空閨残夢録

上層より下層へ中心より辺境へ表面より深淵へデカダンよりデラシネの戯言

芸能・民謡・祝祭

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「Checkmate King 2, this is White Rook, over.」

「This is King 2, roger, out. All right, that's it - let's get outta here ! 」


 ・・・眠りの精はお菓子のピエロ♪・・・斥候サンダース軍曹です!




 小説の“江戸の暗黒街”もの『仕掛人・梅安』シリーズの〔仕掛人〕とは、池波正太郎の独自による造語であり、江戸の暗黒街の殺しの仕組みを規定した言葉(存在)のひとつでもある。ここでおさらいのためにも、仕掛人・藤枝梅安シリーズの第一作『おんなごろし』から引用してみることにしよう。

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   人間(ひと)の〔殺し〕が、金で取引きされる場合、依頼人は二人いることになる。

  すなわち、

  「何処のだれを殺してもらいたい」

  と、赤大黒の市兵衛や羽沢の嘉兵衛などの顔役へたのむのがひとつ。

  この依頼人を、暗黒街の用語で〔起り〕という。


  いま一つは、依頼を受けた顔役が、しかるべき〔殺し屋〕をえらび、これにたのむわけで、この第
 
  二の依頼人のことを、どういうわけか〔蔓〕とよんでいる。(中略)

  この場合、〔蔓〕から見た殺し屋を、


  〔仕掛人〕または、〔仕掛屋〕


  と、よぶのである。


  そして〔蔓〕は、〔起り〕がよこした大金の半分をふところへ入れ、残る半分を仕掛人へ報酬とし

  てわたすことになっている。

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 この〔蔓〕として江戸の暗黒街の顔役として登場するのは、短編集『江戸の暗黒街』、『殺しの掟』、長編『闇の狩人』、および仕掛人・藤枝梅安シリーズをみるに以下のような顔ぶれとなる。

 
 ○羽沢の嘉兵衛(両国〜浅草界隈に勢力をもつ)
 ○芝の治兵衛(芝から品川一帯に勢力をもつ)
 ○三の松の平十(本郷〜根津)
 ○追分の重八(王子〜巣鴨)

                    『江戸の暗黒街』所収の「縄張り」

 ○音羽の半右衛門(小石川〜雑司が谷)
 ○聖天の吉五郎(浅草一帯)

                    『殺しの掟』

 ○五名の清右衛門(羽沢の嘉兵衛が暗殺されて後継となる)
 ○白金の徳蔵(目黒〜渋谷)

                    『闇の狩人』

 ○赤大黒の市兵衛(赤坂〜田町)
 ○札掛の吉兵衛(本郷〜下谷)
 ○染川の仙蔵(両国〜浅草)
 ○大井の駒蔵(駒込〜板橋)
 ○島崎の音蔵(日本橋〜深川)
 ○白子屋菊右衛門(上方の暗黒街の顔役で江戸進出を目論む)

                『殺しの掟』所収「梅雨の湯豆腐」および「仕掛人・梅安シリーズ」


 梅安シリーズでは萱野の亀右衛門も〔蔓〕として度々登場するが、彼は香具師の元締を引退していて、『闇の狩人』では芝の治助が登場するが、「縄張り」に登場する芝の治兵衛と同じ縄張りの元締であり、時系列や物語上の都合で特定はできないが、ほぼ江戸の暗黒街を牛耳る香具師の元締の名前は斯様な顔ぶれなのである。


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 池波正太郎の小説では江戸の神社仏閣などの参道、街道筋の宿場や遊郭などの利権を一手にひきうけるのが、この香具師(やし)の元締であり、時には殺人なども請負う〔蔓〕として登場するが、さて、この香具師(やし)とは如何なる存在であり、本当の姿を探ってみるココロだ。

 香具師(やし)と言えば、本邦では一番有名といえるおなじみの映画は『男はつらいよ』の主人公の、車寅次郎ことフーテンの寅さんが香具師であり“テキ屋”なのであるが、映画の設定は大きなミスを犯している。つまり、テキ屋には一匹狼は存在しない。親分から盃を受け一家の群れで生きるのが鉄則。

 “テキ屋”は的屋とあらわし、祭礼時の寺社の境内や参道、また各地方の祭りの際に、簡易の屋台を出して食品や玩具などを売る商人のこと。

 的屋の名称の他に香具師(やし)・街商・大道商人・露店商といった呼び方もある。的屋が取り扱った物は金魚すくい、綿菓子、リンゴ飴、お面などが主であったが、時代とともにクジによる景品交換やゲーム性の強いものが多く商売とされる。

 何れにしても、テキ屋も香具師の範疇でありカテゴリーなのだが、香具師について述べるのが早道といえる。何故なら仏教伝来の聖徳太子の時代から、この香具師は存在しているのであるからである由緒深い稼業だ。

 創拓社出版の室町京之介著による『香具師口上集』は、民俗学的にも、大衆芸能の無形文化財としても、大変に貴重な著作で、新版にはCD付で出版されたありがたい書物だ。映像には旧版のものを添付したのであしからず、さて、この著作から香具師の由来について簡略に紹介しよう・・・・・・

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 香具師の「香」の字は、お香のことである。「具」の字は仏具であり、「師」とは先生の意味で「香具」について教える人の意味である。・・・無論、仏教の道を説くことは謂うまでもない。

 当初は香具師を「こうぐし」と発音していたが、「やし」と言われる経緯は、王城守護にあたっていた「防人」とか、「北面の武人」とかが、仏教伝来に洛中洛外にてお香、仏具を売りながら普及してやがて職業化される経緯が発端となっている。

 都の人はこれらの下級武士を「野武士(のぶし)」と呼んだが、下級の武人たちは武士の名を畏れ多いとして、自ら武を除き「野士(やし)」と称するようになる。これから後年に香具師(こうぐし)は、野士(やし)の発音を〔香具師〕にあてられるようになる。

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●おまけに最後にフーテンの寅さんの啖呵売の口上をおひとつ披露しておこう・・・・・・


 「四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水臭いときた。どうだ、おい、よーし、まけちゃおう。まかったつむじが3つ、七つ長野の善光寺、八つ谷中の奥寺で、竹の柱に萱の屋根、手鍋下げてもわしゃいとやせぬ。信州信濃の新そばよりも、あたしゃあなたのそばがよい。あなた百までわしゃ九十九まで、ともにシラミのたかるまで、ときやがった。どうだ畜生!さあこれで買い手がなかったら、あたしゃ稼業3年の患いと思って諦めます。」

 

 ・・・・・・こちらホワイトルークでした!

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「どうぞ!・・・こちらキング・2・・・応答せよ!」


戦場のミンストレルこと斥候サンダース軍曹です!



 先日、電車に乗っていると、女子高生のグループがこんな歌を口ずさんでいた。

♪〜
こんにちは(こんにちワン)
ありがとう(ありがとウサギ)
こんばんは(こんばんワニ)
さようなら(さよなライオン)

まほうのことばで
たのしいなかまがポポポポ〜ン

おはよう(おはよウナギ)
いただきます(いただきマウス)
いってきます(いってきまスカンク)
ただいま(ただいマンボウ)
ごちそうさま(ごちそうさマウス)
おやすみなさい(おやすみなサイ)

NA あいさつするたび ともだちふえるね
SL ♪AC〜



 上記の歌詞をその女の子たちは全て歌っていたわけではないが、テレビでは東北関東大震災から企業はコマーシャルを未だに自粛しているようで、民放各社ではその穴埋めに公共広告機構ことACジャパンのコマーシャルを宣伝している。その宣伝の一つがアニメで製作された「まほうのことば」である。


公共広告機構 まほうのことば
http://www.youtube.com/watch?v=EsRm78ZSOgc


 そもそも、ACジャパンとは、広告を営利目的のためでなく、公共のために役立てようと、全国の企業から寄せられた会費で公共広告活動を行なう民間のボランティア団体である。広告を通じて住みよい社会作りに貢献することを目的に活動を行っており、今年で創立40周年目を迎える。

 ACは、マナーや社会に役立つCMなどを年間で約20本制作。そのCMはテレビ広告枠の空いている部分で放送する仕組みになっている。

 しかし、今回の震災の 影響でほぼすべてのスポンサー企業がCM放送を自粛した。ACジャパンの担当者がテレビ局の人物から聞いた話によると、クライアントである一般企業の約70%以上が自粛しているという。

 その結果、ACのCMは民放各局で大量に放送された。CM総合研究所によると、東京都にある民法キー局が地震後にCM放送を再開してから3月16日早朝までに放送した8173本のCMのうち、77%がACのCMであったという(地震後数日の間は、報道特番のためCM自体が放送されていない)。

 1972年にACの最初のCMが放送されたが、この宣伝広告に淀川長治が起用されている。その淀川さんのCMを1999年のACのCMで再度これを編集して放映している映像を以下に・・・・・・


1972年と1999年の公共広告機構のCM
http://www.youtube.com/watch?v=o-D1fljvvT0


 
 さて、話題は淀川さんに転じよう。淀川さんの語り口が好きである。映画の解説を聞いているとその語り口は一段と魅力的だ。まるで解説芸というジャンルを芸能の分野に広めたような独特の面白さと魅力がそこにはある。淀川さんは芸人ではないが芸人に通じる世界の人だと感じる。

 ボクがはじめて淀川さんを知ったのはテレビのアニメである。それは「怪物くん」という番組で解説を担当していたサヨナラおじさんの淀川さんだ。


怪物くん
http://www.youtube.com/watch?v=qNuC7UyC2oY



 今、こうして怪物くんをあらためて見ると、番組のスポンサーが不二家であり、ペコちゃんと怪物くんが一緒に登場するのが嬉しい気分だ。この映像で淀川さんは声だけの出演でしたが、昔の記憶では日曜映画劇場のように最後はお姿が伺えたような気がするのだが・・・・・・それでは、淀川節の名解説芸をご覧あれ!



日曜映画劇場
http://www.youtube.com/watch?v=kgs_olqV6-8



 斯様に個性的な解説ぶりなので、ギャグとして真似をする輩もおりまして、淀川さんのお真似は小松政夫が真骨頂であろうネ。


小松政夫
http://www.youtube.com/watch?v=ZgrFRr0CVmk



 そんなこんなで・・・・・・こちらホワイトルークでした!

淀川長治と歌舞伎

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 映画評論家の淀川長治は色街に育ったので、四歳の頃から月に一度は、歌舞伎、文楽、浄瑠璃に連れていかれるような環境にあったという。そこで淀川さんの銀幕への想いもさることながら、歌舞伎に対する想い入れも深いものがある。

 淀川さんは、歌舞伎はシナリオのお手本だと述べる。どの芝居も、一幕、二幕、三幕ごとにチャントけじめがついていて、段切れがものの見事にきれい。何より、趣向の素晴らしさ、こんな美学として上等なものを知らないと、西欧の美学を前にしてコンプレックスを抱く日本人も多かろうネ。・・・・・と曰く。

 歌舞伎には、観客と役との間にナァナァの馴れ合いにも似た約束事があり、その趣向で見ないで、リアリズムで観ると、みんな荒唐無稽に見えちゃう。つまり、ピカソの絵を鑑賞するように、デフォルメされた芸術として予め見れば、自ずと歌舞伎も理解される。


 そこで淀川さん曰く・・・・・・「リアリズムなんて貧乏くさいことですよ」


 この淀川さんがいうところの「貧乏くささ」とは、昨今の映画に対しても敷衍されている。どちらかといと淀川さんは銀幕にも絢爛たるもの、たとえばジャン・コクトーの作る美術や住宅のセットこそが映画だと述べるのだネ。

 また、歌舞伎を観ると、映画がよく見えてくると淀川さんは語る。歌舞伎に内在する豊かな美には、心づかい、思いやり、という内面的な豊かさにあふれていて、歌舞伎で泣けるようになれば、映画は心情的によくわかるようになると仰っておられた。



 ・・・・・・貧乏でも貧乏くさくならないように生きているのは、こちらホワイトルークでした!

淀川長治さんの思い出

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戦場のミンストレルこと斥候サンダース軍曹です!



 その昔、ボクが高校生の頃に、1970年代後半だが、TBSラジオで夜の8時くらいに、何曜日の放送だったかまでは思い出せないけれど、「私の映画の部屋 淀川長治のラジオ名画劇場」という番組があってヨク聴いていた。

 或る日の特集で今村昌平を話題としていたのをヨク覚えている。多分、その頃、今村監督の『復讐するは我にあり』を観ている時期と重なるので、この映画の公開を切欠に監督の過去における作品を紹介していたのであろうネ。

 高校生のボクもその時期にはじめて今村昌平の映画を観たのだが、淀川さんのお話しによると今村監督は横浜で放送映画の専門学校を経営していて、淀川さんはそこの学校で講師をしていると仰る。それで横浜の学校に週に一度の講師に行くのが、モッカ今の一番の楽しみとラジオで述べていた。

 その淀川さんの放送を聴いて横浜の学校を調べた。探索は容易だった。つまりその時ボクは高校三年生で進路をフラフラと決めかねていたので、高校に用意されていた〈リクルート〉で難なく検索できた。そしてボクの進路はやっと決定した。

 だが、二年間の専門学校の学費は高かったし、親に進路の件を話すのに躊躇したのだ。それは学校のことを調べていて演劇科の授業のカリキュラムに魅力を感じたからだ。映画監督になろうなんてのは夢にも思っていなかったけど、カメラマンとかシナリオライターとかになるのなら親に多少の援助も要請していただろうが、演劇科を希望したら卒業後に役者になるという現実感が全くつかめなかった。

 その現実感を捉えられない感覚から学費は親に出して貰うわけにいかないような気がしたのだネ。だから学費は自ら捻出しようと考えて、とりあえず就職することに路線を決めた。さて、それでは仕事は何をするかと考えた時に、軍隊での体験をしたいという当時の妄想が明確になった。

 軍人にはなりたくないが体験をしたいという当時のボクには思いがあって、早速、自衛隊に電話をすると担当者は飛んで自宅にやってきてくれた。やってきた自衛官の人はとても親切でヘリコプターに乗せてくれて気分は昂揚した。

 陸上自衛隊で二年間の契約をすれば学費は貯まることが解って入隊は即決に近い状態で意志を固めた。除隊後、横浜の映画学校に入校する。講師に淀川さんはおりました。やっとやっと淀川さんい逢えて嬉しかったネ。

 学校の専科を越えて、毎週毎に一度だけ、日本映画と洋画を劇場で作品を鑑賞後に講義があるのだが、日本映画史を担当していたのが佐藤忠男氏で、外国映画史は淀川さんというわけだ。

 それを二年間、毎週毎に、邦画と洋画を一本づつ観て、鑑賞後は両氏の評論家による講義があるのだから、なんとも今にして思えば贅沢な授業であったであろう。小津安二郎や溝口健二を知ったのもこの授業だし、ヴィスコンティやフェリーニを知ったのも学校の講義からだ。

 日本映画史の講義は映画館の賃料も高いので、その講義は学校の教室に移動してから行われたが、外国映画史は淀川さんの人気もあり、聴講者も多いことから、旧横浜スカイビルの劇場でそのまま行われた。紀伊国屋ホールより小さめの300席以上はあった立派な中劇場であったはずだ。

 ただ残念なのが、講義は約一時間なのだが、淀川さんは好きな映画を上映し講義をはじめると、予定の一時間では終らないのでうネ。時間を忘れて映画を愛する熱いお喋りになるのだが、二時間は(停められるまで)語り続けるのだが、多分、淀川さんは三時間でも四時間でも喋り続けたであろう。

 ボクは夕方の6時にはアルバイトがあって、その淀川さんの語りを全て聴講できぬので、お話しの途中に席をいつも無念ながら立たねばならなかった。

 淀川さんは自分が熱く映画の世界を語っている時に席を中座されるのがとてもお嫌いらしく、必ず席を立ち講義を退場するものにイチャモンを一言述べていた。・・・・・・ボクはいつも劇場の最前列に座るクセがあり、最初の授業で遠慮しながら席を去るとき、淀川さんに退席の皮肉をツラツラいわれ、最後に視線の合ったボクへ・・・・・・「あなた、まだ童貞ネ!」といわれました。



その当時の淀川さん
http://www.youtube.com/watch?v=yTGvByn9Zhk

http://www.youtube.com/watch?v=5dhBVna4AFc



 いずれにしても、その後は退場しやすいように、ドア付近の席で授業は受けましたとさ・・・・・・こちらホワイトルークでした!

 

 

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戦場のミンストレルこと斥候サンダース軍曹です!




 歌舞伎をエンターテイメントとして楽しめぬままこのまま人生を終えるのもチョイトながら癪でもある。でもイタシカタない向きもあり、1961年に札幌の街の郊外で生まれ過ごした鄙びた労働者の倅には、芸能の伝統に通低できぬ環境も大き過ぎた。

 されど、80年代には新劇の舞台を東京で垣間観てきたりもする場面や状況もある。思いで深いお芝居は、新宿花園神社境内で興行されていた紅テントこと状況劇場の演目、東大の駒場にあった小劇場で飛び跳ねていた劇団夢の遊眠社が当時は小劇場ブームでも人気だったが、ボクはこれはお好みあらず。

 下北沢の小劇場で観た山崎哲の率いる劇団公演とか、池袋の小劇場での渡辺えり子率いる劇団公演とか、紀伊国屋ホールのつかこうへいの当時人気芝居や、何度となく再演されていたオンシアター自由劇場の「上海バンスキング」、帝劇で観た蜷川幸雄の演出による「近松心中物語」が今の記憶としては、観劇の印象がスラスラとよみがえってくるほど強くある。

 一番に思いで深いのは、下北沢の本多劇場の杮落しと、寺山修司の劇団は天井桟敷の公演で、それは1982年12月9日〜15日に寺山の最後の演出作品となった「レミング」である。これは新宿の紀伊国屋ホールでの公開であった。

 同じ年の暮れは12月16日〜24日に草月ホールで公演された早稲田小劇場の「トロイアの女」を観に行った時に、劇場に観劇のために並ぶ列に寺山修司がいたのを、ボクは目撃したことを忘れられない記憶として抱えてしまう。それは寺山は翌年の5月4日に亡くなってしまったからである。

 ボクが寺山のあまねくアジテーションで、演劇について語っていたことの一つに、翻訳された文学としての演劇をありがたく観劇する日本の新劇の風潮を否とし、お祭りに見世物小屋やサーカスを見物しに行ったワクワクするような感覚を、そんな誰でも楽しく観たいお芝居の復権をしたい・・・・・・という、ことばに感銘を受けた者の一人だ。

 さぁ〜さて、伝統演劇であるが、それも歌舞伎についてであるが、そろそろイイトシなので、チョコチョコと歌舞伎あたりから、芸能の歴史を探索したいお年頃になってきたもんで、ツッカカリは音楽が入りやすいと最近は感じた次第にあり、それは三味線に秘儀ありと思いましてネ、しばらくは邦楽のお勉強に入りますネ。



 それではお勉強の後にまた・・・・・・こちらホワイトルークでした!

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