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近江遷都と壬申の乱のつづき 長々と「日本書記」のお世話になったが、振り出しの安房の国、那古船形へ戻ろう。 安房の船形にある崖の観音の開祖は西文氏(かわちのふみうじ)出身の行基であると伝えられていた。 Wikipediaで 西漢氏(カワチのアヤウジ) を調べてみると下のように記されていた 『「大和国を本拠とした東漢氏 (やまとのあやうじ)に対して西漢氏と称したが、東漢氏との関係については同族とも言われる一方でなかったともされる。また、百済系の氏族である西文氏(かわちのふみうじ)との関係についても不明である。当初直 (あたい)であったが、683年に連 (むらじ)、2年後に忌寸 (いみき)の姓が下賜された』
崖の観音を彫った人が行基その人であったかどうかも定かではない。ただ古代の河内や大和には多くの渡来系の民漢直(アヤノアタイ)が住んでいて、百済出身の民が関東へ移民したことは確かである。百済人の子孫がこの地で仏像を彫った可能性は十分にあると考えられる。 崖の観音は、今では風化して表情も定かではないが、はるかかなたの故郷である大陸を望んでいるかのように海を見ている。 (おわり) Nago-kannon temple, Chiba prif. |
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