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2010. 6.12
群馬県高崎市の綿貫観音山古墳を見に行きました。
墳墓の全長が約100mという大変見事な古墳です。
6世紀造とのことで、前方後円墳としては末期の築造です。
一帯は実に素晴らしく整備されていました。
前方部(左)と後円部(右)が同じくらいの高さで、整った前方後円形をしています。
さきたま古墳群の二子山と似ているような気がします。
最も美しい前方後円墳のひとつだと思います。
墳丘の姿が整っているからだけではありません。
玄室内の石組みが、実に美しいのです。
偶然グループの先客の方々がガイドさん付きで見えていて、
お陰さまで玄室の内部を便乗して見せていただきました。
深い玄室の奥の部分。
群馬県ではこのような横穴式の玄室は3ヶ所のみとか。
側面の石組です。非常に精緻に組み合わされています。
先月見てきた 口明け塚 の雑さとは異質で、テレビで見たインカの遺跡を思い出しました。
これだけ立派な石室に埋葬されるのは、どんな人でしょうか。
天皇(大和の王)に匹敵するほど偉い人
上毛野の王ではないでしょうか。
この古墳については、6月29日の朝日新聞の夕刊で報じられるそうです。
墳墓は2段築成になっていて、輪郭線上や墳頂に美しい埴輪がていねいに並べられていたそうです。
古墳を見たあと、群馬の森、群馬県立歴史博物館に入りました。
群馬県立歴史博物館、素晴らしい博物館です。
綿貫観音山に並んでいた埴輪が展示されています。群馬県や栃木県の埴輪は実に生き生きとしています。
kawakatu先生の方で、衣装について考察されています。
三人の女子を横からも撮れば良かったですね。
歴史博物館の「総合案内」の p. 30 図版 36 を見ますと、三人の女の子はミニスカートをはいていてみんなタテの縞模様であることは分かりますが、裾のレース状模様というのは見えません。 この古墳が築造された時代には、関東地方にも仏教の波が押し寄せます。
仏教が伝わると同時に、仏像が重んじられ、埴輪は作られなくなってしまいます。
大きな墳墓を築き王を埋葬するという習慣も同時に廃れました。
このような埋葬方法は、仏教渡来前の一種の宗教的儀式だったのでしょう。
墳丘には埴輪が、玄室には百済から伝来したと思われる仏教的な金属器が副葬されていたことから、この古墳は、仏教伝来の渦中の時代に造設されたことがわかります。
截石切組積が見事な中塚古墳
ヨンサンガン流域の前方後円墳
2017.9.16 追記
(1) 「群馬県立歴史博物館 総合案内」, 1992, p.28-31
綿貫観音山古墳の副葬品について。
「水瓶」: 中国山西省の北斉時代 (550-557) の墳墓から同形のものが発見されている。
「獣帯鏡」: 百済の武寧王 (在位501-522) 陵などから出土したものと同型。
いずれも輸入品と考えられ、これらの物は560年以降に埋葬されたか。 観音山は6世紀末の築造とされていて、宝物が古墳の主の生前ともにあったとすると、年代は合う。
大和では欽明〜敏達〜用明〜崇峻 の時代で、仏教などの大陸の文化がおそらく百済を通して流入し、政権に影響をあたえていた時代。
(2) 「前方後円墳の世界」 広瀬和雄, 2010, 岩波新書, p.51, 埋葬品
p.161-, 東国首長たちの反応
なぜ関東にもこのように立派な古墳が登場し、切石積み横穴式石室が採用されたのか?
「六世紀後半ごろ、東国では前方後円墳が急増」
「政治的結合を深めた東国首長層は、集団的な帰属意識を強化するため既往の墓室を革新したのです。切石積み横穴式石室はほぼ旧国ごとの首長層と、それをふくめた東国首長層という二重の心性、〈われわれ意識〉や自他意識をあらわしたのです。」
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かさぶたろぐさん、こんばんは。
群馬県高崎市には、私は良く鉄道の写真を撮りに出かけますよ
その、高崎にこの様な古墳が有るとは知りませんでした、
興味深い物が沢山ありますね。
2010/6/13(日) 午前 0:25
白い彗星さん>
今朝湘南新宿ラインで浦和あたりを北上するときに、各駅のホームでカメラを持って上り電車を待っている人がいました。何が通ったのでしょうね?
私も「テツ」のはしくれですので、高崎でカバさんや大宮でキハ12を見るとうれしくなります。
遠くへ出かけたのに雨だったり、今日のようにカンカン照りの日には、博物館や科学館は楽しいですよ。
2010/6/13(日) 午前 0:45
あはは。よく天井石の記事見つけました。
確か私が初めて書いた古代史の記事でとてもはずかしい。
ほんとかいな?という内容です。
2010/6/13(日) 午前 8:32
はい。リンクはらせていただきました。
実際、広い石室の上に大きい平たい石板がかぶせてありまして、一体どうやって運んだんだろう?と思います。
相当偉い人が葬られたのでしょうね。
上毛野君形名将軍かもしれませんね。
やっぱり御三家では。。。
2010/6/13(日) 午後 9:17
かさぶたろぐ さんへ
綿貫観音山古墳は興味があります。
この冬に見学を予定しましたが生憎県立歴史博物館が改装のため休館中で見合わせてしまいました。
6月29日の朝日新聞楽しみです。
2010/6/21(月) 午前 9:06
sen-ninさん>
暑くなりましたね。綿貫観音山は、すずしい季節に、ぜひ中の石組もご覧になることをお勧めいたします。
今博物館では上州の食べ物の展示があって楽しいです。
2010/6/21(月) 午後 8:50