野村證券時代

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100年の計

マスコミが野村バッシングに明け暮れて、あれからまた10数年が経過した。当時の同僚たちはもうずっと昔に定年退職を迎え、会社生活もうこりごりと残りの人生を楽しんでいるのだろうか。私は特に株式売買をやっているわけではないし、やってもネット上で自分の好きなように小額を売買するだけだ。野村の悪口をいうつもりはなかったが、かつての先輩よ、同僚よ、後輩よ、許せ。
野村のシェアが他社よりも落ちてもよいではないか。本当に投資家のために軍団の力を向けてほしい。野村が戦わねばならないのは国内の投資家ではないのだよ。日本の投資家達を守り、海外の巨大な機関投資家と互角に渡り合うことではないのか。さもなくばすでに銀行との垣根も取り払われ情報戦争の真っ只中で、野村軍団は帝国陸軍のように、滅びてしまうのではないだろうか。

最後にこんな替え歌もあった。

肩を並べて兄さんと今日も学校へ行けるのは
セールスマンのお陰です
野村の為に、野村の為に働いた
セールスマンのお陰です。

野村の為に、野村の為に傷ついた
セールスマンのお陰です。
(最近はセールスマンと言わず、フィナンシャルアドバイザーというらしいが)

時は流れて40年

野村軍団、どこを切っても似たような金太郎飴、とよく評されるが野村の内部に数字の前にひれ伏す体質が残る限り投資家は儲からない。儲かるのはやくざと企業だけとなろうというものだ。そして同質の企業集団からは自浄作用は生まれまい。

時は流れて40年、いま野村がどうなっているのか異国にいる身には皆目分からない。
しかし野村のアグレッシブな体質は変わってないようだ。サブプライム問題で野村は数百億の損を出した。新入社員の時、上役から「沈香も焚かず、屁もひらず」のような人間になるな、とよくいわれた。同僚は「ちんぼも立たず」と理解していたが、多少の失敗はあても恐れずチャレンジせよ、という精神は昔と同じである。ならば、今回のサブプライムのようにおいしい不動産証券で他社が儲けているのにリスクがあるからといって何もしなかったらば直ちに左遷であろう。

それでも馬齢を重ねると、実はこうした企業体質は何も野村だけに限ったことではないというのが分かってくる。食品偽装、設計偽装、官僚腐敗、もう何もかも日本国中すべて倫理観のない株式会社だったのだ。

糾弾された役員たちは、俺は野村のためにやったんだ、とやかく言われる筋合いはない、とこれっぽちも後悔などしていないのかもしれない。土性骨の入った百戦練磨の営業軍団の指揮官の肝っ玉はすわっているだろう。惜しむらく彼らの営業政策には投資家との「共生」の思想が欠けているのだ。

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野村の猛者達

1991年の証券不祥事の時に、田淵会長、田淵社長(同姓だが二人はまったく縁故関係はない)が世間にわびて退陣したが、問題はその後ではなかったのだろうか。表面的に世間体をつくろい、実は多分、院政を敷いたのではなかったのかと想像される。数字万能の野村では世間のいう不祥事などはたいした問題扱いにはされなかったのではないだろうか。その後の役員はペロ切り10年の間に会社に莫大な利益をもたらした人々であろう。

ある意味、もしあのような営業体制が続くなかで数十年も戦いぬいたとすればそれだけで彼らは私には驚嘆に値する人物である。セールスの迫力たるや、不動産を売っても、車を売ってもトップに躍り出る資質をもているのではないかと思われる。

ただ、自分の頭で判断するのが苦手のタイプかもしれない。総会屋にからむ証券取引法違反事件ではからずも野村はあの当時と体質的に何もかわっていないことを暴露した。損失補てん、取引一任勘定は規模こそ違え、あの頃と同じだなあ、と思った。

野村に限らず、日本の企業には運命共同体的思想がある。家族から住居、レジャーから運動会にいたるまですべて会社ぐるみであり、その組織で仲間はずれにされることは村八分にされるのと同じであろう。大日本帝国陸軍の体質とあまり変わりはない。社運のためなら身を捨てる野村の猛者達は、会社のため、家族のため、それが社会の倫理に反することであっても進んで身を投ずるタイプである。組織に属する人間にとっては外部の社会よりもその集団内における自己の位置こそがすべてなのであった。

数字万能主義

野村は実力がものを言う会社だと世間では語られている。確かに学歴などは数字の前に何の価値もない。組織の中では誰もが平等に出世しる体質を備えている。その点ではすっきりしていた。しかし実力とは何だろうか。1964年の証券低迷期にそれまで野村はセールスマンとして大卒を主に起用してきたが、高卒の事務関係から営業に任務を命ぜられるケースが多くなった。もともと学歴社会と言われる日本の企業で高卒がトップになることは極めて難しいかとも思う。しかし野村は数字をあげさえすれば誰にでも同じ処遇をする。営業に配属された高卒の人々は大卒に負けるものかと会社の方針に一点の疑問ももたず、必死に努力したに違いない。神戸支店に居たときに保管部にいた高卒の男が営業に配属され、地道に努力を続け、営業ナンバーワンになったという話を聞いた。彼は手数料収入で数億をあげたという。当時の数億は大変な数字だった。これはその後も野村の伝説になったと聞く。
なぜ彼が出来て、大卒の連中が出来なかったのか。それは信念であろう。彼は素直な性質で上司の命令をよく聞いた。「これは必ずあがる株だ」と上から言われればそう信じて売りまくったのだろう。時あたかも日本が高度成長時代に突っ走った時代で株価も暗黒時代を抜けて大相場の幕開けが来ていたのである。上げ相場で買い一辺倒ならばこれは儲かる。儲かれば客はついてくる。1万株の商いが2万株、それが儲かれば5万株、10万株となり買う株が必ず上がれば、20万、30万株を勝負する顧客も出てくるのである。
彼はその功績をもって外国部長に昇進した。ロサンゼルスにも遊びにきたが、「英語のえの字も出来ないお前がよく外国部の部長になったなあ」とからかった所「いや部下に出来る奴はいくらでもいるからね」という笑いながらの答えだった。

バブル景気

日本経済の驚異的成長とともにバブル景気が続き、野村は1990年の3月期決算で経常利益で5000億円を計上した。だが宴の悪魔はすでにこのとき、地層深く出番を待っていたのである。89年の大納会を天井として株式相場は下げ始めた。相場が上昇期の時は数字を金科玉条とする野村の営業体質はさして問題が表面化することはなかったが、91年7月、損失補填、飛ばし、やくざ企業への融資などの実態が明るみに出て経済界は混乱し、田淵社長は組織の責任を取って退陣せざるを得なかった。けれど、まれに見る日本経済の高度成長が終焉を告げた後でも野村の営業政策に変化がなかったのではないのだろうか。

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