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1977年の1月、アメリカにいる私に親父の訃報が届いた。老人性肺結核あるいは薬の飲みすぎか原因ははっきりしないが、急遽訪日した目の前に変わり果てた親父の姿があった。仕事が忙しく10年近く会ってはいなかったが、私が最後にあった親父の姿とはまったく別の姿があった。 |
将棋の話
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「吹けばとぶよな将棋の駒に」という歌があるが、何かこれだと子供の時に遊んだ紙の駒のような気がしてならないが、将棋の駒はピンからキリまであり、親父の買った駒はつげの立派な駒で、それを指す前に駒袋から出し、盤上へあけるとき、チャラチャラという音が実に心地よい。 |
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しばらくして親父が郡山から福島へ転勤になり、(親父は保険会社に勤めていた)将棋のあんさんとも離れてしまったので私が将棋を指すことはなくなった。よくプロやアマの県代表などの回顧録を読むと、私のような経験がきっかけとなって将棋道場へ通うようになり、それにハマッて、メキメキ腕をあげた話があるが、私の場合は将棋とはそこで接触がなくなってしまった。 |
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将棋を覚えたのは多分中学1年頃、近所のあんさんがステテコ姿で夏の縁台将棋をやっているのを見ていて覚えた。 |
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「趣味は何ですか」と聞かれれば、最近は「将棋」と答えることにしている。以前は「読書」だったが、あまりに漠然としているし、その後の会話があまり続かない。本といってもいろいろあるからねえ。 |
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