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2010年 9月10日 神奈川新聞の記事。
女帝斉明陵と特定奈良・国史跡 牽牛子塚古墳 天皇家特有の八角形
〔解 説〕 “二つの陵墓” 見直しを (2011. 2. 8追記)
例によって日本書紀をたよりに、この時代を整理してみる。
蘇我馬子、崇峻を暗殺 (592, (4))
馬子が亡くなると (626, (4))、
馬子にかわいがられていた境部摩理勢が殺され、山背大兄皇子はうしろだてを失う。
境部摩理勢が滅亡すると、ただちに蘇我蝦夷が推す田村皇子が即位し舒明天皇となる。
舒明天皇が亡くなり (642, (4))、
皇后の宝皇女(茅渟王と吉備姫王の娘(5))が即位。
※百済 義慈王在位 641-660 (Wikipedia)
入鹿が山背大兄皇子を斑鳩に滅ぼす (643)。
専横を極めた入鹿も葛城皇子(中大兄)に殺され、続いて蝦夷もほろぼされる (645)。
蘇我入鹿と蝦夷が滅びるとすみやかに、中大兄ではなく軽皇子が孝徳天皇として即位する。
つづいて蘇我山田麻呂が滅ぼされる (649) (4)。
孝徳天皇は難波に残されたまま、中大兄皇子は皇后を連れて飛鳥に入る。
孝徳天皇が亡くなると、元の皇極天皇(皇祖母尊)が再び斉明天皇として即位する (655)。
中大兄皇子はここでも即位できない (百済にいて新羅と対峙していたか?)。
斉明天皇は多くの人夫を徴発して水路や石垣を建造させたため、悪評が立つ。
(おそらくこのとき牽牛子塚が建造された)
朝鮮半島では高麗が唐に攻められ、百済は唐と新羅両国から攻められる。
百済を救援するために斉明天皇自らが西へと出兵した直後、筑紫で亡くなる (661)。
中大兄皇子の時代となるが、百済は新羅に攻略され、倭の水軍は唐の水軍に敗れる (660)。
百済人が日本に亡命し、中大兄は難民を滋賀に住まわせる。
その直後に、中大兄は飛鳥から近江に遷都し、ようやく天智天皇として即位する (667)。
高麗が唐·新羅に滅ぼされる (668) (3)。
天智天皇が亡くなると (山科で殺され宇治で埋葬された (2), 扶桑略記)、
大海皇子は吉野から東国へと出発し兵を徴集する (672)。
ひきかえして大和を攻め、近江宮の皇太子大友皇子をほろぼす。
大海皇子は天武天皇として即位し、唐の方法をまねて日本国を統治する。
東国の民と百済の民を優遇する。
以上のように概観すると、上の新聞記事の「天皇家」とは、百済滅亡の前にあらかじめ帰化していた百済の貴族ではないかという思いを払拭できない。
欽明天皇以後仏教が尊重され、上記の「天皇家」に至っては大規模な前方後円墳の築造も行われなくなった。
朝鮮半島で高句麗と百済が滅ぼされる激動の時代を経て「日本国」が確立したことは、明治維新の王政復古により近代日本が成立したのと同様に、海外の文化を取り込むことにより新たな国づくりが行われたといえるだろう。
(1) 斉明天皇と道教 (kawakatu先生ご教示により 2011.2.11追記)
(2) 中大兄は百済の王子 余豊璋 であった (2016. 9 追記)
(3)「高句麗壁画古墳報道写真展」早乙女雅博監修, 2012, 共同通信社
(4) 日本の名著 「日本書紀」 井上光貞編, 1983, 中央公論社
(5) 日本の古典をよむ3 「日本書紀 下」, 2007, 小学館
(6) 「扶桑略記」 巻第五 天智天皇 http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/kiryaku/fs05.htm#40
一云,天皇駕馬,幸山階鄉,更無還御。永交山林,不知崩所。【只以履沓落處,為其山陵。以往諸皇,不知因果,恒事殺害。】山陵,山城國宇治郡山科鄉北山。【高二丈,方十四町。】
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そうか、決まったんですか。
稀有ですね。
八角形が天皇家特有とは決めがたいけれど、時代的に飛鳥はそうですね。天智、天武さん以降という限定つきです。「天皇」呼称もだいたいそこからとなります。
2011/2/8(火) 午後 8:08 [ - ]
日本書紀の斉明二年「石を重ねて垣とす。時の人謗りて曰く、狂心の溝」云々と、天智六年「天豊財重日足姫天皇と間人皇女とを小市岡上陵に合葬した」によるのでしょうね。
後の夢殿も八角形ですが、この形は何でしょうね?
2011/2/9(水) 午前 0:11
それから、上の「天皇家」は吉備とも繋がりがありそうですね。桃太郎にやっつけられた鬼と関係があるかもしれません。
舟には乗るのだけれど、九州からやってきた海人(隼人)とは別の系統ではないでしょうか。八角形と渦マークとではずい分イメージが異なります。
2011/2/9(水) 午前 0:21
八角形は道教の太一思想でしょう。中国の道教の価値観です。八方へ目が行くことは天子の条件ですから。
魔方陣なんかも八角です。
飛鳥から天智・天武までは大和が中国の道教を大輸入した時代で、グローバル時代です。まあ、今考えれば八卦ですわ。当たるも八卦で国家の基本理念を作ろうとしていたわけです。政治なんかその程度の頭です、今でも。
隼人は竹取物語でも「月の氏族」なんです。で、その月の氏族というう意味は、為政者の影の存在ですが、聖徳太子なんかも月なんです。その月の信仰というのは海人族特有の太陽信仰とセットだった。どちらも海洋航行の目印ですから。ところが月の方が大事だというのは、古代の航行は夜がメインだったからだと思います。そして日本の月読信仰のメッカというのは壱岐島にあるんですね。壱岐の月読神社。宗像族、あるいはアズミ族出身ですわ、天皇は。
2011/2/11(金) 午後 7:20 [ Kawakatu ]
こともなげに書いてしまってすみません。ちょいとアルコールがはいっちゃいました。
2011/2/11(金) 午後 7:22 [ Kawakatu ]
いえいえ、絶好調でロマンチックで良いです。
宇佐神宮に3人の女神がまつられていて、応神は九州から畿内へ、継体は古志から?、欽明や斉明は百済から来たような気がします。滅びかけの百済を助けようと、自ら舟に乗って出かけるほど、故郷が大事だったのではないでしょうか。
私も思いつきを気楽に書かせてもらっています。
2011/2/11(金) 午後 9:16
ひょっっとして
卑弥呼は天照大神、卑弥弓呼は月弓尊かも?
2011/2/11(金) 午後 9:32
大分県の津久見は月見または月読みかもしれませんね。
2011/2/11(金) 午後 9:48
> hop*519さん
面白いご意見です。
おぼえておきますね。
2017/4/27(木) 午後 9:41 [ - ]