かさぶたろぐ

旅行反芻的部落格。貝類很好。

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家形埴輪

 
§ 室宮山 大型家型埴輪    House-shaped haniwa in Kashihara musium
 
5月2日
宮山古墳から出土した埴輪を見に、橿原考古学研究所付属博物館へ行きました。
 
イメージ 1
宮山古墳の石棺の周りから出土した埴輪   Haniwa from Miyayama kofun
 
 
イメージ 2
宮山古墳以外のところからでた埴輪   Haniwa from the other place
Left; "yosemune" roof, right; "kiritsuma" roof, and behind; "irimoya" roof. 
 
寄棟だか切り妻だか、どう言えばいいのか分かりませんが、色んな形の家があります。
奥の家の屋根は面白い形で、どこかで見覚えありますね
 
 
それら展示物の中に板状の柱をもつ大型の家形の埴輪がありました。
 
イメージ 4
『王の居館』   King's house with "chigi"(1) and irimoya style roof
 
屋根の形が特徴的ですね。堅魚木(かつおぎ)まであります。
側面は板状の柱に囲まれているだけで、風が通々ですね。
 
『王』はもちろん葛城の王ですが、暑がりさんだったのでしょうか?
それとも当時は今よりもっと気候が暑かったのでしょうか?
 
 
この板状柱は、何と、あの靫形埴輪と似た直弧文(ちょっこもん)で飾られていたのです!!!
 
イメージ 5
with drawing of "Chokkomon" pattern 

当時本当にこんな建物が建っていて、柱はこんな模様で飾られていたのでしょうか!?
 
詳細ご関心ある方は下記の朝日新聞の記事をご参照ください。
 
 
この家形埴輪は、現物が立っていたと思われる遺構が、宮山古墳から遠くない葛城山麓の極楽寺ヒビキ遺跡で見つかったことから、実際にこのような建物があったにちがいないと、注目されています。
 
イメージ 6
極楽寺ヒビキ遺跡遺構平面図  
Archaeological site of Gokurakuji Hibiki at Katsuragi
(不鮮明な写真が多くて申し訳ありません) 

極楽寺ヒビキ遺跡
 
橿原考古学研究所付属博物館の説明板を見ますと
 
 御所市極楽寺ヒビキ遺跡では、古墳時代中期中頃(5世紀中頃)の大型掘立柱建物が検出された。両岸に石垣を積んだ堀に囲まれた約2000m2の区画内の西側で確認されたもので、建物の東側は広場である。柱はすべて腐朽し、その痕跡だけを残すのみだが、5間×5間の建物本体の面積は、220m2 (67坪) に達し、日本列島屈指の規模を誇る。
東側と南側には、L字形に曲がる合計12間分の塀 (柵) が巡る。 縁部は通有の円柱だが、身舎(もや)部は2間×2間の特異な板状柱で、柱痕跡が赤い土に 置き換わっていた。
近くに、葛城地域最大の前方後円墳である室宮山古墳 (墳丘長 238m) があり、その後円部墳頂から、直弧文を施した板状柱をもつ大型家形埴輪が出土している (写真=第2展示室に展示中)。
柱間や板状柱の特徴などが共通することから、この家形埴輪をもとに建物の復元模型が製作された。
 
イメージ 7
極楽寺ヒビキ遺跡の大型掘立柱建物復元模型
神戸大学工学部建築史研究室製作(S110
A model of the high floored house (2) at archaeological site of Gokurakuji Hibiki

 
素晴らしい模型ですね!!
 
この建物は、実在したに違いありません。
 
 
 
 
さて、これら室宮山古墳から出た家形埴輪には、他の地方で出たものと共通点がありそうです。
 
 
§ 赤堀茶臼山古墳の家型埴輪
 
イメージ 8
Haniwa from Akabori-chausuyama, collection in the Historical musium of Gunma prifecture at Takasaki city 

高崎市の群馬県立歴史博物館に展示されています。
説明板を見ますと
赤堀茶臼山古墳は、5世紀前半の全長59mの帆立貝形古墳です。その墳頂部から、家型埴輪をはじめ囲形・椅子・高杯などの埴輪が発見されました。家形埴輪は、堅魚木(かつおぎ)を棟にあげた切妻造の主屋を中心に、脇屋や高床倉庫など8棟が左右対称に配置されていたと考えられています。当時の豪族居館の構造を考える上で貴重な資料です。
 
この建物には、下のような人物が出入りしていたのかもしれません。
 
イメージ 10
An ancient dressed-up man
 
 
 
§ 西都原古墳の子持ち家型埴輪
 
私の心のふるさと?宮崎県の西都原(さいとばる)古墳からも、家形埴輪が出土しています。
 
イメージ 9
House-shaped haniwa with small chambers, a collection of Saitobaru musium 
Main house and both side chambers have "Kiritsuma" roofs, front chamber with "irimoya" roof,
magnificent but with no "chigi".

屋根に二通りの形があります。
V字型に高所・外側へと張り出した切り妻屋根(中央と両サイド)と、
一旦寄棟風に絞った上に同様の切り妻屋根を載せたもの(手前の小屋:「入り母屋造り」と言うんですね)で、棟には丸みがあります。
 
 でもそんなことよりも、大きい家の前後左右に小屋がくっついているのが、この家形埴輪の面白い点ですね。
 
によると
子持家型埴輪
子持家形埴輪は全国的にみても出土例がなく西都原特有の中央に原始人母屋造りの母屋、前後に平床式入母屋造の家、両脇に切妻造りの家、5軒の家型埴輪から成り立っている。人が住む家ではなく、信仰儀礼が行われた大室谷としての建物を表している。高さ52cm 横幅94cm (全体の3割程度の破片より復元)
 
西都原考古博物館でこの埴輪を見たときは、これは古代人が空想をめぐらせて遊び心で作った宇宙ステーションではないか? と思いました。 
 
その後、群馬県や葛城の家形埴輪を見たときには、それらは実在した家のミニチュアと確信しました。
西都原の子持ち家型の建物も、実際に存在したのかもしれませんね。
 
ただ、これだけ立派な建物なのですが、堅魚木(かつおぎ)がありません。
堅魚木の有無は、何を意味するのでしょうか?
 
 
 
西都原考古博物館には他に、楕円形に近いような形の家形埴輪も展示されていました。
 
イメージ 3
 Haniwa with "chigi", collection of Saitobaru musium

 こちらの棟には堅魚木がありますね!
 右手の王様の冠のような小屋は、見張り用の砦でしょうか?
 
 
『日本書紀』には神武天皇も応神天皇も九州出身と記されていますから、
これら家のデザインのルーツも九州なのかもしれません。
 
 
 
【家屋文鏡】
橿原考古学博物館
 http://inoues.net/museum2/kashihara2005.html (スクロールバーで上から50%のところ) 
ヒマヤ・サンヤ
家屋文鏡に描かれた4軒の建物には堅魚木は載っていません。
4軒のうち倉庫を除く3軒は、入り母屋造りのようです。これらのうち、①「祭祀の館」は、葛城の「王の居館」と似た造りではないでしょうか。
とすると、この4軒も架空の絵柄ではなくて、実在した可能性が高いのではないでしょうか。

Note:
(1) "Chigi" are the wood bars on the top of the roof, which are usually seen at Japanes shrines.  It is also called "katsuogi". I wonder why were they placed, giving stability on the roof, dignity for the architecture, or a kind of magic for protection from fire?
(2) High-floored houses were built for protecting people and precious goods like crops from flood and rats, originated from south east asia. It might be the house for the noble peaple or the place of devine service in ancient Japan.  

 東京国立博物館 
 
 纏向の4軒  Four styles houses at Makimuku, Nara. 
 高床式、入り母屋と切り妻。
 
三重県松坂市の家形埴輪  A roof with fish fine at "Haniwa museum" in Matsusaka city, Mie
 高床の入り母屋の棟の上には堅魚木のかわりに鰭がついている!!
 
摂津の今城塚の埴輪
 
南海の文化 
高床式は東南アジア由来で、高い屋根は宇宙を表していた?
 
 

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閉じる コメント(12)

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建物の柱に使われている直弧文は、纒向=磯城のシンボルマークとして朱塗りの神殿の真上に建てられていた弧文円盤と同じです。

葛城たちが共立した女王がいたということになるかも知れません。
だから葛城・武内宿禰・隼人系譜が重要なんです。

誰もほかに言いません。だからもっと重要。

2012/6/10(日) 午後 1:19 Kawakatu 返信する

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纏向の弧文は葛城や九州の直弧文の百年くらい前ではないでしょうか?
吉備の弧帯文はさらに古いかもしれませんね。

2012/6/10(日) 午後 6:20 hop*519 返信する

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橿原考古学研究所付属博物館、スクーリングで行きました。
埼玉で初めて出た、三角縁神獣鏡が沢山ありました。
群馬にもおいでになったということでしょうか。

2012/6/10(日) 午後 8:04 [ bunbunbun ] 返信する

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Bunbunbunさん、ようこそです。
群馬は湘南新宿ラインに乗って、倉賀野まで行きました。
群馬県立歴史博物館は、すごく良い博物館で、ぜひもう一度訪れたいと思ってます。
http://blogs.yahoo.co.jp/hopi519/61045843.html

2012/6/10(日) 午後 8:10 hop*519 返信する

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極楽ヒビキの画像借りました。

順番では、吉備弧帯文→纒向弧文→紫金山直弧文や宮山→九州
と逆行しますから、模様の源流がまず縄文後期から弥生時代の貝輪を作るときに見える巻貝の渦巻きで、そこから逆輸入されています。
直弧文は再生禁止の大和型呪模様であると思っておりますから、大和の氏族の古墳に貼り付けられていて、靫の模様は弓矢があたらないようにという魔よけに変化。この的を名前にするのが武内宿禰子孫のうち葛城からでる的臣(いくはのおみ)です。「いくは」は福岡県浮羽郡の地名のもとになっています。

葛城系譜が福岡から出たのか、それとも逆に、福岡朝倉あたりに女王警備で入るのか?実際の古墳はそのあとの倭五王時代になります。

2012/6/11(月) 午後 4:08 Kawakatu 返信する

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西都原の家型の横においてあるふたつのぎざぎざ埴輪ですが、三重県松坂の宝塚からも出ていたと思います。たぶん弓矢を撃つ為の切れ目でしょう。まるで西洋のお城ですね。

2012/6/11(月) 午後 4:19 Kawakatu 返信する

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間違えました。今城塚古墳でした。

2012/6/11(月) 午後 4:37 Kawakatu 返信する

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kawakatuさん
色々とありがとうございます。
今城塚は継体天皇の墓ですね。埴輪のデザインが松阪の宝塚と共通するものがありますね。
男大迹天皇と尾張族は関係なかったでしょうか?

博物館の展示物の写真はピンボケのものが多くて申し訳ありません。

2012/6/11(月) 午後 6:55 hop*519 返信する

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初めまして。
kawakatu様の処より、お邪魔致しました。
初めてで、恐縮ですが、「お気に入り」登録させて下さいね。
ポチ!

2012/6/11(月) 午後 6:58 ピリ 返信する

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↑bronさんは真面目な考察者です。お勧めします。

2012/6/11(月) 午後 7:40 kawa**tu 返信する

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bronさん
ありがといございます。
今年はロンドンでオリンピックですね。
イギリスと言えば、くまのプーさん、ハリーポッター、
それから「プーカと最後のハイキング」ですか

2012/6/11(月) 午後 8:27 hop*519 返信する

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お世話になります。とても良い記事ですね。 削除

2013/6/29(土) 午後 1:46 [ マルベリー バッグ ] 返信する

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