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井上先輩への弔辞
2006年の暮れでしたか、目良先生が提唱した読書会で当時のニューオータニホテルのミーティングルームに集まった20数名の人達が近現代史について一言ずつコメントする場面がありました。井上先輩とはそれまでもお顔は拝見していたとは思いますが、その時の井上さんのコメントは「やはり近現代史を学ぶとすれば1953年のペリー来航まで遡る必要がある」という意見でした。印象に残っております。その後毎月1回の定例会ではメンバー間でお互い意見を述べ合い、時には激論になることもありましたが、その中で井上さんはいつも冷静で興奮せず、ご自分の意見を淡々と述べる存在でした。私は若い頃の井上さんを知りません。私と井上さんとは読書会を通じての友達でした。
個人的にも数多くのメールを交換しましたが、テーマは読書会で取り上げる書物には何が適しているか、というものが多かったような気がします。井上さんが電話をしてくる時はいつも「読書会の井上と申します。いま、よろしいでしょうか?」と相手の状況を気遣った挨拶で始まります。相手の立場や状況をいつも考えていたんですね。
それに比べると私は不遜の後輩でした。ある時、井上さんがお書きになった文章を校正してほしいと数ページの原稿を送って来られたことがあります。何で私のようなものに、といぶかったのですが、折角依頼されたのだからとその短い文章のあら探しをはじめ、「このいいまわしが1ページの中に3回も出てくる、繰り返しが多い、この英語は無理に日本語に訳す必要はない、読む人のレベルに合わせて、むしろカナで表現したほうが自然である」とか生意気なことを申しました。井上さんは気分を悪くするどころか、「おー、そうだった、そうですねー」と私の意見を尊重してくれました。いまになって思うと、まさに釈迦に説法だったような気がします。
3年ほど前、昨年亡くなりましたが日本国憲法の女性の権利に多大の貢献のあったベアテ・シロタ・ゴードンの講演が日系博物館で開催された時に井上ご夫妻も列席されておりました。講演会の席上、関係者の紹介がありましたが、この歴史的に有名なベアテ・シロタ・ゴードンと井上さんが懇意の仲であったことを知り大変驚いた経験があります。井上さんが国際交流基金で尽力されていた時に深い関係があったことと思われます。私がジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」を読んで、それを井上さんに紹介した時には、一言もそのことについておっしゃいませんでしたけれど、あの本には憲法草案作成でベアテ・シロタ・ゴードンが果たした役割が詳しく述べられています。今回、井上さんの最後の著書となった「マッカーサーの呪いから目覚めよ日本人」の中で、井上さんは第二章の「法の正義を踏みにじった東京裁判」と第四章「陰謀が日本を戦争に追い込んだ」第六章「アメリカの世界制覇戦略と日本の葛藤」を担当されています。でもベアテ・シロタ・ゴードンの日本国憲法を痛烈に批判したのは、皮肉にも他でもない井上さんでした。
私達の読書会で井上さんは次のような発言をされたことがあります。「調べれば調べるほど、覇権国家としてのアメリカの理不尽な行動に腹が立つ。私がいままで日米の間で努力してきたことは一体なんだったのだろう」と。
私は井上さんは戦後、自分が日米間のために懸命に努力してきた事と、自分の思想、歴史観、との間に葛藤を抱えていたのではないかと思います。その葛藤をこれから心のなかでどう処理していくのか、いちどゆっくり話し合いたいと思っていた所でした。今年の1月、出版記念パーティーの時、その肝心な時、井上さんはお見えになりませんでした。「本を出版することがこれほど大変なものか知りませんでした」という井上さんのメッセージが会場で読み上げられました。会場では読書会で会ったこともないような方々がそれぞれ井上さんの著書を手にしているのに、私の手元にはその本はありませんでした。数に限りがあったからでしょう。でも井上さんは多分、私に対して、誰よりも先に感想を聞きたかったに違いありません。後輩の松元氏から借り受けてその本を読んでいるうちに井上さんの病状はどんどん悪化して行ったのでした。井上さんの訃報を受け取った時、まっさきに後悔したのは、何故、メールでも手紙でもよいから、すぐに感想文を送らなかったか、という思いでした。病気見舞いのカードには「井上さんの担当の章が一番よかった」とメモしましたが、それすら読まずに井上さんは逝ってしまったのですね。
井上さんと私は考え方も割りと似ている所がありました。ただ年齢は私より6つほど上、この年齢の差は敗戦の時に物心がついていたか、いなかったかで戦後の歴史の受け取り方がずいぶん異なるように思います。人はその生きた時代の中でしか世の中を認識できないことを今更ながら強く感じます。
似ている所、それは私が読んで感動した本は井上さんも同様に感動したという事実でした。私がお貸しした本、岸田秀の「日本がアメリカを赦す日」や「靖国問題の精神分析」は上梓された本の中で参考文献として挙げられています。
渡辺惣樹の「日米衝突の根源」にいたっては、少し長く貸してほしいとの依頼があり、好きな期間いつまででも結構ですよ、と返事をしましたら、丁度本の執筆が終了する頃、ホームメイドのジャムと一緒に律儀にも返却して下さいました。
井上さんが読書会に最後にお見えになった時、私が新聞広告を見せて、孫崎享の「戦後史の正体」を読みたいと言った所、にやりと笑って、お貸ししましょうか、とカバンからその本を出して来たのでした。お互い読みたい本はよく似ていましたね。
井上さんは学者肌で目立たない所で皆の為にきちっと仕事をされる方でした。こういう人を日本では縁の下の力持ちと表現するようですが、英語では、歌われることなきヒーロー、an unsung heroと呼ぶようです。最初にお勧めした本、福岡伸一の「生物と無生物の間」の中でこの言葉が使われておりました。私達のような年寄り連中が生前何を考えていたのか、何を思っていたのか、そんなことは孫の代になるとすべて忘れ去られてしまうのは仕方がありません。諸井薫がこんなことを述べておりました。
「人の、死に対する悲しみは、知人は告別式の帰途に消え、友人は3日にして忘れ、近親といえども、子供は49日の法要を境に、妻は一周期を終わるところまでしか残らないのではないだろうか」。井上さん、私達のような老いて逝く男はそれでいいのだと思います。ただfade awayすればよいのです。無数のunsung heroの一人でいいのです。ですが井上さん、あなたは若い人達に一つの形を遺しました。「目覚めて、そして言挙げして」それからどうしろと言いたかったのですか。その答えを井上さんから聞きたかったです。
井上さん、今はただむなしいです。井上さんは生真面目過ぎる面があったと思います。もう少し適当に生きてもよかったのに、人生もっと面白い筈のものなのに。この文を書きながらそんなことを思いました。
私はこれからもいままで通り「遊び」と「勉強」がぶつかった時は、迷うことなく「遊び」を選択したいと思います。そして井上さんの死を一つの区切りとして、私もこの読書会を卒業して行きたいと思います。
柳は緑、花は紅。
井上さん、さようなら。
2013年3月22日
不肖の後輩、伊藤 昌志
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