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2009.5.3
将軍山古墳
丸墓山古墳、稲荷山古墳とまわって将軍山古墳に至る。まだまだ古墳はたくさんありそうなので、うっかりと将軍山古墳の横を通り過ぎてしまう。
しかしこの将軍山古墳の裏側には、横穴式石室の様子を紹介した展示館があった。
ここからも貴重な副葬品が出土しており、それらは朝鮮半島からの輸入品であったと考えられている。
二子山古墳遠景
二子山古墳は武蔵国で最大の古墳で、畿内で見られるような典型的な前方後円墳の形をしていて、立派な内堀には水が湛えられている。
二子山古墳
二子山古墳の脇のお茶屋さんで一休み、昼食。
茶屋のご主人から、古墳時代当地の主は、笠原直臣(かさはらのあたいのおみ)だと教えてもらった。それから、ガイドブック「行田がいいね!」をいただいた。
ここの冷やしうどんは、二種類のタレにつけて食べる。コシがあって美味しい。
日本書紀 巻第十八 広国押武金日天皇 安閑天皇 より 笠原直使主(かさはらのあたいおみ) 小杵(をき) 小熊(をくま)
横渟(よこぬ) 橘花(たちばな) 多氷(おほひ) 倉巢(くらす)
〔原注〕甲寅:534年にあたる。
稲荷山から出土した鉄剣に記された辛亥の年が471年であるとすると63年後の出来事、辛亥が531年だとすると、3年後の出来事となる。
武蔵国で最大の古墳、二子塚が築かれたのは6世紀初めと推定されており、上の記事とほぼ同時期である。とすると埼玉古墳群の主は、安閑紀にみられる笠原直使主ら武蔵の国造ではないだろうか。
笠原直使主と争った上毛野君は、当地と比較的近くて古墳が点在する太田市あるいは藤岡市近辺に住んでいたのだろうか。
上毛野君は崇神天皇の子孫、笠原直使主は百済か高麗の血を引くとすると、巻向を中心とする倭国古来の勢力が朝鮮半島から流入した仏教を奉ずる新たな勢力に屈するという、重大な出来事があった時代なのかもしれない。
将軍山古墳・綿貫観音山古墳の出土物
武寧王陵、綿貫観音山古墳
藤岡市の古墳 欽明天皇と屯倉
武蔵国造
常陸国霞ヶ浦の富士見塚古墳
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先程は、ご訪問頂き有難う御座いました。トラックバックも、恐縮です。
私は、さきたま古墳群には随分以前には 度々 出掛けました。武蔵の田舎道を行くと、古墳群が唐突に現れるような感じで、行く度に、妙に興奮を覚える所でした。
歴史の考察は一筋縄ではいきません。 少し前は ‘二つずつあるもの’ という面から考え、ちょっと前には ‘繰り返しの記述’ という面から考えて、自分なりに古代の考察を続けています。重ねて訪問を頂けたら幸甚です。
取り急ぎのご挨拶にて、失礼致します。
2010/4/24(土) 午後 1:35
さきたま古墳群、すごいですね。
ときどき日本書紀を読むのですが、同じようなできごとが二度重ねて出てくることがあり、怪しいですね。
蘇我邸にあって焼失したという歴史書に書かれていたことを記憶している複数名が、思い出しながら著述し編集したのかもしれませんね。
2010/4/24(土) 午後 5:39
ご訪問有り難う御座いました。
これからも勉強させて頂きます。
2010/5/22(土) 午後 11:06