ほのかの、わんぱく日記〜☆★

暑中お見舞い、申し上げます^^(o(*^.^*)o)

『あの世とこの世』

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 人間は、この世に生まれ、育ち、親になり、
 死んで、この世を去っていくわけですが、それは、
 大きな目で見れば、ちょうど植物の葉っぱのようなものなのです。

 木は、冬の間は枯れていて、
 全く兆候がないのに、春先になると芽吹いてきます。
 芽吹いたかと思うと、4月、5月に、パーっと若葉が出てきます。
 さらに、6月、7月には、たくさん葉っぱが茂ってきます。
 雨をたくさん吸収し、炭酸同化をして、
 栄養を木の幹のなかに取り入れていきます。
 そして、秋になると、葉っぱは変色し、赤くなり黄色くなって散っていきます。

 人生というものは、ちょうど、あの一枚の葉っぱのようなものなのです。


 人間は、一人ひとりが、
 個別に努力をしているように見えても、
 ほんとうは、大きな木の幹に繋がっています。
 あるいは、根っこから、その大樹に繋がっているのです。

 そこから枝がたくさん出ています。

 その枝の部分が、いろいろな民族であったりするわけです。
 日本人であったり、中国人であったり、
 韓国人であったり、アメリカ人であったりして、枝が出ています。

 その枝から、また小枝が出てきています。

 これが、その地域ごとの、○○州、○○県、○○町というものであり、
 そこに沢山の人が住んでいます。
 そして、家族の単位が最後にあります。

 そのように、小枝が分かれていき、そこに葉っぱが出ているのです。

 そこから葉っぱが落ち、
 また葉っぱができ、また落ちるというかたち。

 動物、植物の世界を見ても、大体そのようにして、連綿と生命が続いています。

 死は悲しいように見えるかも知れませんが、
 葉っぱが散っていく姿と変わらないのだということです。

 「諸行無常」の思想とは、そういうものです。

心のユートピア

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  人類は、「愛」と「悟り」という二つの大きな武器を持って、
  この地上をユートピアにしていく必要があります。

  それは物質的なユートピアではありません。

  この世の利便性を否定するつもりは決してありませんし、
  食べ物や着る物、住居、その他のものを否定しする気もありません。
  そういうものもまた、
  人間の幸福感に寄与するものであることは、
  充分に理解しています。

  しかし、主と従とを間違えてはいけないのです。


  「心の修行」のために生きているのだ」
  という、主なるものを忘れてはいけません。

  そういう心の修行の便益のために、
  この世的な、さまざまな文明の恩恵があるのです。
  この主と従とを間違わないことです。


  結局、どのような生活形態、社会形態のなかにおいても、
  人々が愛と悟りを求めて生きていけるような、
  そういう心の社会を建設していくことが大事なのです。

  私たちが求めているユートピアは、
  目に見える姿でのユートピアでは必ずしもありません。

  「こういう建物があり、こういう道路があり、
    こういう政治理念、経済理念で、こういう形態で生活すれば、それがユートピアである」
  ・・というようなものではありません。

  そういうものは、さまざまに変化するものです。


  人々が、変化するもののなかにあって、
  変化しない方向性を知り、
  向かうべき方向を知り、その高みを知ること、
  そして、この地上世界を、菩薩や如来の世界、
  天使の世界に近づけていくことが大切なのです。

  この修行のために、
  大勢の人々が、長い長い年月、
  この世において魂修行をしているのです。


悟りを高める

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  この世において菩薩の心を持って生きた人が、
  死後に行く世界は、菩薩の世界です。
  それ以外の世界ではありません。

  天国に行くか地獄に行くかというのは、
  死んでから分かることではなく、生きているうちに分かることなのです。

  みなさんが、毎日毎日考えていること、
  あるいは、この一年、この十年、
  考え続けていることは、どのようなことでしょうか。

  その思いの程度を見れば、
  みなさんが、どの世界の住人となるのか、
  あるいは、もともと、どの世界の住人であったのかということが分かります。

  
  「悟りを高める」ということは、
  よりよき未来設計そのものでもあります。
  来るべき自分の人生を決めることであり、
  自分の本来の使命を悟ることでもあるのです。

魂の本質

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  魂は、
  あの世でも、まだ人間的記憶を持っている間は人間のような姿をとりますが、
  人間的記憶が薄れていくと、そういう姿を取らなくなります。

  「考え」としてのみ、「思い」としてのみ存在するようになるのです。

  人間は、ゼンマイ仕掛けのおもちゃのような存在であるならば、
  何も考えず、もともと予定されたとおりにしか動かないでしょう。

  しかし、実際はそうでありません。

  人間は、さまざまに考えることができます。
  どのように選ぶこともできます。
  自分で考え方を決めることができます。
  思いにおいて自由自在です。
  自由自在に思いを変え、決める力・・・それが人間の本質なのです。

  その本質は、
  肉体が滅びたあとも、もちろんあの世に存続しています。
  「考えや思いはのこるのだ」ということです。

  『魂』と言ういい方をすると、
  現代では受け入れない人もいます。

  しかし、過去、何百年、何千年前に亡くなった人であっても、
  その人が行なった偉大な行為に伴う思いは、偉大なる大霊界において存続しています。
  崇高な行為をした人の、その魂の輝きと思いは、
  いまだにのこっていて、多くの人に影響を与え続けているのです。


  たとえば、イエス・キリストという人が33年の人生を生きました。
  彼の活動は、肉体を失った時に終わったのかといえば、そうではなく、
  その思いは、今も活動し続けているのです。

  釈尊は二千五百年前に亡くなりました。
  現代の日本人からみれば、釈尊は縄文時代の人であり、
  「縄文時代の人に、どれほどのことが言えるであろうか」と思う人もいるでしょう。
  しかし、その慈悲と悟りの心は、今ものこっています。

  それが霊界の神秘です。


  そのように、人間は霊的存在であり、
  「心が自分自身である」と思うこと、それも、
  迷いの心ではなく本質的な心を自分だと思うことが大事なのです。

  そうした「自己観の転換」が必要です。
  自分についての見方を転換し、
  自分というものを違った観点からみなければいけないのです。

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  悟りというと、その仏教的な響きにとらわれて、
  「宗教のなかの一つの考え方だ」と思う人もいるかも知れません。

  しかし、悟りは、やはり大事です。

  悟りというものを簡単に言えば、
  「人間は単なる肉体ではない。
    肉体に宿り、肉体を支配している、魂、心というものがるのだ」ということです。

  心とは、実は、魂の本質の部分です。

  あの世に持って還れるものは、その心だけ・・。

  魂というものを、
  三次元的に固形化したもの、固定化したものと考えるから間違うのです。

  「あなたは自由にいろいろなことを考えるでしょう。
    その考えだけが、あなたの姿になって、来世に存続するのです。
    その考える姿、考える機能だけが、あの世へ行くのです」


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