長は天下をとれず、秀吉、家康へと天下は最終的におさまるのだが、徳川家は絶対君主ではなく、あくまでも天皇の臣下にして諸国を武力で納める権力者となる。そこで幕末に官軍の御旗を挙げたもの勝者となるのだが、明治になり軍事システムは西欧から全て吸収することになる。

 そこで話しをもどすが、プライベートが何故に二等兵かというと、絶対君主制のもとで常備軍が置かれるまでは、兵卒とは各国の領主がそれぞれに雇う兵隊で、その私兵を Privat、Private と呼んでいた。このことからプライベートは兵卒を表す語源となる。その名残が現代でも軍部のヒエラルキーの最下部に階級として残存した。

 兵士をソルジャーと呼ぶのは更に大昔のお話である。貨幣のない古代は軍人に塩を兵役の恩賞なり代償に与えていたのだが、それで Soldat、Soldier の語源がある。

 軍曹はサージャントと呼ばれるが、これは中世の騎士の従者を示している。騎士は兵卒を従者に指揮させていた。この従者を Servant と呼ばれていたのが Sergeant の語源である。

 騎士たちを束ねるのが騎士団の長である。これを日本語では大佐と呼ぶのだが、英語ではカーネルで、織田信長の率いる指揮官たちは、豊臣秀吉や明智光秀がこれにあたるワケだ。この指揮官たちを統括する軍団長が信長なのだが、戦国の時代は複雑で将軍が存在し天皇がいる。最終的に徳川氏がこの将軍になるのだが
、それを英語ではジェネラルと言い表す。

 現代でも中隊長クラスをキャプテンと軍隊の階級に残存するが、このCAPである大尉の下に小隊があり、この小隊の頭目がヘンリー少尉なのであるが、2nd Lt. という階級は Lieutenant という中世の騎士たちの旗持ち役の語源である。

 この軍隊による階級は軍隊のみならず名誉称号として民間人にも与えられている。有名なところでカーネル・サンダースであろうかしら・・・・・・つまりケンタッキー・フライドチキンのカーネルおじさんだネ。彼はケンタッキー州に貢献した人物として州からカーネルの称号を与えられたのでした。カーネルおじさんの本名はハーランド・デーヴィット・サンダース。

 常設の公的な機関にも軍隊の尊称が普通にあるのだが、リビアにもカダフィ大佐というお人がいるが、軍人というよりは称号としての大佐の名が冠せられているフシがある。そんなこんなですが、フランスの最高勲章たるレオジオンタール勲章だって同じ感覚だよネ。


   『グランクロワ』(Grand-Croix, 大十字)
   『グラントフィシエ』(Grand-Officier, 大将校)
   『コマンドゥール』(Commandeur, 司令官)
   『オフィシエ』(Officier, 将校)
   『シュヴァリエ』(Chevalier, 騎士、勲爵士)


 上記に羅列した叙勲も中世の騎士から伝わる軍事的な階級を匂わせるよネ。




 そんなこんなで今宵もコンバットをネタにしたワケですが、この軍隊の階級なり、この尊称には馴染みない日本人は「少尉殿・・・」みたいな誤訳をやりがちみたな指摘のお話で終りますネ。だからボクを軍曹殿などとは呼ばないでおくれ・・・・・・みたいな感じで御仕舞い。



 ・・・・・・こちらホワイトルークでした!

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